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召喚少女 ~犬探し奇譚~  作者: 神籠石
7/8

武士の召喚獣




《次の指示を、ルーシー殿――》


 そのルーシーだが、彼女は森の入り口――その手前にいた。

 イーストエリアから続く草の一本も生えていない道はわずかに坂を上る傾斜を得たまま森に面してそこで終わっているが、ルーシーは森の中に一歩も入っておらず、安全のため入り口の五メートルほど後ろで森の中を見ていた。

 そう、見ていた。

 だが、彼女の視界は森の入り口を映していない。彼女の視界に映るのは自分が呼び出したハマヌーンの背、その向こうに散らばる数十匹の赤い目の犬たち。そして、彼らを盾にするように後ろで君臨する闇そのもののような黒い大きな犬だ。

 その黒い犬にルーシーは心当たりがあった。学院の図書館で見つけた『闇の眷属図鑑』。目に映る姿はその時見た本の中にあったイラストの特徴と一致する。 

 大きな漆黒の身体。

 赤い輝きを持つ目。

 その異形のモノの名は、


黒犬こっけんバスカヴィル……」


『死の先触れ』の異名を持つ暗黒の魔獣。

 この黒犬が今回の黒幕とは誰が予想できただろうか。


《ルーシー殿?》


 返事がないことを不審に思っただろうジュウベエが声をかけてくる。

 ただし、その音は物理的に捉えることができない心を通して伝わってくる特別な声だ。

 念話、という。

 遠く離れた所や人に聞かれたくない会話をする上で非常に便利な力である。


《あ、ごめんなさい。まさか『黒犬』がいるとは思わなかったら……》

《黒犬? 知っているのでござるか、ルーシー殿》

《学院の図書館にあった本に載ってた。黒い大きな身体と赤い目。間違いない。黒犬バスカヴィルだよ》

《ばす、ばすかびる?》

《バスカヴィル。ジュウベエくんにはヴィの発音がちょっと難しいかな》


 慣れない発音にジュウベエが聞き返してくる。彼にとってヴィとビの区別は難しいのだろう。


《むむむ、それでその黒犬というのはあの一際大きな黒い犬のことで間違いないでござるな?》


 彼の視線が犬たちの最後方にいる黒犬に向かう。他の犬たちとは違い、黒犬は威嚇することなくただそこに佇んでいる。感情が見えないことで不気味な印象を与えていた。


《うん、あの一番後ろにいるのがそうだよ》

《なるほど、確かに他の犬たちとは雰囲気が違うでござる》


 燃えるような赤い目。その輝きは一際強く、睨むでも怯むわけでもなくこちらを見返している。

 ダッと地面を蹴り、前方の三角耳の犬が噛みついてきた。


「おっと」


 それをジュウベエは軽く身体をひねることによってかわす。そこにもう一匹、口を開けた大型犬が飛び込んでくる。それを今度は逆方向に身体をひねることによってやりすごす。刀の柄に手をかけるが抜くことをためらったのか抜く様子はない。

