治療
「こっちの準備は整ったぞ……って、その頬どうした?」
「いや、いろいろとな……」
「まあいいか、それよりも検査を始めるから和樹は僕とこのモニターを見てくれ」
「わかった」
準備の整ったアース研究会の部室では、まさに今から未香の検査が始まろうとしていた。
今回の検査ではバグの正体とクライアントメモリのどのあたりに、どのぐらいのバグの破片が侵入したのかを探る。
その結果を基に、治療の方法や期間を決めていくのだ。いうなれば、この検査が治療にとって最も重要な作業である。
そのことを理解している和樹と大知、それに長谷川先輩の表情は真剣であった。
「私はどうしてればいいの?」
「見上は寝転んだ状態で動かなければ大丈夫だ」
「そうなのね」
未香は本格的な機器を使うことに驚き、戸惑っていた。
今まで治療として検査を受けた場所では、ここまで本格的な機材を使っていなかった。パソコンに繋がれた小さな測定器で測るだけ。そんなずさんな検査だったのだ。
だからこそ未香は、これだけ大掛かりな治療をしてくれている和樹たちに感謝の念を抱いた。
「センサー認証確認。問題はないな、長谷川部長はアース端末をよろしくお願いします」
大知は目の前のモニターを確認しながら、別の作業を行っている長谷川先輩に声を掛けた。
「任せてください。今の段階で半分の解析は終わっています」
長谷川先輩は親指を立て順調に進んでいることを知らせた。
そして、それを聞くと、和樹も大知も深呼吸をした。
「それでは、治療責任者である赤城大知によるバグ治療を行う。今回は予測不能であるため、補佐として地島和樹を置く。では、始めよう」
「ああ」
ここからが本番だ。バグが大したものではないことを祈りながら検査を開始した。
「まずは心音、脈拍、心拍ともに異常なし。脳波のパターンにも問題は見受けられない。神経に流れる神経も各部位ともに正常……おかしいぞ」
大知は眉を寄せてモニターを睨んだ。
「どうした大知?」
なにか今までにない問題でもあったのだろうか、と心配になり、和樹も彼が見つめているモニター全体を眺める。
「なにもないじゃないか?」
特に異常は見受けられなかったのだ。
大知の深刻そうな表情の意味が理解できない和樹は、首を傾げた。
「どこかおかしな点があるか? 健康な状態だろう?」
そして、大知はこちらを振り返って頷いた。
「だからおかしいと言っているのだ。なぜ脳に流れる電流や脳波に異常が見られないのだ。彼女はバグに汚染されているのだろ?」
「クライアントメモリだからか……?」
「そうとしか考えられない。でも、そうなってくると俺には治療ができないことになるッ」
悔しいのだろう。大知は機械に自分の拳を叩きつけた。
金属と骨がぶつかる音が部室に木霊する。
すると、
「ねえ、ウソでしょ?」
未香が大知の呟きを耳にして僅かに体を起こしていた。モニターに記録されている彼女の鼓動が、ピクと跳ねあがったような気がした。
「和樹、どうなのよ。赤城くんの言ったことは私の聞き間違いじゃないわよねっ!」
目に涙を溜めて、再び彼女の表情に影が差した。
それでもセンサーが外れないようにしているのは微かな望みの現れ。
「あのっ、見上……」
彼女を元気付けようと口を開いたが、和樹はすぐにそれを閉じた。
一体なにを言えばいいのか分からないということもある。しかし、それ以前に未香に嘘を言ってまで無駄な期待を抱かせてしまってもいいのだろうか。
和樹の中で葛藤が生まれた。
そんな彼の隣で茫然と立ち尽くしていた大知が、未香に頭を下げた。真実は伝えなくてはいけない。
「すまない。僕の力不足だ。考え得る最新の設備を使い検査をした結果、バグの正体を掴むことができなかった。申し訳ない」
床に頭を付けてまで何度も謝る大知。これまで自信の塊といってもいいほどに慢心していた男の土下座だ。
