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第一話 処刑場に捨てられて 三


 港に近い市場通りは、多くの出店とかがり火が並んでいた。

 ジーナは外套の頭巾を深く下げ、うつろな目でさまよう。

 酒の匂いに引き寄せられたが、酔いたいわけではない。

 古い記憶が漂っている気がするだけ。

 目にとまった小さな屋台酒屋は、三人の年配客しかいなかった。

 中年の夫婦が赤ん坊をあやしながら、ゆったりときりもりしている。


 ジーナが座ると、かごに入れられた赤ん坊がなぜかふりむき、にこにこと笑いだす。

 気恥ずかしかったが、悪い気はしない。

 しかし不意に、黒髪青目の女剣闘士を思い出す。

 ジーナとの試合を決められた時ですら、他人事のようにながめていた。

 あの奇妙な女は、なんのために殺し合っているのか。


 赤ん坊が泣き出す。


「すみません。急にむずがりだして……」


 母親が困り顔で仕事の手を止め、泣き止まない赤ん坊を抱き上げて夜道へ出る。


「いいよう。赤ん坊なんだから」


 客の老人が気さくに笑い、ジーナもそっとうなずく。


「近くに『ヘルガ』でもうろついてんじゃねえか?」


 太った中年客が苦笑する。


「やめろって。噂なんかして、本当に来ちまったら……」


 やせた中年客は真顔で嫌がる。

 ジーナは妙な言いがかりには興味を持たない。

 しかし通りへそらした視線は、長身黒髪の女を見つけてしまう。

 だらしなくはだけたローブを引きずりながら、生の芋をかじっている褐色肌の美女。

 まちがえようもなくヘルガだった。


 酒屋の中年女は気がついていない。

 赤ん坊へ優しくほほえみ、そっと頭をなでる。


「よしよし」


 ヘルガは口を開けっぱなしに、その光景を見つめた。


「いいな……それ……」


 ボソリとつぶやいた声に母親がふりむき、驚きと恐怖で足を止めてしまう。

 ジーナは抜きかけた刃を隠し、あせりを抑えて様子をうかがう。

 通りの先から大柄な衛兵たちが現れ、先頭にはやせた長身の包帯男もいた。


「探したぞ」


 領主フマイヤはなにくわぬ顔でヘルガへ声をかける。


「報酬を忘れる剣闘士など、貴様くらいのものだ」


 護衛のひとりは賞金袋をのせた盆を持っていた。


「あるいは貴様も、金の代わりに欲しいものでもあるのか?」


 ヘルガはふたたび母子へ顔を向ける。


「ひっ」


 母親が肩をすくませ、青ざめる。


「あの女か? 赤子か?」


 フマイヤは嬉しそうにヘルガの横顔をのぞきこむ。


「ぎゃああああああ!」


 泣き叫ぶ赤子を母親は隠すように抱きしめて震え、おびえきった目で見上げる。

 ヘルガは口をつぐみ、その様子をぼんやりと見ていた。

 やがて周囲の出店を見回し、色とりどりの布生地をかけた店へ目を止めると、ぽつりと指さす。


「あれ」


「……好きなだけとれ」


 包帯の隙間から、気落ちした声がもれる。

 ヘルガはうれしそうに織物をいくつも腕にからませ、たぐりよせ、吊り棒や棚をめちゃくちゃにしながら集めてまわる。

 丸めてまとめ、抱えやすい大きさの玉になると、まじまじと見つめた。

 優しくほほえみ、そっとなでる。

 振り向いて、なにかの同意を求めるように持ち上げた。

 包帯男はさびしそうな笑顔でうなずく。


 つきそっていた側近の女がうながし、母子は屋台へ逃げもどる。

 とまどう織物屋の店主には、賞金が袋ごと渡されていた。



「あいかわらずなに考えてんだか、わかりゃしねえな」


 太った中年客は斜め向かいの織物屋を盗み見ながら、おびえまじりにささやく。


「わかるわけねえよ」


 やせた中年客は嫌悪もあらわにつぶやく。


「闘技場に捨てられて、檻の中だけで育ったバケモノだ」


 ジーナの脳裏に、石造りの地下牢でほほえむ幼い褐色の少女が浮かぶ。

 母が亡くなってからの自分も、剣闘以外を選べない囚人となにが違うのか。

 父も亡くなった今は、勝ち続けても行くあてがない『死神の落とし子』となにが違うのか。

 苦そうにさかづきをかたむけても、わかりそうになかった。


「この島じゃ剣闘奴隷はやたら大事にされているが、それでも見世物を兼ねた処刑場には変わりねえ。そんな場所で育った怪物なんて……」


「次はジーナとだろ? 処刑してくれるだろうさ」


「ジーナがチャンピオンに勝てばだけどな」


