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第二話 恋ならば紅く染めて 三


 予定されていた全試合を終えるころには日暮れが近づき、賞金の授与が行われる。

 衛兵が囲み、要人も居並ぶ貴賓席へ、灰色髪の少女は巨剣をかついだまま進み出て、そっと玉座へ片膝をつく。

 来賓のドネブ大臣は『地獄の島』の儀礼様式にまだ慣れない。

 勝者を讃えるためとはいえ『人殺し職人』である剣闘奴隷を武装させたまま、ほんの数歩の間近で謁見を許すなど、無用心に過ぎる。

 しかしそれらをいちいち聞きとがめる気もしない。

 衛兵たちのすぐ背後で、剣闘士の群れが立ち見している光景よりは理解できた。

 そもそもこの儀礼の最中でさえ、領主の膝にもたれて寝そべる裸同然の女もまた剣闘奴隷だった。


「さてグレース。もはや貴様は負債を返し終え、自由の身となったが……」


 領主フマイヤはやせこけた体をそわそわとゆすり、にこやかに語りかける。


「あの……」


 グレースは深く頭を下げたまま、遠慮がちな小声を出す。


「んん~!?」


 包帯男は大きく目をむいて身を乗り出し、続きをせっつく。


「報酬の代わりに、試合を……」


 少女はたどたどしく声を出し、そろそろと上目づかいに見る。

 フマイヤは口を大きく開いた笑顔になり、その膝へ寄りかかる黒髪褐色肌の美女は無表情にグレースを見下ろす。


「それは『ヘルガとの試合』か!?」


 じれたように声が大きくなる。

 グレースはひと呼吸をおいて、弱々しくほほえむ。


「……はい……」


「ふっふ! 実のところ、そうきてくれるのを期待していたのだがな!?」


 フマイヤはどっかりと座りなおし、味わうようにうなずく。


「誰が見てもわかるっての」


 アイシャが衛兵の背後に隠れて小声を出し、両隣にいる巨体女プレタとやせぎす女コルノは顔をそむける。

 酔っぱらい女の盾に使われている衛兵男もわずかに眉をひそめるだけで、振り向こうとはしなかった。


「おっと、追加試合の報酬はなにか考えているのか? 『領主の座』はそう安売りするわけにもいかないが……『完全なるジーナ』ほどではなくても、かなりの戦績ではある」


 フマイヤは親身に話していたが、グレースの視線はヘルガの青い瞳に吸い寄せられていた。


「不公平な出し渋りは『約束』にも反する。私が断れる要求はそうそうないはずだが……?」


 フマイヤが言葉をきった時、グレースはふたたび床を見つめていた。

 しばらくはくちびるだけ動かし、だんだんと耳を赤くして、やがてどうにか声をしぼり出す。


「……ください」


 場の一同がきょとんと見守り、フマイヤも無表情に言葉の続きを待つ。


「ヘルガさんを」


 一同が静まり返り、視線は遠慮がちに玉座へ集まる。

 肘かけを握りしめる指が震えていた。


「ぬ……くっ…………!?」


 全身包帯のやせこけた男は歯を食いしばり、ひれ伏す少女の灰色髪を凝視する。


「領主の座を賭けた時よりも動揺するって、下で働く身としちゃどうよ?」


「聞くな」


 衛兵は目を伏せ、背後の酔っぱらいのささやきに耐える。

 グレースはふたたび、おそるおそる見上げた。

 ヘルガはまだじっと見下ろしていた。少し驚いたような顔をしていた。

 その目がゆっくりと細くなって、ほほえみかけてくる。

 グレースは大きく息をのみ、意識を根こそぎ奪われていた。