どれだけ罵倒されても、殴られてもいい。そんな覚悟が彼にはあった。
しかし、未香は悪口を言うでもなく、手を上げるでもなく、ただ静かにセンサーを外していった。
「仕方ないわよ……もともとはバグなんかに汚染された私が悪いんだし……」
期待と希望を折られた後に残るのは失望と絶望だ。彼女の心も暗闇に閉ざされているように和樹は感じた。
その動作の一つ一つに力が籠っていなかった。
「見上さん……最終治療責任者といて頼りなくてすまない」
大知はなおも謝り続けた。
「っだ、だから、別にっ、っひ……っぐす、いっ……」
我慢していた涙の川が決壊した。一粒づつ流れるそれは夢の残骸であるように蛍光灯の光を反射して輝いていた。
「見上ちゃん……」
「未香ちゃん、大丈夫?」
アース端末の解析をする長谷川先輩と近くで検査の様子を眺めていた涼川が心配そうに彼女に声を掛けた。
「うっ、へいきだもんっ……これからもいままでと同じ生活をするだけだもん……」
ポタポタと流れ落ちる涙を、未香は手の甲で拭いとる。
和樹は部室を見渡して拳を握った。自分の掌に爪が突き刺さり、血が出るほど。自分を戒めるように。そして、呟く。
「……こんなのってないよな」
これは自分が生み出してしまった悲劇の一部だと目に焼き付ける。
もしもアースなどというものがなければこんなことにはならなかったのだ。
ならば、せめてその責任を取ろうと、ベッド型の機械の上で膝を抱えている未香に近づいて肩に手を置いた。
「見上……」
「なによっ、あんたになにができるのよ。私を治すことなんてできないんでしょ?」
あっちへ行け、と視線で促される。しかし、和樹は手を置き続けて首を振った。
「いいや、治せないなんて言ってない」
「あんたなんかには無理よ。ただアースに対する知識が人よりもあるだけ。アース端末を使おうともしない。そんなあんたがなにができるのよっ!」
未香は体を激しく揺らして和樹の手を振りほどこうとした。しかし、そんな彼女の耳に和樹はそっと囁いた。
「大丈夫。人よりじゃないから」
「えっ?」
そして、和樹は肩から手を放すと、部室全体に聞こえるように話す。
「みんなに聞いてもらいたいことがある。ちなみに今から離すことはここにいる、俺を合わせた五人だけの秘密にしてもらいたい」
「おい和樹、言うのか?」
大知は顔を上げて、目を丸くして彼を見上げた。
「ああ、全員が彼女を治そうとしているなかで俺だけなにもしないのは嫌だからな。それに、見上の、女の子の泣き顔を見てなにもしないのは変態以上に最悪な男だろ?」
和樹は不敵に笑って見せた。
「でも、もしもここにいる人が口外した時はどうする?」
「大丈夫だ。ここにいる友人たちがそんなことをするように見えるのか?」
「いや、見えないな」
大知は床に手を置いて立ち上がると、和樹に期待の眼差しを向けた。
「和樹、お願いだ。彼女の汚染を治してやってくれ」
「あたりまえだ。これ以上、アースで苦しむ人は目にしたくない」
和樹はまるで治療の責任を背負うように、大知と握手を交わした。
ここからは未香を泣かせる訳にはいかない。
「ねえ、それで話って何よ? 大ちゃんは知ってるみたいだけどわたし達は知らないのよね。もしもくだらないことなら殴るわよ?」
涼川は拳を握っていた。
「それは困るな……でも。話さないとな」
そして、和樹は一息置いて全員の方向を向き、
「アース技術が迷惑を掛けてしまってごめん!」
まずは頭を下げた。
「どうしてあんたが謝るのよ? 私の問題にあんたは関係ないでしょ?」
「いや、違うんだ」
「違わなくはないわ。実際アースを作ったのは開発者なのよ。あんたが責任を感じる必要は……」
「だから、その開発者が俺なんだっ!」
和樹はまだ何かを言おうとした未香の言葉に自分の声を重ねた。
