エピローグ
北の森――入り口。
危険を示す看板が立てられているがあくまで危険であることを告げるのみで、進入に関する罰則は定まっていない。秘薬の材料や武具の素材となる鉱石を求めて島の内外から訪れる人もいるが森に入ることは何が起きても自己責任という形になるため、島の管理者であるザラスシュトラ魔術学院も細かい規則を決めるまでには至らなかった。
ルーシーは距離を取り、農道から森の入り口を見ていた。視界はすでに自分のものに戻している。後はハマヌーンや犬たち、ジュウベエやテレンスたちが戻ってくるのを待つだけだ。
やがて、薄ぼんやりと見える森の中で動く影があった。
「キキィッ」
鳴き声とともに飛び出してきたのはハマヌーンだ。尻尾を左右に振りながら太陽のもとへ躍り出る。続いて犬の隊列が二列で続き、ルルを抱えたテレンス、最後にジュウベエが姿を見せた。
「お帰りなさい」
「ただいま、でござる」
ハマヌーンの頭を撫でながらルーシーはジュウベエに向けて微笑む。後はべスを学院まで移送し報告書を提出して依頼は終わりである。
だが、その前に、
「傷口、早く消毒しないと……」
テレンスの右手に巻かれた手ぬぐいを見てルーシーは眉尻を下げる。テレンスの腕の中のルルは飼い主の怪我を知ってか知らずか、辺りをきょろきょろ見回して落ち着かない様子であった。
「キキッ、キイッ!」
ハマヌーンの合図でべス以外の犬たちが一斉に農道を駆けていく。おそらく自分たちの家へと帰るのだろう。心配して待っている優しい飼い主のもとへ。
「ハマヌーンもお疲れ様。はい、ごほうびだよ」
ショルダーバッグからへヴィサイド家に行く前に市場で買ったバナナを取り出し、ルーシーはハマヌーンに手渡す。ハマヌーンは上機嫌で受け取ると皮ごと食べる勢いでそれを頬張っていた。
「今日はありがとう、幻獣送還」
呪文の言葉を唱えるとハマヌーンの足元に魔法陣が浮かび、カッと光ったと同時に姿が一瞬で消える。
「ふう、これで後はべスをグランサさん家まで連れて行って、それから学院まで来てもらえば依頼は終わりかな」
「そうでござるか。それじゃあテレンス、医者のところまで行くでござる」
「はい。それと、ジュウベエさん、お姉さん、これ……」
ルルを片手で抱え、テレンスはズボンのポケットからあるものを取り出した。
「わあ、水晶だ」
「ほう、中が透き通っているでござるな」
それは拳の半分ほどの水晶の原石だった。濁っている部分もあるが原石としては上等の部類に入る代物である。
「あの岩の上で見つけたんだ。今回のお礼に受け取ってよ」
差し出され、ためらうルーシーだったが隣にいるジュウベエが助言する。
「受け取るでござる。これもルーシー殿の成果でござる。それだけのことをルーシー殿はやったのでござるから。それに、謝礼を受け取らないのは一見謙虚のようではあるが、それも行き過ぎると失礼にあたるでござる」
行き過ぎた謙虚は失礼。
自分の働きにそれほどの価値があったのかルーシーは疑問であった。
ハマヌーンを召喚して、ジュウベエを援護させた。働きだけ見れば、黒犬を倒したジュウベエの行いのほうがよほど評価されるべきだと思う。
「でも……」
「ならハマヌーンの分も含まれていると考えるでござる。それなら受け取らないわけにもいかないでござろう」
そう言われて受け取らないのはテレンスの気持ちを無碍にしているような気がするし、自分はともかくハマヌーンの働きを低く見ているような気がしたのでルーシーは水晶を受け取ることにした。
「ありがとう、これ、頂くね」
「うん!」
それから。
テレンスを医者のところまで送り届けた後、べスを連れて飼い主のグランサ家を二人は訪れた。そこで何度も感謝の言葉を述べられたが、依頼達成の報告のためにべスを連れて学院まで来てほしいということを伝え、再会の感動はひとまず置いてもらい三人と一匹はそのまま学院へと馬車に乗って向かった。
道中、詳しい話を聞かれたが黒犬のことは隠して他の犬たちと北の森にいたことだけを告げた。黒犬。死を告げる犬。そんな存在が自分の飼い犬を操っていたなどと聞かせられて平穏でいられるだろうか心配だったからだ。