 痛むように胸を抑え、ぎこちなくほほえみ返そうとする。


「ぐ……く!? よ、よかろう……約束……『約束』を…………しよう!」


 領主は凝視を天井へ向けたまま、うわごとのように宣言した。

 ほほえんで見つめ合うふたりの女剣闘士に聞こえている様子はない。


「あの三人のどれでもいいから水ぶっかけてこい。酒樽ひとつやるから」


「オレまだ死にたくないんで」


「死ななくても関わりたくないっす」


 衛兵は背後の女奴隷たちの小声を聞かされながら、つらそうに肩を落とす。


「ではさっそく予定を組ませていただきます」


 領主の側近だけが仮面のような笑顔で指示をはじめた。



 報酬の授与も終わると、剣闘士の多くは闘技場の内部にある宿舎牢の区画へ帰る。

 立ち番の衛兵が細かく配置され、あちこちに木製の格子もはまっているが、日没まではそのほとんどが開け放たれている。閉じていても顔を確認するだけで通された。

 内部の通路は狭く、その多くは広げた両腕ほどしかない。

 大柄な『熊のプレタ』は衛兵とすれ違う際にも気をつかった。

 ふとふり返り、ぎょっとする。

 すぐ後ろに巨剣をかついだ『恋するグレース』がついてきていた。


「見た目なら大陸の闘技場にも負けてないのに、なんでこんなに壁が厚いんだろ?」


「建てたんじゃなくて彫ったもので、材質がもろいらしい……です」


「そんな態度はやめてくださいよプレタさん! いろいろ教えてもらった先輩なのに……最近みんな、急によそよそしくないですか?」


 プレタの体に隠れて見えなかったコルノが顔を出し、億劫おっくうそうに眉をひそめる。


「ここじゃ腕がすべてだからな。実力者の機嫌とりだって戦いの内だ」


 分岐路や階段の手前は小部屋になっていて、場所によっては立ち番だけではなく長椅子や水がめ、花びんまで用意されていた。


「大陸の闘技場も知っているのか?」


 アイシャは木のわんで水をがぶがぶと飲み、グレースは花の香りを味わう。


「傭兵団が壊滅してから、ちょっとだけ。すぐにこっちへ引き抜かれたけど……それまでの扱いはさんざんだったな」


「それで女好きになったのか?」


「たまたま気の合う相手に女の子が多いだけで……」


 グレースの困り顔は嬉しそうでもある。


「アタシはろくな男がいない時の代りだけだな? やっぱ、ついてるもんついてねーと物足りねーし」


 アイシャはふたたび酒をあおりながら立ち番の男たちを見比べ、いくらか顔と体格のいい若者へ鼻先を近づけてからかう。


「男の子みたいに育ったせいか、傭兵団では女あつかいされなくて。父さんが怖い団長だったから、手を出しにくいのもあったかな? だから最初に『そういう』仲になったのは、自分から剣を持ちたがる変わった女の子で……」


 その少女は戦争の略奪で乱暴され、男を嫌い、剣にのめりこんだ。

 しかし傭兵団へ誘い入れて剣技も教えたグレースにだけは笑顔を見せた。

 そしてだんだんと、ほかのことも寝床で教え合うようになる。


「戦場で死にかけた時に思ったよ。『こんなやつに殺されるくらいなら、あの子に殺されたい』って」


 グレースは墓石のような巨剣を前に立て、遠い目をする。


「だからあの子が助からない傷で苦しんでいた時、わたしの手で楽にしてあげたんだ。人を殺すこと、仲間が殺されることには慣れていたつもりだったけど……大事な人を自分の手で殺すなんて、はじめてで……」


