第八話 地獄の産声 九 異形の鍵
『灼熱のヒルダ』が訓練教官ゴフガスの首をはね飛ばした試合のあとは、長い休憩がはさまれていた。
このころは剣闘奴隷へ試合予定が伝えられることはほとんどない。
看守や訓練教官が情報を漏らすのはなにか都合がいい時か、見返りを求める意図か、ひまつぶしにからかうなどの気まぐれだった。
剣闘奴隷が収監される独房は粗末な木製寝台と藁を編んだ筵のほか、水桶と排泄用の木桶しかない。
男なみの長身で大の字になれば、あちこち手足が当たるほど狭かった。
競技の開催日には、そんな中でひたすら待機だけ命じられる。
あとは看守からうるさく言われないように注意しながら、生還者から試合結果などを聞きだすしかない。
午後になって最初の試合が終わり、牢の通路へ誰かが入って来た気配がすると、囚人たちは扉にあるのぞき窓へ急いではりつく。
縄で縛られた長身異相の女が衛兵に連れられていた。
全体にひょろりとした筋肉質で、不健康に白い肌は青筋が目立ち、額から左腕にかけて大きな青痣がある。
顔も鼻もくちびるも長細く、つきでた頬骨が肉のこけかたで余計に目立ち、眉も髪も薄くて細長い。
誰ともなく『青鬼ルネンバ』という名をささやき「ケガはないようだね」「楽勝だったの?」「相手は順からしてヘルガ?」などの小声も届く。
前後から衛兵に監視されているルネンバはかすかなうなずきだけで答える。
もっとも『青鬼ルネンバ』は元から口数の少ない話し下手で、会話が長続きする相手は隣室の『黒鬼ブムバ』くらいだった。
独房へもどるなり、壁越しにぶっきらぼうな声が話しかけてくる。
「試合は延期になったんかよ?」
「いや~、それがね、すぐに終わっちまってさ~あ」
ルネンバの声はしゃがれて妙に高く細く、本人も気にしている。
大陸にある故郷では不作で困窮した時に村ぐるみで盗賊をはじめ、地主を殺して近隣をこそこそと荒らしていた。
国につぶされた際、役人に気に入られた扱いやすそうな者たちだけが村へ残され、ほかは奴隷商に売られて間引きされた。
女は見た目が悪くなければ下女や娼婦に。そうでなければ農場へ。ルネンバだけは剣闘場へ。
壁の向こうにいる『黒鬼ブムバ』は故郷が近くて、地主が先頭に立って盗賊仕事をやらせた以外は境遇などもよく似ていた。
「おい、ヘルガのやつは前の試合で『呪術師』のババアに圧勝してんだろ? そんなに強くなってりゃ、おめえじゃ厳しくねえか?」
「そうなんだよねえ? まあ、ホドゥカは小手先に頼りすぎて不意をつかれたらしいけど。でもヘルガのやつは妙に勘がいい時もあるから、やりたくなかったんだけどね~え?」
「あの変人女、オレとやった時みてえな、試合中によそ見でもしたんか?」
「ひどいもんだった。アタシは様子見で軽く蹴っただけなのに、シロウトみたいに派手に転びやがってさ~。こっちが驚くじゃないのさ~? 下手すりゃアイツ、自分が持っていた刃物で首か腹を刺していたかもね~え?」
「ひでえな。そんなので決着されたらよ、客だって試合場へ殴りこみたくならあ」
「だからアタシも、派手に飛びまわってハッタリかましてさ~。でもあの子、ちんたら起きるし、ぼけっと見ているの! どうしろっていうのさ~!? それなりの格好をつけられるように、殴りかたまで気をつかったよ~」
このころはまだ、客からの人気が剣闘士の報酬へ直接つながる制度はない。
そもそも剣闘奴隷は自身が『所有されている物品』であって、自分が使っていい財産などは持てなかった。
それでも人気があれば看守や教官の扱いはよくなるし、逆に客を減らすようなまねをすれば怒鳴られ殴られ、陰湿な虐待も受けやすくなる。
「領主さんまで様子がおかしかったしねえ? なんだかコソコソと……」
このころはまだ、貴賓席の両側は身分が高い者たちの客席だった。
領民では貴族とその身内が、領主への敬意を示すために席を多めにとる。
