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第七話 悪魔の生誕 二


「さ、さあ、早くあちらへ。ここはマリネラ様の菜園で……」


 追いついた侍女はあわててうながす。

 庭の廊下から三人の貴婦人と、つき従う数人の侍女たちが近づいていた。

 先頭に立つ背の高い貴婦人は冷たく見下ろし、幼い子供の腕をひったくるように引き寄せる。


「マリネラ、なにをしているのです? そんなところで包帯を換えて、私の子が誤って木の実を食べるとは思わないのですか?」


 マリネラは目を伏せ、恭順を示す。


「もうしわけありません」


「そもそもなぜ、勝手な手当てをまた……それで今、夫がどれだけ苦しんでいるか、まだわからないのですか!? 分をわきまえなさい!」


 フマイヤは座ったまま、ほほえんで見上げる。


「この手当ては私が頼んだ。おかげで、ずいぶん楽になっている」


 そして幼い異母弟へ目を向ける。


「私はこの体だ。必要ならば、跡継ぎはよりふさわしい者へ譲らねばなるまい。その年であろうと、少し余計に気をつけてくれ」


「は、はい。兄上……」


 幼い顔には恐れだけでなく、嘲笑も混じっていることにフマイヤもマリネラも気がついていた。

 背の高い貴婦人は冷たい表情のまま、子を引きずるように立ち去る。


「ラポクスは利発で気が強く、身内には人望もある。身内以外とも協調できるようになれば、指導者として伸びそうだ」


 フマイヤは少ない表情で静かにつぶやく。

 マリネラはその横顔を見つめ、頬の筋肉だけで笑顔をつくろい、瞳だけに不安を宿す。

 まだふたりの貴婦人が残っていた。



 背の高い貴婦人が半数の侍女といっしょに遠ざかってから、太った貴婦人がぎこちない笑顔で会釈してくる。


「フマイヤ様は正室の長子なのですから、第二夫人の子に遠慮なさることなどありません。私の子にも兄上にはよく従うように、常日頃から言い聞かせております」


 隣でうなずいた少年はフマイヤとほとんど変わらない年だが、体格は大きくたくましい。

 顔も精悍で、笑顔は柔和だった。


「母上に言われるまでもなく、私など兄上の賢さには遠くおよばないことをわきまえております。どうか私にもお手伝いできることがありましたら、なんなりとお命じください……父はその奇病を二十歳のころに発症されたそうですが、今日にいたるまで政務をとり続けております」


 フマイヤはゆっくりと首をふる。


「どのような資質であろうと、それを使える体力が不足しては、務めにさしさわる。こと領主たるふさわしさで言えば、従うべきは私のほうに思える」


 気負いのない穏やかさで言い切られ、上の異母弟とふたりの夫人は反応が遅れた。


「そんなことはおっしゃらずに……」

 

 そろって配慮を口にしながら、太った夫人とその子は得意そうな顔を隠せず、やせた夫人は困ったようにあわてた。


「フマイヤ様が領主となられるための準備と言いますか……私の姪はまだ幼いですが、賢いと評判でして。ええと名はジョアナ……いえ、ジェーン? 何年かすれば、きっと背も伸びる体つきです。必ずや良い支えになるかと……」


