第四話 咲き競い 六 向き不向き
最有望だった新人『一角獣ベレンガリア』の敗死は闘技場に小さな騒ぎを呼んだ。
そして次の試合が終わるまでには忘れられる。
「海王神聖剣使い『夢見るメリッサ』対、小剣使い『銀胡蝶シアン』!」
「かいお……?」
「つっこむな。アイツは変な勘が働く」
アイシャは試合場から顔をそらし、ルチカの頭も押し下げる。
「興味を持っていると思われたらめんどうだ」
メリッサと紹介されたほほえむ少女の背は平均的で、相手の新人シアンと同じく剣闘士としては小柄だった。
宝冠をのせた見事な金髪は大きく縦に巻かれて重たげに揺れ、まつ毛は長すぎ、耳飾りは巨大だった。
スカート裾の広がった派手な衣服は真珠とひらひらした飾り布があちこちについている。
握っているのは錆びた出刃包丁。
「あのままの格好で漂流していたらしい。本人の希望で、所持品そのままで参戦している……調整の必要はない装備と判断されたらしいが……」
向かいに立つシアンも相手の姿に目をしばたたかせ、しばらくは口を開けていた。
開始の鐘と同時に『夢見るメリッサ』は怪鳥のごとき奇声を上げる。
「けええあああ~!」
刃を上にした包丁を両手で腰へかまえ、スカートをばたつかせて一直線に突撃してきた。
体ごとぶつかる直前、大きく飛び上がったシアンの膝があごをとらえる。
メリッサがのびて決着した。
「あの人……なんで参加しているんです?」
ルチカだけでなく、アイシャまで呆気にとられていた。
「本人が言うには遠い大国の王女で、すべての人間を救いに来たとか……いや、あれでも十戦を越えた『ベテラン』扱いの選手で、下位で四勝はいいほうだ」
プレタとコルノも毒虫の死骸を観察するようにメリッサを見下ろしていた。
「カモのはずなのに、相手にしたくねえもんなあ……」
「やたらな気合だけのはずだが、やたらと気をそがれるというか……」
あっさり終った試合にも関わらず、客席には重いどよめきが残り、気分を変える話題として好まれたのは勝者『銀胡蝶』の容姿や素質だった。
気がつけば、新人でただひとりの二連勝になっている。
見事な銀髪に切れ長の目、大人びて整った色白の顔。
胸や腰はふくらみに欠けていたが、四肢はスラリと長い。
「顔のよさと、まじめに鍛えているって以上のとりえはないが、これで度胸や勘の良さも評価される」
アイシャはニヤつき、ルチカの悔しそうな横顔に追い討ちをささやく。
それほど変わらない体格。同期で入り、同じ未経験からの開始。
「しかしあの小剣の鍔はやっぱ、純銀みてえだな?」
蝶の形をした大きな鍔は貴族向けの贅沢品に見えたが、シアンのすました美貌には似合っていた。
「あんなの倉庫にはなかったから、仮面女が持ちこんで勧めたか……いつから目をかけていたやら」
「そんなひいきもあるんですか?」
「顔がいいとか強くなりそうとか、人気が出そうなら宣伝くらい後押しするさ。それに装備は原則、ほかの誰でも同じ選択をしてもいいように調整される。おまえもチョウチョや出刃包丁を持ってみるか? それはそれで笑いをとれそう……ん?」
決着後もシアンは試合場に残り続け、観客が期待の声をあげはじめていた。
「まさか……追加試合を申請する気か?」
アイシャがつぶやくと、コルノとプレタも呆れた顔をする。
「決着が早すぎたし、体調は万全か。客も興味を持ちはじめている。新人の申請でも断りにくいかもな?」
「一試合が済んだなら一ヶ月ただメシ食って、カモの新人が入るのを少しでも長く待てばいいだろうに。アイツなんで死に急ぐんだ?」
領主フマイヤと側近マリネラがヒソヒソと楽しげにささやきあっている。
やがて審判女がうなずき、ガラガラ声で叫ぶ。
「勝者『銀胡蝶シアン』の希望により、続けて追加試合を行う!」
歓声がわく。
「相手は靴剣使い『毒蛾のキユ』!」
準備に待たされる間、客は一段と大きな声で、期待をこめてシアンの名を呼び合う。
