第四話 咲き競い 二 縁無縁
「武器をかまえたら考えるな! 踏みこんで刃を突き出せ! そうすりゃ当たることもある!」
顔も体も男のようにいかつい女教官が怒鳴る。
「目を閉じるな! 体ごとぶつかれ! そうしなけりゃ、まぐれの勝ちもひろえなくなる!」
ルチカとベフィは刃渡りが腕くらいの木剣を握り、丸太を相手に振り続けた。
ほかにも灰茶髪の少女、銀髪の少女、栗色髪の丸っこい少女、亜麻色髪の長身細身の少女が汗だくで息をきらしている。
全員が下着のような革服に紐サンダル、金属の胴鎧、小手、すね当て。
「標準の装備はその木剣と同じ長さ重さの小剣と、今の着ている防具になる……で、そろそろわかったか?」
「……は?」
ルチカのほかにもふたりが同じような声をあげた。
「どんな装備を選ぶかだよ。まあ、アタシは説明とか苦手だから、倉庫へ行ったら話をよく聞きな」
教官は訓練場の出入り口のひとつを指し、新人六人を追いやる。
「なんなの!? 棒をただ何百回と振らせただけで、なにが指導なの!?」
眉の太い、灰茶髪の少女が歩きながらわめく。
「私、何百も振れたかしら? 数十も振ったら腕が重くなって、百まで振ったら、もう息が大変で……」
長身細身の少女はすりむけた手の皮をおそるおそる見ていた。
「棒も鎧も軽くて心もとなかったけど、走りまわって何十回も振り回すことを考えたら、これより重い武器や鎧って、足手まといにならないかな?」
小柄なルチカがつぶやくと、さらに小柄なベフィもうなずく。
「倍の長さでも振り回せなくはないけど、すぐに動きがにぶりそう」
「そういうことを教えたいなら、そう言えばいいじゃない!?」
灰茶髪の少女は不機嫌そうにふたりの会話へ口を挟む。
ルチカに比べて体は太めだが、背は少し高いだけで、筋肉質というわけでもない。
「ねえ……ミュラだっけ? わたしとベフィはチャンピオンのアイシャっていう人からいろいろ聞けそうなんだけど、いっしょに情報交換しない?」
灰茶髪の少女は太い眉をしかめる。
「その人、だいじょうぶなの? 人殺しのチャンピオンなんて、新人を踏みつけて利用することしか考えてないんじゃない?」
「え。まあ……ただで親切するような人には見えなかったけど。わたしはほかに手がかりもないから、賭けてみる感じかな? フロッタは?」
長身細身の少女も困ったように首をかしげる。
「待っている時に聞いたのですが、アイシャというかたは反則行為で有名なかたらしくて……自分の負けがこむと、子分あつかいのかたから勝利を譲らせるそうですよ?」
「なんだ、やっぱりだまされているだけじゃない」
ミュラはつっけんどんに結論づけ、非難の目を向ける。
ルチカはなにか言い返したい気もしたが『酔っぱらいのアイシャ』の人となりをかばう気にもなれなかった。
背後には銀髪の少女と栗色髪の丸っこい少女もいたが、距離をとって無表情に目をそらしているので、話しかけにくい。
教官に示された倉庫の中は薄暗く、すでに別の新人五人が見学していた。
五人とも体格がよく、表情も自信がありそうに見える。
様々な武器や防具が何百と陳列されていたが、関節部分を動かせない鎧や、握りが棘だらけの剣など、シロウト目にも破綻のわかる奇怪な設計が多かった。
「武器の変更を希望されるかたは十日以内に申請をお願いします。以降も変更は可能ですが、敗戦一回相当の料金が必要になりますので、慎重に検討なさってください」
子供のような背のマリネラが仮面のような笑顔で淡々と説明する。
小剣だけでも細かな違いで何十種もあり、ルチカはどこを見ればいいのかもわからない。
「あくまで参考ですが、使い慣れているものを選ぶと、成績も良くなる傾向があります。また、標準装備は多くの強豪選手も選び、使いやすさで安定した組み合わせです」
先に来ていた長身面長の少女は、腰くらいまでの長さがある木の棒を握っていた。
ルチカが訓練場で振り回した棒の倍ほどあるが、槍のような穂先はないし、金属の補強もない。
「その台から先は、標準よりも防具を落とす調整が行われます」
倉庫内はいくつかの区切りがあり、奥ほど大きく長い武器が多かった。
「でもあれ、ただの木の棒なのに……?」
