物語
そして、数時間後。
ティロスに連れられ、最初に城に入った所とはまた別の裏口から城を出た彼は、ようやく城下町をお目にかかることができた。
特に語ることは多くない。
ただただ壮観だった、とだけ言っておこう。
流石に城下町に入ることは出来ず、奏多は眼下に広がる城下町を酷く惜しみながら城を離れた。
そうして、城の裏口から伸びた街道(草がのけられ、馬車が通れる程度に踏み固められただけの粗雑なものだった)を30分ほど歩くと、ティロスがふと立ち止まる。
どうやら今この世界では季節的に言えば夏らしく、既に奏多は太陽に焼かれてだらだらと汗を流していた。
元の世界では冬だったので、気温差が激しすぎることも影響しているだろうが。
とはいえ、その煩わしい暑さすらもこれを見てしまえば一気に吹き飛んでしまう。
「す、すっげぇ……!!」
ティロスが立ち止まった街道の脇には、2m程もある巨大な蜥蜴が、堂々たる風貌で鎮座していた。
この街道はあまり人通りは多くなく、度々通る商人風の人物とすれ違う程度だったが、それでもこの30分でこの巨大生物とは数回遭遇した。
どうやら大蜥蜴というらしく、人間に飼い慣らされている種族らしい。最初に商人がこれに乗っているのを見たときも相当驚いたが、しかし今奏多の目の前にいるのはこれまで遭遇した大蜥蜴より二周り程大きい。
通りすがりの商人が目を丸くしたことからしても、相当目立っている筈だ。
「これは〈乗用魔物〉の1種、大蜥蜴です。巨体ですが人に慣れやすく、また魔物としての戦闘能力が高い割に草食なので比較的扱いやすい部類になります。カナタ様が操作しなくても大森林まで行けるよう調教済みですので、ご安心くださいね!」
それは、この蜥蜴を連れてきたらしい全身鎧の兵士からの言葉だ。
どうやらこの大蜥蜴は、奏多の為に用意された特別なものらしい。大きさはそうとして、スピードと戦闘能力ともに優秀なものなのだとか。
何故そこまでしてくれるかと疑問を抱きながらも、彼はティロスによる異世界講義に耳を傾けていた。
どうやら、彼が今から行くフィラル大森林というのは、〈耳長族〉との交易に使われるそれなりに有名な森で、魔境と認定されている地域の中ではこの大陸最大の大きさを誇るらしい。
故に、森に行くためだけに調教された〈乗用魔物〉なるものもいる。
ティロスが貸してくれたのはそのうちの一体で、連れてきた兵士は彼女直属の部隊に所属しているとの事だ。
「直属の部隊って……もしかしてティロスさんって、相当偉いお方なんですかね?」
「はい!ティロス殿はこの国の最高戦力〈四臣〉の一人で、まだ幼いながら皇帝からも絶大な信頼を得られております!」
どうやら、かなりの権力者のようだった。あの赤ローブの男たちもティロスには強く出られないようだった事も鑑みると、彼女はどうやらかなり影響力があるらしい。
ちなみに、先程から奏多の話し相手になってくれているこの全身鎧の兵士は兜に阻まれ顔が見えないが、声はまだ若く奏多と同じくらいだろう。
しばらくその兵士と談笑していると、大蜥蜴の整備をしていたティロスが帰ってきた。
「整備、お疲れ様でした!不備はございませんでしたか?」
「ああライト、お前の整備は完璧だ。私の最終確認もいらんかもしれないな。それよりカナタ、準備は出来た、大蜥蜴も問題はない。今すぐにでも旅立てるぞ?どうする?」
彼らが一緒に来れるのは国境付近。
ここはもう既に国境ギリギリで、あと少しでフィラル大森林だ。
別れるのは少し口惜しいが、どちらにしろ行くしかない。
今の彼にとって、生き抜く道はそれしかないのだ。
そしていつか、元の世界に、戻る。
この世界を、抜け出す。
強い決意を固め、奏多は口を開いた。それは、先程の震えた声からは想像できない程はっきりとした口調で。
「はい、行きます。」
そこからは、本当にあっという間だった。
1週間分程度の食料が麻袋の中に詰め込まれ、魔物の皮で作られたという寝ぶくろ、パジャマではない、ちゃんとした冒険用の服、方位磁石、それからーーー
「これは、剣?」
「ああそうだ、フィラルは魔物が出る。大蜥蜴がいるから大丈夫だとは思うが、護身用の剣は必須だろう。」
そういって渡されたのは、無機質な鉄で作られた直剣だった。
長さは肩から腰くらいまでで、中古品なのか剣先は明らかに錆びている。正直言って数打ちであることは間違いないが、護身用にはなるだろう。
「ありがとう、ございます。」
そうして鉄の剣を受け取ると、彼はティロスたちに深々と頭を下げた。
奏多は大蜥蜴に乗り込み、全身鎧の兵士に教えられたとおりに黒く、固い鱗がついた大蜥蜴の脇腹を蹴った。
奏多の爪先に硬い感触が響き、その想像以上の硬さに内心で驚いていると、大蜥蜴は雄叫びをあげながらドスンドスンと歩き出し、次第にかなりのスピードに加速する。
「またいつか会おう、カナタ!」
「ご武運を祈ります、カナタ殿!」
背後から聞こえる声に右手を上げて答え、奏多はゆっくりと前を向いた。
流れる景色のはるか彼方に、鬱蒼と茂った森が見える。
あれが、フィラル大森林。
失格勇者の冒険が、後に世界を揺るがすことになる旅路が今、始まる。
ーーーーーーーーーーーー
「本当に、良かったんですか?」
奏多の姿が、視界から消えて数分後。
全身鎧の兵士が、その声音に僅かな困惑と、そして罪悪感を宿しながら話しかける。
「ああ、私は王の命令に従うだけだ。」
無機質に、感情を感じさせない声で喋るティロスに、兵士はそれでも諦めず語りかける。
「カナタ殿に、間違えた街の方角を教えるなんて、やっぱりおかしいとしか思えません……!」
「それでも遂行するのが王の部下たる者の務めだろう。」
「そんなの……!!」
「3割だ。」
「……え?」
「パルマの〈世界演算〉は、奏多が生き残る確率を3割としたらしい。」
「ーーー」
残酷すぎる真実に言葉を失う兵士を一瞥したティロスは即座に身を翻し、やがて王都へ続く道へ戻っていった。
その少女の揺るぎない姿勢に、全身鎧の兵士は呆然とするばかり。
「だがあの場所ならば〈魔術狂い〉が住んでいる。運が良ければ生き残れるかもしれんぞ、カナタ。」
その、ほんの少し期待するような彼女の声は、奏多にも、兵士にも、神にすら聞こえることはなく、青く輝く空に吸い込まれていって。
やがて、消えた。
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