第十話 邪神の慈悲 十一 師弟交接
時代や地域によって貴族と平民と奴隷、それに男女や異国人の扱いは大きく異なる。
多様な出自の者が出入りする『地獄の島』では、まず異国の風習へ対する最低限の敬意が滞在の対価として求められ、島の統治もまた広い柔軟性を求められた。
『地獄の島』における『下女』は、重労働も含めた雑務を代行する女性の使用人を指す。
安宿、小役人、農家などに雇われる者たちまで広く含んでいた。
対して『侍女』は、高貴な女性ほど欠かせない着飾りや作法教養などを中心とした補佐役を指す。
その多くは貴人やそれに近い身分の出自で、王妃の相談役や王女の指導役といった要職も含んでいる呼称だった。
とりわけマリネラつきの補佐役は、対外的な名目だけで侍女と呼ばれ、実質では政務や軍務を主とする女性官僚も多い。
中でもデルペネは一般的な侍女の仕事も十分にこなせたが、すでにマリネラの代行指揮も多く任されている高官だった。
マリネラが島に張り巡らせた監視網を束ねる管理職の中でも、状況に応じて柔軟に動ける権限を特に広く預けられている。
それはほかの多くの侍女よりも、暴力や謀略への対応力が高いことを意味していた。
『まだ私の顔や本性を知る人は少ないですから』
マリネラの連絡役として動きながら、特に重要な監視対象の調査なども務めていた。
しかし剣闘に関わる案件を苦手としている。
剣闘士の粗暴さはともかくも、剣闘に関わる方策に限っては、領主とマリネラの意図はつかみどころのない部分が多く、判断の指針をつけづらい。
それはマリネラも認めるところだったが『だからこそ人手を増やしたい』とも言われてしまうと、デルペネは自分なりの把握から急ぐしかなかった。
領主フマイヤの声望にらしからぬ不審を注ぎ続ける『ヘルガ』について、デルペネ自身は理解しがたく、嫌悪感を捨てる気もない。
代わりに教官ヒュグテのような、デルペネにも理解や尊敬をできる相手の見解を集めて補う。
ヘルガの生い立ちは想像を絶した。
マリネラに伴って地下牢を自身の目で見て、かえってその思いは強まる。
一部の者が『ヘルガと似ている』と評する『名無しのアンナ』については、別の理由から分析が難しい。
ヘルガとは逆に、自身のことをあらいざらい話し続けながら息をしているため、深く探ろうにも耳にこびりついたうわべの印象が邪魔をする。
デルペネ自身が見出したヘルガとの共通点は『軽薄』『不快』『不気味』くらいだったが、教官ヒュグテから『悪霊』と聞いてからは『つかみどころのなさ』そのものが彼女たち……『墓下の怪物』と『名無し』の本質にも近い気がした。
そしてアンナについては、好き嫌いはともかくも、同情しやすさではヘルガと対照的だった。
デルペネは安酒場の客引き娘がまともに生きぬく難しさをその身で知っている。
生家の油問屋は親戚にだまされて転落を続け、デルペネも身売り同然に安酒場へ出され、心身をボロボロにしていた。
理不尽にからむ酔客は日常のことだったが、特にひどい役人たちから仲間をかばった際など、遊び半分に顔を焼かれそうになる。
その暴漢たちをたたきのめすように命じ、父母にも迷惑がかからないように手をまわしてくれた恩人がマリネラだった。
最果ての孤島から来た使節は数人の屈強な護衛も連れていたが、彼らは誰ひとり動いていない。
酔った役人のとりまきも含め、十人ほどいた暴漢すべての骨を徒手空拳でへし折った激流のごとき鬼神はただ独り。
安酒場に長く寝泊りしていた、遠い東方からの旅人だった。
男装の武芸者は『地獄の島』にふさわしい逸材として居場所をつきとめられて勧誘される。
腕前の確認に手ごろな犠牲者たちを紹介され、一息に仕事を済ませた。
うめき転がる男たちには一瞥もくれず、笑顔で淡々と契約を話し合うふたり。
デルペネはほんの少し前まで自分が泣き叫んでいたことも、下衆の群れに対する憎悪や激昂すらも忘れていた。
多少は使える読み書きと算術を売りこみ、恩人の指示であればいつでも「今すぐでも」自身の顔を焼く決意まで伝えた。
