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―――21
教室内には他の生徒もたくさんいて、そしてすぐに朝礼が始まったこともあり、ちひろは口惜しい表情をしただけで何も言わなかった。でもその表情だけに栗子と眞子はホッとした。
これで終わるとは考えていない。だけれども、こういう表情をさせられたことでまだ頑張れる気持ちになる。
しかし案の定、休み時間になるとちひろは栗子たちにちょっかいをかけてきた。
「ねえ、佐久さん、八代さん。ちょっといい?」
笑っているのに目は笑っていない。栗子は怖いと思った。眞子を見ると、彼女は朝と同じように笑顔を作った。
「話があるなら、此処で訊くよ。何?」
そっと、後ろ手で栗子の手を握る。
「此処でいいの?」
ちひろが挑発するように言ったけれど、眞子は冷静な様子で頷いた。
「いいよ。何?」
「……ふうん」
ちらりと周囲に視線をめぐらせたけれど、ちひろは栗子たちに再び視線を戻した。
「なーんかもう変な覚悟決めちゃったみたいでつまんないなあ~」
「そう?」
「そういう態度がつまんないのよ。ねえ!」
そう言ってちひろが眞子の肩を強く押す。勢い転びそうになる彼女を栗子は慌てて支える。眞子の顔には怒りがかすかに浮かんでいる。
眉を潜めて静かに怒りを押し殺す。
「……残念だけど、その畠さんの暇つぶしに付き合う気はないわ」
「そっちになくてもこっちにはあるのよ」
ちひろが睨んでくるのに、栗子は怯えた。だけど眞子はぐっと拳を握って睨み返した。
「何もしてない」
低く唸るような声が響いた。
「何にもしてない。栗子は何もしてないじゃない。畠さんがイラついてるのはわたしでしょう? だったら、わたしにだけやったらいい」
眞子は真っ直ぐにちひろを見ていた。
ちひろが不快気に眉を顰めたのは、今日で二度目だった。
―――22
教室移動で階段に差し掛かった時、栗子は眞子と話していた。けれど突然、背中を誰かに押された。バランスを崩し、思わず目を瞑ってしまった。
「きゃ」
けれど階段を滑り落ちた割に衝撃が少ない。恐る恐る目を開いてみたものは、眞子の顔だった。自分が眞子の上に乗っかっていたのだ。
「眞子ちゃん!」
「……いたた、やっちー無事?」
「私は大丈夫だよ。でも眞子ちゃん」
栗子は眞子の上から退いて、彼女の体を起こす。眞子は階段の上をキッと睨んだ。
「なに? あたしが何か?」
視線の先にはちひろである。けれど彼女は何処吹く風。すっと眞子たちの横をすり抜けて行った。
「畠さん」
去る背中に呼びかけるものの、ちひろは振り返ることなく行ってしまった。眞子は憤然としたまま立ち上がる。
「あ」
栗子が眞子の肘に手を伸ばす。赤く血が滲んでいた。階段から落ちたときにすりむいたのだ。
「眞子ちゃん、怪我してるよ。ごめんね」
「やっちー、謝らないで。これはわたしの戦いでもあるんだよ」
これはもう栗子だけの問題ではなかった。眞子も口惜しいのだ。ちひろに頭にきているのだ。
だからこそ、勝たなくてはならない。
―――23
遅れて教室へ入ると、先生から注意を受けた。
栗子が眞子の怪我を放っておけず、洗って絆創膏を貼るだけでもと聞かなかったのだ。ちひろが眞子たちを鼻で笑ったが、二人は気にせず席についた。
眞子は戦うと言った。栗子だって戦っていた。しかしどうすればいいかはわからなかった。栗子は耐えることで戦っていたけれど、眞子の戦いは攻勢に打って出ることだった。
耐え忍ぶばかりではいけないことはわかっているけれど、どうすればいいのか。栗子にはよい考えが浮かばない。
授業が終わり、自分たちの教室へ戻ると栗子は訊いてみた。
「ねえ、眞子ちゃん。どうするの?」
傷めた肘をさすっていた眞子が栗子に視線をやる。けれどすぐに目を斜め上にずらした。
「あー……とりあえず反抗することにしてる。けど、具体的にはまだ決めてないの」
「そうなの?」
「うん。私、頭よくないから簡単には思いつかないよ。でもね、やられましたって顔はしないことにしたの」
眞子は少し声を潜めて言った。周囲にちひろたちの姿は見えないけれど、聞かれれば厄介だ。
「あのいい気味っていうような顔がね、嫌なんだ。でもどうすればいいかなあ。ぎゃふんと言わせられるようなこと」
選択肢の一つに、教師に訴えるというものもある。けれど栗子はそれで終わるとは思わなかったし、眞子も思えなかった。自分たちで解決出来る方法が必要なのだ。
―――24
それから数日も色々された。
栗子は上履きが何度も隠されたし、眞子は廊下や階段で危うい目に遭わされた。周囲もあからさまな態度に戸惑いを感じ始めているのだが、どうにかしようと動く人はいない。
耐えるだけ、反抗するだけならば確かに栗子も眞子も出来ている。だけどちひろは徹底的にいじめたおそうとしているようだった。
放課後の教室で、栗子と眞子は話し合っていた。もうちひろは帰った後である。
「どうすればいいかなあ」
「簡単に収まるとは思えないもんね」
二人で知恵を絞っても限界がある。他のクラスメイトたちは見てみぬ振りをしているし、頼れそうにはない。もう一人味方がいれば変わるかもしれないのに。
思わず眞子は溜息を吐いた。
「あーあ、鵺さんみたいな人がいたらなあ」
「鵺? 漫画の? そんなの無理だよ」
「そうだね」
眞子は笑みを浮かべた。
「ねえ、やっちー。私ね、夢を見るんだ。最近少しだけど覚えていられるの」
「うん?」
よくわからないながらも栗子が相槌を打つ。
―――25
「夢の中でね、私は鵺さんと会うの。漫画のじゃないよ。でも格好いいんだ。目が藤色をしててね、鵺と同じだって思った。性格は違うんだけどさ。おせっかいで口うるさくて、でもやさしいんだ。鵺さんが居たらなあ。相談できるんだけどね」
眞子の言葉には親しみがこもっていた。夢の中の話だという割には嬉しそうだ。
「その鵺さんは眞子ちゃんのお気に入りなんだね」
栗子の言葉に眞子は満足そうに頷いた。
夢の中の話は栗子には関係ないことだ。だけど眞子は鵺という夢の存在を教えたかったし、それで栗子も笑ってくれた。
「それだけじゃないんだ。喋るクマちゃんもいるんだよ。素敵な夢でしょ」
「うん。素敵だね」
本当に、と眞子は言う。頼れる相手が居ればいいのだけど、二人には居ない。それが現実だ。
「でもこのままじゃ、本当に手詰まりだね畠さんはどうしてあんなに意地になってるんだろう」
「さあ。ねえ、眞子ちゃんは最初何をされたの?」
栗子がいびられ始めた時、眞子には既に何かが始まっていた。それを、栗子は気付けなかった。
「……最初はちょっとした意地悪。無視とかそんな程度だったんだけど、原因はわからないの」
「そういえばわたしも原因は知らないよ」
何かが気に入らないのだろうけれど、それがわからないのだ。
「原因は知らないけど――」
突如声が降ってきて、二人は教室の入り口を振り向いた。そこにはクラスメイトの一人が立っていた。
「僕でよければ手を貸そうか」