「っは?」
「っへ?」
「っま!」
涼川も未香も長谷川先輩も言葉を失った。一瞬にして静まり返る部室。
正直に言えば、唐突なカミングアウトに思考が追いついていない様子だ。
最初に沈黙を破ったのは涼川だ。
「っそ、そんな話し信じられるわけないでしょ? ね、大ちゃん?」
彼女の言いたいことはわかる。信じられないのは当然だ。
しかし、以前から事情を話していた大知は首を横に振った。
「いや、本当だ。和樹が知っているアースの情報は未解明のものばかりだったからな……」
大手アース関連会社を背後に抱える人物の肯定。それだけで和樹の話に信憑性が増した。
しかし、いまだに半信半疑な空気は漂っていた。
大知の言葉を聞いても信じられない涼川は部室の机に置かれた一枚の紙を手に取った。
「それなら、アースが痛覚にも働く可能性があるか答えて見なさいよ。わたしの研究と照らし合わせてあげるわ」
確かに一般的な研究者や技術者からはアースや端末の技術不足だということが言われている。しかし、本当のことを言わないと、彼女は信用してくれないだろう。
彼女の研究がどれだけアースを解析出来ているかわからないが、大知に並びかけている技術者である彼女。
それならば、技術的には痛覚を感じられることぐらいは掴んでいるはずだ。
和樹は額に汗を流す。なるべくここにいる四人とはこれからも仲良くしていきたいと思っていた。それが今崩れかかっているのだ。
それを防ぐために、彼は自分の知っていることを正直に話した。
「痛覚にリンクさせることは可能だ。実際に俺のアース端末にはその機能が残されている、いや、残ってしまったと言った方がいいか……」
和樹は震える手で自分の時計型アース端末を取り出すと、全員にそれを見せた。
「ありえないわよっ! こんな形のアース端末見たことも聞いたこともないわ」
「そうよね。原則として端末は決められた形から選ぶものね」
部長と部員のコンビは、見たことのないアース端末に目を輝かせていた。
すると、長谷川先輩は不意に疑問符を頭の上に浮かべた。
「でも、痛覚は技術的ではないのなら、どうして他の端末には付けられなかったの?」
「痛覚を付けなかったのは俺の経験からなんです……」
最後に未香が思考を取り戻して訊ねた。
「っけ、経験?」
「ああ」
あの時のことを思い出すと決まって気分が悪くなる。恐怖で足も竦んでしまう。
しかし、和樹は話を続けた。自分には説明をする義務があるのだ。
「アースを開発した後のデバックの段階でシステムに一部の欠陥が見つかったんだ」
「今のバグとかよね?」
「ああ、いくつかは修正することができた。でも、その途中で俺自身がバグに汚染されかけて酷い痛みを味わったんだ。その時に痛覚に作用することのないようにしたんだ」
「なるほどね」
未香たちは納得したように頷いた。しかし、涼川だけは首を傾げた。
「まだ修正する箇所があるにもかかわらずどうしてアースを社会に出したの?」
「いい訳をしているようだけど、俺が痛みで寝込んでいる間にもう一人の開発者が勝手に世に出してしまったんだ。でも、責任は俺にあるのは事実だ。システムの構築段階で気付けていればアースを破棄していたのに……」
「ちょっとまって、破棄じゃなくて修正じゃないの?」
「いや、それはできないんだ、見上。アースを保つためにはどのEC言語も削ることができなかった。どこかを削れば他のバグが生まれる。もう一人の計画がわかった後に、だいぶ修正はしたんだけど、減らすことしかできなかった……」
和樹はもう一人の開発者にではなく、自分自身に腹が立っていた。夢の技術になる。その一心で創り上げた結果なのだ。悔むほかなかった。
未香は硬い表情の和樹を見上げ、彼の制服を引っ張った。
