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第二話 恋ならば紅く染めて 二


 競技祭を終えた数日後。

 灰色髪の少女は闘技場の門番にほほえむ。

 巨大な石剣をかつぎ、ふたりの衛兵を連れていた。


「外出許可を買えたのか? 前の試合はたしか……」


「負けたよ。ヘルガさんに」


 門番は提示された割符を確認しながら、グレースの嬉しそうな顔を盗み見る。


「最近は勝率を上げていたし、かなり貯めていたか……武器携帯、監視二名、日没まで……よし、門限に気をつけてな」


 グレースを見送ったあとで、門番たちは顔を見合わせる。


「ヘルガ『さん』だってよ。あれほどジーナにいれあげていたのに……ここに入って最初の『仲良し』もつぶしたんだっけ?」


「そいつには墓を買って、外出のたびに花を捧げているってさ。戦場なれしたやつが薄情ってわけでもねえさ」



 島を囲む絶壁の一端。

 海が広く見える墓地でグレースは巨剣を振るった。

 花をそなえた墓石を前に、得意げにほほえむ。

 監視の若い衛兵はその技巧に驚き、その表情に魅せられた。

 年上で巨漢の衛兵は傷だらけの陰気な顔で、過去をふり返る。


 墓の下の娘は技量も容姿もグレースといい勝負だった。

 ふたりは友人以上に親しく、濃密な触れ合いを人前でも隠そうとしない。

 しかし試合では堂々と全力の勝負をくりひろげた。

 決着は悲劇となり、多くの観客が同情する。

 グレースは慕い合った者へ名誉ある死を捧げ、剣闘士の矜持を貫いた者として讃えられた。


 巨漢の衛兵はその時、勝利者グレースの護衛についている。

 審判の中年女は敗者のつぶされた胴を見下ろし、独り言のようにつぶやいていた。


「降参は聞こえていただろうに」


 グレースはなにも答えなかった。

 頬を赤らめてほほえみ、亡き骸の恐怖と苦痛にゆがんだ顔をいつまでも見つめていた。


 墓前のグレースが剣舞を終え、男の顔の傷を横目に見ていた。


「そっちの衛兵さん、剣闘士あがりでしょ? この子とわたし、いい試合をしたと思わない?」


 男は答えず、いっそう陰気に顔をしかめた。



 闘技場の裏手に隣接して、高い塀と立ち番の衛兵に囲まれた訓練場がある。

 砂地には多くの剣闘士が散り、教官や丸太などを相手に武器を振るっていた。

 壁際の日陰には独り、杖をかかえた女がローブのフードを深くかぶって座っている。


「来たか……」


 巨剣の先を向けられると、かすれた声でわずかに顔を上げた。

 小石をいくつか手でもてあそび、そのひとつを不意にはじき飛ばす。

 グレースはのけぞりながら剣を振り上げて打ち流した。

 続いてふたつ、大きく左右に小石が飛んだ。

 グレースは巨剣ごと跳び、片方を打ち上げる。

 すぐさま全身のバネで巨剣を旋回させ、もう片方もたたき落とした。

 目はすでに、さらに追加で真上へ飛ばされた小石を追っている。

 踏みこんだ足元へ、不意に杖が襲った。

 グレースは巨剣を引き寄せ、巻きつくように跳ねる。

 小さな旋回で小石を打ち返して、着地際には杖もはじき上げていた。

 教官はわずかに体をかたむけ、飛んできた小石をかわす。


「うん……また少し、よくなった」


 落ちてきた杖もとらえたあとで、ひどく咳きこんだ。

 グレースは心配してのぞきこむが、手で制される。


「大きく、重いからこそ……速い判断と、繊細な操作……」


「はい! おかげで勝ちが安定してきました!」


 教官はゆっくりと首をひねって笑う。


「どうだったんだ……『ヘルガ』は?」


 グレースはとまどい、ちぢこまってうつむく。


「いつもは大雑把な戦いをしているように見えたんですが……」


「実際、ヘルガはよく負ける。素人の新人にすら負けることがある」


「上位陣に恐れられ、歴代最強のジーナさんにも勝ったのに、なんで……?」


「わかりそうもないな……気分で手を抜くとか? 殺し合いの場で、まさかだが……クックッ!」


 笑ったあとでふたたび咳きこみ、またゆっくりと首をひねる。


「呆れているようだが……相手次第で『化ける』変わり者なら、もうひとり知っている」


 グレースはきょとんとしていたが、だんだんと頬を赤らめる。



 翌月の競技祭では、薄曇りを圧するような大歓声が満席の闘技場に響いていた。


「あいつ、少し前まで中堅でくすぶっていた選手だろ!?」


「ひと月ごとに強くなる……まるでジーナがのりうつったみてえだ!?」


 女剣闘士の並ぶ席では、厚化粧の金髪女が地団駄を踏んでいた。

 包帯を巻いた腕を肩からつるし、首にはぐったりと動かない大蛇を巻いている。


「『蛇使いドモンジョ』に続いて、格づけ九位『猛牛ザハン』まで、あっという間かよ!?」


 試合場では革鎧の大女が倒れていた。