いつの間にか雨は上がり、晴れた青空が見えていた。
ルチカは有望新人ベレンガリアの名を呼ぶ者がいなくなったこと、自分の名がそれ以下のあつかいであることのいたたまれなさをかみしめる。
シアンの相手はまたも小型の選手で、背も細さも手足の長さも似ていた。
黒目がちな童顔で、灰色の瞳、淡い茶色のふわふわした髪。
眉が薄く、はかなげな顔のよさでも好勝負。
「組み合わせのひいきは追加試合だからですか? それとも顔のよさで……」
ふくれるルチカの黒髪はボサボサで、目は大きいが鼻は低く、ソバカスもある。
「オレにはまあまあのカモだが……新人、特に『銀胡蝶』には厳しい相手だ」
コルノはめんどうそうに答える。
「あの『毒蛾』も十戦を越えるベテランで、下位でも成績がいい二十位台にいる。あの体格でそこまでいくには、それなりの理由がある」
キユの服は細い体へ貼りつくように薄く、胴と四肢のあちこちに薄い金属板が貼りついている。
両足の靴先に、広く短い刃が飛び出ていた。
試合が開始されると『毒蛾のキユ』は小さな動作で浮くように跳ねる。
助走もなしに三歩ほども間合いを離し、宙へ円を描くように蹴り足を出す。
靴先の刃が届く間合いではない。
しかし砂が大量にかき上げられ、大きく広がっていた。
「目つぶしを重視した武器!?」
「見た時点で気がつけアホー。勝負はその先からだ」
アイシャは不出来な新入り子分を笑顔でひっぱたく。
シアンは即座に跳びさがり、顔も腕で覆っていた。
数歩の距離をとっていたが、砂はシアンの胸近くまでかかる。
蝶細工の小剣をかまえなおした時、薄茶髪の少女は無邪気な笑顔で真横にいた。
シアンは首筋に迫っていた刃つきの足先を避けて転がる。
握った砂を投げつけながら、さらに逃げる。
キユは高く跳ね上がって砂をかわしながら追い、さらにもう一度、体を回転させながら跳ぶ。
無駄の多い動きに見えたが、踊るように宙をきった足はふたたび、砂を撃ち出していた。
シアンは逃げに徹してしのいだが、壁際へ追いつめられる。
キユは身軽にまわりこみ、中央への脱出を許さない。
シアンが牽制に出した突きはかわされ、すぐに引いたはずの手に浅い傷が走る。
キユは大きくのけぞると同時に、刃つきの足先をふり上げていた。
その足を下ろしながら不意に、地を這うような大胆な姿勢で足払いを放つ。
わずかに足りない間合も靴先の刃が補い、シアンは逃げきれないで足にも浅い傷を負った。
ルチカは『毒蛾のキユ』の技巧に息を飲む。
「あの身のこなし……中堅なみ?」
「上位陣なみだな。ほとんどの新人なら、もう負けていただろ。よく粘っている」
激しい動きの連続でキユの息は乱れはじめていたが、洗練された蹴り技の嵐で一方的にシアンを刻み続けている。
深手を負う前に、もう降参するべき……ルチカがそう考えた時、シアンの傷がまた増えた。
シアンは逃げながら、追撃の蹴りに小手を当て、かろうじて防ぐ。
しかし刃は流れ、むきだしの肘にも浅い傷をつけた。
シアンは壁ぞいに逃げながら、離せないまま削られ続ける。
もう剣を捨てて降参しないと、相手がその気なら急所を刺される……ルチカがそう考えた時、シアンは小剣を投げた……キユの顔をめがけて。
小手にはじかれ、かすり傷もつけなかった。
キユはきつく顔をしかめる。
「あんなことをしたら降参しても痛めつけられるか、下手をすれば殺される……?」
ルチカのおびえたつぶやきに反し、歓声は盛り上がる。
シアンは逃げ続けながら、握り拳をかまえ、戦意が残っていることを示した。
新人への応援がだんだんと増えつつある。
キユの肩が大きく上下し、額には多くの汗が浮かんでいた。
「あの相手、もしかして体力が……」
「ない。しかも頭がよくない」
キユの動きがにぶり、追い続けているが、跳ばなくなっている。
