第十二話 雌雄を逸する 二
「このような試合もたまには良いものですね。『鉄壁ディロクス』さんと言えば男性剣闘士の上位陣でも一番の昇り調子で、すでに首位も目前とか。私のように前評判の期待をはずして成績のふるわない未熟者ではお相手も恐縮しますが、お手柔らかに」
アンレイは歌の詠み合いにでも誘うような物腰だったが、ディロクスは彼女の異名に『風神』だけでなく『鬼神』や『闘鬼』もあることは知っていた。
女性としてもさほど大柄ではなく、特に筋肉質にも見えない。しかし……
「その体格で『四強』の一角とされるには、飛び抜けた技巧が不可欠なことは想像に難くない。まだそのうわべしか見ていない懸念もあるが……君は私を相手にしても、本当にその装備のまま勝負に挑む気かね?」
『風神アンレイ』の結い髪は腰まで伸び、その先には小剣の刃部分がくくりつけられている。
最大にふりまわせば、拳と同じくらいの間合いまで届きそうに見えた。
しかし刃筋は通せそうにない。仮に曲芸じみた技巧があったとしても、目やまぶたを狙ってつぶせるかどうか。
髪を握りこんで使う場合、肘打ちのような密接でも首を裂けるかどうか。
不便の多さ以前に、利便が見当たらない。
観客席の新人『牙狼ナシュボル』と『飛龍ライダスト』はそのような分析を話し合っていたが、寡黙な巨漢ブロンゾは周囲を見渡して『そんなことはとっくに知っている』風の先輩剣闘士たちの様子をうかがっていた。
前の席では毛むくじゃらの熊じみた大男が頭をかきむしっている。
「うう~、やっぱよう、教えてやってもよかったんじゃねえか?」
隣の卑しげで不潔そうな顔の男は鼻で笑う。
「でもあの野郎よ~、この島の剣闘をろくに知らねえくせに『盛り上げていきたい』なんて音頭とりやがったでしょうがよ~。不様をさらしゃいいってばよ~」
ブロンゾは盗み聞きしながら、ナシュボルとライダストへ目配せして指をさし、前の席へ注意を向けさせる。
「たしかに最初の演説はみんなをいらつかせたが、おえらいさんで実力もあるわりに、裏表はなさそうだったじゃねえか? オレら男剣闘士は助け合っていかねえと……」
「おいおい。そんなにやべえ相手なのかよ?」
ライダストがさっそく口をはさみ、苦笑いで拝むようにせがむ。
「なあよう、もし『鉄壁ディロクス』の旦那がなにかやらかしたなら、世話になっていたオレが代わりにわびるからよう。今からでも声をかけて間に合う助言なら、教えてくんねえかな?」
「いや、あの軍人というより、その前にいた『黒獅子』たちが性悪すぎたんだ。それでみんな、えらそうな連中には警戒しがちで……」
「ディロクスの旦那がそんな無粋者なら、オレらはこんな最果てまで手助けに来ねえさ……ああ、たしかあんたは『野獣王ベアレッド』だよな? 昨日の試合であごを割られた舎弟の『大鰐チュフイ』はオレがなだめておいたからよう。わかっているぜ? 殺さないように加減してくれたのはよう?」
ライダストはなれなれしく距離を詰め、肩にまで手をかける。
ベアレッドがとまどいながらも口を開きかけたところで、大きな歓声が上がった。
試合はまだはじまっていない。その直前だった。
試合場のディロクスが、自分の小剣を背の革帯へ挟みこんで両拳をかまえている。
「やむをえん! 武人としての誇りも、主の体面もある! せめて武装だけでも対等にした上で全力を尽くそう!」
アンレイは軽快にうなずく。
「なるほど。それは……おそらく、高潔な心がけなのでしょうね」
どこまでも冷やかな瞳と、死者へ語るような声音。
開始の鐘がなる直前に、アンレイも奇妙なかまえをとる。
片腕を背にぴったりとつけていた。
重い鐘音が響き渡る。
観客席は盛り上がりの騒音で会話も聞こえにくくなるが、野獣王ベアレッドは申しわけなさそうにライダストへ叫ぶ。
「別に、対策なんかねえんだ! ただあの女、強いくせに早い降参が多い! でもそれは打たれ弱いとか、残る傷を気にしているとかじゃねえ! そんなんじゃねえんだ!」
「どういうことだよ!?」
ライダストが大声で返しても、野獣王は気まずそうに黙りこむ。
試合場では両者が進み出て打ち合いがはじまっていた。
アンレイは目まぐるしい足さばきで遊撃と回り込みを駆使して、体格差を埋めた善戦をしているように見える。
