第五話 罪深き純真 三
「なあマリネラさん。オレみたいなブサイクが、領主の寝床へ呼んでほしいなんて言えねえけどさ。もう少し……なんとかできねえかな?」
「と、言いますと?」
「黒髪青目といつもやってるような、食事とか……その……」
「この闘技場の勝利報酬に、限度はありませんよ?」
「いや、それ以上はいいんだ。でも少しでいいから、髪をなで……肩……に……」
傷だらけの顔は息を詰まらせ、歯ぎしりをしながらボタボタと涙を落とす。
石壁へ頭を打ちつけ、額の血までも流す。
「オレ……身のほど知らずなこと、考えちまったかな?」
「軽蔑と真逆のお気持ちはお察しいたします」
いつも仮面のような笑顔のマリネラが、そっと思い悩む表情を見せていた。
およそ一ヵ月後の競技祭前日。
宿舎牢の区画でも、正面玄関に近い格子門からは賭け札を販売する受付が見えた。
試合組みを探るために、各派閥の使い走りや無派閥の剣闘士が集まっている。
「上位陣とあたるって聞いていたから、期待していたんだが……」
腕や脚が太くて傷だらけの『始末屋ボリス』は肩を落とす。
「ミランダなら上位陣だろ? まあ、人を刻むのが趣味のやつと当たるのは災難だが」
小柄な『鼬のコルノ』は目をこらし、組み合わせを頭に入れる。
「傷は別に……ミランダは凄腕だから、見ばえのいい傷をつけてくれそうだし……青目はルドンと決まりか」
「そんなに上とやりたがるなんて、でかい借金でも作ったのか?」
「いや、まあ……勝ちがいるんだよ」
「小剣使い『八つ裂きミランダ』対、拳闘使い『始末屋ボリス』!」
午後の試合も終りに近い一戦。
上位陣同士ではないが、客は盛り上がっていた。
ミランダは男と変わらない長身をピッタリした黒革で包み、女性的な脂肪のラインも見えるが、鍛えたしまりかたをしている。
短い黒髪をかっちりと後ろへまとめ、眉と目と鼻とくちびるのすべてが細く鋭い。
「へえ? 『始末屋』もようやく人気がでてきたらしいね。ここんとこ稼いでいるんだろ? そろそろ勝ち星を吐き出してもいいころじゃないか?」
ミランダは余裕のある笑みで、スルスルと小剣をふり回してもてあそぶ。
客席にいる時は寡黙で表情も少ないが、獲物を前にすれば別だった。
「はじめから腕ずくで奪うつもりの上位陣『ミランダ』様に気づかいなんて、失礼じゃねえか」
ボリスは陰気にニヤニヤと、いかつい拳防具を打ち合わせてかまえる。
「ヒッヒ! よくわかってるね。褒美に派手な化粧で飾ってやるよ!」
「あー、あんたの斬り傷は本当にきれいだ。オレは傷までブサイクだから、少しはかっこつくように……」
ボリスの言葉の途中で開始の鐘が鳴らされる。
笑うミランダが一気に間合いを詰め、急角度で横へ回りこみ、刃を閃めかせて最初の赤い一滴を奪うまでがひと呼吸。
「体格も腕前もかなりのもんで、血を見るのが大好きで、女としての見た目もなかなか……あんた本当、女剣闘士の見本みたいなやつだよ」
ボリスは首をすくめてニヤつき、かまえた両腕をズタズタに裂かれながら、大きく跳びさがって耐える。
「殺し合う相手をブツブツ褒めるおまえも酔狂だけどね! 男どもが泣き叫ぶ傷で笑っていられるんだから、獲物としちゃ、上等!」
ボリスの反応がわずかでも遅れると、腹に耳に、鋭い斬り傷が走った。
「あんたに期待されるほど、もたねえよ。歴代最強『ジーナ』お嬢ちゃんの顔にまで、でかい傷をつけた刃物上手だ……足りねえのは面白味くらいのもんか?」
「おまえは本当に、余計なことを言う才能はたいしたもんだ!」
「だからどこでもうまくいかない。いや、どこでもうまくいかないから、こんなクセがついちまったのかな?」
ボリスは子供のころに牛馬と同じか、それよりやや下のあつかいをされた。
牛馬よりは器用だが、牛馬ほどの力はない。元々の見てくれが悪い。
農場労働でゴツゴツした筋肉までつき、うっかり馬に蹴られた目元には蹄のあとがつき、人買いも『女としてはどうにもならん』とひと目で言い捨てた。
