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第八話 地獄の産声 七 雌犬崇拝


 客席は困惑のざわめきを高める。

 勝者ヘルガは衛兵たちに囲まれて連行され、試合場には『呪術師ホドゥカ』の遺体だけでなく、前試合の敗者『可憐なるアメリ』も気を失って横たわったままで、司会役を兼ねる審判ゴフガスまで倒れてうめいていた。

 不慣れな代理の司会が三人がかりで相談しあって客へ説明をはじめ、あちこちで連絡役が指示を求めて駆けまわる。


 ゴフガスは腹を刺されていながら、その図体を搬送できるだけの人手がなかなか集まらない。

 しまいには衛兵ではない、貧相な風体で鼻先の生傷へ包帯を巻きつけた男も手伝いに来る。

 ゴフガスが『ヘルガに惨殺されたフマイヤ様の忠実なる腹心』と大げさに語っていた入場係の奴隷番だった。


「おいゴフガス、もしかするとうまくいくかもしれねえぞ? あのひょろひょろ領主、ヘルガのことをしげしげと見ていやがった。ぼっちゃん育ちのわりに、化粧の下を見抜けるらしい」


 そんなことを耳打ちされても、ゴフガスはまだ自分が助かる傷かどうかもわからないのでそれどころではなかった。

 それでもつい、惜しかった気もしてくる。



 ヘルガの顔や体はかなりのもので、役人が娼婦として働かせはじめた当初から、いい値段がついた。

 疫病者を隔離する地下牢で育ったことから、金持ち連中のほとんどは避けたが、後先を考えない荒くれの船乗りや盗賊まがいの傭兵などが値段を競って吊り上げた。

 評判もまあまあよかった。

 多くは「おとなしすぎて拍子抜けした」とか「なんでも素直にきくいい女だ」とか、頭の中身などはどうだろうと、暴れでもしない限り、あの容姿で喜ばない男はそうそういない。

 しかし体以外にまでのめりこむ者たちがいた。

 それが一番ひどかった大商人の末っ子は、生まれついての奴隷売春婦『雌犬ヘルガ』を女神のように讃えて貢ぎ続け、そのヘルガに絞め殺される。


 理由はわからない。

 殺された大商人の子は使用人たちに好かれていたこともあって、悪い噂は一気に広がった。

 そのほとんどは「やはり異常な女だった」とか「抱いたせいで頭の病気をうつされてやみつきになった」とか。

 奴隷管理の役人たちは、ヘルガの売春を受けつけなくなる。

 それでもヘルガを求める客は絶えなかった。

 出征など長旅の前後には解毒剤のように乞いすがる者もいた。

 役人は悪い噂ばかり広め、人前へ出す際は顔や体を灰や煤で汚すようになった。


 領主の奴隷を見る機会が多いゴフガスも、ヘルガの素顔には目を見張るが、尾ひれではない噂も多く知っている。

 死者が出たあとでわかってきたことだが、ヘルガに鼻を殴りつぶされた者、耳をかじりとられた者、睾丸を踏みつぶされた者などがいた。

 そんなことをされた男たちに限ってなぜか、さんざん殴りつけてこらしめたり、飼い主から金銭をふんだくったりなど、当たり前の仕返しや詫びを求めない。

 狂犬にかまれた犬が病をうつされて狂犬になってしまうように、ヘルガを抱いた男たちは、以前とはなにか変わってしまうとも聞く。


 領主のかかっている奇病が男ばかりに出やすい事実もあるだけに、疫病者たちの地下牢で育った女にどのような病魔が潜んでいるか、知れたものではなかった。

 そう考えれば、包帯まみれの領主とはお似合いなのかもしれないが、もうすぐ手の届かない存在になってしまうとなると、一度は試しておけばよかった気もする。



「なあゴフガス。もしヘルガが領主の愛人にでもなったら、一度くらいは抱いておけば自慢になったのかな? ……でもヘルガの野郎、いきなり斬りつけてきやがって……いや、少し触るくらいなら病気もうつらないかと思ってよ。たまに胸を揉んだりしていたんだが、いつもヘラヘラしていたくせに、今日はいきなり……その日の機嫌だけで人様の顔へ斬りつけてくるなんざ、やっぱり頭がどうかしてやがる。まるでためらいなく振り抜きやがった。首なら死んでたところだ。やっぱり病気が頭までおかしくしてやがる。うん、あまり触らなくてよかったぜ……」


