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第十話 邪神の慈悲 十四 約束された崩壊


 領主フマイヤは剣闘に関わる事故については、なるべく自身の目で現場を見ておくように努めていた。

 遺体がひしめく通路の血だまりにも躊躇なく踏み入る。


「マリネラ、ケガはないか? これだけ刃を振ったなら、自分では気がついていない傷もあるかもしれない。まずは洗い清めたほうがいい」


 フマイヤは血まみれのマリネラに目を留めるなりその肩を抱え、報告や謝罪にはほとんど耳を貸さないで連れ去る。


「……彼らはマリネラを怒らせたのだな? ならばあとの処断はマリネラに任せよう。だがまずは傷の手当てだ」


 侍女デルペネはひそかに『マリネラを怒らせた』では記録に残せる罪状とは言いがたいと思う。

 その裁定まで当のマリネラへ一任しては、世間一般の『公正』を真正面から無視しているとも思う。

 しかしフマイヤはマリネラに限って、その客観性と公平性には絶対の信頼を置いていた。

 そしてそんなフマイヤ自身もまた、病的な公正さが広く信じられているために、非常識な指示にも関わらず現場の混乱は収束してしまう。


 とはいえ、突然に男剣闘の中心だった人材が大量に消え去り、闘技場全体では大混乱に陥る。

 次の興行までの日数も少なく、当初は前座の意味合いも強かった女剣闘がはじめて主要な試合として宣伝された。

 マリネラは自身へ謹慎を課しつつも、興行の変更に伴って膨大に増えた仕事もあり、執務室にこもる時間が割増しになっただけにも思えた。

 むしろ事件について噂する声から守られてしまっている罪悪感がないでもない。


 闘技場の券買所に集まる野次馬たちも、複雑な表情をつき合わせていた。


「ついに『黒獅子くろじし』と『白鷲しろわし』はとりまきごと引き抜かれたか、独立しちまったのか?」


「いや、まとめて葬式があって、親交のあった王侯貴族には遺品が配られたそうだ……処刑だったことはなぜか理解してもらえたらしい」


「処刑だなんて、ありえないバカを言うな! あれほどの猛者たちを一度に始末する準備だけでも、どれだけ大変だと思っている?」


「毒魚にでもあたって、管理の失敗を隠しているのか?」


「いや、マリネラ様が……」


「え。ああ……それなら…………いやしかし、そこまでの腕はないだろう? 衛兵を何倍くらい連れて袋だたきにしたんだ?」


「いや、なぜか『たった独りで』とかいう無茶な噂が一番多い」


「……それならいっそ、次の興行に飛び入りしてくんねえかな?」


「むしろそのための話題づくりか?」


「いや、いくら『悪魔公』でもそれはない……はず……」


 英雄的な人気者が大量に排除された大騒動だったが、衛兵が出動するような事態は起きないまま、なぜか収束をはじめていた。

 しかし非難とは別にマリネラの噂は広まり、以後も長く『悪魔公』に準じて諸侯の注目を集めるようになってしまう。

 マリネラは事件の話題が出るたびに身をちぢめた。



 事件の余波は女剣闘士の試合にも大きく、急遽、多くの演出が足されることになった。

 今回に限っては賭け札の払い戻しをはね上げ、観客がいつも以上につめかける見込みになっている。

 女剣闘士の中でも、特に意欲を見せたのは『赤虎タヌム』だった。


「ヒルダと組みたいねえ! もうマリネラ様にも頼み続けているけど、アタシがきっちり、引退に追いこんでやるよ! ヒルダ! 最高の体調で来なよ!」


 タヌムはこれまで中堅以下の選手に圧勝を続け、次は上位陣が順当なものと、客の期待も大きい。


「アンレイ先生とヒュグテ先生も出場すれば、もっと客がわきそうじゃないか! 模範試合とかなんとか、理由のこじつけようはあるだろ!?」


 タヌムは朝の訓練場へ出るなり大声で誘い、一般の見物客たちは期待にどよめき、女剣闘士たちは余計なきっかけを作らないでほしくてどよめいた。

 ヒュグテは黙したまま、厳然と首をふる。


「ヒュグテ先生はやっぱり、どうしてもか。それならアンレイ先生、いっちょアタシを揉んでみてよ! とるに足らない小手先だけの技なら、試合に出ない頑固も納得しやすい!」