ろくに人と話したことがない。
作業を命令する怒鳴り声には従ったが、それ以外の話をされても返事の仕方がわからない。
新しい作業をおぼえるのが、誰よりも遅かった。
母親は娼婦らしいが、ほとんど記憶にない。
まちがえて自分を身ごもったが、羽振りのよい時だったので、産み育てる気になったらしい。
しかし売春宿の主人が金を持って逃げ、働きづめになって早死にした。
朝早くや夜遅く、食い残しを持ってきては姿を消すだけの親。
好きでも嫌いでもない。
草むしりを手伝える年まで育てられたから、感謝はしている。
ものおぼえの悪さで、大人の女と同じ細かい作業には入れず、男と同じ力作業をした。
胸がふくらみはじめても筋肉と薄汚い服に埋もれ、女と思われることはなかった。
女拳闘の興行が来て、挑戦者を大金で募集しても、農場主がボリスの性別を思い出したのは翌日だった。
拳闘試合に出されたボリスはなにもできないまま負けたが、悲鳴も上げずに何度か立ち上がろうとした。
その頑丈さと我慢強さに興行主は目をつけ、農場主も大げさに売りこむ。
女には見えにくいが、薄着になれば胸だけは大きく、かませ犬の負け役に向いていた。
腕を振り回し、殴られるだけ。
やたら痛い思いをする仕事だったが、食事の量は増えた。
試合以外の雑用はおぼえが悪かったので、試合の穴埋めは進んで引きうけた。
それだけで食事も休憩も増えた。
たまに人が死ぬし、うっかり看板女にアザをつけると余計に殴られたが、少しずつ要領をおぼえ、痛みにも慣れていった。
自分が嫌われ、蔑まれるほどに興行は盛り上がり、稼ぎになる。
異名となった『狂犬』の真似がうまくなるほど、客も興行仲間も喜ぶ。
しかし不作と戦争でどの町にも余裕がなくなると、興行は行き詰った。
看板女はいつもより安く体を売ればそれなりにしのげたが、ボリスは興行仲間に誘われ、男を装って傭兵業に加わる。
兵役は未経験だったが、腕の太さから荷押しに雇われた。
しかし『女のような』胸をからかわれてからまれ、軽くやり返したつもりが、数人を瞬く間に地面へ這わせてしまう。
前線の突撃部隊に歓迎された。
そこではわけのわからない待遇を受けた。
食いきれないほどの食事をふるまわれ、武器や防具まで貸してもらえた。
時には丸一日とか、不安になるほど長い休憩をもらえた。
女であることがばれて平謝りしたが、笑い話で済ませてもらえた。
仲間はちらほら、時にはばたばたと死んだが、よく稼げる仕事なのでしかたないと思った。
そして相変わらず、突撃以外の仕事はおぼえが悪い。
道具の手入れや陣地の設営、戦場での部隊連携など、なにかと仲間に頼り、礼として給金のほとんどでおごり続けた。
そのころには話し下手なりに、会話へ入れるようになっていた。
やがて雇い主に裏切られ、ひとりだけ生き残って『味方殺し』の汚名をかぶされ、山に隠れての逃亡生活が続く。
そのころから独り言のクセがついた。
旅を続けながら盗みを重ねて投獄されたが、捕縛に数十人を要した腕を買われた。
別の領土で『味方殺し』の悪名があることもほどなく知られるが、すでに突撃部隊として戦功を挙げたあとだった。
元から軽蔑されていたボリスは『処刑屋』として利用される。
命令に背いた者、おびえて後退した者をボリスに殴らせ、時には数十発、死んでなお人相がわからなくなるまで殴らせた。
不気味な嫌われ女に殴られる屈辱と、女に戦功で劣る屈辱を利用された。
ボリスは無愛想で不器用だが、雇い主には素直に従う。
誰からも恐れられ、つまはじきにされながら、不平不満はぶつくさと独り言に出し続けるだけで、命令には逆らわない。
雇い主にとっては便利で、汚れ役としてうまく利用し、士気を上げていたつもりだった。しかし城が包囲された時には離反者が相次いだ。
ボリスは城がすぐに陥落することを察したが、離反には加えてもらえず、死体に隠れて這いずるように逃げのびる。
