疑問
「僕の駆除はどうだった?」
夕陽が照らす放課後。
ほとんどの生徒が部活に向かい、残りの生徒が帰宅をした後の教室で大知は首を回して体をほぐしていた。
和樹は自慢げな顔の彼を見上げた。
「よくあんな危ないことするよ……」
「技術を磨けば、人々が安心してアースを使えるようになるからな」
「でも、怖くないのか?」
「いいや、人の笑顔のためならば怖くないさ」
アースセキュリティをただの金儲けと考えず、人助けだと考えている。その大知の横顔は、次期社長として相応しいものであった。
「人のためか……」
和樹が少し前まで考えていたこと。しかし、今ではその思いも揺らぎつつある。
彼に夕陽が当たり、影が顔の半分を占めた。
そして、しばしの沈黙の後。
「大知はさ、アースに対してどんな感情を持ってる?」
「ん? なんだ、突然……」
「いや、大知にとっての宿敵とも言えるウィルスを生み続けるバグ。さらにそのバグのあるアースのことをどう思ってるのかな、って……」
和樹は力なく笑った。そんな彼を見ていた大知は、考えるように顎に手を当てた。
少しの間が空き。
「アースは恩人みたいなものかな。感謝はしている。」
否定的な言葉が返ってくると思っていた和樹は、意外に感じて呟いた。
「感謝?」
和樹の問いに、大知は彼の目を見て頷く。
「ああ、もともと弱小企業だった〈赤城ソフト〉がここまで大きくなれたのはアースのおかげだからな」
「そう、だったな……」
「ただそれだけじゃないぞ。ただコンピュータに詳しいだけだった僕の、生きる意味を与えてくれたものなんだ。自分が自分のままでいられる居場所を見つけられた」
少し恥ずかしいのか、大知は鼻の下を指でなぞりながらはにかんだ。
「生きる意味か……」
「まあ、僕なんかじゃあアースの開発者には遠く及ばないけど……なっ、和樹」
「っし、知るかっ!」
不意に無邪気な笑顔を向けられて、和樹は明後日の方向に視線を逸らした。
「けど――」
大知は拳を天井に突き上げた。
「そのうち、アースの中で鉄壁のウィルスソフトを作ってやるさ」
硬い決意。彼の誰にも負ける訳にはいかないという意思が、和樹にも伝わってきた。
和樹は自分の夢を託すかのように大知の肩に手を置いた。
「期待してる……」
「和樹にそんなことを言われるなんてな」
「俺にはできないことが多いから……」
「できないじゃなくて、やらないのだろ?」
「……」
嫌な記憶を思い出して肩を落とす和樹に、大知は言葉を選びながら呟いた。
「人には乗り越えられないものもある」
「でも、俺の場合は……」
「ゆっくりと克服すればいいさ」
和樹は友人の慰めに涙しそうになる。
そして、大知は視線を右上に向けると、時計を確認して呟いた。
「時間だな」
「っそ、そういえば、そろそろだな」
和樹も補助端末の携帯電話で時間を確認した。
「時間的には来るだろう」
朝話をしていた、バグに汚染された少女が来るという約束の時間だ。
授業でも紹介されていたようなバグならば、一週間ほどで治るだろう。
少しだけ夕日に照らされた木々の影が伸び始めた頃。
教室の前で一つの人影が立ち止まった。
そして、その人影は教室の扉をノックした。
ほぼ無人の室内に響く気の叩かれる音。
「あの……いますか?」
人影は扉を少しだけ開けて、顔を覗かせた。どうやら女生徒のようだ。
「って……」
「ん? っう、うそでしょっ!」
和樹はその女生徒の顔に見覚えがあった。それは彼女も同じようで、扉を勢いよく全開にした。大きな音がまるでゴングであったかのように、女生徒は和樹に詰め寄って襟首を掴んだ。
「イタッ!」
和樹は彼女に押し倒された。床に倒れても、女生徒は制服を放さなかった。馬乗りの状態で彼を見下ろす。
「なんであんたがいるのよっ!」
「っちょ、っま、苦しいッ」
身体を揺すられ息を漏らす和樹。
「っま、まさか、最終の治療責任者ってあんたじゃないでしょうねっ!」
「っは、放してッ」
「どうなのよ、ね、ね、ねっ!」
「っゆ、揺らさないでっ」
問題の女生徒、未香は馬乗りの状態で彼の身体を揺らし続けた。
「早く答えなさい」
