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―――41
「おはよう、やっちー」
やがて眞子が登校して来ると、栗子は朝のことを話した。興味がなさそうには見えた。けれど、やはり思うところがあったのだろう。
「謝られる理由はないんだけどな」
小さな声で呟いていた。
眞子は溜息を吐いた。それで、気持ちを切り替えたようだ。
「畠さんは来てる?」
彼女の席にはまだ誰も座っていない。今日は休みなのだろうか。もしかしてそれは自分たちのせいなのだろうか。そう思ったところに、眞子のあたたかい手が栗子の手の平を包み込んだ。
「昨日のことがショックだったとしてもそれはそれだよ。私たちは被害者だったんだから」
あの痛い日々を忘れることはない。栗子も眞子も疲弊した。心を抉られた。例えちひろに同情をしようとも、許せるかといえばそれはまた別である。
「でも、休んでいるのは気になるね」
「うん……」
主の居ない席はなんだか少し、寂しそうに見えた。
―――42
ちひろは一週間学校に来なかった。
彼女の心配をする友人たちに風邪だと押し通して、ちひろは目の赤さを濁していた。まだ泣いていたのだろうか。
だが栗子や眞子と目が合うと、凄まじい睨みを効かせた。表立ってのいじめはやめてくれたが、やはりまだ思うところがあるようだ。
「畠、あとでちょっといい?」
人がまばらになった昼休み。雪峯がちひろに話しかけた。ちひろは明らかに動揺したが、それでも平静を装おうとしていたようだ。顔が引きつっていたけれど、声はほとんどいつもの調子だったのを栗子は聞いた。
雪峯がちひろに何を話すのかは眞子も栗子も知らない。ただ想像は出来た。
雪峯はもう知ってしまっている。
その話が何をもたらすかはまだ予想がつかない。転ぶ方角が泥沼であれば、きっとまたいじめは始まってしまうのだろう。
何もないことを祈って、栗子はその日を静かに終えた。
―――43
雪峯はちひろに何を話したか。
「大した話はしていないよ。ただ謝っただけ」
雪峯は栗子たちに溜息を吐きつつ答えた。何も言わない彼に耐え切れなくなったのは栗子だった。
「あ、謝ったの?」
「うん」
どうしてそうなるのか、栗子にはわからない。眞子も少々驚いているようだ。目が真ん丸になっている。
「だって僕はやっぱり佐久さんが好きだから」
栗子は眞子の顔を窺った。そこにはまだ驚きの表情が張り付いている。
「僕が原因ならやめて欲しいと謝ったよ。それに僕は畠さんが特別嫌いなわけじゃなかったのに、嫌いになってしまいたくない」
それは雪峯の立場から出来る精一杯のことだ。ちらりとその目が眞子を映して、すぐに逸らされた。眞子は気付いただろう。何度か瞬きをした上で、応えた。
「……仲尾くん、ありがとう。気持ちはやっぱり嬉しいけれど、今の私にはやっちーの方がずっとずっと大事なんだ。だからごめんね」
頭を下げる眞子に雪峯は苦笑する。少し痛そうな笑みだった。
「うん。残念だけど、僕じゃ八代さんには敵わないよ。負けちゃった」
栗子に対しても雪峯は困ったように笑った。
―――44
栗子は雪峯に勝ってしまった。嬉しいけれど、むずむずとするその感情を負けた本人には見せづらい。
「でも、普通に話してもいいかな。これからもクラスメイトとして」
朗らかに告げる雪峯に眞子はこっくりと頷いた。そして花が咲いたように笑う。
「もちろん」
ボッと音が出たのを聞こえるくらい一気に真赤になった雪峯に、つい眞子と栗子は顔を見合わせて笑ってしまった。
結局の所、雪峯側はそれで解決した形になる。けれど問題はちひろの方だった。
雪峯との話を終えて、教室へ戻った眞子と栗子の顔は晴れやかだった。それなのに、すぐにまた曇ることになった。
席に着いた眞子の机をちひろがバンと強く叩いたのだ。
「話があるの」
顎でしゃくって付いてこいと示す。眞子は栗子を見た。席に着いたばかりだったが、二人とも立ち上がった。そして、ちひろに続いて教室を後にした。
―――45
ちひろが示した場所は校舎の脇だった。人に見られたくないのだろう。そうするとどうしてもそういう場所になってしまう。
「何、畠さん?」
背中を見せたままなかなかちひろは口を割ろうとせず、眞子が口火を切った。ちひろは言葉を探しているようだった。だけど何度か迷った後に漸く言葉を発した。
「……仲尾くんに謝られたわ」
それはつい先刻彼自身に聞いたことだった。
「あたし、やっぱりあんた嫌い」
キッと吊り上げた目は眞子を真っ直ぐに捉えていた。
「嫌いったら嫌い。大っ嫌い!」
「ひっ!」
ちひろの形相に栗子の方が竦んでしまった。
「うん。……別に嫌ってもいいよ。私も畠さんを特別好きになろうとは思わない」
淡々と眞子は答えた。
「だけどやっちーのことは別。私に直接畠さんが何かするなら、それは畠さんの気持ち考えたらしたくなるのわかる。でもやっちーは違うもん。ただ巻き込まれただけじゃん」
「……それは私も少しは悪かったと思ってるわよ」
「少し?」
ちひろの言葉に眞子が睨み返す。