 短い髪、太い手足、ぶ厚い胸板。

 衛兵よりもたくましい体格とつらがまえの女があばらを抑え、恐怖と驚愕で巨剣を見上げていた。


「『猛牛ザハン』の降参により、『恋するグレース』の勝利!」


「恋……?」


 ザハンとグレースが怪訝な顔で声をそろえ、審判の中年女はめんどうそうな顔をする。


「そう呼ぶ客が増えた。理由なぞ知らん」



 玉座ではフマイヤが拍子抜けしていた。


「ここまで余裕の勝利とは」


 傍らのマリネラも笑顔の眉をかすかにしかめる。


「成長の早さを考慮して、中堅でもからめ手の得意なドモンジョさん、上位陣でも手堅く安定したザハンさんを組ませてみたのですが」


 フマイヤはグレースのおとなしい笑顔を見つめる。


「物足りないなら気の毒だ……今の追加試合で、ヘルガとの負け分は埋まったか?」


「あと一回の大試合で負債は完済しますね」



 女剣闘士席の最前列では『酔っぱらいのアイシャ』が酒を浴びながら騒いでいた。


「いやあ、強いねい、グレースちゃんはぁ! も、手えつけられんわ!」


 酒壺が空になると、隣で迷惑そうにしている『いたちのコルノ』から代わりを受け取る。

 巨体の『熊のプレタ』はかついできたばかりの酒壺の束を置くなり、足元に散らばる空の壺を集めて背負い、ため息をつく。

 アイシャと肩をならべ、長い銀髪の女も盆のような大杯をあおって嬌声をあげていた。


「あらーん! アイシャちゃん、前途有望な若者はしっかりつぶしといてよーお! いちおーチャンピオンでしょーう!? いちおー!」


 そんな光景にいまだに慣れない来賓のドネブ大臣は呆れている。


「奴隷が試合中に酒盛り……大陸ではありえませんな……」


 マリネラはそれにかまう余裕もなく、忙しげに事務官と連絡をとりあっていた。



 プレタは酒壺のさらなる追加を運びながら、ふと試合場へ目をとめる。

 敗者の『猛牛ザハン』はすでに担架で運び出されていたが、審判の中年女と灰色髪の少女が残って話し合っていた。


「さすがに次まで待ったほうがよくないか?」


 歓声の中、審判女のガラガラ声は少しだけ聞き取れる。

 プレタは酒壺を置きながら、さりげなく肘でアイシャをつつく。

 ばか笑いしていたアイシャはちらとプレタを見て、その視線の先、試合場で灰色髪の少女が首をかしげてほほえんでいる姿に気がつき、そっと酒壺を置く。

 銀髪女は試合場もアイシャの挙動も見過ごした。


「今日は私も楽に勝てたことだし、ぼうやを買い占めて朝までいじくりたおしちゃおうかしら~ん? んっふふふふふふ」


 ぼんやり宙を見ながら笑っていた。


「いたたた!? 試合で熊公に打たれた腕が!?」


 アイシャは急に腕を抑えてわめく。


「なあに急に? どっちにしろ今日はもう試合なんて……」


 銀髪女はふり返って笑うが、ふと観客席の騒ぎに気がつく。


「あっという間の連勝じゃねえか!」


「疲れてるわけねえよ!」


「やらせてやれ!」


 銀髪女が切れ長の眉をわずかにひそめる。


「まさか三連戦なんてことは……」


 会場のあちこちで衛兵が忙しく走り回り、貴賓席では包帯男が頭をかかえて満面の笑み。


「ふうむ、『引退試合』になるか! ふさわしい大物といえば……」


 プレタはまわりに聞かせるような大声で騒ぐ。


「すみません姐さん! オレ、思いっきりやったんで、骨、いってますよね!? すぐ医者に見せましょう!」


「その大根芝居って、もしかして……」


 笑顔がこわばる銀髪女の肩に、背後からひたりと金色の小手が置かれる。

 ふり返ると仮面のような笑顔がのぞきこんでいた。


「今日はモニカさんが来てくださって、本当に助かりました」


 銀髪女は衛兵に囲まれて連行される。


「こらあ!? アイシャ~!? こういう貧乏クジはチャンピオン様のお仕事でしょうが~!?」


「モニカおねーたま、がんばって~ん! 生きて帰ってきてね~ん!」


 アイシャは泣き真似をしながら舌を出す。



 銀髪女が入場門から姿を見せると、客席は盛り上がった。

 細身ながら背は男の平均近くあり、グレースよりわずかに高い。

 細長い二重、整った色白顔、こなれた化粧。

 酒でほのかに染まる頬に、不本意そうな苦笑。

 袖の広い異国のローブはきれこみが深く、豊かな胸の谷間と長い脚を見せつけていた。


 ドネブ大臣は奴隷女たちのはしたない酒盛り騒ぎからは目をそむけていたが、あらためてよく見るとその美貌、見事な肢体に驚く。


「あの格好のまま……というか、あれが剣闘士? てっきり酒つぎの遊女かと」


 フマイヤはなにくわぬ顔でうなずく。


「通称『ささやくモニカ』……仮病による欠場回数と向上心の乏しさではチャンピオン『酔っぱらいのアイシャ』をもしのぐ。だが酒や男娼などの浪費はアイシャほど破滅的ではないため、不戦敗による借金も消化できている」