 今度は太った夫人が笑顔をひきつらせて、やせた婦人をいぶかしげに見る。

 フマイヤは静かに首をふった。


「それはまだ本人が同意していない話では?」


「し、しかし誰もがフマイヤ様こそ領主にふさわしいと思っているのですから、姪もまさか断るはずなどは。胸も膨らむころには、きっと思いを寄せるように」


「この病は苦しいので、なるべく広げたくない」


 ふたりの夫人もぎこちない談笑をしながら去った。



 入れ代わりに数人の衛兵が近づいてくる。隊長格のふたりは部下たちへ槍を預けて遠ざけた。

 フマイヤは小首をかしげて苦笑する。


「今日はどうも、あわただしいな?」


「もうしわけありません。しかし領主様の病状が思わしくない今、どうか我々を身辺に置いていただきたいのです」


 若い衛兵隊長は片膝をついて懇願し、老いた衛兵隊長も続く。


「この老体では力もおよばぬやもしれませんが、なにがあろうとも、島を出る船へ乗せるまでは、命に換えてでも……」


「気持ちはありがたい。だが私が兵を引き連れて怖がらせては、かえっていさかいを広げかねない。それに私はどのような最期が待っていようと、この島で領主の子たる責任を果たしたい。父が領主でなければ、この体の手当てに必要な膨大な薬液などは買えなかったはずだ」


 フマイヤは庭からも見える巨大な施設を見上げる。

 このころはまだ『大劇場』と呼ばれることが多く、外観も大陸の闘技場には遠くおよばない粗さで、岩山の上部を大雑把にそれらしく彫っただけという、砦や牢獄にふさわしい威圧感のほうが強かった。

 フマイヤは懐かしい故郷のようにながめてほほえむ。


「疫病にかかった者は本来、焼かれるか『大劇場』の地下牢で一生を終えるならわしだ。生まれもっての病を罪とは思いたくないが、領民から集めた財貨で生かされてきた恩は足枷あしかせのように重く感じる」


 痩せた少年に染みついている覚悟が、マリネラの小さな肩を震わせた。

 手当てを終えた包帯は執拗なほど精密にたたまれ、かごの中へわずかなずれもなく重ねられる。

 若い衛兵隊長は歯がみした。


「我々はそのように義理堅いフマイヤ様にこそ仕えたいのです……第三夫人はくわせ者です。第四夫人も引きこみ、第二夫人に代わる面倒になるやもしれません。どうかご油断なきよう」


「ん……ルオントスも、あれでなかなかに欲深い。しかしそれは、政治に向く資質でもある」


 老いた衛兵隊長は進み出て声を低める。


「この老骨は、フマイヤ様のご意向とあらば『いかなること』も拒まぬことを誓っております。もし望まれるならば、幼い孫娘を生贄に捧げようとも……」


 包帯の手が言葉をさえぎる。


「不安を広げたくない。そのような気持ちは隠しておいてほしい」


 老人はあわてて姿勢を低くする。


「失礼いたしました。しかしおそれながら……フマイヤ様は以前、父君フラドルバ様の苛烈な粛清を案じておられましたが、あれとて領地の混乱を沈める手段のひとつでございます」


「そうだな。そして時には、率先して屈辱を受け入れることでも、より良い結果を得られるかもしれない。とはいえ、それに私以外の者まで巻きこまれることはない」


 老人は片膝をついたまま、頑として返事をしない。


「そう困らせるな。私自身、まだ身のふりかたには迷っている」


 その言葉に老人は顔を上げ、意外そうな表情を見せる。


「いや、ひとつ気がかりは残っているが……より安定した代がわりを望む気持ちは変わりない」


 フマイヤは珍しく歯切れ悪く、顔をそらして大劇場をふたたび見上げる。


「先ほどマリネラに教わった草花を調べに出たい。その護衛なら頼もう。ただしふたりだけだ」


 あまりにおとなびた苦笑を向けられ、衛兵隊長たちは居ずまいを正して拝命する。



 島を散策し、市場でも異国の草木などを見聞した帰り、日が暮れかけた大通りで十数人の衛兵を連れた貴族の中年男と鉢合う。


「どうした、早くどかんか! ……ん? おや、フマイヤ様でしたか。これは失礼。たったふたりの護衛では、とても領主様のご子息とは思えず」


「どうぞ叔父上がお先に」


 フマイヤは自分の護衛たちにも促して道の脇へ寄るが、中年貴族とその護衛たちは道をいっぱいにふさいだまま、ニヤニヤとしていた。

 衛兵隊長の老人はフマイヤの制する手でこらえたが、マリネラは笑顔を仮面のように固めきって進み出る。


「いえ、正室の長子であるフマイヤ様に道を譲らせては、臣下たる忠節を疑われてしまいます。さあどうぞ護衛と共に端へ寄り、膝をつき、頭を低くして道をお譲りなさってください」


