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第八話 地獄の産声 一 奈落の幼馴染


 フマイヤは幼いころから『大劇場』の剣闘試合を見ていた。

 どうしても好きになれなかった。

 奇病を抱えた自分と父は苦心して肉体をつくろい続け、気力をふりしぼって動かし、一日ずつをどうにか乗り越えている。

 健康な肉体を粗末に扱って重傷者や死体を作り合う光景など、おぞましいばかりだった。

 主催者である父の権威を守るために同席していたが、熱狂に包まれるほど疑念は深まる。

 しかしマリネラが『地獄の島』へ来て、フマイヤは島の外も広く知るにつれて、その疑念とも向き合う必要を感じた。


「芸術の豊かな大陸の大国でさえ、あのように野蛮な見世物の人気は高く、より大規模で残虐な趣向を競っているのか……」


 フマイヤは領主を継ぐ前にも一度だけ、剣闘士の訓練を見学していた。


「格闘の技巧はまだしも、人が傷つけられ命を奪われる見世物など、私には苦痛ばかりだが……しかしそれだけに、支持を得ている理由も探っておきたい」


 そのころはまだ試合場だけが訓練の場であり、剣闘奴隷の扱いも大陸に近かった。


「領主様のご子息がいらしたぞ!」


 片足が義足のでっぷりした中年大男の教官が叫ぶと、剣闘奴隷たちはあわてて片膝をつく。

 男剣闘士が数十人、女剣闘士は十数人。

 遅れてきょろきょろしていた男は、即座に教官の鞭で打たれる。


「てめえ! なんですぐに武器を置かねえんだ!?」


 握っていた木剣が転がり、その男は平伏してからも何度か鞭で打たれ、あちこち裂けた肉から血を流して這いつくばる。


「こんな連中なんで、観覧席にいなけりゃ危ないと思いますがね? まあ、なにか起きてもオレのせいにしないでくれりゃ……」


 訓練教官はマリネラと護衛隊長の老人からにらまれて退散し、フマイヤは試合場の砂場へ踏み入る。

 剣闘士たちの鍛えこんだ古傷だらけの肉体、殺伐とした眼光、粗暴な物腰を目の前にすると、試合の時よりも痛ましさを感じた。


「ほかの労働にも使えるだろうに……島への客寄せになっているとはいえ、試合の興行は出費もかさむ。演劇などの質を高めることで代わりにはできないのか?」


 フマイヤのつぶやきに、衛兵隊長の老人は苦笑してうなずく。


「手間と時間をかけて鍛えた人材を、試合の一瞬で失いますからなあ? 命がけの戦いに興奮する気持ちはわからんでもないですが、まだしも拳闘のほうが兵隊などへ使いまわせて無駄がなさそうです」


