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第三話 のどかな悪夢


「うあああああーっ!」


 太った巨体『くまのプレタ』が、優雅とはいえない顔、勇壮とはいえない表情で吠える。

 ぼんやりと立っていた長身褐色肌の美女は、かまえることもなくはじき飛ばされた。

 玉座の領主フマイヤは無表情に小さく口を開けたまま試合場を見守る。

 ヘルガは砂地を転がりながら跳ね起きた。

 その頭へ戦鎚せんついがたたきこまれ、刺さる角度にはならなかったものの、ふらふらとあとずさり、パタリと倒れる。

 プレタは追撃するどころか二、三歩あとずさり、審判の中年女へ必死に叫ぶ。


「気絶だ! 確定だろ!?」


 審判女はやせた小柄にボロ着で、陰気な顔をしていた。

 両選手から距離をとったまま大またに歩き、ヘルガの顔を観察する。


「たぶんな。まあ、少し待て。『十歩』の決まりだ」


 審判はさらに何歩か歩くと、貴賓席の様子を確認する。


「……よし。『愛しのヘルガ』の戦闘不能により、『熊のプレタ』の捕獲勝利!」


 歓声は煮えきらない。

 プレタは大きなため息をついたあと、敗者よりも早く試合場から逃げ去る。


 領主の側近マリネラは仮面のような笑顔で淡々と見解を述べた。


「前にプレタさんと組んだ時と、ほぼ同じ展開ですね?」


「ん……」


 フマイヤの表情は少ない。


「来月は……これもひさしぶりの組み合わせがまわってきました」


「ん?」



 勝者プレタの凱旋を隻眼赤毛『酔っぱらいのアイシャ』は通路で待ちかまえていた。


「あ、あねさん、すいません!」


「とどめを刺せって言っただろうが」


 穏やかに笑いながら、プレタの頭へ酒壺をたたきつけて割る。


「だって……」


「だって、じゃねえ~!」


 さらには耳を握ってねじり下ろす。


「領主のお気に入りですよ!? それにジーナやグレースを倒したバケモノなんて、姐さんくらいじゃないと……」


「アタシがやりたくないから押しつけてんだよ!」



 試合の前後は、闘技場に隣接した訓練場へ出る者は少ない。

 アイシャたちも訓練に来たわけではなく、打ちこみ用の人型木材にもたれるだけだった。

 やせぎす女『いたちのコルノ』はグズつくプレタのちぢれ髪に混じった酒壺の破片をとりのぞいてやる。

 アイシャは気まずい顔で酒をガブガブと飲みくだす。


「アタシがあのボケナスに勝ったことがあるといっても……知ってんだろ?」



 アイシャは去年の試合でヘルガと向かい合い、強く警戒していた。

 挙動をつぶさに観察しながら、不安をぬぐえない顔をしていた。

 開始の鐘が響いた直後、ヘルガは走り出し、アイシャは両腕を広げる。


「ちょっと待ってくれる?」


 笑顔で言うと、ヘルガは足を止めた。

 アイシャはすかさず殴り倒して馬乗りになり、さらに何度も殴る。


「よっしゃ、捕獲賞金いただき~!」


 首を絞めながら得意顔になると、観客の罵声に気がつく。


「やりなおせ反則魔!」


「どこが『海の女帝』だ八百長女!」


「だまし討ちでしか勝てねえのか酔っぱらい!」


 気まずくなって腕をゆるめそうになるが、すぐに絞めなおし、怒鳴り返した。


「こんな手、ひっかかるほうがどうかしてんだよ!」



 思い出すなりアイシャは頭を抱える。


「ああ~、あの時、とどめを刺しておけば~!」


「そんなことしていたら、闘技場の歴史に残る『迷』勝負に、さらなる物議をそえていましたね……」


 プレタがぼそりと余計な口をはさみ、コルノはぽつりと話をずらす。


「でも姐さんの実力なら、借金を返してここを出ることだってできるんですよね?」


「できなくはねえけどよ~。実のところ、居心地いいんだよなあ? あのヘンタイヤローのおかげ様で、奴隷といっても鎖をつけて朝から晩まで重労働ってわけでもねーし」


 銀髪女『ささやくモニカ』もふらふらと姿を見せ、アイシャは酒壺を振って誘う。


「市場じゃあちこちの異国から贅沢品が集まるし、いい男だってあさり放題。まじめに海賊やりなおしても、今より派手に遊べる気がしねえ……くあ~あ。あとは『アレ』さえいなけりゃ、ほんと天下泰平なんだが……」


