プロローグ
拝啓、母上様。
こちらは春の日差しも心地良く感じるこの頃。そちらの世界も春を迎えていますでしょうか?
時の流れは早いもので、私がこちらに来てから11年が経ちました。私が烏丸紗英という5歳の少女になった夢は未だに覚める様子がありません。来週には高校の入学式があります。高校の名前は私立九里香高等学校。オールクリアした母上様ならばすぐに気付いたかと思いますが、私はどうやら『CALL ME』の世界にいるようです。
母上様と一緒に暮らしていた時、私はこのゲームを『クソゲー』と評しました。もしかしたらそのせいで長い間この世界にいる夢を見続けているのかもしれません。しかし、私の中でこのゲームが『クソゲー』である事は揺らぎません。例えそのせいで神様に罰せられて、この世界の夢を続けさせるとしてもです。だってそうでしょう?恋愛という要素が詰められていても、このゲームは推理ゲーム。最後の事件の犯人、トリック、動機。全て明らかにし、証拠も全て集めたのにも関わらず、攻略対象の誰とも恋愛状態に無いせいでクリア出来ないのは納得出来ません。
攻略サイトでその事実に至り、怒りのあまり地団太を踏んで母上様から拳骨を貰った事は何年経とうと忘れる事は無いでしょう。老朽化が進む自宅2階で暴れた私から母上様は本体ごとゲームを没収しましたが、まさかその後、あのゲームをオールクリアするとは思いませんでした。あれから母上様は自分専用のゲーム機本体を購入し、乙女ゲームの世界を万進し始めました。部屋のポスターがアイドル系演歌歌手から乙女ゲームの一押しキャラに変わった時には、原因を作った自分の愚かさを嘆いたものです。しかし、自室にお気に入りのポスターを貼りたい気持ちはわかりますが、どうか見えないところにお願いします。あのポスターを初めて見た時の弟の目が酷く濁っていました。私と違って繊細な弟が非行に走らないか心配です。
『CALL ME』の世界において烏丸紗英という少女は、主人公のクラスメイトであり、サポートキャラ。そして攻略対象、烏丸玲一郎の攻略の際に紗英の好感度も高くないと攻略出来ないという設定でした。また別の攻略対象、高見壮介に恋をしている設定なので、高見ルートではライバルキャラとして登場して来ます。この辺は全て母上様から聞いた話なので、これ以上の説明は不要かと思います。
さて、こちらで私は烏丸紗英という少女になっていますが、兄である烏丸玲一郎も存在しています。1度しかプレイしていませんが、ゲーム中の玲一郎のその傲慢な性格には非常にイライラした記憶があります。探偵として自分よりも劣る妹の紗英を見下し、紗英が自分に尽くすのは当たり前という態度を常に取っています。主人公が玲一郎ルートに入った時には紗英は兄の態度に耐え切れずに家出するのですが、よく今まで我慢していたなと母上様からその話を聞いた時には感心したものです。探偵は常に2人以上で動く事が探偵協会によって決められているので、相棒を失った玲一郎は他の人間に相棒になるように言いますが、誰も頷きはしません。主人公にも誘いは来ますが、その誘いに乗ったら即バッドエンドだと母上様は笑っていましたね。
烏丸玲一郎がゲームと同じ性格ならば、私は兄として慕う事などなかったかと思います。私が突然5歳児になった夢の始めの頃から、玲一郎はその優秀さを周囲に見せ付けていました。その頃の私は努力家の妹。しかし、天才の兄に遠く及ばない。そう周囲から評価されていました。誰もが玲一郎を褒め称え、6歳児の玲一郎は文字通り天狗になっていました。この状態が10年少々続いたのならば、きっと烏丸玲一郎はきっとゲームと同じ男になっていたかと思います。
幼少期、近所の悪ガキに苛められた私に、母上様は何と言ったか覚えていますか?やられたらやり返せ、です。母上様に約20年育てられ、反骨精神を鍛えられた私です。6歳児相手でも容赦しませんでした。子供が外で虫を潰すように、躊躇せずにプチッっとやりました。
私のこの行動により、ゲームとは異なった状況が発生するかもしれない。そう後から気付きました。しかし、この状況を夢だと思っていた私は、自重しませんでした。どうせそのうち夢から覚めるだろう。そう思っていた私は格下だと思って苛めて来る6歳児を、時に物理的に、時に舌戦で打ち負かしました。