 ひどく勝手な言い分だが、ゴフガスも気持ちだけはわかる。

 理屈などはどうでも、美しいとか身分が高いとか、なにか価値がありそうなものはなんでもぶち壊すか、引きずりおろして汚したくなる。

 価値のありそうなものを自分と同じゴミクズのように扱えたら、生まれて死ぬまでゴミクズでしかいられない自分への嫌悪感が薄まる。

 自分を好きになれるわけではないが、そう思えたように錯覚できる。


 ゴフガスは戸板に乗せられて四人がかりで運ばれながら、腹の傷が急所だけはそれてくれた気もしてくる。

 それでも浅くはない。腐ってきて、あと何日も生きられないかもしれない。

 それならヘルガがいくら美しかろうと、同じようなゴミため生まれの女など無理して抱かなくてもいい。

 自分へ当然のように軽蔑の目を向け続けた『可憐なるアメリ』の誇り高さを踏みにじってから死にたい。



 ゴフガスは看守と手を組んで、役人を通さないで女剣闘士を売春させることもあった。

 しかし女剣闘士を抱きたがるような物好きは、抱いたことを自慢して言いふらしたがるし、こっそり出入りさせる世話も大変で、その後も必要になれば女を訓練中に『事故死』させる手間だってある。

 並の売春婦を買える数倍くらいの賄賂では割に合わない。

 そう説明すると客のほとんどは、その大金でまともな高級娼婦を買いに行ってしまう。


 結局は訓練教官のゴフガス自身が女剣闘士を抱いたほうが隠しやすいこともあり、それでまともな売春婦を買うのはがまんして酒代にあてることが多い。

 ゴフガスの仕事相手である剣闘士の多くは犯罪者や捕虜やさらってきた奴隷で、凶暴で反抗的な者が多い。

 その中におとなしい弱虫がいれば、いじめ遊ぶくらいは当然の気晴らしだと思っていた。

 本気で殺しにくることも多い物騒な連中を鞭と怒鳴り声で抑え続け、どうにか芸を仕込んでいるのだから、たまにはこっそり女を犯せるくらいの役得がなければやりきれない。

 中には犯されると急に怯えて扱いやすくなる女もいて、そのみじめったらしい姿は自分が育てた剣闘士の人気や栄光などより、よほど仕事の張り合いになった。


 しかし『可憐なるアメリ』は領主の側室つきだった侍女で、もしかするとまだ身内のはからいで恩赦でも出て、元の身分にもどるかもしれない。

 そうなった時に告げ口をされたら、自分は鞭を打たれて追放か、下手をすれば首を落とされかねない。

 あくまで規則どおりに扱うふりで、試合や訓練の移動前に行う身体検査をじっくりとねちねち長引かせるくらいでがまんしていた。

 それでも生真面目な『アメリお嬢様』は慣れることもできない屈辱に打ちのめされた顔になり、日ごとに心が弱っていく様子で楽しませてくれる。

 追いつめるのに便利だった『呪術師ホドゥカ』は予定外にくたばってしまったが、あと少しで『可憐なるアメリ』も自分たちの側へ引きずりこめそうだった。



 ヘルガに続いてゴフガスも去った試合場では『可憐なるアメリ』が衛兵に肩をゆすられてはね起き、あわてて周囲を見渡す。


「お前のしけた試合なら、とっくに終わっている。次のヘルガは無茶苦茶やりやがったし……やっぱりもう、この島での剣闘は終わりかもな。ほら、さっさと退場しろ」


 アメリは衛兵の手をふりはらうと、横たわるホドゥカへふらふらと近づいた。

 アメリを虐めて蹴りまわした長身の中年女は失禁して大の字になったままで、目も見開いたまま、日夜アメリへ『領主に見捨てられている』と吹きこみ続けた口にはなぜか、大量の砂がつめこまれていた。