「勝つに決まってら。ヘルガとふたりがかりでも、オレはジーナに賭けるね」



 ジーナの最終試合は現チャンピオン『酔っぱらいのアイシャ』へ声援が集まる。


「なにやってんだアイシャ!」


「少しはチャンピオンの意地を見せろ!」


 互いに手首を握り合い、力比べの体勢になっていた。

 アイシャが必死の形相でうめいても、握っている斧はまるで動かないまま、ジーナの剣はじわじわと喉元へせまり、やがてプツリと刃先に血玉を作る。


「ま、まいった!」


 あっけない展開だったが、決着の鐘が鳴らされると歓声は高まる。



 ジーナの顔はしらけていた。


「また、手を抜いたな?」


「まともにやったところで結果は同じだろ?」


 アイシャは悪びれる様子もなく、首をさすってヘラヘラ笑う。


「こうしたほうが余計なケガをしないで済むし……アンタにゃ、次でがんばってもらわないとね」


 ジーナが眉をひそめると、アイシャは目つきだけ真剣になる。


「あの『悪魔』とだけはやりたくねえんだ。つぶしといてよ」


 さらに声を低めてささやく。


「というか、殺す気でやらなけりゃ、アンタでも殺られるよ? 技や力じゃ格下でも、相手にしちゃまずいやつはいるんだ……冗談だと思う?」


 ひらひらと手をふって去るアイシャの背に、ジーナはかすかに苦笑する。


「見抜いていたか。いちおうはチャンピオンだけある」



 アイシャと入れちがいにフマイヤが衛兵を引き連れて試合場へ入り、歓声が大きくなる。


「知ってのとおり、ジーナはもはや自由の身! 将軍として迎えられる国も決まっている!」


 来賓でただひとり領主に同行していたドネブは客席に圧倒されながら、かろうじてジーナへ会釈を向ける。


「その上で追加試合を買って出た、その意気に応えたい!」


 フマイヤはやせこけた体で大声を張り上げ続ける。


「次の試合の報酬は! 私に可能なあらゆるものを『約束』する!」


 静寂が流れた。

 誰もが意味をはかりかね、期待をこめてジーナとフマイヤを見比べる。

 ドネブは場をなごませようと笑顔に努めた。


「あ、あまり太っ腹すぎても、困ってしまうよなあ?」


 しかし膨大な視線の中心にいる少女は冷や汗を浮かべながら、暗い笑みをひきつらせていた。


「さあジーナ……なにを望む?」


 ふり返ったフマイヤは淡々と尋ねる。


「私を、フマイヤ様の妻にしていただき……」


 ジーナの言いかけた要求に、ドネブは息を飲む。


「つまらん!」


 フマイヤの激怒がさえぎった。


「誘いにのってここまで膳立てしてやったというのに! なんだ、そのざまは!?」


 包帯の怪人は両腕を振り回し、ジーナの目をのぞきこんで絶叫を続けた。

 ドネブはもちろん、ジーナも呆然と気圧される。


「貴様をここまで押し上げた『くだらぬ意地』とは、その程度のものか!?」


 ジーナが歯ぎしりを響かせ、殺気立った笑顔をひきつらせる。

 ドネブはふたりを見比べ、ひたすらうろたえた。


「領主の座を!」


 ジーナの大喝でドネブは呼吸を忘れ、フマイヤは口を大きく開けた笑顔になる。


「『約束』しよう」



 ざわつきかけていた客席が、ふたたび静まり返った。


「……え?」


「『約束』したのか?」


「あのフマイヤ様が?」


 間をおいて、ざわめきが広がる。


「次の試合、ジーナが勝者となれば! すべての領民は、ジーナを領主とせよ!」


 フマイヤの宣言を引き金に、爆発的な大歓声が轟く。



「ご心配なく。臣下となる者の手土産が、少しばかり増えるだけです」


 ジーナはさびしそうに苦笑した。


「そ……そうかあ? しかし……」


 ドネブはまだ呆然としていた。


「いいぞお……こうあるべきなのだ……」


 フマイヤは両腕をいっぱいに広げて歓声を浴び、愉悦にひたっていた。


「ふさわしいぞお……『私のヘルガ』に…………ん?」


 フマイヤは肩ごしに背後の客席を見て、息を飲む。


「まずい……ジーナ!」


 ジーナはふりむくなり、剣を抜き放つ。

 ドネブはきょとんとしていた。

 貴賓席の衛兵が騒ぎ、試合場へ落下した褐色肌の女を指している。

 それは両拳の刃を振り上げ、突進をはじめていた。


「試合場に『ヘルガ』が入ってしまった!」


 フマイヤが叫び、ジーナは身がまえ、ドネブを背にかばう。


「閣下、おさがりください!」