「とりあえず、開発者のあんたから見て、私は治せるの? 治せないの? それだけは知りたいわ」
彼女は重要なことを訊ねた。今気になるのはアースを使える可能性があるのか、ないのか、ただそれだけ。
もう一度期待をしてくれている彼女に、和樹は頷いた。
「治せるに決まってるだろ。俺がアースを使えればな」
「えっ……」
少しだけ表情を暗くした未香の頭を撫でる。
「さっき話した痛みがトラウマなんだ……でも、まずはバグの対処法は考えてあるから心配するな。うまくいけば明日にでもアース端末を使えるぞ」
「ホントっ!」
未香は笑顔になる。ずっと待ちに待った瞬間がもう一度訪れようとしているのだ。
喜ばずにはいられなかった。
そんな彼女を横目に腰に手を当てた涼川が口を開いた。
「ところで、どうして今まで黙ってたのよ?」
「言えるわけがないだろ? ここまで問題を起こしてるような技術だぞ?」
「でも、そんなの問題にならないぐらいすごいものじゃない」
「俺はそうは思えないんだよ」
「呆れた、まあ、大ちゃんと未香ちゃんが笑顔になれるならわたしは別にどうでもいいけどね。あ~でも、土下座姿もかっこよかったよ、大ちゃん」
涼川は鼻を鳴らして笑うと、大知に跳びついていた。
「相変わらずだな……」
そんな彼女の姿に笑いを漏らした和樹の近くに長谷川先輩が歩み寄った。
「アースを開発していたのね。それに構築者だったなんて、アース研究する身としてはゆっくりとお話をお聞きしたいです」
和樹はいたずらな顔を浮かべた。
「いいですけど、人に聞いてアースの研究を進めるのは嫌でしょ?」
質問された長谷川先輩は口元に手を当てて微笑んだ。
「うふふ、それもそうよね。未知は自分で解き明かすことに意味がありますもの」
やはりアース研究会の部長だけあって人に聞くなどという裏技は使いたくないのだ。
和樹は彼女の研究に対する姿勢に感嘆した。
そして、そんな彼女にだからこそ気になっていることを訊ねる。自分がアースを作ったことを後悔しないためにも聞いておくべきことだ。
「アースの研究は面白いですか?」
「ええ、いつか全部を解き明かして和樹くんに追い付いてみますよ」
長谷川先輩は目を輝かせてこちらに身を乗り出した。
彼女の挑戦に、和樹は頷きを返した。
「望むところです」
「それでは私はアースの解析が終わりそうなので戻りますね」
その時、未香のアース端末が筒の中で落下した。これは解析が終了した合図である。
「あとはデータを和樹くんに送りますね」
「お願いします」
和樹は頭を下げると、まだニヤニヤと笑っている未香の方に顔を向けた。
「バグの除去までは今の段階ではできないから、俺の家で検査して方法を探すぞ」
「除去?」
「ああ、まだバグの詳細が分かってない以上、普通にアース端末を使うことはできないんだ」
「そうなのね、いいわ。私もバグに汚染されたままじゃ安心できないもの」
「バグを取り除くまではアースを使う時に他とは違うと思う……不便かもしれないけど、我慢してくれ」
「それくらいなら我慢できるわ。なんて言ってもまたアースを使えるんだもん」
長谷川先輩から未香のアース端末を返してもらい、解析のデータも受け取ると、部室を後にして、和樹と未香は彼の家まで向かった。
大知も誘ったのだが、気分がすぐれないと断られてしまった。
「ただいま」
「っお、おじゃまします」
和樹たちは玄関を開けて玄関の中に入った。
帰宅途中はアースの開発者だと周囲に聞かれるといけないので、あまり話をしなかった。
ここならば周囲を気にすることはない。
「はあ、ようやく緊張から解放されるのね」
未香はため息を漏らして玄関に座り込んだ。相当気を張っていたようだ。アース開発者の発覚などというものはそれだけ彼女にとって驚きであった。
和樹は靴を脱ぎながら彼女を見下して苦笑した。
「いつも通り話してくれればいいのに」
