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第十三話 修羅の楽園 十 手慣れた捨て鉢


 闘技場の内部にある執務室では、領主の第七夫人となったデルペネがひっきりなしに訪れる役人に対応し、眉間のしわを深めていた。

 領主フマイヤの体調が思わしくない上、側近マリネラまで鍛錬にのめりこんで政務から離れがちになると、両者がそれぞれ重臣の数人分は仕事をさばいていたことを各部署が思い知る。

 今では多くの官僚が育ち、側室としての政務は第六夫人パヌッパにも多くを任せられるようになっていた。

 それでも剣闘関連の、それも最もやっかいな部分は判断できる者が少なく、デルペネに負担が集中していた。


「待たせてしまって申し訳ありません」


 隅に座っていたアンレイは「おかまいなく」と笑顔で首をふる。

 日暮れが近づくとフマイヤも姿を見せて報告を受けた。


「アンレイさんを芸妓に望む諸侯は多いと思いますが、どこまで条件が合うかは……」


 検討している最中にあちこちの部署から役人が来て邪魔されていた。

 フマイヤは探るような視線をアンレイへ合わせている。

 デルペネは嫌な気配を察しても自身からは気をまわしがたい。

 アンレイはうやうやしく主君へ礼を示した。


「もちろんフマイヤ様にお招きいただけるなら、それに勝る宴席などありません。すでに所有物となった身で、流浪の身を手厚い待遇で迎えていただいた御恩も、どれだけ尽くそうとも返しきれず……」


