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ベランダで雀の鳴く声がするのでリョウははっと起き上がり、ベッドの中を覗き込んだ。既に起きていたミリアの眼は幾分充血しているようであった。眠れなかったのかもしれない。そう思うとリョウの胸は痛んだ。やはり夜間でもやっている所に連れていってやるべきだったか。
「大丈夫か。」
「痛い。」
「よし、医者に連れてってやる。着替えられるか。」
ミリアは小さく肯くと不安気な眼でリョウを見上げた。レコーディングはどうなってしまうのであろう、レッスンは……。しかしリョウはそんなことはお構いなしに、ミリアのタンスからTシャツとスカートを出してやる。その後はさすがに一人で着替え始めたが、パジャマを脱ぐのにもミリアは「いてて。」などと言っている。
リョウは寝室に籠り、携帯電話で方々にキャンセルを告げると、手っ取り早くサンドウィッチを作ってミリアに食べさせ、タクシーを呼んだ。その間もミリアはまるで老人のように腰を曲げていて、時折「いてて。」などと呟いている。
「もう一回よく考えてみろよ。昨日、ぶつけたとか本当に本当に、なかったか?」タクシーが来る間、リョウはベッドに寝転んだミリアに訪ねた。
「ぶつけてないの。」
「じゃあ、……なんか重い荷物持ったとか。」
「ランドセルだけ。」
一向にわからない。でも万が一これが大きな病気の前兆だったりした際には……リョウは階下にタクシーがやってきたことを認めると、眼光も厳しくミリアを抱き上げ乗り込んだ。
「何も異常はないですねえ。」
一番近くにある整形外科で朝一に駆け込み、あれこれ検査をした結果がそれである。
「異常はない?」リョウはわかりもしなかったが、それでもデスクに掲げられたレントゲン写真に向かい口をひん曲げた。
「ええ、骨にも異常はありませんし、筋肉にも炎症も起きてはいませんねえ。」
「んなはず……! もっとちゃんと調べて下さいよ!」リョウは思わず身を乗り出して怒鳴った。
「と言われましてもねえ。」ちら、と医師は困惑したように首を傾げ、「もしかすると、小学生のお子さんですから、学校に行きたくないとかで仮病を使っている可能性も……。」
「もういい!」
再び怒鳴った後、リョウは自己を落ち着けるべく二三度深呼吸をすると、「でも、昨日の夜中から痛ぇ痛ぇって、言ってるんですよ? んで寝れなかったようなんだ。こんな気合入った仮病あるかよ。昨日まで元気に学校通ってたのにさあ。」
「そう言われましても……。では、痛み止めを出しておきましょう。これでとりあえず様子見をして頂いて……。」
「痛み止めだあ!?」
医者は思わず仰け反る。
「んなのじゃなくってちゃんと治して下さいよ! それにね、こいつは学校大好きなんですよ。近所に仲良しの子もいて、一緒に学校行ってますしね。仮病なんてあり得ねえ話です。骨とか炎症とか以外で、何か原因はないんですか。」
「うーむ、背中ですからねえ。内臓を診て貰うのも手かもしれませんが、うちでは詳しくはできませんで。すみません。もし不安でしたら小児科や内科を紹介しますが。」
リョウは憮然と診察室を出ると、待合室のソファで腰を屈めているミリアの元へと戻った。脳裏には以前ミリアが家にやってきた時にかかったこのある、ある病院が思い浮かんでいた。あそこで虐待を受けていたミリアの精神面のケアや、普段の接し方を教えて貰ったのである。
「ミリア、ちっとここじゃあわかんねえみてえだから、昔行ったA病院な、あっちへ行ってみよう。頑張れるか?」
「リョウ、怒ったの?」
まずい、と思う。怒鳴り声が聞こえていたのだ。
「お、おおお、怒ってなんかねえよ。お前が具合悪いっつうのに、そんなことある訳ねえだろ。あっはははは。」リョウは何とか苦笑いをしながら、ミリアを立たせる。
ミリアは青白い顔をしながら小さく肯く。
こんなに苦しそうなのに異常なし、なんぞあり得るか。リョウは再び沸き起こって来た怒りをどうにかこうにか収めつつ、再びタクシーを呼んだ。リョウの脳裏には、うちに来たばかりのミリアの姿が思い浮かんだ。痩せこけて、言葉もでない。夜になれば意識も無いのに歩き回る。それで世話になった病院がA病院であった。
あそこに行けば、もしかすると腰の痛みの原因がわかるかもしれない。