 ハマヌーンのほうにも犬は牙を見せるが、ジャンプでそれを避けていた。


《ジュウベエくん、ハマヌーン、お願い、できるだけ傷つけないであげて》


 ルーシーは懇願するようにお願いする。

 黒犬と同じく赤い目の犬たち。間違いなく彼らは――


《みんなあの黒犬に操られているの。これも黒犬の特性の一つだから》

《承知!》


 打てば響くような声にルーシーは安心感を得る。ジュウベエが承知と言ったのだ。なるべく傷つけずにいてくれるだろう。もしものときは仕方ないとしても。

 今度は二匹同時に飛びかかってくる。一匹は斑の中型犬。もう一匹は黄色い毛の大型犬。


《あれは……》


 一匹の犬の姿にジュウベエとルーシーの目が見開かられるが驚きもそのままに、ハマヌーンは後方に転回して避け、ジュウベエは後ろに跳んだ。


《ジュウベエくん!》

《うむ、ベスを発見。やはり他の犬と同じように目が赤く光っているでござる》


 着地して身体の向きを変える黄毛の犬。赤の首輪をしているゴールデン・レトリバーは間違いなく今回の発端となったベスだ。もちろん詳しく確認する必要がある。


《ルーシー殿、黒犬の支配を解く方法は?》

《黒犬を倒して》

《倒す? それは殺すという意味でござるか?》


 ジュウベエの問いに対し、ルーシーは話し相手が前にいるわけでもないのに首を横に振った。


《黒犬は殺せない。黒犬は生き物じゃないから》

《犬の霊、ということでござるか?》


 身体をひねったり、跳んだりしながらジュウベエが犬の攻撃をかわす。ハマヌーンは避けることに飽きたのか尻尾で鞭のように地面を打ち、犬たちが近づけないようにしていた。


《妖精だったり精霊だったり言われてるけど、その本質は不明なの。黒犬の最大の特性は、死を告げること。死を目前にした人の前に現れてその死をみとる。そしてその魂を食らう。逆に言えば、死を告げるだけ。痛覚も感情も持たない。ただそれだけの存在なの》


 死を運ぶとも言われているが、正しくは死にそうな人の前に現れるから死をもたらしているように見えるのだ。黒犬がどこから来て、どこに行くのか。――それは誰も知らない。


《この世のものではないことは確かだから、身体を構成する魔力の粒子をある程度崩せば……》

《つまり、一太刀でも浴びせたら倒せるかもしれないということでござるな》

《うん、それで倒せると思う……》


 確証は持てない。図鑑には黒犬の倒し方までは書かれていなかったからだ。だからこれは自分の推測。魔術師としての頭脳から導き出された不確かな方法だ。


《自信を持つでござるよ、ルーシー殿》

《え?》


 ジュウベエから伝わるのは明るさを含んだ声。


《一太刀浴びせて駄目だったらもう一太刀浴びせればいい。それで駄目ならもう一太刀。それでも駄目ならもう一太刀。何度でも何度でも浴びせてみせるでござる》


 励ますようにジュウベエは言うがそこにあるのは一抹の苛烈さだった。

 ルーシーの考えが正しかったことを証明するために、彼は何度でもその刀を振るうのだろう。

 その熱に当てられたのか、ルーシーは自分に対する不信で弱気になりそうになる心を押し止め、顔を上げる。反省なら後でいくらでもしよう。今はやるべきことやらなければ。


《……そうだね。と言いたいけどテレンスくんを早くお医者さんに連れていかないと……》

《そうでござった。なら急ぐでござる》


 犬の歯を避けていたジュウベエは半身を下げ、地を蹴って勢いよく前に出る。


《ハマヌーン、ジュウベエくんの援護をお願い!》

「ウキィッ!」

 

 ハマヌーンの応答を合図にルーシーは視界を切り替える。ジュウベエの視界からハマヌーンの視界へ。犬の噛みつきや体当たりをジャンプで避けていたハマヌーンの視界は相変わらず揺れの激しいものであった。


《ハッハマヌーン、お願いだからなるべく揺らさないでえ~》

「ウキッ?」


 尻尾で近くの木の枝をつかみ、ハマヌーンが首を傾げる。

 この揺れだけは慣れることはないだろう。そんな気がするルーシーだった。



○●○●○●○●



《ハマヌーン、風で拙者を――》

「キキィッ!」


 ハマヌーンは枝から飛び降りながら身体を竜巻のように回転させて尻尾の先に風の渦をまとわせる。

 数十匹の犬で構成された防壁に迫り、ジュウベエは勢いをつけて前に跳んだ。

 テレンスがルルを追い、ルーシーがハマヌーンを召喚してここまできたのだ。後は自分が黒犬に一太刀浴びせるだけ。もちろん、危険な北の森に無鉄砲で飛び込んだテレンスには後で厳重に言わねばならないが。これで決めねば武士の名折れである。


「ウッキィー!」


 ハマヌーンの気合いの入った声とともに、思いっきり振られた尻尾から圧縮された風の渦が撃ち出される。渦はジュウベエの背を押し上げ、押し進め、押し飛ばした。


「ぬおぉっ!」


 その推進力に押され、ジュウベエの跳躍は犬たちの頭上を越えて黒犬に迫る。宙でバランスを崩しそうになるが前屈みになることで重心を整える。その時、目が合った。黒犬の二つの赤い輝きがジュウベエを捕え、澄み切った赤に見入りそうになる。

 魅入る。

 ジュウベエの意思とは無関係に脳裏にある光景が浮かぶ。降りしきる雨。戦の様子。国を行く末を決める戦い。否、流れに抗う戦い。尊王。鉄砲で撃たれ、死んでいく仲間たち。攘夷。その最期。倒幕。ともに死ねなかったことへの心残り。明治。武士の世の終わり。新しい時代。薄れ行く意識。

