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第十話 邪神の慈悲 二十一 練習死合


 夕陽も黒雲に遮られ、風雨が『地獄の島』には珍しいほど強まってくる。

 富豪や諸侯の一部は強豪の試合にしか興味がなく、豪奢な敷物をたたませて帰りはじめていた。

 今日一番の大物『赤虎あかとらタヌム』の試合は終わり、残りの一試合は評判の悪い不調選手たちの余興と思われている。


「アンナ先輩だって、出るからには勝ちにいくつもりっすよ。オレのことも丸きりぶっ殺す気でしたし」


 客席の新人『砂鮫すなざめスビア』は二ヶ月前に『名無しのアンナ』と試合を組まされていた。

 かすり傷だけで勝てたが、少しでも侮っていれば、強引な飛びかかりに引きずりこまれていたと感じる。

 中堅『青鬼ルネンバ』も、アンナの無謀な復帰は首をくくる代わりとは思えない。


「教官から急に『痛みどめ』についての説明もあったくらいだからね~え? 使うと頭や体まで鈍ることがあったり、悪いくせがついたり、傷がひどくなったりとか、やけに怖い説明を念入りにしていたね~え?」


 隣の『黒鬼ブムバ』は、横目に有望新人『雲雀ひばりのキアリア』を見ていた。


「けどよ、アンナは前の一試合だけまぐれ勝ちできただけで、やり口も運も使い果たしてんだろ? そもそもなんで試合場へもどって来たんかわからねえバカヤロだ……おめえらは猫目女から、異国のいかれたしきたりでも教えこまれたんか?」