それでも蹴りだけは鋭く、その軌道も多彩だったが、少し前までの忙しいたたみかけは見せない。
シアンは素手のまま、細かい傷を増やしながら防ぎ続けた。
息は荒くなっているが、動きはまだ鋭い。
キユはみるみる苦しげに、泣きそうな顔になってくる。
シアンが不意をついて組みつき、足をからめて靴の刃を封じる。
半端な姿勢でもつれあい、殴り合いになった。
「こうさん! こうさん!」
何発も打たない内に、キユがあっさりと細い悲鳴を上げる。
観客は大声を競って勝者を讃えた。
「新人の『銀胡蝶』が三連勝だ!」
「『シアン』だっけか!? 顔だけじゃねえ、度胸もいい!」
「『銀胡蝶シアン』は伸びる!」
プレタとコルノがため息をつく。
「初戦の『水牛』相手も単純な粘り勝ちだったけど……キユの息切れを見抜いて、剣を捨ててでも間合いをとった鋭さ、ちょっと怖いな」
「組んでから決めるまでは下手だったが……それだとなおさら、素手になった度胸はたいしたもんだ」
先輩たちの評価でルチカはますます暗い顔になり、アイシャはニヤニヤとのぞきこんでくる。
「どうよ子猫ちゃん? 『あれくらいなら自分もできた』とか思ってまちゅか~?」
「わたしは……向いてないですか?」
ルチカは歯がみしながら、自分の膝に爪を立てる。
「いえ、愚痴ではなくて……シアンやベレンガリアは試合中も冷静で、ドルジェやコムリバは人を傷つけて楽しめる。そういう性格のほうが強くなれるなら、わたしも……」
「はへ? ちょっといじめすぎた? そんなこと言ったら、こいつら見てみろ。特にこのデブ。こんなグズグズした性格で生き残っているのは不思議か?」
「はい。……あ、いえっ、すみません」
「いいよ別に……」
プレタは目をそらして声を低める。
昼の長い休憩時間に入り、多くの客が移動をはじめた。
「じゃ、褒めてやるから、ちょっと来い。客席じゃ落ち着かねーし」
アイシャに首を抱えて引きずられ、ルチカはプレタとコルノにしがみついて助けを乞う。
「真っ昼間から押し倒す気はねえから、そんなビクビクすんなって。興奮して襲いたくなんだろ」
アイシャが一行を引き連れて向かったのは、いつもの集合場所だった。
「剣闘士の向き不向きも、いろいろあるわな。熊公は臆病だから慎重で、それでも肝心な時には思いきれる卑怯さもある。小心だからせこせこと訓練や情報収集も……おい、褒めてるんだって」
昼にプレタの牢へ集まることはまれだが、ルチカは自分の定位置となった部屋の隅の木箱に腰かける。
いつものアイシャたちの酒盛り騒ぎをながめていると、あせりも少しは溶けて落ち着いてきた。
「その顔だよ子猫ちゃん」
「……はい?」
「新人のほとんどは一ヶ月や二ヶ月じゃ、まだこの島を出たいとか、どこかに帰りたいって顔をしているもんだ。牢にいる時なら、なおさら……でもおまえはもう『ただいま』って顔をしている」
ルチカは少し嬉しいような、ひどく胸が痛むような、複雑な苦笑をする。
「おまえは新人の中じゃ誰よりも上手に、ここで『暮らして』いる。大きな武器さ」
アイシャはいつでもふざけていながら、酒の肴のように人の顔をよく見ていた。
「次の『処刑祭り』をどうやり過ごすかで頭をいっぱいにして、殺し合いの練習ばかり続ける毎日だ。食いもんがのどを通らなくなるやつ、ろくに眠れなくなるやつはざらだし、あせって見当ちがいの無茶をはじめるやつも増える」
ルチカはふと、同期のベフィやミュラの暗く疲れた顔を思い出す。
「子猫ちゃんは負け続けでおもしろくねーだろうが、試合内容は悪くねえ。もし銀髪チョウチョちゃんが最初に『薮蚊』で次に『鯨』の順で組まれてりゃ、やっぱり惨敗しただろうよ。思いきりがいい分、おまえより大きなケガをしたかもな」
ルチカはアイシャがまともに褒めていたので驚く。
