第四話 咲き競い 一 縁無縁
その少女は『人殺し』になりたくて『地獄の島』へ渡った。
名はルチカ。
やせた小柄で、短い黒髪はボサボサで、鼻は低いが目は大きい。
ルチカの父は『人殺し』と呼ばれていた。
村長のバカ息子が家へ押し入り、母に乱暴しようとしたが、帰ってきた父がたたきのめして死なせた。
街から来た役人は父に鞭を打つだけで許したが、村人は父を恐れ、陰口をたたいた。
父は暴漢から妻と、その時にはすでに身ごもっていたルチカを守っただけだったが、人目を避け、肩身の狭い思いをして暮らした。
ルチカは村の子供たちからつまはじきにされ、いじめられたが、執念深くやり返した。
自分に生を授けた父の『人殺し』をひそかに誇り、いじめ殺されるくらいなら『人殺し』の名を継いで生きぬくつもりだった。
望んだとおりに『人殺しの娘』として恐れられたが、母が亡くなって以来、父は荒れ、自分の過去と、娘の粗暴を嘆くようになった。
ルチカは父に失望する。
村人によってたかっていびられ、家が理不尽に貧しいことは知っている。
だが父は『人殺し』を誇り、堂々と抗議すればいいと思っていた。
村長などは、祖父が偉い将軍の遠征に従った兵士とかで、その時の槍を自慢げに飾っている。
戦争で恨みもない人間を殺すことが名誉なら、家族を守って暴漢を殺すことは、さらなる名誉のはずだった。
村人たちの最初で最後の親切は、遠い島から来た奇妙な使節の噂話だった。
見世物の『人殺し』で勝ち続ければ、富も名声も思いのままという……
父親には猛反対され、口論が続いた。
しかしやがて父親は根負けし、身の回りを整理した全財産をルチカに託すと、自らは命を絶った。
『地獄の島』にある闘技場の裏手は訓練場につながっていて、壁際にはルチカを含む十二人の少女が並んでいた。
試合場と同じ砂地には生えかけの雑草がわずかに花をつけるだけで、高い塀と衛兵に囲まれている。
一部には細長い格子窓もあって、雑多な見物客が群れをなし、十二人を見比べては好き勝手に騒いでいた。
「どれが十戦もつと思う?」
「その賭け、成立するのか?」
ほかにも女剣闘士の姿はちらほらと集まっているが、まともに訓練をする者は少ない。
多くは見物客と同様に、十二人の顔つきや体つきを目で探っていた。
ルチカも殺し合いになるかもしれない相手を盗み見ていたが、不安を募らせている。
十二人の新人の中で、自分より小さい背はひとりだけ。
ほとんどは平均以上の背と体格で、男のような長身や巨体も多い。
つい『殺せそうな相手』を探したくなる。
まだしも平均的な背と体格の少女が転がっていた木剣をひろい、壁を相手に振りはじめた。
太い眉に童顔で、灰茶色の髪を木製の髪どめでまとめている。
その必死な様子にルチカはおびえの強さを嗅ぎとり、ケンカには不慣れなことも見抜いた。
「うっとうしいね」
壁に寄りかかっていた巻き毛の少女が、勝気そうな顔を険しくする。
「いつ死ぬかもわからないんだから、どうあがいてもわたしの勝手でしょ!?」
「どうせくたばるなら、少しはかっこつけたほうがいいだろ?」
巻き毛の少女に嘲笑で威圧され、灰茶髪の少女は強がりながらも涙を浮かべる。
その間にいた長身面長の少女はのんびりと笑った。
「どうせ体力を使うなら、指導を受けてからのほうが無駄もないよ。まして試合でもないケンカは、やるだけ損じゃない?」
巻き毛の少女は鼻で笑い、肩をすくめて顔をそらした。
灰茶髪の少女は木剣を捨ててしゃがみこむ。
「……ただ、帰りたいだけなの」
ひとりごとのようにつぶやいたあと、隣に座っていたルチカへ視線を向ける。
「あなたは違うの?」
「え。でもわたしは……もう……」
ルチカはとまどい、うつむく。
「ごめん。こんなところに来るなら、いろんな事情があるよね」
灰茶髪の少女はため息をつき、憂鬱そうに顔をそらす。
一方的に話を打ち切られてしまい、ルチカは眉をひそめる。
そこへ鉢巻をしたくちびるの厚い少女が反対側へ腰を下ろし、笑いかけてきた。
「こういうところで過去を聞くのは野暮だけどさ。知っといたほうがいいこともあるよ?」