 アイシャはふたたび頭を抱える。


「あら、チャンピオン様の年貢おさめは来月あたり?」


 銀髪の美女は笑いながら腰かけ、懐からさかずきをふたつと包みを取り出し、干物や煎り豆を広げる。


「モニカさま~ん、なんかすげえ悪知恵な~い~?」


 銀髪女はなぐさめるように杯を渡し、しなをつくってしゃくをする。


「ないのよねえ? なにせ『勝てるはず』なんですものねえ?」


 プレタとコルノはモニカの不思議な言い回しに眉をひそめる。


「なのになぜやら、私たちでは手のつけられない達人の皆様まであの世へ送っていらっしゃる……で、それよりも気味が悪いのは『とっくに死んでいるはず』ってことよねえ?」


 プレタとコルノは顔を見合わせ、アイシャは察しの悪い子分たちへ干物を投げ当てる。


「あのバケモノ女は『上位』の十人から落ちることはないが、モニカを越えることもなく四位前後だ。勝率七割ってのはまあ、それくらいの格づけだが……最古参のヘルガは、試合数が百を越えている」


 プレタとコルノは干物をかじりながら、数字の意味をじわじわと理解する。


「降参しないやつが三十試合も負けて、なんで生きていられるんだよ?」



 アイシャは苦々しい顔で何度も杯をあおり、モニカは酌をしながら、ほぼ同じ勢いで自分の腹へも流しこむ。


「調子がいい時には、かなりの技量よねえ? 妙な時にやたら勘がいいし」


「体もでたらめに頑丈で、傷の治りはバケモノじみている」


「それに領主どののお気に入りだから、遠慮もされている……とか、いろいろ理由は考えられるけど、仮にも殺し合いの場で三十回も『負けられる』理由には、遠すぎるのよね~え?」


 プレタとコルノは少しうつむいて考えたあと、酒のおこぼれをもらうことにした。


「しかも『アレ』は、恨みもない相手を平気で殺しやがる。せっかく『捕獲勝利』の決まりがあるんだから、勝負が見えたら互いに余計なケガは避けるもんだろ? そう考えない頭のいかれたヤローは、みんなから余計な殺意を持たれる……真っ先に消えてなくちゃ、おかしいだろうがよ~?」


「それこそ悪魔や死神がいているとしか……ねえ?」


「なんだよ腐れ巫女みこさん、おどかしに来ただけかあ?」


 モニカはころころと笑って酌を重ねる。



 日没になると衛兵が巡回に来て、アイシャは煎り豆を投げつけた。


「だから、いいっての。ここで夜通しバケモノ対策を話し合ってっから」


 それがどうなればプレタが全裸でうずくまって泣く事態になっているのか、衛兵は追及しない。


「いえ、いいとかではなく、夜は牢屋へもどってください。いちおうは囚人なんですから」



 翌月。試合場へ続く控えの部屋で、アイシャはブツブツとつぶやき続けていた。


「同じ手は通じない……こともないかあ? それでこいつも助かっている……」


 酒壷をプレタへ預け、装備の検査を受ける。


「しかしとことん、ずれていやがるからなあ? 頭がカラッポすぎて、かえって読みづらい」


 踊り子のようにひらひらした薄着で、防具はほとんどない。

 腕輪と足輪は金属製だが装飾品で、貨幣ほどの幅と厚さしかない。

 胸当てもふくらみの半分を隠すだけで、主用途は形の強調だった。

 その分、右手に提げた武器は大きく、片刃斧の刀身は腿を覆えるほどに広く長い。

 しかし握りは刃の背部分に開いている穴だけで、実際の間合いは手斧なみ。

 しかも握りの幅は片手分しかなく、刃筋を通すのは難しい形状と重さだった。

 小柄な審判女は武器を念入りに調べ、独り言のようにつぶやく。


「なまじっかな腕力自慢が使えば、ひらひら動く刃先に遊ばれ、自分の腕や脚を切る破目になる……おまえの生き暮らしはひどいものだが、こんなものを手斧のように扱える力量だけは本物だな」