しかし左腕は背に貼りつかせたまま。
ディロクスの鋭く正確な拳撃の怒涛に、片腕だけで対応し続けていた。
ひどい軽侮にも見えたが、ディロクスの拳骨は何度かアンレイをかすりながら、一度もまともに打ちこめないで攻めあぐねる。
体さばきの差があり、アンレイの右腕はたびたび目で追えない神速も見せるが、それ以上に先を見越したような対応が尋常ではない。
ディロクスは正確に放ったはずが、的はずれに打ったように見えてしまう事態がだんだんと増える。
ついには連続して空振りした直後、大の男が宙に浮き上がった。
片腕で片腕を巻きこむように捕えられ、投げ飛ばされていた。
観客は一斉に『風神』の異名を讃えるが「いつも見せやがれバカヤロウ!」などの野次も飛ぶ。
ライダストはそんな曲芸より、ひとまわり小柄な女が片腕で『鉄壁ディロクス』を制したことが信じがたい。
それにディロクスが地面に背中を打って動きを止めていたのに、とどめを刺さないでみすみす立ち上がるまで見逃した理由もわからない。
前の客席の野獣王はうろたえ、おびえはじめていた。
「わからねえ……気まぐれかなにかだ。とにかく『やる』と決めたらしい時には、対策なんかねえんだ! オレらのせいじゃねえ!」
打ち合いが再開されると、女の片腕が男の両腕をすり抜け、ディロクスに痣と裂傷を飾りはじめる。
女の拳、手刀、肘が鉄棒のごとく筋肉男をひるませていた。
アンレイの笑顔は入場時のまま。なにかを話しかけてそうな口元にも見える。
ディロクスはほとんど標準装備だったが、胴鎧の代わりに長めの肩当てを両肩につけていた。
大陸の剣闘士に多い、胴部分をさらして度胸を見せる様式だが、ディロクスはその上腕にある装甲を活かせる技巧もあるはずだった。
空けた胴の腹筋も分厚く、並の男では殴ってもはじかれるだけの光景をライダストは過去に見ている。
女が一撃でよろめかせ、追加の一撃で倒れこむ姿が信じられない。
片腕は使わないまま、とっくに結着した相手をなぶり続ける理由もわからない。
故国の新人兵士が相手では逆に片腕であしらっていたディロクスの力量が、ここまで通じない理由は考えたくもない。
ディロクスは這いつくばったまま、片手を上げて降参したように見えた。
背にあった小剣も遠くへ投げ捨てる。
アンレイはなぜか、かがんでまで殴打を続けた。
ディロクスがついに悲鳴をもらし出すころ、歓声もとまどって低まり、陰惨がより響くようになる。
「別にこんなことをしてなにか楽しいわけでもないのですが、軍人らしい軍人や主従の忠誠にあまり良くない思い出があるせいですかね?」
ディロクスほどの技巧と筋肉が守りに徹し続けて、なお気絶してからようやくアンレイの拳は止まった。
試合前から変わらない微笑を四方の客席へふりまき、くるりと髪剣を一周させてから退場する。
とってつけたいびつな愛嬌へ贈られる喝采は少ない。
「わからねえんだ……弟子が殺されて様子がおかしくなったとか、弟子たちが不甲斐なくていらついているとか、とにかく不調らしいが、ほかの『四強』がみんな『本来なら最強のはず』と口をそろえるような女だ……やっぱり、そのとおりだったんだ……」
野獣王はしょんぼりと、精悍さを破壊しつくされた『鉄壁』の残骸を見つめる。
ライダストも金槌でめった打ちにされたような原型の乏しさから『命はもたなそうだが、そのほうが旦那のためかもしれねえな?』と思った。
牙狼ナシュボルも友人を励まして茶化せる空気は奪われている。
「まあ、オレらは仇討ちなんてガラでもねえし、そこまでの腕もねえし。あの異国美人さんと、でっけー黒人女さんには関わらねえようにしながら、旦那を支えるなり王子様へたかるなり考えようぜ?」
ライダストは肩をすくめてうなずき、かつての上司を見舞うために席を立つ。
「うわっお!? ……いえ失礼」
ふり向いたすぐ背後に、マリネラが立っていた。
「……こちらこそ。急な話になりますが、追加試合を受けていただけるかたはいませんか?」
視線を向けられた野獣王ほか、ベテランの中堅以上は競うように首をふって断り、その中に無口な巨漢ブロンゾも混じっていた。
そんな様子にナシュボルも危うい気配をひしひしと感じ取る。