 アンレイは困ったように微笑しながら、タヌムの『武芸に対する侮辱』は挑発で、心からの善意で言った様子を見てとる。


「貴方は訓練をすると、かえって調子を崩しやすいと聞いていますが?」


「遊んでいるほうが調子いいだけ。それに訓練なんかをする気はない。そんなのはたてまえで、アンタとケンカをしてみたいだけ!」


 アンレイはくるりと背を向けて手招きする。


「訓練としての体裁を守っていただけるなら、どちらかが膝か背を地につけるまで、ひと勝負のみ」



 アンレイは装備倉庫でタヌムと同じ装備を指定し、練習用の木剣だけでなく、小型の丸盾も装着する。

 訓練場の一画には、柵に囲まれた小さな模擬試合の場があった。

 タヌムは大柄な体格をぐいぐいとのばし、見物の剣闘士に囲まれた中で明るくはしゃぐ。


「アタシの装備に合わせてもらって悪いね? でも技と動きじゃ、アンレイ先生のほうが上手うわてとはわかっている。どれくらい追いつけるか……楽しみだ!」


「私も、その変わった肉体には興味があった」


 アンレイは静かにつぶやき、開始の合図に手招きする。


「みんなっ、もっと離れないと巻きこむよ!」


 最初の一撃。中堅以上でなければ目が追いつく者も少ないタヌムの豪剣。

 アンレイは半身になって盾で受け流し、しかも大きく跳び下がって威力を殺したはずが、半回転して姿勢が崩れかけたところで踏みとどまる。

 長い結い髪の先が、見物客にかするほど移動していた。

 観戦する剣闘士たちはあわてて柵から体を離す。


 見物していた教官ヒルダは、自分の豪剣がタヌムと互角なように見えても、自分ではアンレイから即座に反撃されて勝負がつくことを知っていた。

 タヌムの一撃には逃げにくい目のよさと足腰の鋭さがあり、よく粘る手首、関節の柔軟さ、変則的な振りでも刃筋を通せる技量もあって、ヒルダを大きく上まわる。


 タヌムは追撃しないで、今度は自身が守って待ちかまえた。

 アンレイも試すように太刀筋の多彩な乱撃で打ちこみ、だんだんと加速させる。

 その技量も多少は知られていたが、弟子の『舞姫スール』が見せるような目まぐるしい位置と姿勢の変化が、非情なほどの鋭さに達していた。

 タヌムは一見して、巧みに追いついて受けきっている。

 しかし見物している『名無しのアンナ』は、師匠がまだ左腕や蹴りを使わないで様子を見ている段階と察する。

 それでもすでに、ヒルダやスールなみに戦いたくない恐ろしさだった。


 アンレイが蹴りと盾も使いはじめる。

 タヌムもそれを待ちかまえていたように、嬉々と反撃をはじめた。

 見物していた青鬼ルネンバも『ようやく本気を出しはじめやがった』とは見抜けるが、そうなってからの攻防はもう、自分の矮小さをかみしめるばかりだった。

 黒鬼ブムバも『スールのやつよりわけわかんねえ忙しさで、ヒルダの姉御より勘がよすぎてわけわかんねえ』と呆れていた。


 技と速さではアンレイが優勢に見える。

 タヌムは腕力と体格の優位だけでは対抗しきれないはずだったが、不思議と要所を抑えてしのいでいた。

 それどころか、見物者も驚くような不意をついてアンレイに肘をかすらせ、盾で受けても痛そうな打撃をたたきこむ。

 歓声が盛り上がりかけたところで、アンレイが不意にタヌムの腕へからむような動作を見せた。

 タヌムは即座にさがるだけでなく、本能的に剣を投げつけていたが、その巨体は宙に浮かされてしまう。

 地面を転がされ、飛び起きて身構える。

 アンレイは両手を背に隠して直立し、試合の終了を示していた。


「ああっ、それはないだろう? そこまでの腕を見せておいて、おあずけかい?」


 タヌムはつい、自分の背についた砂をせかせかとはたき落とす。


「貴方のその不思議な体質は、これからの試合のためにとっておくべきでは?」


「別に隠しているわけでもないけど、そういうもんかね? でもまた遊んでよ!? できれば試合場で!」


 タヌムは遠い東の果ての作法で指導に礼を示し、アンレイも静かに返礼する。

 それからアンレイはいつものように、アンナへ軽く視線を向け、ほかの剣闘士たちから離れた隅へ向かった。



 アンナはアンレイが笑顔を見せていながら、ややさびしげにうつむく様子に気がつく。


「やっぱり『赤虎』さんの強さはわけわかんねえですよ。訓練もしねえで師匠とまともにやりあえるなんて、なに食って育てば、あんなバケモノになれるんだか……」


「惜しい。彼女はやはり、私より強いかもしれない。しかしあの肉体は、私の技を必要としていない。受け入れることも、伝え残すことも難しい」


「マリネラさんとかヘルガさんみたいな、いかれたおぼえのよさとか、勘のよさですか? 傷の治りのおかしさなんかも、ヘルガさんに近い気はしますが……もっと根っこからなにか……クマとかトラを相手にしているようなひどさを感じるのはなぜでしょう?」


