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―――11
その日登校すると、栗子の上履きはなかった。
遂に来てしまったのかと思うと同時にこれを眞子に知られたくないと思った。彼女は本当に友達だと思えるくらい一緒にいて楽しかった。いや、もう親友だと栗子は思っている。だからこそ余計に知られるわけにはいかなかった。
「あれー? 八代さんどうしたの?」
「あ……畠さん」
溜息を吐きたくなった。
「あれ、上靴どうしたの? まさか隠されたとか? ないよねー」
「あはは……わたし、ちょっと外に行って来るね」
隠したのはちひろだろう。だけど栗子にそれを言う気概はない。この気性が時々すごく腹立たしい。だけど言えないのだ。
栗子は外靴を履いて、下足箱の裏側に回った。大抵隠している物は近くにあるもので、今回も例外ではなかったようだった。八代と書かれた上靴を持って栗子は下足箱に戻って来た。
上靴にはまだ何もされていなくて、ただ隠されていただけのようだ。それにホッとして履きかえると、元気の良い声が耳に飛び込んできた。
「やっちー! おはよー」
声の主を振り返って、栗子は微笑を浮かべた。
―――12
「ねえ、やっちー。今度の日曜遊びに行こう。お父さんから遊園地の割引券もらったんだー」
お昼休みに眞子がにこにこと笑顔を湛えて告げる。もちろんそれを断る理由はない。
「うん」
素直に提案を呑んで頷く。だが、栗子は目の端でちひろがじっと睨んでいるのにも気が付いた。眞子は幸か不幸か気付いていないようだ。
「絶叫系乗れる?」
「うーん、あんまりきついのじゃなかったら」
「お化け屋敷は?」
「えー、行くの? 苦手だよー」
「やっちー、嫌いなんだ。実は私も苦手。よかったあ」
「なんだ、眞子ちゃんも同じじゃん」
「えへへ」
笑うくらい簡単に出来る。栗子はちひろの視線をずっと感じていた。だけど、眞子に笑い続けた。
眞子には知られたくなかったし、気付いてもらいたくなかった。
恥ずかしかった。
笑われたくなかった。
失望されたくなかった。
独りになりたくなかった。
眞子には親友で居て欲しかった。
―――13
学校へ行くと、机の中にゴミが入っていた。
泣きたくなる気持ちを抑えて、栗子はゴミをゴミ箱に捨てる。上履きは毎日ではないけれど、下足箱から消えていることがあるし、学校に置いていたノートには至る所に落書きがされていた。席を離れれば筆箱から消しゴムやシャープペンシルがなくなっていたこともある。でも一番栗子が堪えたのは、大好きな下敷きの鵺が油性ペンで顔を消されていたことだった。
栗子は何もしていない。けれどもちひろはお気に召さないらしい。それでも栗子はじっと耐えていた。
「あれ、やっちー何か荷物多くない?」
帰り際眞子が首を傾げた。確かに栗子の荷物は多かった。机の中を空にしたいと思ったら必然的に全部お持ち帰りすることになる。仕方がなかった。
「ちょっと復習しようかと思ってさ。わたし、眞子ちゃんみたいに勉強得意じゃないから」
「何言ってるのよ。やっちーのが成績いいくせに」
笑いながらも眞子は自分も勉強しようかなと呟いた。誤魔化すのは得意じゃないけれど、やってみせる。
栗子は眞子に別れを告げると、長い溜息を吐いた。
―――14
十日が過ぎた。
だけど、相変わらずいじめは続いてる。物はなくなるし、ひどい時には後ろから押されて転げた。でもわたしはまだ、頑張れる。栗子はそう思って頑張っていた。
眞子が無邪気に笑う様を、それを隣で共に分かち合えることを、嬉しいと思った。
だけど物事は何も順調に進まない。栗子は主不在の眞子の席に目をやった。
昨日、眞子は学校を休んだ。それから今日も休んだ。明日も休むかもしれない。
栗子はただ、自分が犠牲になれば眞子に被害はないものだと思っていた。でもそんな保証はどこにもない。それに気付かなかった自分を悔やみ、そしてどうすることも出来ない自分を呪った。
――眞子の机からはみ出た教科書には太いマジック跡が見えた。
―――15
眞子はまだ学校に現れない。
栗子は眞子がいないことを哀しく思いながらも、ホッとしていた。
下手な嘘をつかなくてすむから。それに眞子が理不尽な目に合うのを見なくてすむから。自分が犠牲になれば、我慢すればすべてが収まると信じていたから。
そう――、信じていた。
「八代さん、ちょっといい?」
ちひろの呼びかけに大きく方を揺らした栗子は、深呼吸をした後出来る限りの笑顔で彼女を振り向いた。
「何?」
「うん、ちょっと。お願いがあるんだ」
「お願い?」
嫌な予感がしながらも笑顔で対応する栗子の前に、どさどさと何冊かのノートが落とされた。
「これ」
「え?」
思わず素に戻る栗子を歪んだ笑みで迎え、ちひろはその一冊を目の前に突き出す。それはちひろの数学のノートだ。
「今日、宿題が出たでしょ? やってきてよ。あたしの分も」
「え……?」
「え、じゃないわよ。やってって言ってるの。どうなの?」
イラつきを隠しもせずに彼女は眉を吊り上げる。その勢いに押され、栗子は頷いてしまった。
「あ、うん」
満足げなちひろの顔に、血の気が引いたがそれはもう、後の祭りだった。