 アメリはその顔を蹴りつけ、くりかえし踏みつけながら叫ぶ。


「なんで!? なんでこんな女に好き勝手をやらせた!? あんな男を野放しにしている!? 私が憎いなら、殺せ! 憎いからって……もっと人らしく殺せ! こんな思いをさせ続けたいほど、私が憎いか!?」


 アメリはすでに小剣をとりあげられていたことに気がつくと、亡骸へ馬乗りになって殴りはじめ、衛兵たちにとり押さえられる。


「おいアメリ! なにをやっているんだ!? そんな姿を見せたら……」


「こんな狂った見世物の片づけついでに、私まで壊して捨てたいのか!? フマイヤ様も! おじい様も!」


 暴れ続けるアメリを引きずって退場させながら、衛兵たちは奇妙に思った。

 この島での剣闘興行が終わる噂は広まっていたが、そうなった時にアメリの人脈であれば、どの囚人よりも恩赦や身代金などで釈放を期待できるはずだった。

 領主フマイヤが公正を重んじているため、謀反に加わったアメリは腹心の孫娘にも関わらず剣闘奴隷に堕ちたが、いっぽうでフマイヤは公正すぎて、自分の身を脅かされたからといって、私情で刑を重くするような行為も嫌う。

 それなのにアメリがこれほど取り乱した悪態を見せてしまえば、助命嘆願や身請けの希望者たちまで遠ざけ、まだ残っていそうな救済まで失いかねない。

 しかし衛兵たちはホドゥカがかけていたという呪術の噂と、アメリに人脈があるだけに巻き込まれる災禍を恐れ、深入りは避けた。



 寝こんでいたゴフガスはアメリの錯乱を聞いて喜ぶ。


「やった! あとひと息か!? 次の負けにでもつけこんで……」


 日が経って、次の競技祭の直前になると、腹の傷もよくなった。


「もうそれほど痛まねえし、寝てばかりもいられねえって! 競技祭の予定がまた早まって、この島での剣闘もまだまだ続きそうになってきたし……いいことは続くぜ! なあ!?」


「なあゴフガス……いいから寝ておけよ。今度の競技祭では思いきり働かせたいらしいからよ」


 入場係の奴隷番は妙な苦笑をしてなだめる。


「大声を出し続けるには、腹の力がいるからなあ!? おめえ、オレがだめになった時のために、司会の代役も練習させられているんだって!? 心配すんなって! お前みたいにひよわいやつが代わらなくても済むように、気張ってやらあ!」


 競技祭の当日になると、入場係の奴隷番はゆがんだ苦笑で目をそらした。


「なあゴフガス、すまねえな。この試合はオレが審判なんだ。領主が『灼熱のヒルダ』を訓練教官に雇いたいとか言い出してよ。それを引き受ける条件が、この試合らしい。ヒルダはケガで弱っていた時に犯されたことをうらんでいたんだ。まともな医者を呼んでほしくて断りきれなかったにしても、抱いたあとの女へ『ラクダよりひでえ』なんて言うもんじゃねえさ。今日は本当に客席まで首を飛ばせるか、試してみたいってよ……だからオレくらいに、ほどほどにしておけって言ったじゃねえか……あばよ」


 しかし試合場に立っていた『灼熱のヒルダ』は明るい笑顔で首をふった。


「お前らふたりがかりで気張りな! アタシはそれでかまわないし、そういうことで領主様とも話はついている! ……てめえもあの時、手引きしてやがったろ?」


 奴隷番の悲鳴が開始の合図となり、しばらくして二度、大歓声が巻き起こる。


「さすがに壁は越えられないか……だけど思ったよりは飛ばせるもんだ!」


 首のない胴から血を噴き出す男たちを蹴り転がし、大女『灼熱のヒルダ』が高笑いする。


「お前らを嫌っていた剣闘士連中は、これでアタシの言うことなら聞きやすくなるだろうさ……人様になにかを教えるなんて、ガラでもないけどさ」


 首だけになったゴフガスたちが『やっぱりヘルガを抱いときゃよかった』と悔いたかどうかはわからない。




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