ルチカは思わずつぶやき、マリネラは小さくうなずく。
「長さはそれだけ、勝敗への影響が大きい扱いになります」
長身面長の少女は穏やかな笑顔でうなずき、小声でつぶやく。
「包丁をもった男でも、まともな長剣を持った女に勝つのは難しい。長剣を持った男でも、槍を持った女に勝つのは難しい。槍を持った男でも、弓を持った女に勝つのは難しい……拳ひとつぶん腕が長いやつと殴りあうなら、小石ひとつ握るくらいの工夫がないと厳しいな」
ルチカはうなずきながら、あらためて体格と経験の差に不安を抱く。
呆然と、先に来ていた五人の手慣れたやりとりを見ていた。
「今の金属防具をすべてはずすと、棒はどれくらい伸ばせますか?」
「小剣でもう一本分です」
「この小剣、鍔がいらないんだけど、はずして手に巻いていい?」
「改造には許可が必要です。必ず専門の職人に任せてください。その改造の場合、防具を少し弱める調整が入ります」
「ここにない武器を注文とかはできないっすか?」
「新しい発想は歓迎します。調整は相談しましょう」
日暮れが近づき、ルチカとベフィは宿舎へ帰る途中でアイシャに呼び止められる。
「アホ~。戦いはもうはじまってんだ。下手に装備を変えなかったのは正解だが、ほかの新入りにはアホな装備をそれらしく勧めるとか、足をひっぱる工夫をだな……」
ひどい助言と、連れ込まれた個室牢の内装にとまどう。
出入り口に木の格子こそはまっているが、鍵はかかっていないし、巡回の衛兵がうろつくだけ。
壁はきれいに塗られ、柱には彫刻まである。
寝台、食卓、椅子も粗末なものではなく、水がめや絨毯まであるので、ちょっとした貴族の私室に見える。
「ほかのやつらが選んだブツくらい、探っただろうな? ……なんか変なもんを選んだやつとかいる?」
「漁に使う網を注文した人がいました」
「それがあったか!」
いっしょに来ていた『鼬のコルノ』が急に叫んで膝をたたく。
「へえ、網かあ……よくやった新人クン。どうよ漁師の娘、なんか対策ある? おっと、ちと用を足すから考えとけ」
アイシャが立ち、入れ代わりにいくつもの酒壺を抱えた『熊のプレタ』が入ってくる。
「どうした?」
「網だってよ。あれはケンカで使われるとやっかいなんだ……」
コルノは頭を抱え、プレタは腰を下ろすとルチカとベフィの顔をながめる。
「聞きたいことは遠慮すんなよ? オレも最初、姐さんがなにをたかるつもりか、だまし討ちの魂胆でもあるのかと疑っていたから」
「え……ちがうんですか?」
ルチカは小声でおそるおそる聞く。
「ん? おまえら、アイシャさんの得意技が『仮病』『八百長』『だまし討ち』で『裏技の女王』なんてあだ名もついているあたりまで聞いたか? オレらから勝ち星をゆすりとるとか……」
「だいたいそのとおりだけど、おまえらは当分、そんな心配いらねえよ。新人はどうせ、負けるのが仕事だ」
プレタもコルノも、世間話のように淡々としていた。
「オレら中堅は上位陣に勝つこともあるけど、全体での勝率は半々か、それより少しマシってくらいで、いつでもギリギリだ。それでも勝ち星を譲るのは、やばくなった時のための貸しだな。大ケガで不戦敗が続くとか」
「ま、姐さんは借りまくって踏みたおすのもうまいけど……とりあえず、新人の勝ち星なんか誰もアテにしねえから、まずは生きのびることだ。上位陣ならゆすらなくたって、新人には安定して勝てる」
「でもその……失礼ですけど、わたしたちへ親切をして、なにか得があるんですか?」
ルチカはまだちぢこまって小声でうかがう。
プレタとコルノは表情を変えない。
「賭け札を買っているようなもんか? 何人かにひとりでも使える仲間になるなら、これくらいの手間は高くねえ。殺し合いの場だし、ひと試合の賞金もバカでかいからな」
「ともかくよ、命がけはお互い様だ。自分が死にかねない遠慮だけは、する理由がねえよ」
ルチカが安心しかけた時、酔っぱらいがなだれこんでおおいかぶさってきた。
「ね~、また新人ちゃんに逃げられた~。どーゆーことよ~?」
プレタとコルノは助けないどころか、ジリジリと距離をとる。
「ルドンの子分が、なにか吹きこんでいますかね?」
「言いふらされて困る姐さんのあれこれも問題ありますが」