「おまえだって昨日までは、チョウチョちゃんを『たまたま一勝できた新人』くらいに思っていただろ? だからおまえも、とにかく生きのびて、いつか勝ちゃいいんだ。こんないかれた場所で、その『いつか』を待てる素質を武器と言わずしてど~するよ?」
ルチカはアイシャの意図を理解できなかった傲慢を痛感し、涙がにじんでくる。
「度胸しかねえチョウチョちゃんが試合場でしぶとく毒蛾娘の息切れを待ったなら、おまえだって試合場の外で何ヶ月でも息をひそめて『勝てる試合』を逃さないように探しまわれ」
「はい……ありがとう、ございます……」
「うわ、やべ! ういういしくてときめく! これもう味見していいよな!?」
「あらん、おもしろそ~ね~?」
涙ぐむルチカの脚に酔っぱらいたちが指先をはわせてくる。
「わ、わたしはミュラが心配なんで、様子を見てきます!」
ルチカは感動を途中でぶん投げて立ち上がり、プレタもそれとなく壁になる。
「かんべんしてください。オレの部屋です」
ルチカのあとをアイシャたち酒盛り集団もよたよたと追ってきた。
「ミュラって誰だっけ~?」
「今月から少し顔をだしていたじゃないですか。前回は直前で怖くなって病欠にしてもらって、今回も迷っていて……」
「あー、人様を疑う態度が露骨な『カワウソ』ちゃんか。あーゆー無神経で自分勝手なやつが追いつめられると、ど汚ねえ裏切りかまして化けたりもするから、ちょっと楽しみだよな~?」
ルチカはついさっきアイシャを尊敬しそうになったことを後悔する。
「かといって欠場ばかりじゃまずいわな。まずは試合場に立たねえと、なにもわかりゃしねえ。開始すぐの降参でもなんでも、あの場の空気を吸ってりゃ、少しは見当ちがいも防げるんだが……」
ミュラは朝から客席にいなかった。下位選手の牢にもいなかった。
残るは訓練場くらいだが、のぞいて見るとまだ残り試合もあるため、人はほとんどいない。
その一角に数人の衛兵が集まり、騒いでいた。
足元には灰茶髪の少女が横たわり、首からおびただしい血を流している。
「事故です! 次が試合とかで、真剣での打ちこみをえらく荒っぽく……」
「教官がいないから、無茶はするなと言ったのに!」
近くに転がる小剣に付着した血の量は少ない。
しかしミュラは両手で首の横を抑えている。
ルチカも教官から教わった『少しの傷で助からない』場所だった。
医者の老婆と、領主の側近マリネラも駆けつけてきたが、ふたりとも数歩手前で引き返す。
「試合の組み換えを急いでください。『カワウソのミュラ』の賭け札には払い戻しの通達も」
広がっている血の量と状況を見ただけで、事情すら聞かなかった。
恐怖にゆがむミュラの太い眉がゆっくりとゆるんでくる。
興ざめした様子のモニカも、プレタやコルノと共に引き返す。
アイシャも冷たく嘲笑して背を向けた。
「そいつは素質がなかったわけじゃねえ。ただちょっとだけ、判断をまちがえた。もう少し『卑怯』をうまく使って、アタシらの小言もつまんでおきゃよかったんだ。そうすれば無駄に怖がって、必要もない無茶はしないで済んだ。それだけね? カワウソちゃんは初戦前に残念でちた。ばいば~い」
そんな態度がなぜか、ルチカは不快に思えなかった。
真似して小さく手を振り、わずかほども動かなくなった同期の少女へ別れを告げる。
ミュラを嫌っていたわけではないが、あまりに簡単に死なれて、腹立たしい気はした。
身勝手で甘ったれた性格で、好きでもなかった。
しかし死なれてみると、ルチカは妬んでいた自分に気がつく。
『ただ、帰りたいだけなの』
もう牢屋以外に帰る場所もなくなったルチカには、思いつけない言葉だった。
同情はしているが、それ以上でもなく、ただ深いやるせなさを味わう。
先に立ち去ったプレタやコルノと同じような、乾いた表情になりはじめていた。
「どちらかといやアイツ、運がいいよな。たいして苦しまないですんだろ?」
「それはまあ、なによりです」
人でなしの軽口に、暗く笑って合わせられるようになっていた。