表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/93

第四話 咲き競い 十五 華散華


 ルチカは逃げる。

 昼の長い休憩時間から、午後の試合がはじまっても落ち着きなくうろつき、隠れまわる。

 アイシャたちの顔を見たくない。

 まるで考えがまとまらない。

 自分はこの『地獄の島』へ、なにをしに来たのか?


「シアンに会いたい……シアンの試合はもう終った? これから?」


 大きな歓声が聞こえる。

 午後で最初の試合が終わったらしい。


「おまえ、そろそろ試合じゃないのか?」


 衛兵に言われて、コソコソと控え室へ急ぐ。

 選手が望めば試合前後は誰も入れない。


 自分の装備を確認し、手入れをしておく。

 とにかく誰かと斬りあって、勝つか負けるかすれば、今の混乱も少しはおさまりそうな気がした。

 ベフィの友人として泣きわめくべきか、バケモノのまねをして笑い飛ばすべきか、わからない。

 のどは渇くが、水がほとんどのどを通らない。何度も口をゆすぐ。


 ズルズルとなにかをひきずる音がした。

 内部通路ではなく、試合場への通路から近づいてくる。

 まだもどっていない選手がいたのに、控え室に入れたことを不思議に思った。

 大きな麻袋が衛兵たちに引きずられて入ってくる。

 袋は下半分のあちこちに、血の染みが大きく広がっていた。


「死んで決着したから、もう入れたのか……」


 袋の染みにへばりつく、何本もの細い銀色。


「それとルチカには、選手から入室の許可が出ていた」


 衛兵のひとりが小剣をルチカに差し出す。


「これも渡すように頼まれている」


 大きな銀の鍔は蝶の形。 

 受け取るが、その先は頭が働かない。

 血まみれの麻袋から目をそらし、ただ出ていくまで待った。


 ルチカがシアンと交わした言葉は少ない。

 飢饉で家族を失ったらしいが、どう失ったかは決して話さなかった。

 やせこけていたから、売春宿でも買ってもらえなかったという。


 シアンの本当の美しさは、どの観客よりも、戦った自分のほうが知っている。

 なよなよしい羽虫なんかじゃない。

 炎がかたまった鬼のような……シアンなら、いっしょにバケモノになってくれると信じていた。

 あの鮮烈な気迫に期待して、すがっていた。


『弱いまま死ぬ不様だけは、自分に許せないから』


 ……あの美しさを血まみれの麻袋に変えたものはなに?



 気がつくと審判女が装備の確認をしていた。

 試合前の確認を受けるが、初戦のように意識が定まらない。

 奥の扉が開かれ、試合場へ続く暗い通路に立つ。

 ゆっくり入場門が開くと、照らされた通路には引きずった血の跡と、散らばった銀髪がきらめく。

 嫌な汗が出て、耳鳴りまではじまっていた。

 引きずり出されるように、日の下へ踏みこむ。


 相手はすぐにわかった。

 アイシャよりも少し大きい、褐色肌の長身。

 裸同然の格好に、大きく広がる返り血。

 その全身にへばりつく、大量の銀髪。


 黒髪の美女が、青い瞳で優しくほほえんでいた。



 アイシャたちは大声で呼びかけていた。


「おい! ルチカ!?」


「まずい……ルチカのやつ、固まってやがる!」


 小さく細い体はふらふらと、操られるように中央へ向かう。

 目は虚ろで、全身はすでに汗だくだった。


「次の補充は?」


 領主は試合場を凝視しながら、声は落ち着いていた。


「くり上げて手配しております」


 側近は仮面のような笑顔で答える。


 鐘の音が響き、プレタは身を乗り出して叫ぶ。


「ルチカ! 逃げろルチカ!」


 客の歓声に埋もれ、意識していなければ聞き取れる声ではない。

 ルチカは黒髪青目の怪物が迫る姿を愕然と待つばかりだった。

 刃先が目前に迫り、ようやく絶叫する。


 なんで自分はこんな所に来てしまったのか?