「それよりも手を……」
「そんなことどうでもいいのよっ!」
彼女は襟首を掴んで、和樹の身体を引きよせた。
ようやく揺れが収まったかと思い、和樹が目を開けると、真正面に未香の顔があった。不安に満ちた表情。朝と同じく二人の息がお互いの間で混ざり合う。
「この治療には私の将来が懸ってるのっ……あんたみたいな自分に自信が持てないような人にそれを預けたくないのよっ!」
「……」
和樹は何も言うことができなかった。未香は朝の会話の中で、彼自身が自分に感じている感情を一部だけでも見抜いていたのだ。
彼の唇に水滴が当たった。それは未香から流れ落ちてきたもの。彼女はまぶたを固く閉じていた。隙間から漏れる涙は、彼女の頬を濡らしていた。
「違うって言ってよ……おねがい」
未香は和樹の胸に顔をうずめた。
「とりあえず、顔を上げて」
「ひっくっ、ぐすっ」
襟首から手を放した未香は、目元を拭いながら体を起こした。
しかし、まだ和樹の上から退かない。
仕方がないので、和樹はそのままの体勢で話を始めた。
「見上さん、落ち着いたかい?」
「うん……」
「一つだけ言わせてくれ。俺は君の治療責任者じゃない、安心してくれ」
「っへ?」
未香はピタリと泣き止んで、和樹の顔を見下ろした。
「第一、俺はアースを事情があって使えないって話しただろ?」
「っそ、それもそうね」
「それに、俺はセキュリティの専門家じゃない」
ようやく誤解が解けたようで、未香は何度も頷いていた。
そして、首を傾げる。
「なら私の治療をする人は?」
未香は周りを見渡した。
紅く染まる教室の中には和樹と大知、それと彼女しかいない。
和樹が探している相手でないのならば、残るは一人。
机の上に座っていた大知は二人が落ち着いたことを確認すると、近くにまで歩み寄った。
「僕が見上さんの最終治療責任者だ。よろしく」
大知は微笑むと、右手を差し出した。
「そう、あなたなのね……」
そして、未香は立ち上がって彼の顔を見上げた。
彼女は決して握手をしようとはしなかった。そのため、大知はすぐに手を引いた。
「これから君の担当をする赤城大知だ」
「ふ~ん、そう……」
未香は治療の責任者にあったにもかかわらず、期待していないような渇いた目をしていた。
――彼女はどうしてあんな目を……
治療の話しになる時の彼女の雰囲気には陰りのようなものを感じた。
和樹がさらに詳しく彼女を観察しようとした時、
「僕のことは赤城先生や、次期社長と呼んでくれても構わないのだぞ?」
大知が治療とは全く関係のない話を始めてしまった。
「いやよ」
案の定、未香の表情は平常時のそれに戻ってしまう。
「なぜだぁぁ!」
愕然と床に倒れ込む大知。彼女の答えは即答だった。彼はピクピクと小刻みに震えながら、彼女に頼み込んだ。
「先生とだけでも……」
「ふん。私はもうセキュリティ会社の人間なんて信用しないわ。あなたのことは赤城と呼ばせてもらうわ」
「次期社長なのに……」
大知は落ち込んでしまった。
そんな友人の姿を床に座り込んで眺めていた和樹は、未香の様子を窺った。
彼女の表情は期待を抱いていないような印象だ。バスでの会話を思い出した和樹はなんとなく彼女の考えていることを推測ができた。
――おまえもどうせ今までの治療責任者と変わらない……そう言いたそうだな。
和樹が胸中の中で呟いていると、未香は口を開いた。
「どうせ直せないんでしょ?」
やはり、和樹の予想通りだった。彼女はこれまでにも何件ものセキュリティ会社をたらい回しにされてきたのだ。治療が不可能と結論付けるのも無理はない。
しかし、彼女にも知らない事実がこと教室の中にはある。
「なんといった?」
ここぞとばかりに表情を明るくする大知。
未香からは彼の顔は夕陽の逆光で見えていなかった。
だからこそ、
「だから、私を治療することなんてできないんでしょ?」
吐き捨てるように大知に正直な感想をぶつけた。
彼女はアースを使えるようになる希望は捨てていないけれども、今のセキュリティ技術では治療は不可能だとも感じていた。
「っふ、ふはははは」
大知は悪役のように高笑いをした。