親指でこっそり、巻き毛の少女を指す。
「あいつはガキばかり集めた窃盗団の頭で、下手な男より腕が立つってよ」
脅し慣れているだけではない、場数を踏んでそうな気配はルチカも感じていた。
「でも本命はあっちだ」
指先が長身面長の少女へ向く。
「あの肉づきと古傷は、かなりの訓練をしている。傭兵あたりと見たね」
ルチカは大きさ以外の体つきなどはよくわからない。
しかしあの落ち着いた物腰を『殺し合う』つもりで見ると、危険の深さを感じる。
「んで、アタシはギルマっていうんだけどさ、手を組む気はない? 知っていることを教えあうの。あんた、名前は?」
「ルチカ。でも……そのうち戦う相手でしょ?」
「よく考えなって。たしかにアタシとあんたで戦う時には意味がないんだけどさ。それまでの間に『ああいう』やつらとの差を少しでも埋め合うほうが大事だろ?」
ギルマも背は平均より高いが、かなりやせていた。
ルチカはふと、最も小柄な少女が不安そうにちらちらと見ている様子に気がつくが、目が合うとコソコソ寄ってくる。
「ね、ねえ、なに話してんの?」
「……こんな風に、自信のないやつは少しでも仲間を探したほうがいい」
ギルマは訓練場に散らばる剣闘士たちを指す。
「あんな好き勝手に歩き回っているだろ? 大陸じゃ考えられない扱いだけど、ここじゃ殺し合う奴隷同士でも話をできる……そうなりゃ当然、手の組みかたも考えるし、派閥だってできる。よほど腕に自信がない限り、はぐれるのは損だぜ?」
ルチカは下くちびるをかんで考え、うなずく。
「わかった。でもわたし、なんにも知らないよ?」
「これから知るんだよ。実際に見なけりゃわからないことだって多い。選手のことや、試合のこと……知らないと命取りになることばかりだ」
ギルマは気さくに笑ってルチカの肩をたたき、小柄な少女の鼻を指す。
「あ、わたし、ベフィ……」
ギルマが急に顔を上げる。奇妙な大声が近づいていた。
「この島の空は、景気のいい晴れが多い! メシもうまいがな! 気に入ったか!?」
男のような短髪に、男のような背。筋肉は厚すぎて、衛兵の大男たちすらかすんで見える。
大人の男ほどの岩を背負い、ひとりで汗だくになって歩いているが、顔は新人たちへ向いていた。
端に立っていた銀髪の少女が話しかけられていたようで、とまどった顔であいまいにうなずいている。
筋肉女は歯を見せて笑い、ドスドスと駆け去る。
「あれはたぶん『鋼鉄のラカテラ』だ。三つの派閥の中では一番小さいけど、まじめに仕官を目指しているらしい。噂どおりの暑苦しさだけど、近づきやすそうだ」
ギルマの口はよくしゃべり、ルチカとベフィは不思議そうにながめた。
「最大派閥のチャンピオン『酔っぱらいのアイシャ』はうっとうしいほどからんでくるっていうから、あんたらにまかすわ」
「よく知っているね……」
ベフィが感心し、ルチカもうなずきながら不安そうな顔になる。
「わたし、この闘技場のこと、なにも知らなかった」
ギルマは得意げにうなずく。
「第二勢力の『壊し屋ルドン』ってのはアタシにまかせな……まだ教官が来ないなら、ちょっと探してみるかな?」
言うなりあたりを見まわし、ちょこちょこ歩いていく。
ルチカは呆気にとられ、ベフィと目が合った。
「わたしたちも探してみようか? アイシャっていう人」
ルチカは集合場所との距離を気にしながら、訓練場に散らばる剣闘士や、出入り口の奥に見える人影をのぞきこむ。
ふり返ったはずみに、顔が大きな胸へめりこんでいた。
「ご、ごめんなさい!」
自分より頭ひとつ大きな褐色肌の長身を見上げ、目を丸くする。
黒髪の美女が、青い瞳で優しくほほえんでいた。
裸同然のひどい身なりだが、その体型は見事すぎた。
ルチカの髪をくすぐるようになでると、そのまま無言で立ち去ってしまう。
「……あの人、武器を持っていたね?」
ルチカは呆然とつぶやき、ベフィも驚いていた。
「剣闘士って、あんなきれいな人もいるんだ……?」
ふたりは背後から突然、どしゃりと肩を組まれる。
「はいは~い、お嬢ちゃんたち~? こっちの見てくれもなかなかなので注目~」
