第七話 悪魔の生誕 一
求められたすべてを惜しまずに与え続けよ。
あなたは神と讃えられ、崇められるだろう。
あるいは悪魔と罵られ、吊るされるだろう。
断崖絶壁に囲まれた『地獄の島』は岩がちで、土地からの収穫は乏しい。
中央の山頂に闘技場が彫られる前、まだ噴煙を上げていたころは、海洋部族がわずかに定住するだけだった。
彼らにとっては本島から遠く離れた支島であり、地下水の補給基地でしかない。
部族の中でも疎外されている者たちが住まわされる、流刑地じみた場所だった。
やがて大陸の小国家が、交易と引き換えに新たな住民を受け入れさせた。
罪人でありながら死刑にも奴隷にもできない貴人の身内と、その看守たちが移送され、流刑地となった。
そのころはまだ島の存在を知る者も少なく、管理者も便宜的に『流刑の島』『最果ての島』『火山の孤島』などと呼んでいた。
それを聞きつけた楽師が実態も知らないで『地獄の島』と歌ったこともある。
さらに後、本国で内乱が起き、政争に敗れた貴族と、それに従う者たちが逃げて来た。
島は人口が増えすぎ、補給も生産も足りなくなり、やがて奪い合いが激化する。
なまじ地下水だけは豊富なために、餓死までの時間を引き延ばし、抗争も凄惨に長引いた。
訪れた者、脱出できた者はそろって『地獄の島』と呼んだ。
ようやく新たな統治体制が築かれると、細々と交易らしき活動をはじめる。
その実態は奴隷貿易の中継地で、さらい集めた『商品』の扱いに不慣れなころは、しばしば疫病が蔓延した。
領民と領主までもが『地獄の島』と呼ぶようになった。
「しかしそこへ救い主が現れる……フマイヤどのにいたる三代の名君で島は激変し、いまや奴隷売買に頼らずとも豊かな交易地となり、ことフマイヤどのは……」
太った中年貴族のドネブが杯を手に熱弁を続け、大きな石卓の向かいに座る包帯男はかすかに首をかしげる。
「むずがゆいな」
「おっと、体のお加減がよろしくないようでしたら、遠慮なく……」
ドネブは領主フマイヤの苦笑で誤解に気がつき、ようやくひと息ついて、食べかけの皿へ手を伸ばす。
『悪魔公フマイヤ』の食卓には、大国の領主ですら集めがたい遠方諸国の珍味馳走がひしめいていた。
いつの間にかドネブの傍らに、子供のような背の美女が酌に来ている。
「丹念にお調べになられたのですね。とりわけ、この島にはつきものの誇張を正確に省いておられます」
フマイヤもうなずき、杯を軽く上げて賞賛した。
「この奇病の手前、諸侯とも会食ばかりは遠慮していたのだが」
「わがままをお願いしてもうしわけありません。しかし清掃や洗濯の徹底ぶりも見聞きしておりましたので」
ドネブの言うとおり、フマイヤの包帯は半日ごとに巻きなおされ、侍女たちの衣服まで儀礼へ出る王族のように白かった。
「ヘルガさんの同席までお許しいただき、ドネブ様のご理解には感謝しております」
ふたたび酌をする小さな美女も嬉しそうだった。
いつでも仮面のような笑顔だが、本当に喜んでいる時がドネブにもようやく少しわかるようになってきた。
フマイヤの隣にいる褐色肌の美女は手づかみで果物にかぶりつき、食べこぼしをまき散らしている。
「どうだヘルガ? 遠い東の国からとりよせたそうだ」
「おいふぃ」
黒髪青目の美女はほおばったまま、子供のようにほほえむ。
そのまま食べかけを領主の口へ詰め入れた。
ドネブは笑顔を保ったものの、いまだに慣れない光景ではある。
しかし今それよりも困惑しているのは、自分の隣に隻眼赤毛の酔っぱらい女が座っていることだった。
「ぷへ~え。んめー、酒も肉もべらぼうに~い……」
女剣闘士の現チャンピオン『酔っぱらいのアイシャ』は試合と同じ踊り子のように露出しすぎた格好のまま、美酒美食を好き勝手にむさぼり続けている。
そしてドネブが目を合わせてしまうと、首へどかりと腕をまわしてきた。
「なんだってアタクシ様がここにいるかというとだ?」
「う、うむ?」
気絶していれば美人にも見えそうな容姿だが、品性のかけらもなく飲み騒ぐ姿しか見ていない気がする。
「この場に『人間さま』がオッサンひとりじゃ気まずいだろうって、バケモノどもが気をつかったわけで……つあっ!?」
アイシャは不意に肩をすくめて振り向き、飛来物を首元でつかんでいた。
それは魚の干物だったが、もし短刀であれば首に刺さる位置で止まっている。
「いえいえ、おぼえておりますですよ? 『好きに話してかまいませんが、礼儀だけは気をつけてください』でしたっけ?」
いつの間にか小さな影が、アイシャの何歩か後ろに立っていた。
顔は形だけ笑っている。
「私は少し席をはずしますので、よろしくお願いします」
そのまま部屋を出て、廊下の侍女たちへなにかを言い含める。
ドネブは酔っぱらいの腕にからまれたままだった。
「アイシャどのは……情報通にして、誰にも物怖じしない。この同席も、私への隠しごとを避けるフマイヤどのの好意に思えるが。それはアイシャどのへ対する信頼でもあるはず。なぜそれほど悪しざまに……?」
ドネブは小声で苦笑しながら体を離そうとするが、酔っぱらい女は不機嫌そうに豊かな胸をグイグイ押しつけてくる。