 中年貴族は顔をひきつらせて赤らめ、その護衛たちにも緊張が走る。


「これは貴重なご助言、感謝いたします『下女』どの」

 

 中年男はゆがんだ嘲笑を浮かべ、そう言い捨てた。

 マリネラの顔にとまどいが浮かぶ。


「おっと、まちがえましたかな? しかし病床のフラドルバ様はたしかに言っておられましたぞ? 『あの小さな下女はどこだ』と!」


 仮面の笑顔が失われて真っ青になり、中年男は満足そうにうなずく。


「いや、フラドルバ様の思い違いであれば、お詫びせねば。そう、たしかマリネラどのは……」


「叔父上」


 フマイヤは静かに、それだけで言葉をきる。

 痩せた少年のかすかにほほえむ横顔を見て、マリネラも口端を吊り上げただけの笑顔を作り直して沈黙する。


「これは失礼しました。フマイヤ様は私の甥、ラポクスこそ次の領主にふさわしいとお考えくださっているとか。その時にはどうか後見人になっていただきたく……少々、長く引きとめてしまいました」


 中年貴族は自分の護衛を道の片側へ寄らせるふりだけして、先に通り過ぎる。

 そして遠ざかったあとで、護衛と共に大きな笑い声をあげた。

 フマイヤはそっとつぶやく。


「マリネラ。領主の子たる私の使命は、領民へ尽くすことだと思っている」


 マリネラの硬直した笑顔が、わずかにうなずく。


「はい……あのかたは傲慢な野心家ですが、要職を歴任して大きな影響力を持っております。私は……軽率な真似をしてしまいました」


 フマイヤはすぐには答えず、とりわけゆっくりとうなずいた。


「ふむ……しかし私の気がかりにも、ようやく答えが出た」



 居館の庭へもどったあとで、フマイヤは採集した植物をいくつか並べる。


「情勢を決定づける機会を見計らって、私がどちらかの弟へつけば……その後で私がどう排除されようと、島の混乱は早く収まり、この命も役割を果たせるものと思っていたが……考えなおすべきのようだ」


 マリネラは息を飲む。


「これはすべて、猛毒の……?」


「マリネラ。巻きこまれてくれるか?」


 そう告げたフマイヤの顔には憤怒も悲嘆もなく、まして欲望や愉悦などは微塵もない。

 ただ、老成しすぎた静かな苦笑には珍しく、少年らしい怯えが混じっていた。

 マリネラは真顔でひと息おいたあと、震えるくちびるで苦笑を返す。


「今夜からは講義が忙しくなりますね」


 マリネラはすでに、自分にとっての主君はフマイヤであって、今の領主フラドルバではないことを自覚していた。



 数日後。領主の居館で開かれた夜宴の出席者は次々と悶えて倒れ、衛兵たちの槍に突き刺される。

 フマイヤの上の異母弟ルオントスは這いずり、母親である第三夫人を助け起こすが、見ればすでにのどを貫かれていた。

 自らも肩口を刺されながら叫ぶ。


「兄上は私が領主に向いていると、あれほど言って……だましていたのですか!?」


「いいや。しかし私が領主を継ぐほうが、より良い結果になると思いなおした」


「兄上は、そんな野心を持つかたではない! そのように望んでいると知っていたなら、私だって領主の座はあきらめ、母を説得していました! なぜ今になって……その女のせいですか!?」


 ルオントスはフマイヤにぴったりと寄りそう小さな人影を指し、にらみつける。

 血煙くぶる地獄絵図の中、その女の笑顔はわずかほども動かない。


「兄上は、その女にそそのかされて……!」


「マリネラに責めるべき点があるとすれば、広すぎる才知と、深すぎる献身だ。この私も望外の看護と教授に恵まれ、今後の助力まで望めなければ、このような行動は起こせなかった」