「なんだあ? 『からすのブレイロ』ともあろう姐さんが、ヘンタイ領主になにか言い含められたのかよ?」


「まあな」


 ボロ着の中年女はそっけなく答えて武器を返し、驚くアイシャや立ち合いの衛兵たちにさっさと背を向ける。


「元チャンピオンのひとりとしては、不愉快なものだ。手を貸す気はないが、仕留め損なえば見下してやる」


 衛兵が扉を開け、アイシャに入場をうながす。

 暗い通路の先には大きな入場門が見え、歓声も届きはじめる。

 行く手に光が漏れ出した。


「最初の一撃だな。問答無用の短期決戦がいい。武器でも性格でも、そういう相性だ……殺れりゃバンザイ、はずせばさっさと降参だ」


 一年前と同じような、おだやかに晴れた空を恨めしげに見上げる。



 数分後。

 観客は呆気にとられ、態度を決めかねてざわついた。

 フマイヤとマリネラもとまどいを隠せない。

 誰よりも、起き上がったばかりのアイシャが最も困惑していた。

 ほんの二、三歩先で、倒れたヘルガが動かない。


「……おいおい?」


 とにかく起き上がってかまえ、ほんの少し前の出来事を思い出す。


 アイシャは開始の鐘と同時に踏み出し、斧を大きく振りかぶっていた。

 ヘルガもまっすぐに突撃していた。


「間合いの内だ。どうしのぐ……へ?」


 ヘルガは予想外に急加速し、刃先の軌道へ飛びこむ。

 斧にガギリと直撃した手ごたえが伝わり、しかしそのまま体をぶつけられ、突き倒されていた。


「…ッ痛!?」


 アイシャは転がりながら、斧を持ちかえる。


「利き腕をやられたか……ついてねえ! どうやって降参成立まで逃げまわる!?」


 泣きそうな顔であせって起き上がると、寝そべる対戦相手が見えた。


 ヘルガの長いまつ毛は半目を開き、ぼんやり空へ向いている。

 額にはくっきりと、打たれたような跡が残っていた。

 ヘルガの小手には手かせのように大きな鉄輪がついている。

 斧の重い刀身が、頭を守った鉄輪ごしに打ちつけられた……しかしヘルガはなぜ、アイシャの不意をついていながら、そんな受けかたをしたのか?

 アイシャは目ざとく、砂地に残る足跡の乱れ、革サンダルのちぎれた紐に気がつく。


「えーと、つまり……」


 歴戦の現役チャンピオンが、驚愕の真相にたどりつく。


「このバカ、自分ですっ転んで頭を打ちやがった!?」



 アイシャは急いで考えをまとめようとする。


『絶好のチャンスだ! すぐに頭をかち割れ! ……いや待て。このまま「捕獲勝利」が確定すりゃ十分じゃねえか? それでとりあえず、また一年はやり過ごせる……下手に刺激して、起こしたら最悪だ。こっちは利き腕を痛めている。やつは犬みてえに気配には鋭い……特に殺気には……』


 手堅く賢い結論を導いたつもりだったが、無防備にのびる豊かな褐色の裸体を見下ろしていると、疑問といらだちがわいてくる。


『いやいや……来年、さ来年と生かしておく気か? どうせいつか殺るなら、これほどの機会はそうそうねえ……先に自分が殺られちゃ後悔もできねえ……殺れ……あのボケナスは気絶のふりなんて器用なことはできねえ……』


 斧を握る手に力をこめた瞬間、ぴくりとヘルガの体が動き、冷や汗が噴き出る。


『コイツに限っては「お空を見ていただけ」とかいうボケもありうる……か? ……いや、知るかそんなの! とにかく振り下ろせ! 斬れなきゃ、そのあとで考えろ!』


 アイシャが目を見開いた瞬間、がなり声が響く。


「『愛しのヘルガ』の戦闘不能により、『酔っぱらいのアイシャ』の捕獲勝利!」



「え……おい、まだ……!?」


 アイシャはあわててふり返ったが、審判女の険悪な目つきに言葉をのむ。


「少し余計に、長く待った」


 吐き捨てるように言われ、顔色を失う。


「あの領主どのはなあ、わざわざ試合の前に『ヘルガにも遠慮するな』と言い、『戦闘不能の確認も慎重に』などと指示していた」


 衛兵が勝者の護衛と敗者の確保に集まって来る。


「あ!? 気をつけろ! ヘルガが……」


 兵士の叫びでアイシャがふり返ると、ヘルガは衛兵が囲む中、立ち上がろうとしていた。

 その足元はひどくふらつき、不様に転び、観客の失笑を買う。


「だめだ! 担架を頼む!」


 貴賓席では包帯男と仮面女が冷めた薄ら笑いで現役チャンピオンを見下ろしていた。



 アイシャは無表情に退場し、控え室へ入る。


「姐さん、つぶしといてくださいよう! 殺さないまでも、手足はちょんぎっておくとか~!」


 プレタが泣きつき、コルノはそれを乱暴に押しのけて手ぬぐいを渡す。


「おつかれさまっす。たいして汗もかいてないと思いますが」


「……おう」

 

 アイシャはなにくわぬ顔で受け取り、そのまま通り過ぎる。

 プレタはアイシャの背を見届けたあと、自分の手元を見て驚いた。


「姐さんが、酒壺を忘れている!?」


「おい、やめろって」


 コルノは止めたが、プレタは追いかける。

 通路の先から、ドシリと壁を殴る音が響いた。


「……ちっ」


 続く大きな舌打ちと、大きな歯ぎしり。

 プレタは曲がり角の手前で立ちすくみ、それ以上は進めなかった。






(『のどかな悪夢』 おわり)






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