「閣下さんもずいぶんなヘンタ……いや『風変わり』だねえ? けどアタクシはこれでも、人間のはしくれギリギリでして……でもまあ、何十人といた手下どもをまとめてぶち殺されたんじゃ、誇りもクソも海の底ですけどね~え?」
ドネブはアイシャが海賊だったことは聞いていたが、この島へ来た経緯までは知らなかった。
「んあ? 初耳だった? 『海の女帝』アイシャ様の片目を奪いやがったのは、あのちっこいほうのバケモノだぜ?」
小さな美女は先日、試合の余興で一瞬に数人の刺客を殺戮している。
「たしかに尋常ではない技量だったが……それでもバケモノよばわりはひどい」
「は~あ? オッサン、なんもわかってね~な~?」
アイシャはヘルガとフマイヤが楽しげに焼き魚を分解している姿をげんなりと横目に見ながら、ドネブへ赤毛頭をぐりぐりと押しつける。
「あの『鉄面鬼さま』は狂ったように気のまわる働き者だけどよ~、まさか『ちょっと人形くさいだけのかわいこちゃん』とか思ってんのか~?」
アイシャはまだ廊下で話している小さな人影を警戒しながら、ドネブの杯にまで口をつけ、残りをドネブの口へ押しこんでくる。
「名君と呼ばれながら壮絶にいかれ……風変わりな『悪魔公』を育てやがったのも、歴代最強『完全なるジーナ』を鍛えやがったのも、そこの『死神の落とし子』にあんな芸風を仕込みやがったのも、ぜ~んぶ、あの『もうひとりのバケモノ女』だってばよ~?」
ドネブは驚くが、言われてみると謎の多い女性だった。
「はあ……しかしそんな昔からご活躍とは、あのかたはいったい……?」
「年齢のわかりにくい外見をしているからな」
フマイヤはヘルガの口元をぬぐいながら、ボソリと口をはさむ。
「聞いてんじゃねえよ」
アイシャは小声で眉をひそめる。
「はじめて私が会ったころと、ほとんど変わらない……」
フマイヤは廊下を遠ざかる小さな白い背に、過去を重ねた。
「マリネラ」
呼べばいつでも振り向き、ほほえみを見せる。
まだフマイヤの背が追いついたばかりのころも同じだった。
まだマリネラの右腕が義手ではなく、自然な笑顔も多かったころ。
当時からよく立ち働き、いつでも下女に率先して領主の居館を清掃し、広い庭までこまやかに手を入れていた。
「今日も講義をお望みでしょうか? フマイヤ様は熱心ですね」
「ほかに楽しみもない」
フマイヤも静かなほほえみを返す。
まだ痩せかたが病的ではなく、包帯も顔や体の片側だけで、繊細そうな顔だちが見えていた。
そのころから物腰は落ち着き、あまりに早く大人びていた。
「今日は植物についてなどいかがでしょう? 生産の把握にも役立ちます」
フマイヤはうなずき、しかしそのままうつむく。
「マリネラはなんでもよく知っている。それに一度でわかるように話してくれる……」
フマイヤはマリネラが島へ来たばかりのころ、偶然に会話を聞いていた。
『おまえには早すぎる話かもしれないが、故郷で埋もれさせるには、あまりに惜しい』
『お父様、ありがとうございます。私にできる限り、この島で領主様のお役に立ちたいと思います』
「……マリネラはこの島の誰よりも賢いのに、父上はそれに気がつきもしない」
マリネラは黙ってほほえんだまま、静かにうつむく。
居館を結ぶ渡り廊下から離れ、庭はずれの木陰がふたりの居場所だった。
「領民ひとりを養うために、耕せる土地はそれほど広く必要なのか。前に聞いた貯蔵と防腐処理の施設をもっと整えなければ……だがそれも補給が途絶えれば、時間稼ぎにしかならない。やはりこの島だけで領民の暮らしを保つことは難しい。しかし島の外に頼りながら、島の政治を安定させるには……?」
「島の外から頼られることです。媚びなくとも、信頼を強固にするほど、諸侯から協力を望まれるようになります」
「なるほど……父は苛烈だが、意に沿わない相手であろうと『約束』は厳しく守り、守りがたい約束であれば、粘り強く説得してでも断っていた。信用こそが、内外をつなげて領民を守るために必要なものか」
フマイヤはうなずきながら、肩を何度か細かく動かす。
「かゆみが出てきましたか?」
近くのかごには包帯と薬液が用意してあり、下女には水を運ばせるだけで、マリネラが包帯を洗って干し、新たに巻きなおす。
「マリネラが探してくれた治療方法は正しかった。言われたとおりの看護をしていた母が亡くなって以来、父の病状は急に悪くなった。第二夫人や第三夫人が雇い入れた下女たちは疫病を恐れ、まともな代りが務まっていない」
マリネラはわずかに困った表情を見せるだけで、沈黙を保つ。
「ぞんざいに扱われて汚れの残る包帯では、かえって悪くもなる。だが下女たちは聞く耳を持たないのだろう? マリネラのせいではない」
フマイヤは腕に巻かれる包帯の白さと、丁寧に動く手指の白さをまぶしそうに見ていた。
「マリネラ。以前にも言ったことだが……」
フマイヤはそこで口をつぐみ、マリネラも顔を上げないまま手が止まる。
不意に、幼い子供の声が近づいてきた。
「あの珍しい実はなんだ? あっちの花も……」
「お待ちください! そちらの庭はいけません!」
侍女と共に、まだ数歳ほどの子供が駆けて来て、フマイヤが手当てをされている姿に気がつくと立ち止まり、あとずさる。
その体に包帯はなく、痩せてもいない。
「あ……兄上……」