「で、君らはオネーサンを愛してくれる~う?」
ルチカは耳をくわえられ、首筋におぞ気が走る。
「あ、愛? いえ、まあ、これからもお世話になろうとは……」
「つまり愛してくれるのね~ん?」
「おい、そこはスッパリ断らないと……姐さんは女もいけるからな?」
プレタは助言しながら、すでに格子の外にいた。
一ヶ月近い時間があった。
ルチカはひたすら小剣をふりまわして扱いに慣れ、体力を養う。
日が暮れるとアイシャたちと行動し、助言やからかいを受けた。
「おまえらはまず、うまい負けかたをおぼえろよ~?」
「え? 新人はまず、いちかばちかでも勝ちをひろえるように、体ごとぶつかれって……」
「そんなのウソウソ。どうせ男みてえな見てくれのオバハン教官が言ったことだろ? いちおうは『灼熱のヒルダ』も元チャンピオンだけど、選手層がぬるい大昔に体格と運で勝ち抜けちまったやつだから、おまえらは真に受けんな」
しかし酒を胸元へこぼしている泥酔者も説得力は乏しい。
「まずは生きたまま負ける方法を身につけて、勝ちかたなんざ、そのあとだ。派手な最期を飾ってクソヘンタイどもを喜ばせたいなら話は別だが……あり? 夢や希望をごっそり奪っちまった?」
「い、いえ。そんな風に堅実に戦ってきたから、チャンピオンになれて、こんな豪勢な暮らしもできるのだと思えば……」
「いや、アタシは強いから、出だしから勝ち越していたけど……あとここ、熊公の部屋な?」
驚くルチカにプレタもうなずく。
「上位陣の部屋なんか、ここの倍以上ある。家具の値段も……オレも最初は驚いたよ。あの領主様は貴族のための休憩室をぜんぶ、剣闘士の牢屋に作り変えちまったらしい」
法外な待遇のはずだが、ルチカはなぜか不安になった。
翌月の競技祭までには、早くも新人たちに下馬評と異名が検討されていた。
「網使い『鯨のコーナ』対、長棒使い『一角獣ベレンガリア』!」
初日で初戦の組み合わせは特に話題が盛り上がる。
「おもしろい新兵器を持ちこんだデカブツと、落ち着いた経験者のノッポ……やっぱ新人だと、あのふたりが注目か。どっちも相手にしたくねえもんなあ」
剣闘士としては小柄なコルノが素直にぼやき、さらに小柄なルチカは不安がる。
「あの、小さな体格を活かすような戦いかたは……」
「変な期待すんな。体はでかいほうが、なにもかも有利に決まってんだろ」
全身筋肉のコルノに言われると、そっけない言葉が重い。
ルチカ自身が大柄な教官を相手に棒で打ち合い、ウンザリするほど痛感した事実でもある。
試合が開始されると、ベレンガリアは長い棒がギリギリ届く間合いを保ち、しつこく牽制をくり返した。
「やっぱうまいな。あの程度にかするだけでも痛んでくる。新人ならたいてい、それだけであせりだす」
コルノがつまらなそうにつぶやく。
大柄で色黒な『鯨のコーナ』は網を投げるそぶりを細かく見せ、届かないような間合いでも小さく振って牽制する。
「だが相手も辛抱強いな……棒のからめとりも考えているか? お……姐さん、網の親指」
「ん? ……ああ、本当に投げる前には少し浮いているか?」
ルチカはコルノとアイシャの目の鋭さに驚く。
試合場の端から端は数十歩で、客席の高さは人の背の倍以上。
中央付近での争いになると、腕や足の動きを追うだけでも大変だった。
やがて網が大きくはずれた隙をついて棒の乱打が押しこみ、降参を奪い取る。
「模範的すぎて参考にならねえよバカヤロウ!」
アイシャが勝者へ暴言を吐き、客席の一部に笑いが起きる。
「ごめんなさい!」
長身面長の『一角獣ベレンガリア』が穏やかな笑顔で応えると、客席の拍手はさらに大きくなる。
アイシャも笑顔でつぶやく。
「うげ~、かわいくね~」
「つぶします?」
コルノが何気なくつぶやく。
「いやいや、仲良くしとこーぜ? 強いし頭いいし」
アイシャは冗談のように返す。
巨体のプレタは落ちこみ顔でため息をつく。
「歴戦の兵隊みたいに慎重だけど、楽しんで大胆に飛び出せる……剣闘士に向いてやがるなあ? だから来たんだろうけど」
アイシャたちが並ぶ剣闘士席の最前列に、ベフィの姿はなかった。
離れた席で『壊れたルドン』とその一派に囲まれている。