「これからはそうするわよ」
「まあ、もしも正体を明かしたとしても証拠を出さない限り、開発者自体が都市伝説みたいなものだから、他の人からはなりきりくんと思われるだけさ」
「それもそうよね」
自分が緊張していたのがバカらしくなり、未香は笑いながら頷いた。
「それじゃあ、検査機器がある俺の部屋に行こうか?」
「っそ、そうね」
和樹は先導しながら階段を登っていく。彼の部屋は二階の南西の位置だ。
木製の階段には手すりが取り付けられており、天井には蛍光灯が輝いていた。
そして、扉を開けた先には乱雑にさまざまな機器や部品が置かれた机があった。何日か前の朝とは比べ物にならないほどの散かり方だ。
その中の一つの機械を手にとって振り返ると、和樹はそれを未香に手渡した。
「なにこれ?」
彼女の手の中にある機械はメガネ型の端末にも似ているが、レンズなどはなく完全に視界を完全に覆ってしまうような形状だ。
「それは疑似知覚端末で微弱な脳の電磁波を測定してクライアントメモリの状態を確認するものだ。通称、EF端末だ」
「EF端末ね……」
未香は興味深そうに色々な方向からEF端末を観察する。
「二年前のものだけどメンテナンスはしておいたから使えるはずだぞ」
今日の検査が上手くいかなかった、もしもの時のために引っ張り出しておいて正解だった。もちろん、それだけのためにこの機械を机に置いていた訳ではないが……。
和樹はEF端末の先にある端子を自分のパソコンに繋ぐと、彼は気まずそうに頭を掻いた。
「あの、見上……」
「なによ?」
それに対して、未香は視線をこちらに向けることなく一心不乱にEF端末を眺めていた。
「その機械でクライアントメモリを覗くんだけど、一応言っておかないといけないことがあるんだ」
「だから、それはなんなのよ?」
観察を邪魔されて随分と不機嫌になっている。そのため。和樹は手短に用件を話す。
「心の中を見ることになるけど、大丈夫かなって……ほら、さっきはアース端末の履歴のことで恥ずかしがってただろ?」
「っこ、こころっ!」
未香は手に持っていたEF端末を落としそうなった。
「まあ、思い浮かべなければ大丈夫なんだけど」
和樹は誤解のないように補足した。それを耳にした未香は半目を彼に向けた。
「だったらどうして伝えたのよっ! もしも変なこと考えちゃったらどうするのっ!」
「いや、一応伝えておくべきかと思って……やっぱり別の方法を探すか?」
咄嗟に身を引いて謝りそうになる。
彼女は頭を低くしている和樹から視線を外すと、頷きを見せた。
「まあいいわ。それぐらいは平気よ」
「わかった。早く終わらせて対策を今日中に考えるか」
和樹はパソコンの電源を付けて、キーボードを叩く。そして、最近、久しぶりに起動したアースのシステム構築にも使った自作のパソコンソフトを立ち上げた。
同時に脇に置かれたパソコンの本体から作動音が聞こえた。この音も二年前ならば毎日のように耳にしていたものだ。
――あの時はアースの開発に夢中だったな。
アースを作ることに躍起になっていた時は作業が進むにつれて心が躍った。
しかし、和樹が夢を賭した技術は彼の手を離れ、まったく違った姿に変わりつつある。
バグもその一つだ。その切っ掛けであるアースを作ったのは彼なのだ。
「どうにかして、もう一度、制御できるようにならないとな……」
「ん? なにか言った?」
呟いたことが微かに聞こえていた未香はEF端末を手にぶら下げながら首を傾げた。
「いいや、なんでも……さあ、バグを見つけるぞ」
「うん」
笑顔の未香を目にした和樹は、自分がアースを制御して誰しもが平等に夢を追うことができるようなものに変えていくべきだ、と再び自ら責任を感じた。
そして、美香は目の位置にEF端末を乗せて和樹のベッドに横になる。
