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伝承と舞  作者: ふしきの
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能舞台と神事と境界線 木引牛舎の神様がおわすほこら

「お兄ちゃんですら去年やってきたんだ」

 妹は頭がいいのを自慢して歩く兄はわたくしにおっしゃる。


 神事の際に「生娘」の審議会の時にも「妹は明日で8つ。神の降り子よりヒトのことなる。当然そのような忌みな言葉を使われるだけで穢れる身。場を清めよ」と、大声で三役の前でも見栄を切ったさまでした。

 その兄はわたくしの誇りであります。

 けれども神事は独り舞台です。

 松明と臭い香と生臭い臭いが充満しています。


 身を清めよ、穢れることなかれ。

 神のおわす言霊を告げよ。


 禰宜たちが私を籠に載せ高台の櫓につかせました。

「女の童とはなにか不吉なことが起きなければよいいが」

 密やかな声は言霊を含んでわたくしにピリピリと肌を指します。

 臭い、しんどい、だるい、きつい、お腹が重たい。

 そして祠が開かれました。

 

 神様への口上をつつがなく申すだけだ。

 兄は忘れたとあっけらかんと笑って

「毎年うまくいっているのだから今年もきっとダイジョウブさ」

 兄は能の観客席で見ているからと告げてくれてはいましたが……。


 三つの盛籠が用意されています。

 神様は、わたくしの言葉で納得していただけるだろうか。

「年の出来、帯紐反物、こちらの品々を恙無くご献上申し上げ奉りまする」

汗なのか、涙なのか、御祓で滴った髪の毛の水なのか。背中はびっしょりと装束が濡れて気持ち悪くてしかたありません。

「牛舎が……」誰かの声が感嘆の声となって出てきました。 

 最初は木引が動き出しました。

「年の出来、大地より海より、空より、豊穣の作物、こちらの品々を恙無くご献上申し上げ奉りまする」

 次に牛舎に吊るされた金具がゆらりと揺れ…それに、血肉が戻りだしたのです。

 牛だ。

 まだ半身の体だが牛だ。

 むたいな……。


 ここでわたくしは立ちあがらなくてはいけません。

「舞を……踊らさせていただきます」

 わたくしに用意された鉾がなかったのです。

 小刀。帯刀だ。しかも封として固く印がしてあります。

 震えながら硬い印を指で引っ掻き歯でひきちぎりました。

「はやくせねばならぬぞ」

 誰かが言う。

 帯袋を投げ捨てました。

「牛は成長が早い」

 なのに鯉口が固くて抜けないのです。

 

 兄が物見で怒鳴っています。

「この盗人め。神事の長太刀鉾を妹へ返せ」

「女だと、舞はおのこのみ!」

「忌すべきだ。穢祭となる」

「それを渡せ。あいつをほふるのにはそれがいる!皆は知っているじゃないか!なぜ、手御をしてくれない。そいつを捕らえ抑えてくれ。妹が妹が、胸を突かれて生き死にを、冥府魔道を見てしまうじゃないか!」


 誰かの種火が飛んできて牛引きの藁小屋に乗りました。

 瞬く間に燻され、黒い煙が上がりました。

 臭い。

 目が痛い。

 牛はとうとう泡を吹き出して怒りだしたのです。

 

『眉間を刺せ』

 昔遥か昔の歌。

『短い刀だ。突くか突かれるかだ。はふれ』

 舞の躍りは捌きの手順。

 ああ、わたくしはすべてを理解してしまった。

 この、最後のカラの箱の意味を。



 わたくしの最後の答えは……。


 神はウルサイと喧騒のヒトの時を止めてくださいました。

 そうなのです。

 神楽殿の舞台と神の間は風が流れ草木も揺れているのです。

「サンの箱……カミノヨリマシツツガナク」

 私は白い反物を空に投げつけ、自分の上着を剥ぎました。

「反物よ」

 白い反物が空高く舞いました。揺ったりと蜘蛛の巣のように落ちていきます。牛には長い角が伸び生えていくのと、牛が前足で蹴り破った足が一瞬白い幕で立ち止まったのです。

 刹那の時間は悠久にも似ていました。 

「嗅いでごらん。わたくしだよ。お前と同じ年に生まれ育ったわたくしだよ。お前をいじめるものは誰もおらんよ」

 わたくしの手には白や桃、緑色の金平糖が乗っています。

 金平糖の匂いを鼻で嗅いだ牛は、長い舌でとらえゆっくりと食んだ、滋味なる味わいを微笑んだ暮らをしておりましたのです。

「わたくしたちの内緒だよ」

 わざわざ縁者が町で買ってくれた高級なものすらわけるほどわたくしたちは仲がよかった。わたくしたちは一生涯離れることはないと思っていたのに……。

 空を舞う反物が輪を作りヒトの形になっていきました。

「白髪仙人!」

 美しき仙人は白い装束に身を包み、肩に私の狩衣を載せて牛の背に腰かけて見ておられましたが、牛は食み終わるとわたくしから離れてゆきました。

「友よ、いこうかのぉ。杖をなくしてしもうたのぉ。まあまたどこぞに落ちとるわい」

 それはわたくしだけが見たといいます。

「終わりよきかな。善きかな」

 

 能舞台に降りた兄がわたくしの手を触れて「怪我はないか」と聞いてきましたが、その触れられた手があまりにも熱く湿気っていて気持ちが悪く、手をきつく汚らわしく払いのけて兄は怯えた目をするほどうろたえました。

 わたくしは鯉口の切れなかった朱の螺鈿細工の刀は足で捨て舞台から降りました。


 千野姫の刀を拾う男がいました。

 神の道のちょうど真ん中に赤い朱が落ちていました。

 それは、たった一つの小さな血のようでした。

 兄の鼻血か、妹の初潮か、あるいは今鯉口で手を切った自分の血か…。

 それはもう神もおられぬところでは采配も何もありません。


 神様の祠も何もかもが消えて塵になったと聞きます。



 息を吸い込んで、

「お兄ちゃん。帰ろう」

「う。うん」

「お兄ちゃんは恐れだね」

「そうかい」

「恐れだから守ってくれる。そういうところがお兄ちゃんだ」

 普段通り兄と手を繋いで帰ったというお話。


 






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