セセンテレン大国内で行われている一般的な成人の義は、15歳の誕生日を迎えた男子達が、1年に1度── 5月の20日 ──〈 大陸りく仰こう神しん神しんランビュサダレ 〉を奉たてまつる聖せい神しん殿でんの中なかへ一いっ斉せいに集あつめられ、成せい人じんの義ぎ式しきが執とり行おこなわれる。
15歳さいの誕たん生じょう日びを迎むかえた女じょ子しの場ば合あいは、 “ 成せい人じん祭さい ” と名な前まえが変かえられて、1年ねんに1度ど── 4月がつ20日にち ──〈 大たい信しん陸りく仰こう神しん神しんランビュサダレ 〉を奉たてまつる聖せい神しん殿でんの中なかへ一いっ斉せいに集あつめられ、成せい人じんの義ぎ式しきが執とり行おこなわれる。
男だん子しの成せい人じんの義ぎは神しん聖せい且かつ厳おごそかなものだけど、女じょ子しの成せい人じん祭さいでは歌うたや舞まいが見みられて華はなやかに行おこなわれる様ようだ。
一いっ般ぱん的てきな成せい人じんの義ぎ,成せい人じん祭さいには、国こく王おう,王おう妃ひが祝いわう為ために出しゅっ席せきするが、王おう子じ,王おう女じょは参さん加かしない。
王おう子じ達たちの,王おう女じょ達たちは、自じ分ぶんの誕たん生じょう日びに成せい人じんの儀ぎ式しきを執とり行おこう事ことになっている。
王おう子じ,王おう女じょの成せい人じんの儀ぎ式しきが執とり行おこなわれる日ひは祝しゅく日じつとなって、〈 大たい信しん陸りく仰こう神しん神しんランビュサダレ 〉を奉たてまつる聖せい神しん殿でんの中なかで厳おごそかに執とり行おこなわれる。
御お目め出で度たい御お祝いわい事ごだから、セセンテレン国こく民みんが喜よろこびを王おう族ぞくへ伝つたえる為ためにと盛せい大だいにお祭まつり騒さわぎが始はじまる。
王おう子じの場ば合あい、生うまれた日ひから亡なくくなる迄まで、誕たん生じょう日びは祝しゅく日じつとされる。
王おう女じょの場ば合あいは、生うまれた日ひから他た国こくへ嫁とつぐ迄までは祝しゅく日じつとされる。
他た国こくへ嫁とつがなかった王おう女じょの場ば合あいも嫁とつぐ迄までは祝しゅく日じつとされる。
王おう女じょが独どく身しんの場ば合あいは、亡なくなる迄までは祝しゅく日じつとされる。
王おう子じ,王おう女じょが多おおければ多おおい程ほど、祝しゅく日じつは増ふえる訳わけだ。
勿もち論ろん、国こく王おうの誕たん生じょう日びも祝しゅく日じつになっている。
因ちなみに王おう妃ひの誕たん生じょう日びは祝しゅく日じつになっていない。
歴れき代だいの国こく王おう達たちの誕たん生じょう日びも祝しゅく日じつになっていたけれど、亡なくなってからは平へい日じつに戻もどっている。
1部ぶ例れい外がいもあって、セセンテレン大たい国こくの建けん国こく記き念ねん日びと初しょ代だいセセンテレン国こく王おうの誕たん生じょう日びは祝しゅく日じつになっている。
成せい人じんの儀ぎを終おえた王おう子じに婚こん約やく者しゃが居いる場ば合あいは、1年ねん以い内ないに婚こん約やく式しきを挙あげる決きまりになっている。
婚こん約やく式しきを挙あげた日ひから、王おう子じが20歳さいの誕たん生じょう日びを迎むかえる迄までに、婚こん約やく者しゃと結けっ婚こん式しきを挙あげなければならない決きまりなんだとか。
婚こん約やく者しゃと婚こん姻いんを結むすび、無ぶ事じに夫ふう婦ふとなれた王おう子じは、国こく王おうから指し示じされた領りょう地ちへ妻つまと共ともに赴おもむく。
王おう子じは現げん領りょう主しゅから領りょう地ちを譲ゆずり受うけると、新あらたな領りょう主しゅとして領りょう主ちを治おさめる事ことになる。
国こく王おうから託たくされた領りょう地ちの領しょう主しゅとなった王おう子じは、〈 大たい信しん陸りく仰こう神しん神しんランビュサダレ 〉から授さずかった〈 マナ 〉を駆く使しして、魔ま獣じゅうの脅きょう威いから領りょう民みんと領りょう地ちを守まもる義ぎ務むと責せき任にんを背せ負おう事ことになる。
長ながくなっちゃったけど……、セセンテレン大たい国こくならではの事じ情じょうがある訳わけだ。
──で、オレ達たちが滞たい在ざい中ちゅうの領りょう主しゅの父ちち親おやは、先せん代だい国こく王おうと王おう妃ひの実じっ子しだったりする。