 フマイヤは空虚な世辞をさえぎるように、ただうなずいて見せる。


「今夜でよろしいでしょうか?」


 デルペネはアンレイが猫なで声を出しはじめた時点から手ぶりで担当役人へ指示を出し、準備を急がせていた。

 今のフマイヤは、アンレイと気持ちが深く通じ合っている。

 互いをどこまでも『怪物を磨き出す砥石といし』としか見ていない。



 やつれて足を引きずる悪魔公が、闘鬼を芸妓に買う異様な酒席がひそやかに用意された。

 闘技場の内部にある領主のための休憩室は、今では愛人ヘルガもしばしば招かれている。

 フマイヤは元から食が細く酒量も少なかったが、さらに唇を湿らせる程度にしか杯を傾けなかった。


「諸侯との宴席では遊女を手配し、手配されもする……しかし私は、いまだに娼婦を買いたいとは思えない」


 いつもより着飾ったアンレイの華美には感心の目を向けていた。

 マリネラと同じく、フマイヤよりは何歳か年上のはずだった、

 そして良くも悪くも年下に見えてしまいそうな、瑞々(みずみず)しく危うげな心身の張りまでマリネラと似ていた。


研鑽けんさんを重ねた化粧と衣装、所作や睦言むつごとも含めて娼婦の技芸は見事に思う。しかし無礼とは思うが、それが華やかなほどに痛々しさも感じられる」


 アンレイは手短に舞って見せながらも、偽りにはなにも返ってこない相手とはわかっている。

 最近になってようやく、深く話してみたい気にもなれた。


「なにかご自身に重ねるところでも?」


 形ばかりで酌も勧めるが、ただからめあう視線のほうが深く刺せてそうでもある。


「色恋もろくに考えられぬまま、領主として夫の役割に努めてきた」


 自嘲は感じられないそっけなさで、しかし友人のように気をゆるめている。


「それではなおさら、私のような無粋者でおくつろぎになれるのでしょうか?」


 アンレイも話しながら、マリネラとの出会いを思い出していた。

 初対面から視線と居ずまいだけで多くが伝わってしまい、玄妙な落ち着きに満たされていた。

 実の兄よりも近しい親族をとりもどせたような心地になっていた。

 今もまた、フマイヤとは従弟と話しているような気分がして苦笑する。

 髪を結って見せつけていた首筋へ、包帯の指が這った。


「貴様の武芸への献身は知っている。それはそのまま闘技場、ひいては領地への貢献にもなっている」


「それ以外の一切が欠けていても、臣下としてなら愛でようもあると?」


 うわべだけすねてみた言葉へ、頬までなぜた手指が執拗な優しさで応えた。


「この宴席も武芸のためでしかない確信は持てる……が、そのようにしか生きられない一途に限っては、包みかたも探りたくなる」


 アンレイは目を伏せてほほえみ、かすかに首をかしげた。


「いえ……ヘルガさんと親しくする理由もわかったように思えまして。悔しさも少し」


 新たにヘルガを憎悪できる理由を歓迎する。

 フマイヤはますます繊細に、そえるように腰へふれた。


「それに、マリネラ様と想い合っている深さも」


 急所と察していながら、あえて舌でなぞる。

 挑発に乗ってみせた腕がきつめに抱き寄せた。

 アンレイは頬を紅潮させて身を預ける。


「私の調子が思わしくなければ、どのようにとりなしたものかと気をもんでおりましたが……」


 生えぎわを撫でられ、吐息を温もらせた。


「……みっともないほど、女になりきれているようです」


 しっとりと汗ばんだ太ももをにじらせる。

 毒虫の針が抜け落ちると、柔肌の娘が震えていた。

 蹂躙の期待を睫毛まつげにこめている。

 悪魔公は哀れんでむさぼりりつくす。



 アンレイは激しく求められ、とろけた精神がもどるまでには時間を要した。


「あ……こうなってみると、わかってしまうものですね?」


 フマイヤはわずかに首をかたむけ、言葉の続きを待つ。

 アンレイはすがりついたまま、うしろめたいような困り顔を見せた。


「私は自分が思っていたよりも、弟子たちを人として愛していたようです」


 フマイヤはアンレイを責め立てながらも、決して触れなかった部分がひとつだけあった。

 今も左腕には手をそえながら、肘より上には近づけない。

 上腕に包帯で隠されている傷彫りの碑文を尊重していた。


「最もやっかいな弟子が言い残してくれたのですが、武芸ばかりを染みこませた私の手足は、行く道を勝手に選びだすとか」


 フマイヤはそう言われてしまうと、さんざん犯した後でも磨き抜かれた肢体には安易に触れたくない畏敬を思い出す。


「武芸もまた、人らしさの一部として否定しがたい。争いを恐れる心と、誇りを重んじた知勇の結実であればこそ、試合でさえも深い感動を呼び起こせる」


 寝所においては悪い癖かもしれないが、素質を前にすると、さらに伸ばしたい欲が出てしまった。

 それすらも『はじめて選んで買った娼婦』は全身で喜んでいた。


「そうやって『愛しの怪物』へ捧げる生け贄を熟そうとなさるのですか?」


 客へ尽くすべく、嫉妬も楽しみながら組み敷くが、貪り返そうとする興奮は演技でもない。



 翌月の試合場で『舞姫スール』を見つめる『風神アンレイ』の表情は慈悲深く卑猥で気色悪かった。

 師匠である『闘鬼』の首をかっさばくために、あるいは鉄扇で全身を砕くために鍛え続けてきた肉体も悪寒を止められない。

 朝夕くりかえしていた決意をあえて意識しなければならない時点で、自身がのまれかかっている自覚もあった。

 それでも一生残る傷痕くらいは刻みたい。

 せめて、あのふざけた髪をどうにか……


 アンレイの装備である『髪剣』に最初から示されている最終手段が『髪の切断』だった。

 結い髪を根本で切り離せば、だいぶ扱いやすい武器となる。

 対戦相手が剣を奪おうと髪を狙ったことも多かったが、かすりもしなかった証拠が健在だった。

 その結い髪が、弟子スールとの再戦ではあえて丸めてまとめられている。

 断髪まで手間がかかる……奥の手は使う気がない意志表示だった。

 スールは軽侮に激怒しながらも、恐怖に支配されかかっている。

 アンレイは自身へかせをつけたような戦いの時ほど、相手を執拗に追いつめていた。


 開始から二手。

 軽い掌打と打ちあってすぐ、スールは『同じ動き』と感じる。

 アンレイの両腕は、平手で扇を模していた。

 鉄扇を持っている自分のほうが、間合でも強度でも有利。

 動きも度胸も、だいぶ対抗できるようになっている。

 しかし数合を防ぐたび、一撃ずつ削られ続けてしまう。


「そう、その動きこそ、その手足には合っている。貴方が捨てようとしない舞踊を疎ましく思っていた私は、ただ舞踊について不勉強だったと悔いている」


 スールが再戦までに研鑽してきた変則的な動きの数々も、先回りしたような技巧の数々でたたきのめされた。

 鉄扇の乱舞へ手刀の乱舞を合わされて、斬撃の嵐を打撲の豪雨で返された。

 倒れてなお蹴られ、殴られ、骨のひびが増える。


「望んでいるならとどめも……そうでもなさそうですね?」


 声を出せる様子ではないため、離れて『戦闘不能』の裁定を待った。


「言うまでもなく、貴方を相手にはじめて本気になれた。出会ったころの私となら互角に近い」


 スールは気を失いかけながら、殺意だけは保とうと意地を張った。

 それが怪物により嬉しげな笑みで愛でられるとわかっていても、それが悔しいのか、それこそが望みなのか、よくわからない。


「くりかえし殺しかけ、憎ませ続けた甲斐もある。感謝している」


 心魂をえぐりゆがめた成果を褒められて、どう返答できると思っているのか。

 恐ろしくもあり、惹かれてもいて、目を離しがたい。

 人間らしさに欠けた残忍と、華麗な笑顔は調和しはじめている。




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