 年若い衛兵がつらそうにうつむく。

 プレタとコルノ、年配の衛兵は無表情に花だけ見ていた。


「ふーん……」


 アイシャは暗い笑みを浮かべ、グレースの赤らむ頬を盗み見ていた。


「……そんで『ヘルガさんをください』ってさあ、ナニをどうするわけ?」


 アイシャは急に明るい声で下品な手つきを見せる。


「そ、それは…………よくわかんないですけど……たぶん……」


「たぶん~?」


 大きく首をかしげて急かす。


「アイシャさんが考えているようなこととは、違います!」


 グレースは困り顔を石板に隠し、通路へ逃げこむ。


「へえ? アタシでも考えつかねえほど、すげえことやっちまう気か……げ」


 灰色髪が、褐色肌の豊かな胸に押しつけられていた。

 グレースはあわてて離れたが、ヘルガは無表情に見下ろしている。


「あ、あの……領主様の前では、あんな風に言っちゃいましたけど、その……もう一度、ちゃんと戦いたいだけで……」


 狭い通路をふさいで見つめ合いながら、グレースはゆっくり息を整える。


「もし勝てたら、わたしのこと、ちゃんと認めてほしくて……」


 話すと急に息が乱れた。


「ヘルガ……さんは、本当に強くて……すごい綺麗で、ステキだと……」


 青い瞳はぼんやりと見つめるだけだった。


「あ、あの…………ヘルガさん?」


 ヘルガはようやくにっこりほほえむと、腕をからめてくちびるを深く吸う。


「ん!? ……ふ……!?」


 グレースは目を閉じることもできないまま、眉をしかめて耳まで赤くした。

 音をたてて舌をからみとられ、腕から力が抜け落ちる。


「んう……!」


 強く目をつぶり、短い悲鳴。

 指がさらさらと灰色髪や背を這い回ると、肩は何度も震えた。


「んん……んんー!」



 若い衛兵が壁をかきむしるように耐え、アイシャは同情して肩をたたく。


「あのバカバケども。人様の帰り道をふさいでなにしてやがる……」


「バカバケ?」


「バカモノおよびバケモノ?」


 プレタとコルノもげんなりした顔で水をすすり、時間をつぶしていた。


「ま、アタシがあおる必要もなくなったか」


 アイシャがちらと冷めた目を見せる。


「あおるって……?」


「あんなんで、まともにやり合えるんすか?」


 アイシャは暗い笑顔で子分ふたりの背をたたき、いっしょに通路を引き返す。

 からみ合うふたりと、困惑する衛兵たちが置き去りにされた。



 翌日の歓声は試合開始からすぐに頂点へ達する。

 客席のプレタとコルノは思わず身を乗り出す。

 グレースは初撃を空振りした直後、ヘルガに飛び蹴りを当てていた。

 さらに超重量の武器を軸に体を引きもどしながら、石板を蹴って跳ね上げ、ヘルガの顔へ砂をたたきつける。

 大歓声が続く中、アイシャは酒壺も動かせないで目を見張る。


「ヘルガの動きは悪くねえ……」


 拳刃が巨剣にはじかれ、手首がありえない角度へ曲がった。


「……けど、グレースのやつが絶好調なんてもんじゃねえ!?」


 灰色髪の少女は頬を紅潮させ、喜色満面に灰色の瞳を輝かせ、墓石と踊り狂う。


「やべえ。本気でつぶしかた考えねえと……あるいは飼いならしかたか、飼われかた……」


 アイシャが横目に見た領主も、口を全開に愕然としていた。

 傍らの側近女まで、いつもの笑顔がない。


「開始からひと呼吸で……?」


 観客は叫び、地を這う旋風を指す。


「連撃、五段目だ!」


 ヘルガは足首から嫌な音を響かせ、長身が宙で半転する。

 不様に地面へ顔をたたきつけ、這いつくばって悶える。

 そこでようやく巨剣はうなりをゆるめ、グレースはかまえなおした。

 灰色髪の少女は自信にあふれた笑みを見せ……しかし少しずつ、とまどいが混じる。

 ヘルガは子供のように泣きうめくだけ。


「あ……あ……う」


 処刑を心待ちにする大歓声の中、プレタがつぶやく。


「そういやヘルガは、降参したことありましたっけ?」