 仮面のようなマリネラの笑顔が、かすかに眉をひそめて照れをこらえる。

 フマイヤが親指を下げると、若い衛兵隊長はルオントスへ槍を刺しなおし、腹を貫いた。


「ぞん……な……兄上っ……え!」


「恥じなくていい。貴様も資質は高かった。ただマリネラのほうが、はるかに上まわっていただけだ」



 フマイヤの下の異母弟ラポクスは母の第二夫人と、その弟の叔父が変色して動かなくなった姿を見下ろし、ただ震えていた。


「兄上、なぜ、このような……どうか、命だけは……」


 青ざめ、虚ろな目で小さくつぶやいていた。


「事態を収めるために、貴様の命も必要になった。その幼さには同情するが、領主の子たる務めとして……譲ってもらおう」


「早く母上の手当てを……」


 フマイヤはふたたび親指を下へ向ける。

 老いた衛兵隊長は努めて静かに、幼いラポクスの背後に立つ。

 抱えこんだ小さな首へ短刀を走らせると、動かなくなるまで待ち、そっと目を閉じさせた。


「せめて誰か、マリネラの才覚を少しでも認めていたなら……だがそのような器量を示せなかったことが、貴様たちが私より領主として劣る決め手となった」


 フマイヤは殺しつくした招待客たちへ弁明を続ける。


「理想の君主とは、臣下すべてにとって理想の奴隷であるべき……父からそのように学んではいたが、マリネラのあまりに忠実な働きぶりが、それを実感としても私に教えこんでくれた」


 マリネラは喉元まで出かかった叫びを押しとどめる。


『私の働きはすべて、フマイヤ様があまりに無私無欲に、ご自身を捧げようとなさる姿がいたたまれなくて……そして私は、その支えを務めさせていただくことで、この島での居場所に恵まれていました』


 そう告白してしまったら、フマイヤに導き手を失った孤独を与えてしまう気がした。


「マリネラの望むとおりにさせてみたい……それだけが私の気がかりだった」


 フマイヤのつぶやきで、マリネラは自身の使命を確信する。


『私の望みは、フマイヤ様にご自身のための望みを持っていただくこと』


 そう心づもりが座ってみると、凄惨な地獄絵図も自分には似つかわしい職場のように感じられ、奇妙な安堵をおぼえる。

 マリネラが自身のすべてを捧げるべき主君は、どうしようもなく『地獄』にふさわしい気品であふれていた。



 その後も多くの対立者が排除され、政情がいちおうの落ち着きを見せると、フマイヤは父フラドルバの処刑を公開する。

 その全身には奇病が広がり、汚れた包帯にまみれ、すでに正気を失っていた。


「これは島の政治を乱した暗君への罰であり、島の発展に貢献した名君への謝意でもある」


 痩せた少年は静かに宣言して、処刑人に大斧をふらせる。

 そして自らの手で淡々と遺体へ火をつけ、片膝をついて深く頭を下げる。

 その堂々として迷いのない姿に、誰もが『彼を操る黒幕』などいないことを確信した。


「私が同じ将来をたどるならば、同じ末路を願おう……いや、それを領主として最初の『約束』としよう」



 惨劇による領主の継承、その後の政策による異様な繁栄。

 マリネラは新しい領主の後見人となり、多くの要職を兼任して手腕をふるった。

 フマイヤは数年で奇病が全身へ広がり続け、痩せ続けながらも、背だけは高く伸びた。

 領民は治世を讃えたが、島外からの訪問者が揶揄する『悪魔公』の異名を否定しきれない。

 その異名が公然と、親しみすらこめて口にされはじめた時期は定かではない。


 少なくとも、黒髪青目の少女が闘技場で注目されはじめた後になる。






(『悪魔の生誕』 おわり)






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