 およそ剣闘奴隷に対するものとは思えない解説をドネブは呆然と聞いていたが、意外な事実に気がつく。

 その表情だけでマリネラはうなずいた。


「出場試合だけで見た場合は、現役最高の勝率になります。実力ではアイシャさんより上と見るかたも多いですね」



 グレースは両手を胸元に組んではしゃぐ。


「やっぱり! 今日ならアイシャさんかモニカさんが捕まると思った!」


「ふん、わざわざチャンピオンなみの相手を引き出したか」


 審判女は貴賓席へ合図を送り、試合場の端へ向かう。

 銀髪のモニカは短刀のような武器を両手に握っていた。


「やあねえ。どうにかジーナちゃんから逃げきったばかりなのに」


「おふたりには特に警戒するよう、ジーナさんにも言われていました。ぜひ、お手合わせ願いたいと思っていたんです!」


「ね。私は勝ちたいわけじゃないからさ。ここは助け合いの精神で……」


 モニカは声をひそめてほほえむが、グレースは答えないままほほえむ。


「……だめなのお?」


「全力でぶつかることも、モニカさんへの敬意なんです」


 モニカはしどけなく長いため息をつき、男客が盛り上がった。



 開始の鐘で『ささやくモニカ』の目にも鋭さが宿り、一気に跳ねる。


「モニカの武器は『鉄針』……刃はない。『左右持ち』に加え、動きを制限する『固定』もなく、『投擲』もしやすい形状であるため、防具はあのローブのみ……アイシャ!」


「へいへい」


 主君フマイヤの要請を受け、隻眼赤毛の長身女は酒をあおりながら貴賓席の柱へしなだれかかる。


「モニカの姐さんなら投剣できる分、アタシやヘルガよりは武器の相性がいい。しかも組み技の腕はピカイチ……だけど……」


 そのモニカが踏みこめないでいた。

 グレースは素早く反応して間合いを調整し、大きな振りも見せない。


「最近のグレースちゃんはどんどん速くなっていやがるから、それらしい隙は見当たらねえ……互角か?」


 グレースは小刻みに刀身を引き寄せながら舞い、モニカをみるみる壁際へ追いこむ。


「いや、分が悪いか!? オバハン、駆け引きのうまさを活かすヒマもねえ!」


 たまりかねたように鉄針の一本が投げつけられる。

 グレースはしっかりと目でとらえていた。

 アイシャが酒壺を止め、試合の解読に集中する。


「遠くへはじいたり、かわしながら切りこむことはできるだろうが……モニカのおばちゃんなら、もうひとつなにか仕掛けそうだよな?」


 グレースはわずかに下がり、巨剣を引き寄せて盾にした。


「慎重な、いい判断だ。一本減らせるだけで十分と見るべきだ」


 ガギリと投剣がはじかれた直後、ガギリと音が続いた。


「んあ? もう残りの一本も捨てちまうのか?」


 鉄針一本でも、のどや腹に刺されば一撃で勝敗は決する。

 いかに素手の格闘が巧みでも、一本の有無で戦況には大きな差が出る。

 グレースも驚いていた。モニカは飛びこんでいる。

 二本目をあっさり手放した理由もわからないまま、巨剣を振り回すしかなかった。

 刀身の中ほどを腕で押し、加速させて振り下ろす。

 やはりモニカは跳びのくしかなかった。 


「あのまま追えば、とらえられる……」


 アイシャが予測し、グレースも踏みこんだ瞬間、その姿勢がぶれる。

 地面に刺さった鉄針を踏んで、わずかに着地を乱していた。


「二本目は狙って『はじかせて』いたか! さすがオバチャン! 組みつけば勝ちだ!」