かくて『悪魔公』の腹心は、人柄と覚悟も含めた『能力』に対し、即座に相応の待遇を示す。
マリネラつきの下女になったデルペネは旅先での働きぶりを認められ、帰りの船が『地獄の島』へ着くなり侍女見習いにとりたてられ、特に目をかけられて忙しく連れまわされた。
同じ日に島へ降り立った教官アンレイは、さらに異様な信頼を受けていた。
デルペネはふたりの仲について、出会う段階から見聞きしている。
会話は少なく、市場での取引みたいな言葉ばかり交わしながら、からみ合う視線は当初から姉妹か、それ以上の間柄がにおっていた。
デルペネにとってアンレイは、マリネラの指示とはいえ直接に助けてくれた恩人にあたる。
それでもデルペネはアンレイを警戒し、恐れていた。
マリネラはアンレイに剣闘士の訓練指導を任せきっているし、自身の訓練にも重用している。
アンレイは雇い主に対しても、追いつめぶりが容赦ない。
そしてアンレイは、良くも悪くも武芸しかなかった。
武芸は本来、武人として軍を鍛え、功績を挙げるための技術で、それでなくとも護身や治安のために、それにふさわしい縁者や人格者を選んで伝えるべきだった。
アンレイは相手を選ばない。
剣闘士に請われたら、相手に可能な範囲で最適な指導を考える。
それを理解できない者に手間ひまを割くことはないが、自身の血肉をしぼった財産である職人技術を隠す気がない。
デルペネ自身はまだ護身術を学びはじめて日も浅いが、ほかの教官に尋ねても、アンレイは指導者として異質だった。
猛者の集う『地獄の島』でさえアンレイの技巧は随一であり、大国で指導教官を務めるなり、門派を興して閉じこもり、わずかな指導に多額の報酬を求めることもできるはずだった。
しかし『地獄の島』へ来てからは相手かまわず技を投げ与え、贅沢をすることもなく質素に暮らし、自他の鍛錬ばかりに没頭している。
手段であるはずの武芸が、目的そのものになっていた。
ほかの欲が欠乏しているのか、素質を持つ相手への執着は底が見えない。
そこへわずかな歪みでも入りこめば、どこまでも歯止めがはずれかねない……そのように感じさせて、デルペネの背筋を冷やす。
しかしマリネラはなぜか、そんな危うさも承知の様子でアンレイを厚遇していた。
デルペネはヘルガ、アンナ、アンレイについて探りを入れるため、訓練場へ向かう。
自然に会話するため、訓練器材の損耗を調査する名目や、筆記具の石板なども用意しておいたが、その必要はなさそうだった。
「師匠って結局、あっしを育てて出世しようなんて少しも考えてなさそうですけど、師匠を超える武芸の鬼に仕立てて見物してみたいのですかね? それとも腕前を太らせた上で、食いごたえのでてきた首をわしわし貪るおつもりで? まあそれでも今とりあえず指導を続けてくださるっていうなら文句などありやせんし、その日が近づいてから神様にでも相談を持ちかけますけど、そんなニコニコしたまま『ちがう』とも言ってくれないあたり、それほど外れてもいない様子で、やっぱり困るなあ、も~。順番ではマリネラさんやヘルガさんのほうが先なら心の準備もできるかといえば、そうでもなさそうな……」
アンナは両小手でアンレイの木剣と打ち合っている間も話し続け、やたらと率直に本音を確認している。
デルペネの仕事は楽になりそうだったが、入念に準備してきた意気込みを返してほしい気もした。
ともかくも、立ち聞きのために器材を見回るふりをする。
デルペネはマリネラほど遠くの音は聞き取れないし、多数の声を聞き分ける集中力でも劣り、くちびるを読む技術にいたっては初歩以上に上達できる気がしない。
