表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/93

第十話 邪神の慈悲 十五 明暗を決めつける


からすのブレイロ』は決着を宣告されても険悪な表情を変えなかった。

 観客へ勝利を誇って示すこともなく、ただ背を向ける。


「あの『鬼』が見込んだ継ぎ手だ。つぶしやすい時に潰せてよかった」


 泣き叫ぶ敗者を置き去りに、とぼとぼと退出する。

 観戦していた教官たちの間では、ブレイロの反則行為が取り沙汰にされていた。


「砂を仕込んでいやがった。入場で転んだ時か?」


「念入りにはたいているように見えたから、審判も見逃しちまったんだ」


「あのババアも反則使いだったか。言っちゃなんだが『呪術師』よりも巧いもんだ」


「しかし、あれほど細かい仕込みになると、取り締まる方法なんてあるのか?」


 貴賓席に控えていた侍女デルペネは、教官アンレイの様子をそっと確認してとまどう。

 アンレイは試合場で壊された弟子を見下ろしながら、表情は静かに冷淡だった。



 多くの明暗が分かれる競技祭となった。

 かつて剣闘士だった教官ヒルダは数日もしないで訓練場へ出て、あざだらけの顔で訓練指導をはじめる。

 以前よりも明るくなったが、態度は少し丸くなり、さびしそうな表情も多くなった。


「おら死にたくなきゃ粘れ! もっとだ腰抜け! その何倍も鍛えたところで、ほんの少しツキが足りないだけでつぶされる! くたばる前に自分を許せるくらいにはもがいておけ!」


 休憩に壁際へもどりながら苦笑する。


「死にぞこなったババアが言ったところで、しまらない言葉だけどね」


 先に休憩していた若い女教官ライシェルは苦笑で返す。


「もっと堂々としてください。運だけで勝ち逃げした私の立場がなくなりますので」


 丸太へ打ちこみ続けていた女剣闘士のひとりが、無言でライシェルへ目を向ける。

 男のような短髪と長身と筋肉で、顔だち、表情、居ずまいとも硬い。

 かつては『灼熱のヒルダ』と双璧を成した猛者『氷結のシェギー』だった。

 ライシェルは肩をすくめて首をふり、訓練指導の指名を断る。

 シェギーは恨めしそうな目を向けたが、無言で打ちこみへもどった。


 かつて剣闘士だったライシェルは七勝二敗で早々と、格づけが出る前に勝ち抜けに成功した。

 三回戦目と六回戦目で負けたが、安定した成長を続け、見切りがよくて傷を浅く抑えるため『模範生ライシェル』の異名で知られる。

 対して『氷結のシェギー』は勝ち抜けが決まったあとでも剣闘士を続け、よりよい引き抜き話を探しはじめたところで、ライシェルの最終試合を任されて深手を負ってしまう。


「まぐれでもシェギーに勝てるだけの腕はあったさ。中堅でも手堅く柔軟に打ち合えたから、最後の最後で奇襲を活かせた」


 ライシェルは基本で押しきる定石を大事に守り続けていた。

 しかし運よく勝ちを重ね、残り一戦で勝ち抜けのかかった試合では、格上のシェギーへいきなり剣を投げつけ、殴りかかる。

 指も上腕も守られていない左腕で強引にシェギーの刃を防ぎ、浅くない傷を負いながら、拳槌をたたきこんで鎖骨をへし折った。

 ここぞという勝負どころの大胆さで、ますます『模範生』と讃えられる。

 しかしそれきり教官に落ち着いてしまい、剣闘試合から逃げきった慎重さだけは不評を買った。


「シェギーのやつは引き取り手に逃げられるわ、解放がおしゃかになっちまうわで気の毒だったが……」


 この島で剣闘士となる者は誰であれ、一定額以上の金銭を領主から借り入れて奴隷になる。

 元より奴隷だった者も、重罪で投獄された囚人も、剣闘士になれば自由を得るための金額が審査されて提示された。

 試合の勝利報酬は四分の一が解放後にまとめて支払われ、残りは剣闘奴隷が自由に使える。

 ほかに財産や収入があれば酒食や諸権利の購入にも使えたが、解放の条件となる借金の返済だけは『試合の勝利報酬』に限られた。

『勝利条件の借金』に限っては通常の利息がつかない代わり、試合に負ければ借金が増やされ、負傷などでの欠場も不戦敗と同じように扱われる。


 そのような制度へ移行した際、戦績の良かったヒルダとシェギーは借金の残額が低く見積もられる。

 ヒルダはすぐに完済できる状態になり、勝利報酬の払い戻しを多く貯めこんでいたため、タヌムに完敗した直後に完済を申し出て引退できた。

 シェギーも完済できる状態で試合を受けたが、まだ貯金が少ない時点でライシェルに負けてしまい、完済に届かなくなってしまう。

 しかも骨折の療養で欠場の不戦敗が続き、借金は増え続け、決まっていたはずの解放が遠く失せてしまう。


「……それでもライシェルだって、あそこで勝っておかなけりゃ、次はアタシや『独眼鬼』とやり合う破目になっていただろうからな」


「そうなんです。上位陣でもシェギーさんは、まだしも奇襲が効きそうな相性でした。ヒルダさんやディボナさんの肉の厚みでは革鎧を殴るようなものですし、牽制でさえ腕を斬り落とされそうな重さですから」