 この島は、この闘技場は、ここに棲む者は……


『わたし、この闘技場のこと、なにも知らなかった』



 ルチカは立ちつくしたまま眉間から頬へ斬り下ろされ、数歩も飛びのく。

 自分の腕にまで飛び散った血に染まる銀髪へ喰らいつき、味わうように噛む。


「シアン……あなたもこんな怖い思いをしたの?」


 その目は正気を失いつつある。


「あなたをどんな風に殺せば、あいつはあんな風に笑えるの?」


 あるいは、バケモノが宿りつつある。



 ルチカはようやく小剣をかまえるが、極端に首と腹を守り、頭は無防備に斬られた。 

 顔はすでに半分が血に染まり、目ばかりギラギラと光る。


「目を刺されたら厳しい。あごや鼻を打たれても動きが止まる。それでも首よりは致命傷になりにくい……そうでしょベレンガリア?」


 小さくつぶやいていた。


「やっぱりフロッタは勇敢だよ。上位陣を相手に、勝とうとしていた」


 額の骨、頬の骨にガギリ、ガギリと刃物が当たり、重い衝撃で目がまわりそうになる。


「ほんと失敗した。ドジ踏んだ。腰抜け先輩たちの言うとおりにしときゃよかった。コムリバだってそう思うよね?」


 致命傷だけは避けていたが、牽制すら返せないまま、顔の傷を増やし続ける。


「ドルジェはなんでバケモノに顔を壊されながら笑えたの? 自分をブサイクだと思っていたから? 言うほどひどくないくせに」


 薄笑いが浮かぶ。


「違うんだよミュラ。ここでひいたら本当に終っちゃう。攻めようとしているから守れている」


 顔を刻まれながら逃げようとしない新人の姿に、観客がざわめきだす。


「ほらコーナ。あんたは運がよかったほうだ。のどをきれいに裂かれたから、すぐ楽になれたでしょ?」


 流血で視界と呼吸をふさがれそうになり、足も重くなってくる。


「でもなにかいい手はない? リュノはこんな時でも冷たいね……でも少し頭が冷えてきたかも? ありがとうね」


 開始から一回目の鐘が鳴り、観客は期待の声をあげはじめる。


「なにが『あと二回』だ。それまでにわたしの顔が削りつくされても、賭け札で儲けたやつらは拍手喝采か? ねえギルマ。ここはあんたが思うより、頭の壊れた連中が多すぎた……よ……」


 ルチカの声にふたたびおびえがまじる。


「リーシーン、殺してごめんね。でも娘がいるなら、やっぱり人殺しになるのはわたしのほうでよかったかも。わたしはこんなやつらの仲間入りだ……あなたの分まで生きなきゃ…………生きなきゃいけない……のに……」


 黒髪青目の魔物はルチカの顔を刻み続け、時おりルチカのつぶやきにうなずいていた。


「助けてシアン……あなたがいないと、わたし、こんなに臆病で弱くなっていた……」


 ルチカは不意に防御を捨て、転ぶように飛びこむ。


「わたしがこの『地獄』で本当につかめたものは、あなたたちだけだったのに!」


 血まみれの拳刃をすべり抜け、小剣を褐色のわき腹へ突きこむ。

 その刃先は肉までめりこみながら、あばら骨に当たって折れた。


「バケモノめ……!」


 拳刃をたたきこまれ、倒れこみながら、折れた小剣をなおもふりまわし続けた。


「…………ベフィを返せ…………」


 それが『子猫のルチカ』と呼ばれた剣闘士の最後の言葉になった。



 四ヶ月後。

 若い船乗りが闘技場の客席をかきわけて老人の隣へ座り、葡萄酒ぶどうしゅと干し肉をすすめる。


「おう、わりいな。何ヶ月ぶりだよ? ずいぶん長く大陸へ渡っていたようだが、その顔だと商売はうまくいったらしいな?」


「悪くはない……新人はどうなった? 『子猫』ちゃんの配当も少しは出ているかな?」


「子猫? そんな新人は……ああ、一期前のか」


「そうそう。鼻ぺちゃだけど目は大きくて、すれてない感じの……二連敗したのに、活きのいい顔で悔しがっていたから『化ける』かと思って、賭け札を買っておいたんだ」


 老人は無言で、剣闘士席で騒ぐ酔っぱらい女を指した。

 隻眼赤毛の女とコソコソ耳打ちし合う女剣闘士は背を丸め、陰気にニヤついている。


「ん? なんだアイツ? 新顔にしては目つきが……」


 顔は異様な数の斬り傷にまみれ、くまの濃い目はねばつく鋭さでありながら、深く虚ろだった。


「上位陣に媚びへつらい、新人をいじめぬいて勝ちをひろう、いやなベテランに『化けた』もんさ……今はもう『黒猫』の異名じゃねえと通じねえよ」


 老人が苦そうにつぶやき、若い船乗りは絶句して目を疑う。


「あと少しだったんだ。刃さえ折れなければ『バケモノ』を仕留められたのにな。あの傷で三日も目が覚めなかった上、起きた時には『バケモノ』が土産を抱えて笑っていた……それですっかり壊れちまった」


「土産?」


「あの『バケモノ』でもない限り『返せ』と言われて渡せるようなものじゃねえ……もう腐りはじめていた」


 老人は干し肉を置き、赤い葡萄酒も遠ざける。


「あのかわいそうな女の子は『バケモノ』に魂を喰われちまったんだ」


 短い黒髪だけが名残で、やせた小さな体は残骸だった。


「おまえの知っていた『子猫』ちゃんは、もうどこにもいねえよ」






(『咲き競い』 おわり)






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