 巨剣は長さ重さを活かした乱舞で押しこんでこそ。

 ひとたび動きを乱せば、武器ではなく足かせに成り下がる。

 つかめる間合いへ入れば、鈍重な石塊にすぎない……はずだった。

 モニカに捕まる直前、グレースは柄をつかんでいた手まで放し、刀身の中ほどまですべらせる。


「やっぱり『無冠の女王』は甘くない……」


 冷や汗を噴き出しながら、喜悦の笑みも浮かべる。

 モニカは驚愕した。

 グレースが柄からすべらせた手と、刀身を押していた手。

 ふたつの拳が刀身の中央を挟んでねじられ、巨剣は小さく鋭く回転する。


「……技をつくすしかない!」


 モニカはとっさに身を引くが、グレースは倒れこむように追う。


「痛っ!?」


 剣先がモニカのすねをかすった。

 グレースは槍のように刀身の中ほどを支点にしたまま、さらなる追撃を振り上げる。



「苦しまぎれじゃねえ。密接から返す隠し芸まで準備してやがった! しかも……」


 アイシャはモニカの不自然にずれた足跡に気がつく。


「片足をやられたか」


 豪風が銀髪をかすめ、モニカが倒れる。

 起き上がろうと手をつき、顔をゆがめる。

 右の手首も巨剣にかすられ、血がにじんでいた。


「はい降参! お見事でした!」


 モニカは素早く両手をあげる。

 しかし不安そうに眉をひそめ、灰色髪の少女を見上げる。

 巨剣はまだ舞っていた。

 灰色の瞳は虚ろにほほえんでいた。


「ちょっと待っ……」


 重い爆音が響く。



 砂地へめりこんだ剣先に、ちぎれたローブ裾がかかっていた。

 モニカは片手片足だけで後転していた。

 そしてべしゃりと尻もちをつく。


「グレースちゃ~ん? 降参してもよろしいかしら~あ?」


 砂にまみれ、わざとらしい哀願の声で苦笑する。

 それでようやく、灰色髪の少女は驚いたような顔になる。


「あ。は、はい……」


 とまどいながら、あわてて審判へうなずいた。

 モニカは細く長いため息をつく。


「『ささやくモニカ』の降参により、『恋するグレース』の捕獲勝利!」


 審判女の宣言で、歓声は頂点に達した。



 グレースはモニカを助け起こす。


「すみません。『降参』は聞こえていたはずなのに……」


「ここでは、よくあることよう?」


 モニカは意味深にほほえみ、袖の内側で勝者の顔の砂ぼこりをぬぐう。


「ここはおかしな所で、おかしな人たちの吹きだまり。グレースちゃんのえにしも、おかしな運命さだめをたどってやむなし」


「縁……出会いのこと?」


「『愛しのおねえ様』のこと。今はもう、ジーナちゃんではないのでしょう?」


 グレースの顔がみるみる染まり、動きもぎこちなくなる。

 モニカは自分の顔もぬぐうと、衛兵に肩を借りて退場する。

 アイシャは門の上で待ちかまえ、酒壺を放り投げてよこした。


「ど~よ? あの嬢ちゃん、うまいことバケモノ退治やってくれそう?」


 モニカは受け取った酒を腕と足の傷へ浴びせ、残りをのどへ流しこむ。


「ど~でしょ? うまくつぶしてくれたとしても、新しいバケモノに代がわりするだけかもよ?」



 試合場の中央では少女が陶然と、そしておびえるようにほほえんでいた。


「あの人との……運命……」


 見上げる貴賓席では黒髪青目の美女が、領主の袖で顔をぬぐってほほえんでいた。




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