 このころはまだ、マリネラも武芸にはそれほど詳しくない。

 フマイヤの体力でも可能な護身術を研究し、鍛錬につきあっている程度だった。


「興行を演劇にしぼれば、大がかりな舞台装置も増やせそうですね」


 試合場の壁は人が跳び上がっても手をかけられない高さがある。

 地面の近くには横に長細い通風孔が並んでいた。

 そこは重罪人と疫病の感染者が収監される地下牢で、フマイヤはつい、それらの暗闇をのぞきたくなる。

 護衛隊長の老人はやきもきとうろたえた。


「そんなに近づかないでくださいまし。疫病を抑えられるようになって、囚人はほとんど残っておりませんが、まだ汚れた風が流れ出ておるやもしれません」


 地下牢の中でも、わずかな西日しか差し込まない最悪の方角にある独房で、フマイヤは目が合う。

 漆黒の闇から、深い青色の瞳が見つめていた。

 当時はまだ、性別さえわからない。

 肌や髪の色すら判別しがたい暗さだった。

 しかしその瞳はまだ幼く、ほほえんでいたことが記憶に残る。



 フマイヤは親族を殺戮して領主となった後、対立者たちの排除と懐柔、周辺諸侯との外交、そして山積みだった内政の処理に追われて多忙を極めた。

 数年をかけて、ようやく内外の落ちつきにめどが立つ。

 剣闘興行は以前からの担当官たちに任せきりだったが、規模は少しずつ削らせ、剣闘奴隷を長持ちさせる方策なども練らせていた。

 そしてようやく、自ら再検討できる時期になる。


 大劇場の内部は貴賓席の近くに領主の執務室もあるが、かなり手狭なため、諸侯や多くの臣下と話し合う時には貴賓席や食堂、外部の政務庁舎が使われる。

 ただし大劇場の執務室は壁が厚くて侵入者も防ぎやすい構造のため、主には側近たちとの密談に使われていた。


「せめて女の剣闘試合だけでも先に見切りをつけたい。しかしこの島の規模ほどでも女剣闘士を抱えている闘技場は大陸にも少ないらしく、目当てとしている者も多いようだ」


 フマイヤとマリネラのほかには、老いた衛兵隊長だけが同席している。


「恥ずかしながら、私も最近になって剣闘の、それも女剣闘士の試合がどうにも見ないではいられなくなりまして……自分の体が衰えてしまったせいか、あるいはあの『可憐かれんなるアメリ』が、若いころの女房に似ているせいか……」


 フマイヤが幼いころから側に仕えていたゼペルスはこの数年で足腰が急に悪くなり、すでに指揮の多くは若い衛兵隊長へ譲り、自らは領主の背後を護衛できるだけの名誉職に収まっていた。


「私も以前は剣闘など重罪人の処刑か、退役した兵士へ華やかな最期を手向ける程度でよいと思っておりました。むざむざと若者をつぶしてしまうなど……まして若い娘に殺し合いなど……」


 ゼペルスは沈痛な表情を見せながらも首をひねり、それでもなお自分が剣闘を欲している理由はうまく説明できない。

 フマイヤは数年でしわまで急に深くなった老兵の顔をじっと見つめ、意気まで衰えた声音を慎重に聞いていた。


「そういえば……何年か前に試合場を見回ったが、そこからのぞける地下牢に、子供がいたような?」


 その時はただ通り過ぎたが、フマイヤは時おり思い出してはあれが何者だったのか、あるいはなにかの見間違いかと考えていた。


「それなら私も見ております。青い瞳の子供でしたな? そやつがなにか?」


 ゼペルスがうなずき、フマイヤは驚いて顔を上げる。


「そう。それがしかも、ほほえんでいたようで……」


「ええ。てっきり馬鹿にしているのかと思い、にらんで追い払ってしまいましたが……おとなげないことをしました。長く牢に入っていたせいで、とうに正気など失せていたのでしょうなあ」


 ゼペルスは顔をしわくちゃにして悲しむが、フマイヤは首をかしげる。


「ふむ……? 私はなぜか、心を見透かされたように感じたが」


「獣の顔と同じでは? 人は自分の気持ちから、その表情の意味まで想像しがちです」


 老人は苦笑するが、フマイヤは首をかしげたままだった。


「なんでしたら、本人に確かめてみましょうか? どうも言葉はわかっているようでして……」


 フマイヤは耳を疑う。


「待て。まだ生きているのか? 罪人か病人ではなかったのか?」


「いえ、捨てられていた赤子です。よりによって重罪人の公開処刑にまぎれ、誰かが置き去ったようでして……しかし奇妙なことに、あの地下牢で放っておかれながら、なんの病気にもかからないのです」


 フマイヤは目を丸くして息をつまらせる。


「待て……赤子を、そのまま……?」


「はい。先代のフラドルバ様は牢へ入れるように指示をなされただけで……その後は病状が重くなり、多忙も続いたせいか、思い出されることはなかった御様子です。しかしあれは普通の子ではありません。地下牢に長くいれば誰もが苦しむはずの虫たかりや皮膚わずらいもなく、日に一度、家畜なみの食事を放りこむだけで育ち続けたのです」


 フマイヤは口を開けて途方に暮れた。


「マリネラから様々な病気や体質については聞いていたが……およそ想像しがたい頑丈さだ」


「獣や魔物の血が混じっているとしか思えませぬ。フマイヤ様のように高貴なかたは、お目通りも避けたほうがよいやもしれませんが……」


「今はどう扱っているのだ?」


 あの『青い瞳』が実在し、それも『重病者と重罪人の地下牢』で生きながらえていたことを知ると、フマイヤに奇妙な焦燥が湧く。

 しかしその気持ちの正体は自覚しきれていない。

 興味や心配という以上に、漠然とした親近感と、言い知れぬ畏敬が忍びこんでいた。


「たしか『墓下はかしたのヘルガ』という異名で剣闘士をしております」




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