「ない。やつは気絶や戦闘不能で負けることはあるが、降参だけはしたことがない」


 アイシャは顔を険しくゆがめ、客の誰よりもじれていた。


「じゃあ『十歩』を数える間の戦闘不能で『捕獲勝利』が確定か?」


 コルノの見下ろす先、試合場の端にいる審判役は大股に歩き、五歩目を刻んで見せていた。

 しかしボロ着の中年女はくり返し貴賓席へ顔を向けている。


「ブレイロさん、なにを領主に確認してんだ?」


「『愛しのヘルガ』を助けたいなら、勝利の確定を早めろってことだろ?」


 プレタとコルノは小声で話す。アイシャは露骨にいらだっていた。


「ちがう。ブレイロのおばはんは、ヘルガが本当に『戦闘不能』か迷っている」


「そんなの、もう決まって……」


「というか確定を遅らせたら、処刑をうながすようなもんじゃないですか?」


「限度を知らねえヘンタイだからな」


 玉座の包帯男は肘かけを握りしめて震え、熱病のごとくうめき続ける。


「応えねば……貴様も、私も。グレースに……領民に! それが領主で、それが『愛しのヘルガ』であれば、さらなる熱狂を、この祭壇へ!」


 歯ぎしりを響かせ、血もにじまんばかりに双眸そうぼういて見守る。

 審判役は十歩を超えても決着の宣言を告げず、観客もざわめきを強める。



 グレースも巨剣をかまえたまま、とまどった顔で見下ろしていた。


「……ちがう」


 血臭が深まる中、虚ろな笑みを浮かべる。


「ちゃんと『わたしのもの』にしなくちゃ」


 這いずる黒髪を見つめ、長大な処刑道具を持ち上げる。

 それに応えて、ヘルガも片手片足で立ち上がった。


「う……う」


 黒髪褐色肌の美女は手足の痛みにうめきながら、体を前のめりに大きく倒し、攻撃らしき姿勢をとる。 

 折れた手首で、刃の向きも定まらないまま殴りかかり、拳は石板にはじき上げられ、指まで真逆に折れ曲がる。

 女性客が悲鳴を上げて目をそむけた。

 処刑を待ちわびていた男性客まで息をつまらせ、声がしぼみはじめる。


「無茶苦茶だ……もうグレースが素手でも勝ち目はないだろうに」


「なんでまだ降参しない?」


 ヘルガはなおも片足で跳ぶ。

 笑う灰色髪の少女は巨剣を二撃目へ導く。


「うれしい……わたしも、もっとヘルガさんに深く、深く……!」


 両手が擦り切れるほどに素早くすべらせ、より小さく速く刀身を旋回させて、詰められた距離に対応する。

 ヘルガにまだ残っていた片腕と、その下のあばら骨がほぼ同時にバキリと鳴り、全身が小さく横へ跳ねた。

 勝負の決定打、あるいは即死……観衆は奇妙な喪失感をおぼえ、灰色の瞳は淫蕩に潤む。

 しかしヘルガは、さらに地面を蹴った。

 多くの剣闘試合を観てきたフマイヤとマリネラも驚愕し、灰色の瞳はさらなる喜悦に輝く。


「すごい……やっぱりヘルガさんは、すっごく……」


 ヘルガはひしゃげた両腕、引きずる片足で肩からぶつかり、もつれ合って倒れこんだ。

 観衆も最後の悪あがきには驚いていた。

 しかしもはや殴り合いにもならない……グレースによる一方的な処刑だけが待っている……そう確信していた静寂は少しずつどよめきに変わる。

 誰もが試合場を凝視しながら、その光景を理解できないでいた。


 ヘルガは自分の折れた手を口にくわえていた。

 その先の拳刃はグレースの首に埋まっていた。

 灰色髪の少女は天を仰ぎ、うつろな目でほほえんでいる。

 その口はかすかに動き続けている。


「くちびるを読めるか?」


 領主の要請で側近は細い目をさらにこらす。


「同じ言葉をくり返しているようですね……おそらく……」


 ヘルガは自分の手から口をはなすと、這いずってグレースと額をくっつける。

 優しくほほえみ、少女のくちびるの動きを見つめていた。


『ス・テ・キ』


『ス・テ・キ』






(『恋ならば紅く染めて』おわり)






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