 アンレイは含みのある笑みでうなずく。


「野生の獣は武芸を習う必要もなく、そのままの暮らしで力量を高め続ける……彼女の本質に近いかもしれない」



 競技祭の当日。

 剣闘士が『観戦する権利』の価格は以前から下がり続けていたが、全員が自由に観戦できるようになった。

 まだ全員に鎖を装着する義務があったとはいえ、よりによって貴賓席の両隣へ席が変更され、剣闘士たちへの敬意が殊更に強調される。

 タヌムは希望どおりに試合を組まれ、観客へ活き活きと宣言した。


「みんなの大好きなヒルダに敬意を表して! 徹底的にぶちのめす!」


 古参の強豪『灼熱しゃくねつのヒルダ』は嫌そうに苦笑したが、小剣の切っ先を向けて応えた。

『次の試合で引退することになりそうだ』と話していた噂は広まっているが、それでも賭けはほぼ互角で成立している。

 古なじみの客に根強い人気があった。


 新鋭『赤虎タヌム』の主な装備は丸盾で、左拳から肘までを守っている。

 堅い木の合板を革と鉄板で補強した頑丈なつくりで、打器としても威力が高い。

 右手は拳を守る厚い革帯を巻いているだけだったが、その体格と腕力によって、木槌のごとく恐れられていた。


 試合が開始されるなり、両者は真正面から撃音を轟かせる。

 ヒルダは打ち合いながら、タヌムの豪腕でふりまわす丸盾と下手にかち合えば刃が折れかねないため、太刀筋の角度に気をつかう。

 タヌムの盾は、素手同士の戦いで脅威となる『体当たり』を刃物が相手でも出しやすくなる武器でもあった。

 上半身を守り隠した低い姿勢で突っこまれると、その大きさは避けにくく、その重さは受けがたい。

 ほぼ同じ体格のヒルダは、運よく勘も冴えて受け流し、持ちこたえたが、直後に剣を殴り折られてしまった。


 間合で劣る盾でも圧せる手数。

 巨体で瞬時に飛びこめる身のこなしと度胸。

 直後に刃へ拳を当ててくる瞬間的な判断力と技量。

 ヒルダは自分の見せ場がない試合になってしまったが、両手を上げて完敗を認めた。


「よく粘ったよヒルダ! アタシだって手は抜かなかった! だからもうひと勝負!」


 タヌムは丸盾をはずして投げ捨て、右手の革帯までほどいて放り捨てる。


「アタシとアンタと、お客さんに……ご褒美だ!」


 ヒルダはますます嫌そうに苦笑したが、両拳をかまえて応えた。



 同じ体格のふたりは殴り合ってみると、ほとんど一方的にヒルダばかりが何度も何度も打たれて転がされる。


「ヒルダ! この島に来て最初によかったと思えたのは、アンタと会えた時だ!」


 ヒルダは顔中が腫れあがり、立ち上がることも難しくなってから、ようやく手を差し伸べられ、降参を認められた。

 タヌムの笑顔には、小さなあざがふたつほどしかついてない。


「同情してくらったおぼえはない。アンタなら、アタシの昔の仲間たちにも負けない腕のよさと、気風のよさだ!」


 ヒルダは『アンタの仲間はとんでもない苦労をしてそうだね』と言いたかったが、口の中が傷まみれで、ろくに声を出せない。