島へ来訪した諸侯や大商人などは権勢を示すために何十もの席を買い占め、地域色もとりどりに敷きものや日よけを設営し、並べた酒肴や遊女を見せびらかしながら、ゆったりと観戦した。
『青鬼ルネンバ』の試合前には、それらの席へフマイヤがまぎれていた。
頭巾で顔を覆って異国の商人になりすまし、ほかの富豪たちへ遠慮した三十人ぶんのつつましい座敷席を後方に用意させ、玉座ではない角度から客席を観察していた。
入場してきた『墓下のヘルガ』は歩きながら客席をなにげなく見渡し、フマイヤへ視線を向けたところで立ちどまる。
みっともなく負けた退場の際もフマイヤへ視線を向け、その時には笑顔も見せていた。
フマイヤは扮装を解いて玉座へもどりながら、首をかしげる。
「やはり私を見ていた。よほど目がいいらしい。しかし領主だからといって気にかけるような者にも思えないが……?」
客席を見渡すヘルガはまるきり無関心な態度だったが、フマイヤへ向ける視線は対照的で、娼婦のような媚びや挑発でもなく、親しい誰かを見つけたように優しい表情を見せた。
いっぽう護衛と領民の多くは、そんな両人の挙動に首をかしげていた。
マリネラは玉座の脇でそわそわと待ちながら、フマイヤの中で『ヘルガ』への興味が、剣闘興行の判断材料という以上に深まっているように感じた。
フマイヤが玉座へもどるなり、剣闘興行を担当する中年男の役人が腰低くすりよる。
「客席からも御覧になられるとは、丁寧な御視察に敬服いたします。観客の期待の高さもお察しいただけましたかとぞんじますが……あの……拙い試合をした『墓下のヘルガ』には懲罰を加えておきましょうか?」
「保留する」
フマイヤは顔も向けないで無表情に即答したあと、老兵ゼペルスへ視線を向けた。
「わからないことがある。あの者は『灼熱のヒルダ』が相手の時も客の期待を裏切るような試合をしたはずだが、いずれも興行にはさして影響していない様子だった」
「ヒルダが相手の時は、結果が見えていましたからなあ? それと先ほどの『青鬼ルネンバ』は弱気で慎重な選手です。腕は悪くない中堅同士でしたが、好勝負はさほど期待されていなかったのでは?」
客席は盛り上がりに欠けていながら、野次や罵声も気が抜けたように小さい。
「ふむ。すると『手を抜ける試合』かもしれないわけか……しかしそれは興行側の見方であって、自ら殺し合いの場へ立つ剣闘士が手を抜く理由にはならない……はず……?」
フマイヤが眉をひそめたように、マリネラも奇妙な符合を感じて口をはさむ。
「あえて選手の立場を無視して、興行側にとっての影響を考えますと……『呪術師ホドゥカ』との試合展開は、果たして不利益だったのでしょうか?」
剣闘試合で手を抜くようなヘルガが、一転して異常な残虐性を見せた。
獣じみた激情ではなく、幼児のごとき気まぐれでもない。
淡々と砂をつめこむ姿は、なにか明確な意志を持つ作業に見えたからこそ、いっそう凄惨だった。
「むう……番狂わせの快勝までは盛り上がっていたが、その後は見世物としても行き過ぎの蛮行……私も最初はそう考えていた。しかしあの光景は、見た者にとって忘れがたくまとわりつき、興味をかきたてる」
フマイヤ自身、剣闘について考える時間が増え、試合興行の日程も早めて観戦していた。
「それでもやはり、そのような結果を招いたからといって、あの者がそれを意図する理由はない……はず……?」
フマイヤの考察は、頭にちらつく青い瞳のほほえみで揺れ迷う。
マリネラは漠然と、フマイヤの前に広がりつつある新たな道先を感じた。
長年に渡って探し求めていた答かもしれないが、寒気とあせりをおぼえる。
地下牢に閉じこめられて育ち、売春も剣闘もいとわないヘルガ。
包帯に閉じこめられて育ち、自身の処刑もためらわないフマイヤ。
崇拝する主君へさしこむ鍵としては、あまりにおぞましく、しかし合いすぎた異形だった。