「特に『牙狼ナシュボル』さんと『飛龍ライダスト』さんは無傷の早い勝利だったので、期待も大きいようです」
「そりゃマリネラ様の御指名は光栄ですがね? もしあの『四強』さんの相手だったらおあいにく。少しは腕におぼえのあるオレたちでも、まともに盛り上げられそうにありませんので……」
「失礼でなければ、二対一でも同じ賞金を出させていただきます」
「……いえ。そうなるともう、出るだけで男の沽券を守れませんので」
ナシュボルの隣でライダストもうなずくと、マリネラは貼りついたような笑顔のまま少し間を空け、あらためてベテラン勢へ目を向ける。
「三対一の条件では……?」
ある程度の技量がある同士になると、二対一より三対一のほうが何倍も厳しい。
機先を制して一人をつぶせても、なお手数と死角の不利に襲われる。
まして刃物を使う戦闘では、一撃が致命的になる。
野獣王たちベテラン勢はそれでも即座に断った。
マリネラが去り、ライダストも見舞いへ向かうと、ナシュボルは首をかしげる。
「あの侍女長さん、もしかしてあれでも困っているのか? 顔だとまるでわからんが……同じように変わらねえツラ同士だからって、わかるわけでもねえか?」
ブロンゾもいちおう、話しかけられると視線だけは向ける。
「しかしここの先輩がた、三対一でも避けるとは……借金に追いつめられていたり、よってたかって女を痛めつけたがる下衆連中も集まりそうな場所だがなあ?」
次の試合も、開始前は女剣闘士が不利に見えた。
口と鼻がいびつに大きな醜男『土喰らいモーゼンダ』は背も成人男子の平均より頭ひとつ上まわる。
一番手だった『一つ目巨人ビルゴ』よりは頭ひとつ低いが、肥満体の重量は倍以上に見えた。
対して『赤虎タヌム』は女性としては稀な大柄とはいえ、男の平均よりひとまわり上という程度。
「肉のたるみに差はあるが、ああいうぶよぶよした厚みも革鎧みてえにやっかいだからなあ? 赤毛ちゃんの武器が肉の奥へ通せる刃物でなく、丸盾のままとなると、しんどそうだ……」
ナシュボルの予想と裏腹に、タヌムは楽しそうに手ごたえを確かめていた。
「これはたいしたもんだ! 刃物があったとしても、下手に斬れば脂肉にとられちまいそうだねえ!?」
タヌムの拳撃も波打つ脂肪に吸収され、相手はわずかに後ずさるだけ。
モーゼンダは足こそ鈍重だったが、長い豪腕をふりまわし、男の脚のような打鞭を軽々と操って短所を補う。
その一撃は丸盾で受けてもなお、大柄なタヌムが何歩も後ずさった。
とはいえ盾への直撃は確認のように一度だけで、その後のタヌムは回りこんで拳や盾で殴りつける。
最初は女ながらの巨躯を活かす剣闘士に見えたが、肉で守りにくいあごや指へ正確に打ち当てたり、相手の動きを利用して威力を高めるなど、技量と度胸と勘のよさが目立ってくる。
モーゼンダはしぶとく踏みとどまったが、一撃ごとに嫌そうに顔をしかめてひるみ、汗もひどくなってくる。
いらついた大ぶりを見定め、タヌムは飛び膝蹴りであごを跳ね上げ、そのまま『土喰らい』のハゲ頭をわしづかみに顔から地面へたたきつけた。
「あらら。汗ですべった……これなら首や頭はまだ無事だろ!?」
タヌムはすぐさま蹴りで追い打ちをたたみかけ、間もなく困ったようにたじろぐ。
「おぼほっ、ぼっ、くほぶ……ぶうふっ! びっふぃ! ふぃ! だずげてマリネラ様~。ごわいっ。いだい~」
異形の巨体は奇声をあげながら、うずくまって泣きじゃくっていた。
見かねた審判は十分な時間を計った上で『戦闘不能』による結着を宣告する。
「ほらアンタ、それなり強いくせにいつまでそうしているつもりだい!?」
タヌムは笑顔でモーゼンダの肩をゆさぶってから退場し、そんな『赤虎』の明るい気風に、客もここまでの三戦では最も盛り上がる。
しかし男女の接戦や男剣闘士の活躍を期待していた客層は、さらなる脱力の底へ潜りこんだ。
とりわけ客席の男剣闘士たちは『一つ目巨人ビルゴ』『鉄壁ディロクス』『土喰らいモーゼンダ』のいずれも『越えがたい最終目標』として日々の鍛錬に励んでいただけに、観戦しているだけでも自嘲や虚無感に打ちのめされていた。
牙狼ナシュボルもそんなベテラン勢には声をかけづらく、貴賓席へ目をそらす。