 タヌムは肩を貸し、ほとんど引きずるように四方の観客へ手をふってまわる。

 ヒルダはさっさと退場して手当てを受けたいと思った。

 しかし完膚なきまでの惨敗をさらし、それでもなお敗者にまで注がれ続ける声援を存分に浴びて、剣闘士としての自分が死にきった時間をかみしめる。

 今までに見てきた仕事仲間……不意に首を刺されて死んだ者、うっかり足をすべらせて斬られた者、試合場でもない寝床で深手に苦しみ続けて亡くなった者……そんな者たちと比べたら、あまりにも贅沢な終焉だった。

 そっとタヌムの肩をたたいて、次代を担う者の心づかいに感謝する。



 ヒルダの引退試合は初日でありながら最終日のごとく盛り上がり、見事に話題を『男剣闘士の壊滅』から『赤虎の台頭』へ塗りかえた。

 翌日以降は前評判ほどは盛り上がらない試合が続いたものの、全体としての売り上げは壊滅的な落ちこみを回避する。


 この月の競技祭は、栄光と凋落の分岐点になった。

 男剣闘士はまだ中堅以下が半数以上は残っていたし、好試合が多かったにも関わらず、人気は急落をはじめる。

 それに対してタヌムを筆頭とした質の高い女剣闘士たちの試合が『地獄の島』の特色として広まりはじめる。


 女剣闘士の中でも、不調の続いていた『舞姫スール』はまたも早すぎる降参で観客を落胆させ、それまでは復調を期待していた支持者も見限る者が急増し、賭け札は暴落をはじめる。


 上位陣に連勝していた『名無しのアンナ』は、まだ謎の多い新人『からすのブレイロ』と組まされた。

 ブレイロは無敗の連勝を続けていたが、同じ新人や下位選手を相手にあっさりとした決着ばかりで、実力の底は知られていない。

 俊敏さでは『舞姫スール』と互角以上とも噂される。

 武器は杖のように短い木槍のみで、金属の穂先はついていない。

 アンナは慎重に、広い間合で牽制したが、ブレイロはそれまでの試合とは異なり、守りを固めてさがってしまう。


「いやそんな、あっしも攻撃してもらえなけりゃ、降参したくたってできねえから困り……」


 ブレイロのまとっていた黒いボロきれが大きくひるがえる。

 アンナは直感的に大きくさがったが、舞い広がっていた砂埃が片目に入ってしまった。

 さらに槍の一閃を両拳の刃でしのいだ直後、右脚にしびれるような熱さが爆ぜ、かすかに「降参」とうめく。

 倒れて動けなくなり、片手を高く上げて制止を懇願した。

 追撃は止められ、ブレイロの冷徹なガラガラ声が降ってくる。


「目つぶしをまともにくらう程度の腕であれば、もっと軽く済ませてやれたが……早く鍛えすぎたな」


 審判が決着を宣言し、アンナは息を乱して汗まみれになり、震えが止まらず、担架が来る前にかろうじて、動かせない右脚を自分で確認する。

 蹴りこまれて砕かれた膝は、不自然な方向へ曲がっていた。

 足さばきをつなぐ『膝』は、故障すれば武芸者としての生命を断たれたに等しい。

 将来を失った恐怖と激痛に、長い悲鳴が響いた。




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