第四話 咲き競い 十四 華散華
ルチカは教官と顔を合わせた初日に『十人の新入りが一年で全滅したこともある』と脅されていた。
十二人いたルチカの同期は九人目が消え、まだ四ヶ月しか経っていない。
ルチカとアイシャは客席へ帰る途中の通路で『壊れたルドン』の一派に囲まれているベフィを見かけた。
箱型巨体のサメ顔、直立巨大ブタ、ガマ顔の太い小柄……異様な風貌が多くてわかりにくいが、衛兵が放置しているので脅迫などではないらしい。
「まだ決まらねえって、どういうまだなんだよ!?」
「ぐっぷ、三連敗の新人なら~、三日目はなさそ~だけど~?」
「あぎ、あぎぎー、明日、朝、弱いやつと!?」
唯一まともな外見のキツネ顔がルチカに気がつき、なにかヒソヒソと話し出す。
「ま、明日の昼前なら、今晩にはわかるだろ」
アイシャは遠目に放置したままつぶやくが、ルチカは笑顔で手をふった。
「ベフィ! あなたの強さはわたしもシアンも知っている! どちらと当たっても手加減しないで! したら恨むよ!」
ベフィは驚いたあと、笑顔で力強くうなずく。
アイシャはその表情を横目に、静かに酒をあおる。
「三連敗であんな顔をできるのも、ネズミちゃんの怖さか……でも、いいのかよ?」
「初戦でドルジェがわたしに手加減しなかったこと、今では感謝しています」
ルチカはそう答えたものの、翌日午前の組み合わせが確定すると、やはり複雑な焦燥にかられた。
「小剣使い『子猫のルチカ』対、小剣使い『ネズミのベフィ』!」
互いに手の内をほとんど知っている。
ルチカは体格と技術と試合経験で、自分のほうが少し有利だと思う。
ほんの少しだけ。
ルチカもまだ中堅選手と張り合えるほど安定した腕ではない。
ベフィは変わった。
三連敗のあせりを気迫に変え、ルチカやシアンに気後れしないで追いつこうとあがき続けていた。
ルチカにとっては一戦前の自分やシアンのように、油断できない相手だった。
ルチカは二勝三敗。
シアンの五勝一敗を追いかけ、まずは十戦越えのベテランを目指し、いずれは中堅入りが目標であると人に言っても、笑われないようになってきた。
ベフィを四連敗に突き落としてでも勝つ。
ベフィならそこからでも追いかけてくる。
夜明けの第一試合。
ルチカは後からの入場ははじめてだった。
演出として、格上は入場を後にされることが多いという。
今まで五戦中の四戦は新人相手だったが、いつでも賭け金は自分のほうが低そうだった。
「酔っぱらい直伝の八百長はちゃんとしこんだかあ!?」
「だまし討ちのためにたらしこんだネズミの食い時だぞお!」
客は友人同士であることも知っているらしいが、たいして気にならない。
罵声のほうが多いことだけはわかり、それが少し誇らしい。
すでに入場して待っていたベフィの目にも、迷いはなかった。
「ベフィが油断したら、のどを裂くよ。わたしが隙を見せたら……」
「遠慮しない。ルチカには感謝しているから、全力で、どんな手も使う」
静かに笑うベフィに、背筋がゾクリとした。
自分も笑っていた。
開始の鐘と同時に、ルチカの耳と、ベフィの脇に斬り傷が走る。
最初から激しい斬り合いが中央で続いた。
ルチカは目を狙われ、わずかにずらし、額にも浅い斬り傷がつく。
斬られながらベフィの首を狙い、わずかにそれて頬を裂いた。
連撃の応酬で息をつけない。
ベフィの技量は知っていたが、予告どおりの気迫に嬉しくなった。
体格、技術、経験……やはり自分のほうが、わずかに有利。
でもまだなにか、隠している。
開始直後から、客の軽口は急速にしぼんでいた。
でもこんなもんじゃない。
ベフィがこんな簡単に相手を勝たせると思うな。
ベフィの左手が不自然に背後へまわる。
そしてふたたび前にもどると、小手を握っていた……わざとゆるめていた。
顔に投げつけられ、ルチカは牽制しながら跳び下がる。
足を狙われると思ったが、ベフィは高く跳躍していた。
跳躍からの攻撃は当てにくく、隙も大きい。
それだけに見る機会は少なく、予期もしにくい。
小手の投げつけと跳躍……どちらも訓練場では見せなかった不意打ちの技術だった。
ルチカは跳躍への反応が遅れ、わざと倒れこむ。
考えていては間に合わない動作で、自分の牢で密かに鍛え、体に覚えさせていた。
様々な姿勢で倒れこみながら、剣を振るっていた。
アイシャに『基本でねじふせるのが一番』と言われ、弱小である自分は『倒れながら』も基本に含めて考えた。
無意識にあがく自分のクセとも合う技術だった。
ベフィの斬りつけは浅くなって革鎧を裂いただけで、ルチカの刃はベフィの内腿へ深くすべりこむ。
すれちがいにルチカは肩を蹴られ、とっさに転がった。
起き上がりながら追撃もはじくと、それだけでベフィの姿勢がぐらつく。
ルチカは警戒し、遠めに牽制して様子を見ると、追ってくるベフィは不自然に動きがにぶい。
脚の傷から、おびただしい血が流れていた。
「う……う!?」
ベフィもちらと自分の傷を見たが、なおも足を踏んばろうとしている。
ルチカは容赦なく、側面へまわりこむ。
「く……う!」
ベフィは向きを合わせようとするが、足がもつれた。
ルチカは不用意に飛びこまない。
ベフィがまだどれだけ動けるかわからない。しかし血は流れ続けている。
客から罵倒されようが、逃げまわって弱るまで待つ。
