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BLOOD STAIN CHILD ~magic hand~  作者: maria
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 病院の出口に停車していたタクシーに乗り込み、二人は帰途に着いた。

 「何か食いてえモンはあるか。」

 暫く見たことのない、昼間の風景を車窓越しに眺めながら、リョウはうつ伏せたまま膝の上で横になっているミリアに問いかけた。

 「……ない。」

 「昨日のグラタンは、どうだった?」

 「美味しかった。」

 「星形にしねえで、悪かったな。」

 「ううん。」

 「一昨日の、……サラダうどんは?」

 「美味しかった。」

 「そっか。じゃあ、……その前は何だっけ。」

 「オムライスも美味しかった。ケチャップでミリアって書いてあった。」

 「……でも一人で食っても、旨くねえよな。」

 独り言のように言ったせいか、ミリアは答えなかった。

 「最近ほったらかしにしちまって、悪かったな。」

 「リョウは、レコーディングだもの。」それは完全なる涙声であったので、リョウは胸がずしりと重くなるのを感じた。

 「うん、でもな。俺はお前の保護者だから。ちゃんと一緒にいなきゃなんねえのに……。」ジーンズ越しに熱いものが伝ってくる。

 「しばらく、ちゃんと学校の話も聞かねえで。……学校からの手紙とか、そういうの、なかったか。」

 「……おんどく。」

 「おんどく?」

 「教科書読む宿題、あんの。」ミリアはもう、隠しようもなく泣いていた。

 「そうだったんか。」

 「読んだら、ハンコ欲しいの。」

 リョウは有無を言わさずにミリアを抱き締める。小さく肩の震えているのを感ずるなり、リョウも耐え難く目頭の熱くなるのを感じた。


 ミリアは家に帰るなりベッドに寝転ぶと、教科書を取り出した。

 「元気になってからでいいじゃねえか。」リョウは驚きの声を上げる。

 「あのね、猫ちゃんの話なの。」弾んだ声で答える。

 リョウは困惑したようにミリアを見詰める。

 「猫ちゃんのお母さんがね、三匹赤ちゃん産んだの。」

 「……そうなんか。」

 「そしたらね、貰われて行っちゃったの。」

 「まあ、しょうがねえよなあ。」

 「でもね、お母さん猫はわからなくって、心配すんの。」

 「まあ、それも、……しょうがねえよなあ。」

 「そしたらね、貰われて行った子猫たちから電話がかかってきたの!」ミリアの頬は紅潮している。

 「電話?」

 「そう! あのね、それはおもちゃの電話なんだけど、ちゃんと通じんの。」

 もうそれは宿題の範疇ではなく、自分に聴かせてやりたいのだということがはっきりとリョウには知れた。だからリョウはミリアの隣で横になり、手持無沙汰になりかけた左手でミリアの背中を撫でた。

 「読んでいい?」ミリアは枕に頬を押し付けたまま、そう問いかけた。

 「ああ、いいよ。」


 「ゆみちゃんのいえで、子猫が三匹生まれました。」

 リョウはミリアの音読を聞きながら、ミリアの背中を撫でてやる。

やはりミリアをほったらかしにしたがために、自分に何も言い出せないミリアは体調に異変を来すに至ったのだ。リョウが抱いたそれは、最早確信であった。

責任をもってミリアを幸せにすると、そう誓ったはずである。母から捨てられ、父から虐待され育った子ではなく、兄から全身全霊を掛けて愛された子にするのだ。自分を頼ってここまでミリアは来たのだ。それに報いるのが保護者としての使命ではないか。なぜそれを放棄していたのか。

リョウは疲弊のためか、ミリアの朗読の声が心地よいためか、ミリアの腰に手を置いて横たわったまま夢の世界へと誘われていく。

「たまが、にゃーんにゃーんと鳴きながら、うろうろしています。」

そうか。ミリアも自分の帰りを毎晩一人寂しく、泣きながら待っていたのだ。部屋でうろうろと歩き回りながら。リョウはそれを想像すると泣きたくなった。

「夜おそくなっても、なかなか寝ようとはしません。」

夜な夜な日にちが変わってから帰宅する自分を、ミリアはさぞかし心配していたであろう。なかなか寝付かれぬ夜もあったに相違ない。自分が帰ってくるまでに寝てろ、と言い付けて自分は好き放題をしてきたのだ。