 ドネブはとまどいながら、護衛たちにも押されて走り出す。


「な、なにをそんな? 獣や魔物でもあるまいし……」


「ちがうとでも!?」


 並んで走るフマイヤが喜悦にあふれた眼光で答える。

 顔の包帯の隙間に、いくつもの斬り傷が見えた。


「試合場では主君の顔でも斬り刻む! それが『ヘルガ』だ! ヒヒヒヒヒー!」


 ドネブの背後、ほんの数歩先で刃が激しくかち合い、試合開始の鐘が重なり、大歓声が追う。



 刃は互いに回りこもうと、円を描きながら火花を走らせた。

 ドネブから見て、ヘルガは意外なほど『完全なる』天才と打ち合えている。

 それでも少しずつ押しこまれ、不意に死角を奪われ、首元へ剣が振り下ろされた。

 しかしヘルガは視線を向けないまま、背後へ拳刃を突き入れてはじく。

 背にも目があるような曲芸に観衆もうめいた直後、重い蹴りが黒髪の側頭部へたたきこまれ、褐色の裸体が砂地に転がった。


「貴様の異常な勘のよさは知っている!」


 ジーナは間髪入れずに追撃し、ヘルガが跳ね起きながら振り向きざまに放った一閃も剣ではじき落とす。

 褐色の体がさらにひねられて突き出されたもう片方の拳刃も手刀ではね上げ、そのままからみつくように手首を握りとる。

 同時に、ジーナの刺突は黒髪の一房を斬り放していた。

 かろうじて首は外れたが、防いだ左腕の革小手は突き通され、鮮血を散らす。


 壁際まで逃げていたドネブはヘルガの変則的な技巧にも感心したが、それをなお冷徹に精密に追いつめるジーナの力量と気迫に絶対的な安心感をおぼえ、大観衆と共に期待で拳を握る。


「片腕を奪った! あとは間合いさえ離せば……体格と技術に加え、刃渡りの差でも圧倒できる!」


 包帯男は背を丸めて震えながら、笑いをこらえていた。


「ククッ……だが、それで終わりでは、ジーナが『かわいそう』だろう? ヘルガぁ……『受けとめて』やれ!」


 呪詛とも祝福ともつかないうめきが放たれ、ヘルガは自分の左腕を剣の根元まで突き通す。

 ジーナが驚いた時には、額へ頭突きがたたきこまれていた。

 重なって倒れこむ。

 ジーナは下になってもヘルガの右腕を握り抑えたまま、ヘルガの左腕に刺さっている剣をかきまわす。


「うああああああ!」


 ヘルガは馬乗りになった体をのけぞらせ、耐える気のない絶叫をあげる。

 直後、ジーナの額へ、ふたたび頭突きが打ちつけられていた。


「な……!?」


 視界がぐらつき、当惑する顔に血がつたう。

 ヘルガはみもふたもなく泣きわめく。

 しかし激痛から体を離そうとするどころか、頭骨と頭骨の激突を執拗にくり返した。

 ジーナは意識が遠のきかけて耳鳴りもひどかったが、歯をくいしばり、あごをひいて、顔面への直撃だけは避けていた。

 体勢を変えようとした一瞬。

 飛び散りすぎた鮮血が、ジーナの指をすべらせる。

 解き放たれた拳刃が、白い脇腹へ突き立った。


「あ……うあ!?」


 観客が静まりかえる。

 白い長身が跳ね、赤い腕がふたたび、みたび、刺しなおされる。



 ジーナのかすむ視界に、過去の幻影が浮かぶ。

 自分がまだ、周囲の誰よりも低い背だったころ。

 自分よりもはるかに大きな女性に抱き上げられ、優しくほほえみかけられていたころ。


「おかあ……さ……ま……」


 ひと筋の涙と、かすかな悲鳴がしぼりだされた。

 ヘルガは動きを止めて見つめる。

 そして息もきれぎれに、互いの刃を引き抜いた。

 血にまみれた両腕をのばして、色白顔を褐色の胸へ引き寄せる。

 観客は声を失ったまま、その光景を目撃した。


「よしよし」


 青い瞳は優しくほほえみ、抱きしめた金色髪をそっとなでる。


 静寂が支配する。

 ただひとりの奇声が響いた。


「フホホホホホホ! ハヒヒヒヒヒヒヒ!」


 やせこけた包帯男だけが立ち上がって身をよじり、苦しげに涙まで浮かべ、笑い狂っていた。


「やはり貴様しか……私の妻にはなれぬ! ヘルガ! ヘルガあああ!」


 かすかにこぼれだした客席のざわめきは、すぐに怒号と悲鳴の爆発と化す。

 もはやひとりひとりの嘆きや怨嗟などは聞きとれない。

 むきだしの憎悪が嵐と渦巻く。


 その中心で『愛しのヘルガ』はジーナを抱きしめ、優しくほほえんでいた。 






(『処刑場に捨てられて』おわり)






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