その後も拳闘や傭兵やケンカ屋に自分を売りこんだが、長続きはしなかった。
実力を見せれば雇ってもらえたが、戦闘以外は不器用すぎて、作業でも人間関係でも足をひっぱる。
割りに合わない仕事ばかりで困っていた時、遠い島から来た奇妙な使者に勧誘された。
「あんたも傭兵、盗賊、暗殺者と、いろいろやっていたらしいけど、そんな性格だからか? あるいは、いろいろやっていたから、人を刻まなきゃ落ち着かねえとか……ここで話すことでもねえか」
「無駄口たたくヒマがあるなら、そろそろやり返しな! 盛り上げないまま終わらせる気だったら、腕の肉がなくなるまで降参させないよ!」
すでに腕の包帯は刻まれすぎて、赤くない場所がない。
「そうじゃねえんだ。オレ、ものおぼえが悪くてよ……あんたは腕も脚も速すぎるし、目も勘もいい……ここかな……ん?」
ボリスは腕を動かそうとしたが、牽制も出さないままさがる。
「腕がおかしいや。血を流しすぎたか?」
ミランダに一瞬だけつまさきを踏みつけられ、姿勢を崩される。
「おっと……ここ!」
ボリスはとっさに体をねじり、脇腹へ迫っていた刃を腕で受け止める。
刀身は筋肉に埋もれ、引き抜くのが遅れた。
もう片方の拳がミランダの顔へ殴りつけ、とっさにかばった左手の甲からパキンとにぶい音がする。
「ちっ! 骨を……こんなやつに!?」
ミランダは距離をとりなおす。
ボリスは両腕を広げ、斬らせて止める前提でゆらゆらと動かす。
「あんた、本当にうまいよな。太刀筋もようやく、つかめたかどうか……ここか?」
的であるはずの両腕が、刃を奪う武器になっていた。
ミランダが慎重に牽制を振った瞬間、ボリスが頭から飛びこむ。
「これでどうだ?」
「ふんっ……!」
ミランダは体を引きながら、一瞬で三度は斬りつける。
それはボリスの片眉をかすって頬を裂き、首をかばった腕と手の甲も裂いた。
しかし後退は間に合わず、鉄針つきの肩当てが胴にめりこみ、はじき倒される。
「く……が!?」
ミランダは武器を捨てて両手を広げ、降参の意志を示す。
ボリスもすぐにうなずいた。
「どこに刺さった?」
ミランダは苦痛に顔をゆがめ、しばらくは胸を押さえ、歯ぎしりと荒い息をしていた。
「あばら、いかれた。はらわた、無事、らしい」
「へえ、さすがだな。あんたの足さばきのおかげで『捕獲勝利』をもらえるのか」
審判が決着を告げ、観客は番狂わせを起こした中堅の登り調子を讃える。
「クソッタレが……おまえ、殺す気もないのに、博打で飛びこむような、やつだったか?」
「勝ち星がいるんだ。領主にちょっと、頼みごとを……」
「え? あの噂、本当だったのかよ? おまえが?」
衛兵と医者が駆けつけるが、ミランダは邪魔そうに手で制する。
「なにをどうすれば、あんな男を選ぶ気になるんだよ? まさか妾になって、贅沢したいなんてガラじゃねえだろ?」
「いや、ウマが合うというか……気になっちまったから、酒でも飲んでみたいだけで……ほら、オレと合う男なんて、考えられねえだろ? そんなオレの傷なんかを見たがる、変なやつだからよ」
「それは、あの愛人のほうだろ?」
「…………え?」
「あの黒髪青目が、なぜだかおまえに、興味を持ちはじめたって聞いたぜ? あの領主のことだから『愛しの』バケモノ女の趣味に合わせただけだろ?」
ボリスが愕然とした表情を見せると、ミランダは満足そうにニヤつき、担架での去り際にも追い討ちをかける。
「ほかに、おまえが選ばれる理由なんて、あるかよ!?」
ボリスは試合場の中心で、勝利した剣闘士であることも忘れて立ちつくす。
客の歓声に応えることもなく、衛兵が退場をうながしても手を払いのけ、うつむき、冷や汗を流して震える。
「殺す……もういい殺す。とにかく殺す。こんな思いをさせやがった、あの女だけは殺さねえと……」
青ざめた顔で歯がみしながら立ち去る『始末屋』の異変に、客も気がつきはじめる。
「あの女を殺すしか、もうどうにもならねえ」