「しかもその後は、手数がどうしようもねえ『舞姫スール』や『名無しのアンナ』も伸びてきたから……まあ、スールのやつは今回もやらかしたが……」


 不調が続いていた『舞姫スール』は、骨折からの病み上がりである『氷結のシェギー』と組まされた。

 シェギーは体格や腕力ではヒルダよりもやや劣るが、手数の多い牽制で相手を固めきる手堅い技巧はそれを補って余りある。

 しかし対応の柔軟さには欠ける時があり、慎重すぎて降参も早いことから、戦績ではヒルダよりもわずかに劣っていた。

 スールは手数と身のこなしでシェギーをも上回り、技術的な相性では有利とする予想が多かった。


「……シェギーのやつが試合の勘をもどせたというより、今回もスールが自分で勝手に追いつめられた『臆病風』の長引きだな。もうアンナともはしゃぎ合うようになっていたはずなんだが」


「そうでもありませんよ? 平気なふりをして慣れようとしていただけで、ぎこちなさは残っていました」


 スールは妹弟子で好敵手のアンナを見かけても明るく騒いで抱きつくだけになり、指や唇をあらぬところへ這わせることはなくなっていた。


「なにせ武器えもの鉄扇うちわだからなあ? 守りがちになっちまうと、短い上につばもない不利が目立つ……」


 噂の対象『舞姫スール』も両手に短い木の棒を持って訓練していたが、ヒルダとライシェルの視線に気がつくなり駆けて来る。


「……ふざけたくらいに大胆な『舞姫』の威勢をもどせないと、きついだろうな」


 ヒルダはかまわず講評を続け、全力疾走で迫る明るい笑顔を片手で押しとどめた。


「やっぱりわたしの噂をして! もう負けるだけ負けたんで、楽になっていますから! シェギーさんへ景気のいい見舞いを贈ったふりして開き直っていますから!」


「……そうだな。その前の試合でも同じようなことを言っていた気はするが、口先だけでもつっぱれるその厚かましさだって、アンタの強さだ」


「うわ。変に優しくなりやがった。勝ち抜けしてすぐ、いい男でも手ごめにしましたか?」


 スールは顔面を握り止められたまま、ヒルダのほとんど筋肉で盛り上がった胸の先をペシペシとはたく。


「まだだ。顔のアザが消えるまでは相手の男が気の毒だろうが」


「そういうのが好きな人もわりといますから」


「そんなバカな……え、本当か? いや、そんなことはどうでもいいが……」


「そうですねー。どうでもいいですねー。わたしもまずは『自分の一勝』しか興味ありませんけど……」


 スールは不敵な笑みを見せつつも、以前よりは言葉の途切れが早く、瞳も暗くなりがちだった。

 それでも格づけ一位まであと少しだった位置から転落を続けている者とは思えない堂々とした態度で、ヒルダは本心から感心する。

 しかしスールが続けた言葉にぎょっとした。


「……今日はアンナちゃんの顔も見てきたんですよ」


 アンナはただ負けたわけではなく、おそらくもう剣闘士にはもどれない重傷だった。

 そうなった者にかけられる言葉などない。

 アンナが耐えてきた熾烈なしごきを見てきた者たちなら、なおさらだった。

『もう二度と勝てなくなった敗者』はただひたすら、放っておかれたがる……がさつな者が多い剣闘士でも、それだけは察する者が多い。


「アンレイ先生にわたしよりも見込まれていた妹弟子ちゃん……わたしに負けグセをつけてくれた、踊り子もどきの売女ばいたちゃんを哀れんであげたり、はげますふりして傷口へ塩をすりこんであげれば、わたしも少しは師匠さま好みの鬼畜生に近づけるかと思って……」


 スールは笑顔で静かに話し、ヒルダは息をのみ、ライシェルは思わず目をそむける。


「……笑っていましたよ。『やらかしちまいました』って、ひとこときりでしたけど、ずっと笑っていました」


 スールは笑顔のまま沈黙し、そのまま訓練にもどる。

 ヒルダはその背を見届けながら、ごく小さくつぶやいた。


「あれは、なにも声をかけられなかったな?」


 ライシェルもまた、かける言葉など見当たらない。

 アンナに対しても、スールに対しても。


 見物客は『赤虎タヌム』の名ばかり話題にして訓練する姿を見たがり、教官アンレイとの練習試合を観戦できた者は自慢げに語って妬まれ、同じように無敗の連勝を続ける『鴉のブレイロ』の真価も勝手な推測と比較の的になる。

 復帰した猛者『氷結のシェギー』はかつて以上の実力をまだ隠しているなどと決めつける者もいて、調子をもどしている『独眼鬼ディボナ』ともども新鋭選手たちとの相性を予測され、好き勝手な言い合いが続いていた。

 その中でもスールとアンナの名前が挙がることはない。


 ヒルダは女剣闘士たちを見渡し、男剣闘士たちから主舞台を奪った活気を見てとるが、かつての『余計な騒がしさ』を失った訓練場のさびしさに複雑な顔をする。



 昼日中も、アンナは自分の牢で寝台に横たわり続けるしかなかった。


「すみませんがね。絶対安静とは言われていますが、そこの石ころ……あいたたっ……とって、いただけませんかね? ほかに頼める人もいませんし、来てもらえたついでに…………うげっ。いえ、どうも……これだけの動きでも、けっこう足まで痛むもんですね……うぎ……っ」


 アンナは鍛錬に使う頭部ほどの丸石を両手でゆっくりと持ち上げ、ゆっくりと胸へ近づける動作をくりかえすが、疲労よりも激痛で歯を食いしばり、汗まみれになる。

 ほんの数回で枕元へ岩を置くが、目元をぬぐうとふたたび持ち上げ、今度は一回きりで置きなおす。

 息を乱し、涙にまみれながら、それでもまだ、笑顔で挑み続けた。

『墓下のヘルガ』は床に座ったまま、その様子を不思議そうに見つめ続けた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