学院に着くと就職課を訪れ、依頼達成の報告、依頼主からの依頼完了の承認などの事務作業が行われた。その時に報酬の受け渡しも行われ、ルーシーは「皆幸せで万々歳だから報酬は受け取らない」などと言い出したが職員から「学院は無料の何でも屋ではない」ときつく注意されてしまうことになった。
後でジュウベエからも「報酬を受け取らないのも謝礼を受け取らないのと同じ。それに依頼の解決は魔術学院の一員として行ったのだから組織の対面に関わるでござる」と言われてしまい、少しブルーになったりもした。ジュウベエとしてはなるべく傷つけないよう穏便にと言葉を選んだようであったが。
そして、魔女キノコと水晶と3万ベル。これが今回の依頼でルーシーが手に入れたものだ。
魔女キノコは結局学院の『秘薬クラブ』に譲渡し、できた秘薬の一部を分けてもらうことになった。水晶に関しては少しだが魔力が感じられたため、いつかアクセサリーや召喚の触媒に使えるかもしれないと手元に残すことにした。
報酬の3万ベルはジュウベエと折半しようと提案したが、彼からハマヌーンを召喚して顕現するための魔力の消費量と彼自身の働きに大きな偏りがあると言われ、ルーシーが『苺の木』で行われるデザートバイキングをおごることで決着した。
……それから。
「それじゃあ、拙者はそろそろ帰るでござる」
「うん、はいこれ、お土産」
「おっ、この匂いは焼きたてのパンの匂いでござるな」
日が西の海に沈む時刻。白い柵に囲まれた一軒建てのルーシーの家の前に二人はいた。白い大きな屋根の二階建ての家だ。最初に取り決めた約束の時間になった。ジュウベエが自分の世界に戻る時間。次元の海を越えてこの世界ではない別の世界に渡る時間。
「えっと、本日もお勤めご苦労様でした」
「ルーシー殿も報告書の執筆がんばるでござる」
「うん、そうだね。じゃあ、また明日もよろしくお願い致します」
「今日は早めに寝るでござるよ」
保護者のように声をかけるジュウベエに苦笑し、ルーシーは言葉をつむぐ。
「幻獣送還」
ハマヌーンが送還された時と同じようにジュウベエの足元に二重の魔法円と六旁星で構成される魔法陣が浮かび、光とともにジュウベエの姿が消失する。
それを確認するとルーシーは寂しげに微笑んだまま玄関のドアを開ける。どっと疲れが出たのを感じ、あくびが漏れる。そしてそのまま自室へとふらふらと足を運んだのだった。
【依頼番号】5604873
【依頼名】飼い犬の捜索
【報酬】30000ベル
【代用単位】4
【入手物】魔女キノコ 水晶
Congratulation!
Mission Accomplished!
後日、ルーシーは久しぶりにいつか見た『闇の眷属図鑑』を読むことにした。そこにいる黒犬から受ける印象は初めて読んだ時と変わらず不気味であった。しかし、あるはずのない生気みたいなものが感じられ、それがイラストと実物の差異でもあった。
黒犬バスカヴィル。
それが今回の事件の首謀者とされる魔獣だが、何を目的に犬たちを操ったのか以前不明なままであった。ただ、黒犬が犬たちを操るという事例は初めてらしく報告を聞いた魔獣学の先生などからは「今回の事件を事例に、黒犬に関する論文でも書いてみない?」と誘われたが、そのようなものが自分に書けるとは到底思えず、ルーシーは丁重に辞退することした。
また、後日いなくなった犬たちの飼い主の一人が亡くなったらしいが、御歳九十三歳というご高齢だったためにそれが黒犬の影響によるものか自然死だったのか判断が難しいところであった。それでもルーシーは忘れないだろう。
暗黒の身体を持ったあの犬を。
燃えるような赤い目でこの世界を見ていた犬の形をした何かを。
「ルーシー殿、そろそろ授業が始まるでござる」
「あ、うん、今行くね」
図鑑を本棚に戻すとルーシーは自分の召喚獣のもとへ小走りで向かうのだった。
暮れなずむ街並みを人々が行き交う。
黒く長く伸びるのは家や木々、人の影。
赤と黒が混じり合う夕闇の中、建物と建物の間の狭い通路にぼんやりとした靄が漂う。
すると靄から黒い何かが現れた。
それは犬の形をしており、目が赤く輝いている。
両の目が一際強く光る。
まるで死を誘うように……。
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