「……でかい金星をふたつも手に入れたら悪い運まで巡ってくる覚悟もしておくのが分相応みてえなしょぼい身の上ですけど、それで遠慮したところで関係なしにいいことも悪いこともふりかけてくるのが世間様ですから、たいがいやった後悔よりやらねえ後悔が高くつきがちなどと考えているせいで、こんなとこまで流れ着く因果になった気もするとはいえ、ヘルガさんなんかは少しばかり領主様におねだりすりゃ、お姫様みてえな贅沢三昧もできそうなもんですけど、あれはもう後悔どうこうすら考えもしねえでまっとうな暮らしをやる気がないだけというか、見世物奴隷をやる気にあふれていると言いますか、あっしよりもなにがどれだけ恵まれて、なにがどれだけ生まれつき神様にパクられてんだか、わかりゃしませんけど、師匠の都合とは斜めあさってにかみ合わねえから、そんな怖い笑顔でちらちら気にするわりに、手を合わせようとはしないんですよね? いえ失礼、手足を動かしているとつい舌も回りやすい病気みてえなもんですから、なんなら聞き流してもらえりゃありがてえというか、しゃべりすぎで見限られないものか、これでもいつもひやひやしていまして……」
「かまわない。貴方が手足での『おしゃべり』も続けている限りは、その顔を忘れないでいられる。まだ貴方の『名前』には、それほど興味を持てないとはいえ……」
めまぐるしい打ち合い稽古の間も、ふたりは笑顔らしき表情をしていた。
アンナの舌が止まり、笑顔がわずかにこわばる。
アンレイの笑っているように見えるだけの表情は、目を細めて少しだけ本当の笑みも見せた。
「……その目がよく働き、足腰とのつながりもいい間は、貴方の名をおぼえていられる」
「まーた師匠はそんな、あっしの挑発に一番よさそうないじめ文句まで探りあてて持ち出すなんて、もっと修行に身を入れろってことですかね? あっしなりに気合は出しきっていますし、そうしなけりゃ手足や首も平気でぺきぺきへし折りそうなその笑顔を前に手抜きなんか、したくたってできませんや……」
アンナの表情と声に影が濃い。
デルペネはまだ中堅以上の打ち合いになると目が追いつかないし、技量の差もつかみにくくなる。
しかしふたりが出す打音と踏みこみに、殺伐とした鋭さが増したことは感じる。
「……でもあっしにゃ才能や努力が足りないせいですかね? ありがたい指導を鬼の師匠からこれほどふんだんに頂戴しておきながら、いまだにメシさえ食えるなら『武芸なんか』いつでも捨てられそうなんですよね……」
アンナが『武芸の鬼』に対する禁句をわざわざ探って返した。
アンレイの笑顔と打突は露骨に鋭さを増し、離れていたほかの教官や剣闘士まで異変に気がついて目を向けるほどになる。
しかしデルペネは、弟子を襲う闘鬼が本心から喜んでいる気配も感じた。
アンナは木剣と拳撃に肌を裂かれ、あざに残りそうな重い足刀を受け、たびたび深く突きこまれて硬直しながら、さらに挑発的な笑顔で誘い続ける。
「……そんなできの悪い手駒でも使っていただけるなら、どうぞ念入りにかわいがってやってくださいや……」
アンナが不意に拳を的はずれに泳がせ、剛風うなるアンレイの手刀は首を破砕する直前で止められた。
意識を失っていたアンナが顔から倒れかけ、アンレイはしっかりと抱きとめる。
その顔にあふれる、人目をはばからない親愛と欲情……闘鬼アンレイの気色悪さは、その一点に集中していた。
ほかの欲が薄いというより、すべての欲が武芸を通じてしか感じられないように、自身の肉体を作り変えている。
心まで殴りゆがめて精緻に組みなおし、隙なく固めきっている。
しかしひたむきな職人精神と呼ぶには、あまりにも禍々(まがまが)しい芸術だった。
普段のアンレイは他者をつき離した表面しか見せないが、マリネラとの稽古だけは、ほかの人間の耳目も忘れてすべてをさらす。
今はアンナに対するあらゆる飢渇を見せつけてデルペネを赤面させていたが、その中に混じってようやく居場所や寝床を得たような幼い安堵まで見せていて、デルペネに言い知れぬ罪悪感をもたらした。
デルペネはマリネラにいつでも顔を焼かれていいと誓って付き従っている。
アンナは実際に、いつ折られるかもわからない首をさしだしながらアンレイに従い続けている。
マリネラはデルペネの忠誠と意欲を取り立て、厚く重用してくれていた。
しかしアンレイは今、だらしないほどアンナにしがみついてすがっていた。