なぜか来賓のひとりが必死に謝り、マリネラは押しとどめようとしていた。
「決してマリネラどのに虚偽を言い立てたのではありません。我が国であれば話に飛びつく勇士も少なくないでしょう。しかしとても『四強』に対抗できそうな技量などは……」
「こちらでも技術指導には協力させていただきますので……」
「あいや、この闘技場であればさぞかし腕も上がるでしょうが、我が国では男女の別が厳しく『女に負けるは男にあらず』『女の下など耐えられぬ』と意地になる者ばかり。迷惑にもなりましょうし……正直に言えば、名誉ある戦死へ導ける自信もなくなり、とても将兵の男子を預かるわけにはいかなくなったのです。どうか、どうか……っ」
「……ご厚意だけでも感謝しております。この件が職人の派遣に関わることはございませんので、どうぞ御心配なく」
鉄壁ディロクスを見舞っていたライダストが客席へもどってきて、ナシュボルの見ていたやりとりに気がつく。
「以前は女剣闘士がオマケみたいなもんだったから、あのマリネラさんが気合を入れて猛者をかき集めたらしいが、気合を入れすぎたらしいな?」
「ディロクスの旦那は? 苦しまないで逝けそうか?」
「息はあるし話しかけてくるんだが、泣きながら『整列せよ』とか『全隊止まれ』とか……正気がもどるかはわからねえや。なまじ頑丈だから、とどめを刺していいのかもわからねえ」
最終戦の『火炎竜ノルキール』は勝率首位の現チャンピオンであり、ブロンゾに近い大男ながらも均整のとれた筋肉質だった。
広い肩幅に蛇のような容貌、逆立つ赤毛と赤く焼けた肌に合わせ、赤銅色の脛当てと短槍で武装している。
武器がやや短いほかは、対戦相手『鴉のブレイロ』と似た間合い重視の武器で、防具が薄い。
しかしブレイロの背は女性の平均なみで、体格差が最もひどい試合組みだった。
「長物なら体格差を埋めやすいとはいえ、ノルキールの旦那は槍投げもうまくて、素手の爪も刃物みてえな鋭さらしい。この試合も今までも、男側に相性のいい相手と組ませたつもりのようだったが……」
ナシュボルはすでに、見た目での優劣には懐疑的だった。
開始直後、ノルキールはわずかな動作で鋭く投擲する。
正確に相手の胸板を狙っていた上、間髪入れず追撃へ飛び出していた。
対するブレイロは、木槍を相手の足元へ投げつけていた。
体格で大きく劣っていながら、互いの武器を手放す投げ合いに応じた格好になる。
しかしブレイロは投げながら身をひるがえし、相手の赤銅槍をかわすだけでなく、掴み取る離れ業まで見せた。
対してブレイロの木槍は相手の足を止めるだけの低さで刺さり、ノルキールにとっては拾いにくい角度となる。
素手のまま、赤銅槍による乱れ突きから逃げて転がるしかない。
それでもノルキールはとっさに足先で木槍をはね上げ、手にして起き上がった時には穂先を相手へ向けていた技巧で客席をわかせる。
しかし『木槍に削り起こされていた数本の棘』には気がつけなかった。
突き出そうとして、支えていた手の平に棘が刺さり、槍先が鈍くはねる。
「他人の道具を疑いもせんか」
すかさず肩口を刺し貫かれていた。
最終戦まで一方的な結着になり、しかも男性剣闘士のチャンピオンが当面は復帰を見込めない重傷を負ってしまう。
女剣闘士『四強』の圧倒に歓声は上がったものの、一方的すぎた結果にどよめきも負けじと大きい。
客席のライダストも複雑そうに首をふった。
「来月からオレら男剣闘士は、どんな顔して客にイキがりゃいいんだよ? 選手の質はそれほど悪かねえのに、これじゃ男同士でどれだけ勝っても『女のオマケ』じゃねえか」
ナシュボルも心配そうに貴賓席へ目を凝らしていた。
「マリネラさんも、これほどの結果は予想外だったみてえだな……領主さんのほうが心配して声をかけてるじゃねえか? おいブロンゾ、お前はまだ引き返せるんだから、わざわざこんな時に入らなくてもいいんじゃねえか?」
無愛想な巨漢はしばらく沈黙し、静かに首をふる。
「へえ……ガタイのわりに慎重かと思えば、こんな惨状でもなにか狙えるつもりかい?」
なれなれしく肩を組む牙狼ナシュボルは目だけ笑っていない。
ブロンゾは重々しく、一度だけうなずいた。