自分のベッドに寝転がることに文句を言わない彼女を不思議に感じながら、和樹はパソコンを操作してクライアントメモリを覗きこんだ。
映し出されるのは霧が漂う映像や図など。そこには彼女の考えていることも表示される。
「思考の領域に入った。バグはどこだ……」
画面には人間の頭の図があり、そのどこにバグの破片があるのかわかるのだ。
破片ならば小さな黒点が表示されるはず。
「ねえ、まだなの?」
「あと少しだ」
しばらく画面を見つめていると、一つの黒い点が記された。
「ここか……っ!」
和樹は小さな部位に黒点が集中していたので一安心したが、あることに気付くと画面を睨み付けた。黒点の数は徐々に増え、図の全体にまで広がったのだ。
「故障じゃないよな……」
図以外の表示を見ると、クライアントメモリ内部の状況を知らせる画面は、空間に黒い裂け目が空いている状態を照らしていた。
和樹はその黒い裂け目に見覚えがある。
「……バグ本体だ」
見間違えるはずがない。何度となく思いだし、恐怖した存在だ。
画面を見つめて体を震わせている和樹を心配して、美香は彼に声をかけた。
「ねえ、大丈夫? 私の状態はそこまで悪いの?」
「っえ、あっ、いや……その……」
「正直に言いなさいよ!」
和樹は固唾をのんだ。
この症状が直せないということではない。対処法はうまく機能するだろう。しかし、それは一時的な方法だ。できれば、使いたくない手段だった。
その事実を彼女に伝えるため、和樹は言葉を選びながら検査結果を口にした。
「見上、お前を汚染していたものはバグの破片じゃなくて本体だった」
「……本体?」
「ああ、本当ならばクライアントメモリに入り込むこと自体がありえないことだけど、さらにバグそのものが見上の頭の中には侵入していたんだ」
ありえないこと続きだ。こんなことが起こるとすれば、システムに干渉することができる者のみ。このことが和樹にとある存在を思い浮かばせた。
「っそ、それは治るの?」
「理論的には治せるから心配するな。ただ……」
「何か問題でもあるの?」
「いや、俺がアースを使えないと治すことができないんだ……」
「あとはあんた次第なのね……」
少しだけ前進はしている。検査をしてもらっているということもあり、美香は強気に出ることはできなかった。
肩を落とす美香に、和樹は昨日から考えていた代案を教えた。
「一応、すぐにでもアースを使えるようになるものならある……」
机の上に置かれた指輪を手に取って差し出す。
「ほんとっ!」
美香は指輪を受け取ると、笑顔を見せた。これはクライアントメモリの代わりをする補助メモリだ。たしかに便利なものではあるが欠点もあった。
「こんなものがあるなら早く言いなさいよ」
「あまり使わせたくはなかったんだ……どうしても調整することのできなかった問題があるからな……」
「機能が使えないとか?」
「いや、機能仕様には問題ない。ただ、痛覚を身に受けることになるんだ」
「でも、これを着けていればこれまで通りアースが使えるのよね」
浮かない表情の和樹は無気力に頷いた。
「ただ、これを使えば、バグが治るまで指輪を着け続けることになるぞ?」
「それなら大丈夫。すぐに和樹が治してくれるもの」
美香は危険性があるものの再びアースを使える喜びに鼻歌を奏でた。
「見上が笑顔になってよかった……」
「っな、変なこと言わないでよ。あと、いっそのこと見上じゃなくて未香って呼びなさい。正直、見上だと赤城くんが私を呼ぶ時と似てるもの……」
「わかった……」
「それと、ありがと。自分の正体まで明かして助けてくれるなんて……あんたは私にとって最高の開発者よ」
自分の願いを叶えてくれた和樹に無邪気な笑顔を向けた。
「……そうか」
誉められるのは嬉しいはず。しかし、和樹はどこか素直に喜ぶことができなかった。