どこまでもみっともなく勝ちをつかみとる。冷酷な意志を眼光にこめる。
「降参……していい? ごめん。力が入らない……」
ベフィの顔が青ざめている。
「降参を認める!」
ルチカは叫ぶなり、剣を捨てて駆け寄る。
「傷より上を強く押さえておけ!」
審判女が叫び、ルチカはベフィの太腿を両手で圧迫する。
「『ネズミのベフィ』の降参により……『子猫のルチカ』の捕獲勝利!」
審判女は駆け寄りながら宣言し、懐から帯を取り出す。
ルチカが押さえていた位置で縛り、衛兵と医者の老婆も試合場に入ってくる。
「また勝ちそこねちゃった……ルチカ、待っていてね」
「見てベフィ。あなたを笑っている客なんか、もういない」
強豪同士のような盛り上がりこそなかったが、どちらに対しても好意的な声援が送られていた。
「うん。わたしの賭け札も、ようやく売れそう。ねえルチカ……」
ベフィは言葉をとぎらせて迷うが、老婆は衛兵に急かして担架へ乗せる。
「……ルチカ、お客さんにあいさつ。人気を集めておかないと」
ベフィに言われてルチカが客席を見まわすと、今までとは違う、奇妙な空気を感じた。
自分ひとりに視線が集まっている。
友人の血がついた小剣をそろそろと上げて勝利を示すと、歓声と拍手が沸いた。
はじめて認められた嬉しさで笑い、それ以上のやるせなさで涙が浮かぶ。
逃げるように退場し、ベフィの元へ急ぐ。
ベフィの控え室にはアイシャが先に来ていたが、ルチカと入れ違いに、無言で出て行く。
医者の老婆も、縫いとめた傷を布で何重にも巻きつけると立ち去る。
「だいじょうぶなの?」
「ん……訓練場であざだらけになった時に比べれば、ぜんぜん痛くない」
ベフィの顔が青い。
「それよりルチカ、ありがとう」
静かに笑い、握ってきた手はひどく冷たい。
「わたしをバカにしなかった人なんて、ルチカがはじめて……友だちになってくれて、ありがとう」
「お礼を言うくらいなら、早く治って、勝ち星で追いついてよ」
「うん……ごめんルチカ。動かないほうがいいみたいだから、先にもどっていてくれる?」
ルチカはどうしていいかもわからず、控え室を出る。
まっすぐ客席へもどる気にはなれなかった。
ふらふらと内部通路をうろつく。
入場の歓声が聞こえても、観に行く気になれない。
誰もいない訓練場をのぞいてすぐに引き返し、自分の牢へ入っても落ち着かず、出たところで声をかけられた。
「ルチカさん、体は問題ないのですか?」
子供のような背の女が、仮面のような笑顔で立っていた。
「できます……追加試合ですね?」
同伴していた衛兵のひとりがルチカの耳や肩を指す。
「そうじゃない。マリネラ様は手当てをしていない傷を心配して……」
マリネラが右の小手をかすかに上げると、それだけで衛兵は口をつぐむ。
「助かります。しかし今日中になってしまいそうですが、かまいませんか?」
「別に今すぐでも……いえ、今すぐのほうが」
「相手は上位陣のかたでも問題ありませんか?」
それこそ望むところ……ドルジェを失って以来、その思いはあるはずだった。
「……はい」
なぜか返事に時間がかかった。
ようやく客席へもどると、いつの間にか午前の最終試合も終わったあとで、試合場の清掃がはじまっていた。
「ん? ベフィはどうした?」
「動けないから、先にもどれって……」
「すぐ、ベフィのとこへもどれ」
アイシャが真顔だった。
ルチカは通路を走る。
ベフィは控え室の手前にある待合の大部屋に出され、壁に掘られた長椅子に座り、ぐったりともたれていた。
「なんでこんなところに? 血が止まったなら、早く牢で横に……」
顔色がさらにひどくなっていた。
無言で視線だけルチカに向け、かすかにほほえむ。
控え室に試合場の選手がもどってきたらしく、通路から老婆が早足にやってくる。
「あの、ベフィの具合が……!?」
「邪魔だよどきな! ……ん? ああ……そいつは……」
ルチカは衛兵に抑えられ、老婆は静かにうなずく。
「たった今だ。袋を……」
ベフィはうなだれ、床を見つめ、ピクリとも動かない。
たった今、息をしなくなった。
「あれだけ血が出たんだ。ベテランのバケモノ連中じゃあるまいし、たぶん長くはもたないと教えてやったさ。だがその娘は、妙な心配をしていたよ。あんたの捕獲勝利が取り消されないかと……宣言された時点で確定だと言ったら、笑っていた」
ルチカは立ちつくす。
「どうした婆さん?」
控え室から顔を出したのはコルノだった。
「オレの傷は軽い。自分でやるから、女狐のほうを急いでやってくれ……ルチカ? おまえ、どこほっつき歩いていたんだよ?」
老女はコルノの体をざっとながめるだけで、早足に去る。
「ベフィは……たった今か。オレが来た時にはまだ……おい、袋はちょっと待ってくれ」
コルノの表情はいつものようにそっけない。
「おまえもずいぶん腕を上げたよな。あんな体勢で刃筋をきれいに通すなんて……ベフィもこんな出血で戦い続けられるほど、強くなっていた。オレには正直、意外なくらいで……これはまあ、その結果なんだが」
コルノの言葉は頭を通り抜けてしまい、理解できそうにない。
なにかをほめているつもりらしいが、目の前にあるのは友人の死体。
自分が斬りつけた傷痕。
『友だちになってくれて、ありがとう』