「っな、なにを笑ってるのよ。事実じゃない」
「たしかに無能な技術者ならばな」
「どういうことよ」
「あまり僕を無能と思わない方がいい。これでもアースのセキュリティに関しては誰にも負けない、世界一であると自負している」
不敵に笑って歯を輝かせる大知。またか、と和樹はため息をついた。
もうそろそろ日も見えなくなってくる頃合いだ。
大知の自慢に、和樹同様、未香は深いため息をついた。
「自負って、自己評価じゃないの! 無能じゃないなんてわからないじゃない。見た目は凡人なんだけど」
未香は半目で大知を眺めた。高級感の溢れる雰囲気だけ。これといって特別なものを大知から感じられない。
しかし、
「君は赤城の名を知らないのか?」
赤城の名前を背負った大知は一味違う。
「赤城? どこかで聞いたことがあるわね」
未香は眉を寄せて少し考える。
「だろ?」
自慢げな顔で胸を張る大知だったが、
「でも、思い出せないわ」
「なにっ!」
すぐに彼女が首を振ると、衝撃を受けたようによろめいた。
「君は〈赤城ソフト〉を知らないのかっ!」
「〈赤城ソフト〉……ああ、あの大手セキュリティ会社の……っへ? 赤城って」
未香は大知を指さして、和樹に視線を向けた。和樹はそれに無言で頷いた。
薄暗くなってきた教室内に、少しの間、静寂が訪れる。
しばらくすると、
「えぇ! この人があの会社の社長?」
目を丸くして一歩後ろに下がる未香。
「あんな社長と一緒にするな。僕は次期社長だ」
大知にとっては重要なことのようで、最後だけ声が大きくなっていた。
「次期って、まだ学生じゃない。それなのにセキュリティの知識なんてあるの?」
とても不安そうだ。でも、彼女の心配はすぐに大知が否定するだろう。
「学生だからといって知識がないというのは早計だな。さきほども言ったが、セキュリティに関しては世界一だ。それは自分の身内も例外ではない」
事実として大知はさまざまなことをしてきている。
「私のバグに、セキュリティソフト会社二番手の〈九賀リペア〉ですら治療をあきらめたのよ。あなたにできるの?」
大知の正体を知ってもなお、治療ができるとは考えていないようだ。
「もしも僕にできなくても、こいつならば必ず直すことができる」
「うえぇ、そこで俺に振るっ!?」
突然、会話の中心に入れられ、和樹は戸惑いを口にした。そんな彼に視線を向けた美香は、目を細める。
「そういえば、どうしてあんたがここにいるのよっ!」
美香はご立腹の様子で、ズカズカと足音を鳴らしながら和樹に詰め寄った。
まだ床に座っていたため、彼女の影が和樹の体にかかった。薄暗くてもわかる権幕。
「いや、あの……」
言葉を濁しながら視線をそらす。
「なによ? ハッキリと言いなさいよ」
「そうだな、見学がしたくて……」
「ふーん」
見透かすような視線を向ける美香。
「ほら、アースのリハビリ? 的な……」
「ウソね」
「どうしてすぐに答えを出すんだよっ!」
なにかを感じ取った様子の美香は、あきれてため息をついた。
「ウソをつくのが下手くそなのよ」
「うっ……」
「本当はどうしてここにいるのよ?」
どうやら和樹には彼女の目を誤魔化すことはできないようだ。そこで、意を決したように表情を硬くした。
「君の治療に少しでも協力するためだ」
これは嘘ではない。本心からの言葉だ。
「そう、私のために……?」
「これは俺の自己満足みたいなものだけど、直せる可能性は上がるはずだ」
「本当に?」
彼女のつぶやきに目を見て頷きを返す。その時彼女の顔は赤く染まっていた。それは薄暗い中でのことなので和樹が気付くことはなかった。
そして、
「ところで、あんたも赤城さんと同じでセキュリティに関係しているの?」
美香に続いて訊ねられた質問に、和樹は目をそらした。
「っへ? っあ、あ……っそ、そうなるかな?」
明らかに不自然な行動。それを見ていた美香は、
「何よその反応……怪しいわね」
再び、眉を寄せる。
「アースのセキュリティには関係してるぞ?」
和樹は冷や汗を流しながら、乾いた笑顔を浮かべた。
――話した内容は真実だ、一応は……。