リョウは夢うつつながらに眉根を寄せ、「ごめんな。」とぼそりと呟いた。ミリアはくすり、と微笑んで、たまの子猫を失った悲しみを読み上げていく。そんなある夜のことであった。どこぞに貰われていった子猫から電話がかかってくるのは。ミリアは熱心に母猫と子猫の会話を読み上げていく。

「『坊や、どこにいるの。』『かどのお菓子屋さんだよ。僕ね、店の番をしているんだ。ここは、いたずらっ子のねずみが時々来るからね。』『そう、偉いのね、しっかりおやり、トラちゃん。』」

ミリアだって毎夜のように一人で留守番をしっかりやっている。リョウはやはり夢現にそう思った。「お前の方が偉い。」

ミリアは子猫から電話を貰い、すっかり安心した母猫の様子を述べてそっと教科書を閉じた。そしてそれを傍らに置くと、目の前ですうすうと寝息を立てているリョウの顔をじっと見つめて微笑んだ。そっと鼻を撫でてみる。高くて、切り立った山のような鼻だ。そして頬に触れてみる。自分のは柔らかいのにリョウのは全く柔らかくない。こんなのほっぺたって呼べるかしら。ミリアはくすくすと笑った。そして額。ここも固い。でも素敵な額だ。

「リョウ、大好き。」

リョウはもう既に夢の世界である。ミリアはふと、ずっとこうしたかったと思った。幸せという言葉は抽象的過ぎてミリアにはよくわからなかったが、きっとこういうことなのだと思った。だからミリアもリョウと同じ夢を見るべく、そっと目を閉じた。もう羊は必要ではなかった。


 はっとリョウが目を覚ましたのは夕陽が眩く部屋の中を照らし出している、午後五時過ぎであった。

うっかり寝てしまった。何が魔法だ、何が背中を摩ってやるだ、リョウはそう叫び出したい欲求を堪え、自分をぶん殴ってやりたい衝動に駆られつつ、ミリアを見た。ミリアは待っていたかのように目をぱちりと開けた。

 「おはよ。」

 「お、……おはよう。」

 「お昼寝したね。」

 「し、し、したな。」

 ミリアは満足げにふわーあ、と猫のような欠伸をして「あれ。」と目を丸くした。

 「どした?」

 「治った。」

 「治った?」

 「背中痛くない。」ミリアはそう言って慌てて体をねじり、シャツを捲って背中を見てみる。「ちっとも痛くないわよう!」

 「マジか。」

 「うん。……リョウの魔法だ。」

 「え。」

 「リョウ、魔法使ってくれたの? ミリア寝てる時に?」

 自分も一緒に寝ていたのだが、とは言えない。

 「ま、まあそうだな。」

 「凄い。」

 リョウはそう言われて悪い気はせず、右手を開いてミリアの目の前に見せた。「俺のこの手はギターも弾けるし曲もかける。お前の背中も治せる。」

 「凄いわよう!」

 ミリアはリョウの手をしっかと両手で握り締めると目を閉じて愛おしそうに頬擦りをした。「だってちっとも痛くないもの。ちーーっとも。」

 「あっはははは!」偶然だろうが何だろうが、リョウは得意である。「よっし、じゃあ今度は魔法の手で旨い夕飯を作ってやっかんな。」

 「ゆーめし?」

 「そうだ! よーし、背中痛い病が治った記念だ。何がいいかな、……そうだ。お前の好きなスコッチエッグを作ってやる! でけえのがいいか。」

 「うん!」

 「よし、じゃあ爆弾みてえな気合入ってんの作ってやっかんな!」

「リョウのもばくだん?」

「そうだ、爆弾ふたっつだな!」リョウはそう言って立ち上がると、そそくさと夕焼けに赤々と燃え立つようなキッチンに立った。ミリアはその様をやはり愛おしそうに眺めていた。

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