 キアリアはあざだらけの顔を無愛想に向けるだけで、口をつぐむ。

 その太腿は先月の試合でアンナに何度も斬りつけられ、まだ包帯が厚く巻かれたままで、それでもなお無理に出場した今日の試合で血が大きくにじんでいた。

 その向こうでは『舞姫スール』が笑い、顔には鼻血を止める布が突っこまれている。


「まったく。お師匠様って本当は剣闘士の養成に向いてないのかな? 商売勘定もできないケンカ馬鹿をうつされちゃう……ね? キアリアちゃ~ん?」


 スールは訓練場でアンレイにつけられた痛々しいあざが全身に残っていた。


「私もこの体じゃ、今回は新人さんにも負ける自信あったけど、ケガ人同士で組んでもらえたおかげで試合ぽくやれたかな……ね? キ・ア・リ・アちゃ~ん?」


 キアリアはスールにあごをくすぐられても、嫌そうに顔をそむけて黙り続けた。

 打たれた跡を比べるだけでも、キアリアはほとんど一方的に鉄扇で押しきられたことがわかる。

 キアリアの表情は恐怖に耐えながら、内側へ縛られていた。

 スールにとっては今後も危なげなく勝ち星を搾り取れそうな、手ごろな相手に見えている。

 ほどほどに優しくして飼い守ってやるほうが利用しやすそうだった。

 しかしスールのからかいはどこか乾いて、興味はキアリアの苦渋よりも太腿の傷へ向けられる。


「……キアリアちゃんはその傷のおかげでお師匠様に殺されないで済んだのかな? というか、お師匠様が人殺しをしないで済んだ……」


 スールは考えながら声が小さくなって『お師匠様に、どうでもいい人間を殺さないでほしかったのか』という結論は隠した。


「……でもほんと、アンナちゃんはなに考えてんだろ? ヘルガちゃんにどれだけ才能があっても、それを使う気がないなら……」



 剣闘士たちに決まった席は無いが、自然と格付けの高い者から選んで前の席、貴賓席に近い席が埋められていく。

 貴賓席に接した最後列には『鴉のブレイロ』だけが座り、近づく者、とりわけ死角へ入りかけた者には物騒な凝視が向けられるため、誰もが離れて座った。

 貴賓席に接した最前列は、そんなブレイロの視線を背後に受けながら平然と笑える『赤虎タヌム』が座り、監視に立つ教官ヒルダへ陽気に話しかける。


「領主さんはどうしたんだよ? ここ何日か調子が悪そうだけど?」


「その何日か前、急に地下牢を見に行ってから様子が変なんだよ」


 ヒルダはしばしば心配そうに玉座の主君を盗み見ていた。


「いつでも変だろ? でもあれだけ仕事をさばける頭で、いまだに『愛しのバケモノ娘』には手も出せないで持て余しているなんてね……?」


 タヌムは悪気もなく疑問を口に出すが、ヒルダはふてくされたようにうつむく。


「頭でなく心の問題なら、手を出せば壊しちまいそうな怖いものだってあるさ」


「へ~え!?」


 タヌムがうれしそうに顔をのぞきこんできたので、ヒルダは赤面しながら蹴りつけておく。



 フマイヤはやつれていた。

 その長身は元からやせこけていたが、かつての威厳ある背筋も曲がりがちで、くどくど床を見回しては言葉を探していた。


「あのようなものを自分の名前と思えるなど……いや、思えるからこそ……?」


 傍らの腹心アルピヌスは見かねて苦笑する。


「ヘルガさんの名前の出どころがわかっても、結局は悩んでいるじゃないですか」


「むう。もう少しでつかめそうなのだが。なぜアンナが選ばれたのか……む? だがヘルガを動かせるアンナ自身の意図は……?」


 貴賓席と剣闘士たちの間には衛兵が立ち並び、その最前列にはヒルダをはじめとした教官たちも解説役を兼ねて立っている。

 貴賓席だけは日よけの天井があり、教官『女巨人ヒュグテ』は視界を遮らないように柱の前が定位置になっていた。

 その頭部だけが静かに動き、視線が玉座前の床へ落とされる。

 ヒュグテが直立不動を崩す珍しさに衛兵の一部が気がつき、それをアルピヌスが拾って見上げる。フマイヤもその視線を追ってうなずいた。


「どうした?」


 ヒュグテはさらに視線を下げ、ゆっくりと身をかがめて片膝をついてから主君へ向き直る。

 主君への礼儀は、害意の無さを示す動作を元にした様式が多い。

 ヒュグテの体格では姿勢ごときで無害に見えるわけでもないが、そのせいかどうか、殊更に堅固な恭順を見せていた。


卒爾そつじながら。私が戦士アンナに、装備の再検討を勧めた際の返答に思い至りました」


 アンナはすでに小剣の標準装備から両手の拳刃に変更し、再度の装備変更は一敗に相当する料金がかかる。

 それでも片膝が壊れた体では、まだしも槍や鞭といった武器で間合いを重視したほうが勝ち抜けの可能性は広がりそうだった。

 ヒュグテの助言は的確なはずだが、アンナは装備の変更を拒んでいる。


「戦士アンナは栄誉を求めず。ただ魂の導きに従うのみ」


 正確なアンナの返答は『勝ちたいならそのほうがよさそうなんですがね? あっしの両手はどうもそれだとヘソを曲げちまうらしいんで、やりたいようにやらせてみますよ。どうせこんな膝ですし』だった。

 アンナを知る多くの衛兵や教官はヒュグテなりの要約が飛躍している気もしたが、フマイヤは別の部分を気に留める。


「む……『導き』?」


「寄る辺なくさまよい続けた魂であればこそ、魂ばかりを目に留め、魂だけを求めるものかと」


 ヒュグテはさらに身を低めてから元の向きと姿勢にもどる。

 その隣には教官アンレイが笑っているかのような無表情で立っていた。



 強まる雨の中、試合場へ出てきた小さな人影にどよめきが寄せられる。

 領主の側近マリネラが、護衛もなしに中央へ進み出ていた。

 腰には革鞭と小剣も見える。

 普段は来賓への礼節から、衣服に隠せる短刀しか身につけていない。

 客の何人かは男剣闘士の虐殺事件を思い出して「マリネラ様が直々に始末しに来たのか?」などと勘ぐる。

 貴賓席のヒルダは鐘を殴り鳴らして進み出た。


「今日の最終試合! 小剣使い『墓下のヘルガ』対、拳刃使い『名無しのアンナ』!」


 大声を張りあげる司会役はヒルダが代行していたが、入場の合図を送るマリネラの動作は、審判の役割だった。

 続いてヘルガが入場し、のそのそと歩きながら観客を見回す。

 マリネラはヘルガの態度が、半年前から変化していることを確認した。

 それまでフマイヤ以外とはほとんど視線を合わせることなく、庭木のように流し見ていた視線が、なにかを探すようにさまよっている。


 ヘルガは以前から消極的な試合も多かったが、半年前からは傍観に近い防戦が増えていた。

 マリネラも当初は『意欲の欠落』がひどくなったものと思い込んでいたが、実際は『興味の変化』であることに気がつく。

 闘志の有無はともかく、観客や対戦相手の観察が増えていた。

 今はマリネラの全身をしげしげと見まわしている。



 アンナは入場する前から監視の衛兵にぼやいていた。


「痛みどめといっても、まともに動きたいなら気休めみてえな効能しか出せないそうで。やっぱり楽はできないものですねえ? いえ別に、楽をしてえわけでもなく、めいっぱい働きてえふんばりどころなもんで、お願いしたわけですが……あらま?」