ニヤつく隻眼赤毛の女は自称するとおり、豊かなメリハリのある体を露出させていて、背の高さも先ほどの美女に近い。
「でもあのオネーサンは、とっても怖い人でちゅからね~? 試合まで生きていたけりゃ、とにかく近づかない。目を合わせない。守ったほうがいいでちゅよ~?」
酒臭い息でルチカは探していた人物であることに気がつき、ベフィと顔を見合わせる。
「んでさあ、その他もろもろの耳よりなお話もあるから、ちょいとお近づきにならな~い?」
望んだ提案のはずだが、ルチカとベフィは不安そうな視線を交わした。
さらに『酔っぱらいのアイシャ』よりも拳ひとつ高い、ずんぐりと太った巨体女も現れ、ふたりは目を見張る。
その向こうには小柄でやせて見える女もいたが、自分たちよりは背が高い。
細く見えた体も自分たちよりは太く、女とは思えない筋肉質だった。
「そいつらは『熊のプレタ』と『鼬のコルノ』な」
アイシャは壁際を指して嬉しそうに笑う。
「見ろよ、今度の新人ちゃんたち、かなりの粒よりだぜ? ……なぜだかわりと、胸は小ぶりだが……」
「今の上位陣がでかすぎるんですよ」
コルノはとがった口をさらに曲げ、すねたようにつぶやく。
全身筋肉の痩身は胸の脂肪も削げ落ちていた。
「当たりが多そう……というか、はずれと言いきれるやつが見あたらねえ」
現役チャンピオンの評価に、小柄な新人ふたりは自信のない顔を見合わせる。
「あの鉄面女も選びかたは同じだと思うんだけどな?」
アイシャはふたりをはげますようにペシャペシャと肩をたたく。
「なによりも『目』なんだよ。それなりの体格や経験があったって、半年もつかどうかは誰にもわかりゃしねえ。ただ、残った時に伸びるかどうかは、目を見りゃわかる」
ルチカは鼻が低くソバカスもあったが、大きな目は気も強そうに輝いていた。
「ん? ……おい……あそこの鉢巻、ルドンの知り合いか?」
「あ……あの子は話がしたいとか……」
アイシャの指した出入り口に、棚が歩いているような巨体が見えた。
胴や腕には黒ずんだ木板をまとい、両手には頭蓋骨に似た丸石を握っている。
ゴワゴワの髪にギョロギョロとした目、鮫の鼻先をつぶしたような風貌。
そんなものへ愛想よく笑いかけるギルマにルチカは感心する。
「はじめまして。アタシは……」
「んだー!? てめーわー!?」
ギルマは丸石で殴り倒され、それきり動かなくなる。
「あ!? なんだよ!? なにまともにくらって……おおい!? まさか新人か!?」
怪物女は急に慌てて、ギルマを起こすつもりなのか、肩を蹴って転がす。
それでルチカの目にもはっきりと、拳ひとつほども陥没した頭部が見えた。
「ルドンのやつ、今日はガズロに負けたから、いらだって……」
プレタがぼそりとつぶやき、どんよりした顔になる。
通路内から衛兵たちが現れ、その先頭にはベフィよりも小さい、子供のような背の女がいた。
巨体の怪物女はうろたえ、逃げ場所でも探すように周囲をせわしなく見まわす。
「あ……あぐぐ……マリネラ……さん……」
「これは、どういうことでしょうか?」
小柄な女が仮面のような笑顔を向けると、怪物女のいかつい肩がビクリと震える。
「ち、ちがうんだよ! このマヌケが勝手に脳ミソぶちまけやがって!」
「詳しくはあとで聞かせていただきます。今は新人のかたがたへの説明がありますので」
「あー! チックショ! また罰金か!? くたばりてえなら試合まで待てよテメエ!」
怪物女がギルマの亡き骸を蹴り上げる瞬間、ルチカは顔をそむけた。
「『壊し屋ルドン』とか名乗っているけど、顔も体も頭の中までメチャクチャだから、陰ではみんな『壊れたルドン』って呼んでるのにね~?」
アイシャはルチカたちを落ち着かせるように肩をなで、のん気に笑う。
「そう呼びはじめたのも広めたのも、姐さんですけどね」
巨体のプレタがげんなりした顔でつぶやく。
「親切だろ?」
「本当の通り名だけでも知ってりゃ、助かったかもしれませんからね」
やせぎすなコルノはそっけなく、しかし多少の同情をこめてつぶやいた。
ルチカはギルマ自身の言葉を思い出す。
『知らないと命取りになることばかりだ』