ルチカはそっと盗み見て小声を出す。
「何日か前からつきまとわれて、抜け出せないみたいなんですけど……」
「あのぶっ壊れ頭でも、試合場の外じゃ無茶は控える。勝手に怖がって動かねーなら、どうしようもねえって」
アイシャは眉をひそめて言ったあと、小声で耳打ちする。
「おまえとちょくちょく会っているなら、偵察役にもなるし……見ろよ。とりあえず今月は結果よしだ」
ベフィと、その近くのキツネ顔の女が立ち、衛兵に囲まれて別々の通用口へ向かった。
「針剣使い『女狐バローア』対、小剣使い『ネズミのベフィ』!」
異名通りにキツネ顔の女は化粧こそ濃いが、剣闘士にしては容姿がいい。
小剣と同じ長さの針が両端についた武器を巧みに振り回し、ベフィは打ち合うこともなく逃げまわり、壁際へ追い詰められてゆく。
小柄すぎる体に斬り傷が増え続け、小さな悲鳴も何度となく続いた。
まばらな観客の笑いに、ルチカの胸がむかつく。
「同じ派閥同士で話はついているんですよね? なんであんないたぶるように……?」
コルノは興味が薄そうな表情で、アイシャは試合場すら見ていない。
プレタは多少、心配そうな顔をしていた。
「バローアは性悪だけど、中堅としての腕前は十分だ。あんな格下を手間かけて痛めつける必要はない……案外、アイツも困っているのかもな? あまりわざとらしい勝負をすると、目をつけられる。そうなるとケガをしやすい相手とか、直前通知での試合が増える。人気はもっと早く反応する」
「人気?」
へたりこんだベフィの小剣をバローアがはじきとばし、怒鳴りつけて降参を引き出した。
プレタとアイシャが立ち、ルチカを誘ってベフィの消えた門へ向かう。
コルノはそっけなく手を振って席に残った。
「一戦の勝敗だけじゃなくて、選手ごとの賭け札もある。持っていれば勝つごとに配当が出て、長持ちすれば大きく儲けられる。選手ごとの札は売れた分だけ、その選手の勝利賞金にも響く」
内部通路はいくつもの格子扉で区切られているが、門番は先頭のプレタを見るだけでなにも言わずに開ける。
「でも選手に死なれたら客は儲けが終わるから『目をつけられそう』と思われたら、そいつの選手札を安く売り渡すやつが増えて、新しい札は売れなくなる。すると賞金は増えなくなる」
「よそから来たばかりのやつは、勝手に歩きまわる剣闘奴隷を見て『八百長やり放題』なんてぬかしやがるけど、ここじゃ見物客のすべてが監視役で、アタシらのエサの量まで決めてやがるわけだ」
皮肉そうに笑うアイシャが『裏技の女王』などと呼ばれて生きていられる理由がルチカには不可解だった。
「いやほら、アタシは顔も頭もいいし、人柄もいいから。ね?」
表情から考えを読む勘はいい。
「くれぐれも姐さんの得意技は真似すんなよ? 腕と頭と経験がないと大火傷をする」
「アタシの得意技? 止めるこたねえだろ? 『乱酒』『乱交』『借金乱造』なんざ、誰でもやらかしながらおぼえるもんだ」
「そっちじゃなくて……いや、そっちもダメだけど」
控え室に入ると、ベフィは血まみれで呆然と立っていた。
医者らしき老婆はアイシャたちを見るなり、追い払うしぐさを見せる。
「浅い傷ばかりだよ。酒はぶっかけた。とっとと出ていっとくれ」
「へいへい……歩くと傷が開くか? プレタちゃんにだっこしてもらう?」
ベフィはおびえて震えながら、首を小さく横にふる。
「腕だけ押さえておけば、ほかの血は止まりそうなんで……」
ベフィを個室の牢まで送ると、アイシャとプレタは先に客席へもどってしまう。
寝台に横たわる小さな体は、黙って震えるばかり。
ルチカも立ち去ろうとすると、弱々しい声が追う。
「試合場に出たら、立っているだけで精一杯だった……たいしたケガ、してなかったんだね。でも何度も斬りつけられて、そのたびに『死ぬ』って思って……」
ルチカはうなずくが、かける言葉は浮かばない。
「バローアさんは『降参しろ』って何度も言ってくれたのに……『負けかたをおぼえろ』って意味が、よくわかった。声を出せるまで待ってくれる相手じゃなかったら……わたしはきっと、降参すらできないで……」
ベフィの震えはひどくなるが、ルチカは手をのばすこともできない。