 門が開いて珍しい審判に気がつくと、困ったように苦笑する。


「頭のよすぎる人たちはどうもそのままには見聞きしないで、わざわざややこしく受け取るくせとかありそうなもんですが、マリネラさんや領主様はそのあたりもご承知で体当たりを好んでいらっしゃるから、ますますおえらいというか怖いといいますか……」


 返答するわけにもいかない衛兵たちを置き去りに、足を引きずりながら進み出る。


「あっしなんざ、最初にあきらめましたけどね。ヘルガさんにはなんでもお見通しだとわりきってみたら、それで特に不便もなかっただけでして……優しくて、やらしくて、物もちよすぎで……そのオンボロ鎧、いつまで使うつもりです?」


 ヘルガの防具は割れや錆がひどく、規定では新品に交換できるはずが、本人がその意志を示さないために放置されていた。

 小剣の刃は研がれて手入れもされていたが、握りやつばは傷だらけになっている。


「あっしの格好も通り名と同じで、恵まれねえ体にあてつけたようなもんですがね。それほどの体はもう少し見ばえよく扱ってやらねえと罪ですって……」


 アンナは紐のような金属製の下着だけで胸と腰を隠していたが、飾り布は以前の試合で鞭にむしりとられたまま、修復は申請しないで放置していた。

 そんな飾りがあったところで、やせこけて傷まみれの体をより悲惨に見せるだけだった。


「……そう、どれだけ物知りでも勘がよくても、てめえが何をしたいのかはわからねえ難儀な人も案外と多いみたいですね。あっしの師匠なんか、どれだけ殴りかたが巧くても、誰を殴ればいいのかはわかってねえ……あっしなんかはもう、自分がしたいことしか見えねえし、自分がどうなるかも気になりませんが……」


 アンナが定位置に着き、雨ではりつく前髪をぞんざいに切り離す。


「……すみませんね、ヘルガさん。あっしはあんたが大好きですけど、あのいけすかねえアンレイちゃんのことは、もっとずっと大事なんです。あっしよりも神様に見放された人なんて、はじめてでしたから」


 ヘルガは微笑むでも無表情でもなく、探るようにアンナを見つめていた。

 マリネラは黙ったまま距離をとり、手ぶりで貴賓席へ試合の開始を合図する。 

 ヒルダが号令し、鐘が打ち鳴らされた。



 ヘルガはかつて老兵ゼペルスと戦った際、慎重に距離をとって足腰の差を活かしていた。

 しかしアンナに対してはまっすぐに突撃し、アンナは小剣を受け止めたが、足をすべらせて倒れこむ。

 観戦者の多くはいきなり勝負がついたものと思ったが、マリネラは羽織っていた外套についていた頭巾を深くかぶる。

 すぐには終わらないことを直感していた。


 ヘルガは追撃を捨てて距離をとる。

 なにかを警戒した様子ではなく、回りこむこともなく、アンナがふたたび立ち上がるまで待って、ふたたび飛びかかった。

 アンナはまたも刃をしのいだが、直後の蹴りは受けきれないで倒される。

 ふたたびヘルガが距離をとると、客は一斉に罵声をあげはじめた。


「なにを堂々と八百長してやがる!?」


「さっさと仲良しにとどめを刺してやれ!」


 アンナは泥まみれで立ち上がり、薄笑いを浮かべながら、目はヘルガの隙を探っている。

 ヘルガはみすみす好機を見逃しながら、真剣にアンナの急所を見据えていた。

 三度目、四度目で、目の利く者には双方についた痣と傷が決して軽くないことがわかってくる。

 五度目はアンナの腕が裂かれて真っ赤に染まり、六度目はアンナの頭が地面へたたきつけられ、すり切れた耳から頬にかけて血糊がへばりつく。


「やっぱり勘がバケモノじみてますやね。あっしはコツの先っちょを仕込んだだけなのに、あとはヘルガさんが勝手に使いこなしちまう……だけど『これ』ばかりは、あっしが伝えるしかねえ……」


 七度目。ついにアンナが拳刃で小剣をさばきながら頬へ肘を打ちこみ、倒れたヘルガの首筋を狙う好機となる。

 今度はアンナから手を止めて離れたが、客の罵声は低まっていた。

 ふたりの負傷が凄惨になってきたことで、交わされる険しい目つきに気がつく者も増えはじめていた。


「なに……やってんだ? まるで訓練みたいな……?」


 しかし相手を生かす気が感じられないため、声は小さくなる。


「仲良し同士の殺し合いは避けたくて、時間を稼いでごまかす気か……?」


 しかし満身創痍をよりひどくしながら十度目、十五度目と激突し合う姿を見せられると『もう死ねたほうが楽だろうに』と気がつく者も増え続けた。




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