天狗になり、伸びに伸びきった6歳児の鼻は折れ、烏丸玲一郎はしばらく引き篭もってしまいました。烏丸家の大事な跡取りになんて事をするのだと言って来た人間もいましたが、片っ端から論破して行きました。それに対し、暴力で黙らせようとした大人気無い者達もいましたが、持たされた防犯グッツで撃退しました。両親や祖父母からの叱責はありませんでした。家の問題に口を出すな、娘に危害を加えようとはどういう了見だと周囲を黙らせたくらいです。家族も玲一郎の増長は良くないと思っていたのでしょう。
引き篭もりから抜け出してすぐ、玲一郎は私にライバル宣言をしました。その勝気な眼差しはいかにも生意気な子供といった感じで、天才にありがちなメンタルの弱さとは無縁に思えました。兄妹である以上、比べられるのは必然。玲一郎がライバル宣言をしてもしなくても、最初から競い合う事が決められているのです。それでもそれを口にするのとしないのでは、意識的に大きな差があります。負けず嫌いな私がそれに応じ、以来、11年。夢から覚める事無くこの関係は続きました。
ゲーム中の玲一郎は、攻略対象の高校生の中では唯一の探偵ランクB+でしたが、こちらの玲一郎はAまで上がっています。ゲーム中の紗英もランクCでしたが、負けず嫌いな私がCのままである筈がありません。玲一郎に少し遅れながらも、中学生として初めてのランクA保持者になりました。しかし、ライバルと言いながらも閃き型の天才である玲一郎に追い付くのが精一杯なのが現状です。今後、差は開く一方だと理解していますが、それほど悲観もしていません。
母上様。今、私は高速船に乗り、ある孤島に向かっています。
今まで玲一郎と競い合う事に夢中になっていたのですっかり忘れていましたが、ゲームスタート時、主人公がどこに居たのか思い出して下さい。主人公がプロローグで電車で2時間、高速船で30分掛けて辿り着いた孤島としか言っていませんでしたが、その場所の名前は湯花島。間欠泉が花のように吹き出す事から名付けられた個人所有の孤島です。
没落したものの、探偵一族の誇りを持った主人公の両親が、多くの探偵達を輩出した九里香高校に娘を入学させるところからゲームは始まります。主人公はしぶしぶ両親の言葉に従うものの、高校で別れてしまう親友と共に卒業旅行に出掛け、そしてそこで事件に遭遇します。旅行前、筆記試験だけで取れる探偵ランクFを所持していたので、主人公が捜査に乗り出します。
この事件はゲームスタート時のチュートリアルを担っているので、推理自体は簡単です。犯人の悪あがきで主人公の親友が人質に取られてしまいますが、そこに烏丸紗英が介入して人質の救出と犯人確保を行います。連絡が取れなくなった事に湯花島にホテルを持つオーナーが不信を抱き、別件で雇われていた烏丸紗英に島に確認に行くので付いて来て欲しいと依頼するのです。
久しぶりに玲一郎とは別行動で動いていたのですが、ようやく依頼内容が終わると思った矢先に追加依頼発生。しかもゲームスタート時の事件の可能性が濃厚だったので、行く以外の選択肢がありませんでした。幸いな事に孤島の事件はホテル宿泊客が毎晩行方不明になるというものであり、ゲーム通りならば誘拐された被害者達は全員生還します。ゲームの中で被害者の場所を割り出すのは紗英が行います。残された手掛かりから被害者達の居る監禁場所を調べるには序盤の主人公には荷が重いのです。
穏やかな海面を滑るように走る高速船。後方部に展望デッキもありますが、現在、船にしがみつかなければ飛ばされてしまう程の速度で進んでいます。私も船内の椅子に座り、シートベルトを装着しています。嫌な予感がすると探偵ランクAの私が言ったので、許す限りの速度を出しているのです。最初の事件から既に3日。最悪、飲まず食わずの状態。急がない訳がありません。
追加依頼により湯花島に向かう事を家族に電話で伝えると、父親からそこに没落した探偵一族の娘がいるので見極めて欲しいと頼み込まれました。どこからその情報を入手したかは謎ですが、私の報告次第によっては主人公が烏丸家次期当主の夫人候補になる可能性もあります。人命第一なのでそこまで余裕があるかわかりませんが、義理の姉になる可能性もあるので出来るだけ頑張りたいと思います。
私はいずれこの夢から覚めるでしょう。そちらに戻った時、夢の内容を話すのが楽しみです。それでは次にお会いする時まで、母上様もお体にはお気をつけてお過ごし下さい。
敬具