じっくりと彼を見つめた美香は、首をかしげた。
「たしかにウソではない雰囲気ね。ならさっき感じた違和感はいったい……っあ!」
すると、美香は何かに気付いたように口を開けた。
「っど、どうしたんだよっ?」
「そういえば、あんた朝のバスで私に抱き着いたわねっ!」
「あれは転んだだけだ」
「さっき感じた違和感はこれだわ。どうせ治療とかいって変なことする気ね!」
「そんなことする訳ないだろ!」
再び言い合いを始めてしまった二人。その間に割って入り、大知が会話に参加した。
「まあまあ、和樹のアースに対する知識は僕以上、いや、僕が知る限りでは最も知識があると言ってもいいから安心してくれ」
「ふーん、アースネットワークの知識はあるのね……」
未香は治療責任者の言葉を聞いて、和樹に向けていた罵倒の矛を収めた。
大手企業のしかも、その次期社長の言葉。それは信じるに値するものだ。
「これからは僕と和樹が力を合わせ君の治療に当たることになる」
そして、大知はすっかり暗くなってしまった教室での会話を締めくくる。
「今までの治療と変わらないだろうけど、まあ、よろしく……」
「俺も自分のできる範囲で見上さんのことはサポートするから」
和樹と未香は大知に促されて握手をした。
「それじゃあもう帰ろうか。夜も遅いしね」
大知はポンと手を叩くと、カバンを掴んで教室を出ていこうとし、立ち止まった。
「あと、和樹は家も近いようだから、見上さんを送ってあげなよ。これ、治療責任者からの命令ね。アシスタントくん」
いつの間にかアシスタントという立場に任命されたようだ。
和樹はため息を漏らすと、片手を上げて同意した。
「わかったよ……」
「よろしい。それでは、僕は家の車が来ているから失礼するよ」
「ああ、また明日な」
大知はそそくさと教室を出て行ってしまった。
――車で家まで送ってくれればいいのに……
心の中で友人の些細な冷たさに呆れながら、和樹は未香を振り返った。
「それじゃあ、帰ろうか、見上さん」
「っあ、あんたと~?」
彼女はとても不満そうな声を上げた。
「仕方ないだろ? 女の子を暗い夜道の中、一人で帰らせるわけにはいかないんだから」
「それもそうだけど……う~ん……っ! そうだ、一つルール、約束事を決めましょ」
少しだけ頭を抱えた未香は何かを思いつくと、指をこちらに向けてきた。
「ついて来るな、とかなら却下だぞ」
「違うわよ。とりあえず、今日のところは私の一メートル以内には近づかないこと。私はまだあんたのこと信用してないんだから」
「もうそれでいいから早く帰ろう、お腹減ったし」
和樹がお腹を手で押さえると、別の場所から空腹を知らせる可愛らしい音が鳴った。
それに気が付いた和樹は後ろを振り返り、苦笑した。
「見上さんもでしょ? ほら、バス来ちゃうよ」
「っう、うん」
お腹の音を聞かれて決まりが悪いのか、未香は頬を染めて顔を逸らした。
そんな彼女を見ながら、和樹は思った。
この治療がうまくいけば、自分も何か買われるかもしれない、と。
未香はバスの中でアース補助端末を手に持ちながら、一つ前の席に座る和樹を見つめた。
――やっぱりアースを使ってないわよね。なら、使いたくないっていうのは本当みたいね……。
彼女には一つだけ気になっていることがあった。
はたして、アースを使わない人間が、セキュリティ会社の次期社長よりもアースについて詳しいなんてことがありえるのだろうか?
アースでのアプリケーション製作や、ソフトウェア作りなどにどのような知識が必要なのか、未香は知らない。
しかし、そこには膨大な知識量、センス、技術、といったものが必要になるはずだ。
ならばアースネットワークに対して、セキュリティの中でも凄腕の技術者に認められるほどのこの男は一体何者なのだろう。
それが彼のことを本心から信じられない本当の理由。
公然の場で辱めを受けた。そんなことは彼を信じない理由ではなかったのだ。
「和樹……あんたは一体何者なの?」
彼に聞こえないような小声で、未香は彼の背中に疑問を投げかけた。当然、彼から答えが返ってくるはずもなかった。