 気がついたら自分はこの世界にいた。

 ルーシーに召喚されたことで生き延びた自分。

 自分は武士。

 自分は召喚獣。

 武士の召喚獣。

 そこまで意識した時、脳裏の映像が硝子のように割れ、視界は悠然と立つ黒犬を映した。

 距離は抜刀の間合いに入り、柄にかけた手に力を込めて鞘から一気に引き抜く。

 鈍重に光る刃が鞘の内から黒犬の右足に向かって振り抜かれる。

 黒犬の右側を通り、ジュウベエが抜刀した体勢のまま右足から草地の上に着地する。

 足首を隠す長さの黒のブーツが二つ、持ち主を乗せたまま黒犬の横をわずかにすべっていった。

 踏み止まり、ジュウベエは居合い抜きの状態から立ち上がる。斬ったという手ごたえはなく、宙を斬ったようでもあった。これで倒せたのかと振り返り、黒犬のほうを注視する。

 黒犬は身体の向きを変えることなく前だけを見ていた。両の目の赤い輝きを維持したまま。その瞳が何を見ているのかはわからない。


《…………》

「…………」


 警戒したままジュウベエとルーシーは黒犬を見遣る。すると、すぐに変化が起きた。黒犬の右足に線が入り、そこから粒子状に崩壊していったのだ。崩壊は波打つように全身に広がっていき、黒の粒子が辺りに漂う。だが、それもさらに小さな粒に変わり、空気に溶けるように消滅する。後には何も残らない。

 これが『死の先触れ』と言われた黒犬バスカヴィルの最後であった。



○●○●○●○●



 ハマヌーンの視界。

 そこに映るのは霧散していく黒犬の姿だった。

 これで終わりなのだろう。ジュウベエの一撃を避けようともしなかった黒犬がどこを見ているのか、何を見ているのか。それさえつかませない感情のない瞳を微動だに動かすことなく、ただそこに存在し、消えようとしていた。

 消える。

 やがて最後の一粒が消失し、今や黒犬がいた場所には何もない。

 実にあっけない最後だった。だが、これが黒犬なのだろう。死を告げる、ただそれだけの存在。

 ならこれ以上考えても埒が明かないような気がしたのでルーシーは犬たちの様子を確認する。どの犬も威嚇をしてじゃおらず、目にあった赤い輝きはすべて失われていた。そのことに安堵し、次は依頼のために動く。

 ハマヌーンに指示を出し、犬たちの中の一匹、探していたゴールデンレトリバーのべスに近づかせた。

 べスは近づいてきたハマヌーンにおびえなかったが脱力したようにその場に座り込んだ。いわゆる『伏せ』の状態であった。


「ルル!」


 声のほうを見ればテレンスが大岩から飛び降り、よたよたとルルのほうに近寄っていた。


「ルル!」


 もう一度子犬の名前を呼び、テレンスはルルを抱き上げる。血の匂いがするのか、ルルはテレンスの傷口をしきりにぺろぺろと舐めていた。

 その光景にルーシーとジュウベエは思わず笑みを漏らす。しかし、そのまま微笑ましく見守るわけにはいかなかった。


《ジュウベエくん、べスの確認をお願い》

《わかったでござる》


 刀を鞘に戻し、今度はジュウベエがべスに接近する。


《首輪をハマヌーンの見えるところに》

《了解でござる》


 べスのそばにしゃがんでジュウベエは首輪の表面を確認し、文字が書いてある箇所をハマヌーンに見せた。


「ここに文字が書いてあるでござる」

《べス……うん、間違いない! べスって書いてある!》

「ならこやつが依頼人が探していたべスでござるな?」

《そうだよ、これで学院まで連れて帰れば依頼達成だよ!》


 そう依頼は達成。けれど、やるべきことはまだ残っている。


《ハマヌーン。犬の数を数えたいからゆっくり見回してみて》


 ハマヌーンの動きに合わせて計測すると目算だがどうやら二十匹近くいるようだった。中には疲れからかべスのように伏せている犬も見受けられる。場合によっては獣医に見せたほうがいいかもしれない。

 となると問題は一つ。

 ……う~ん、どうやって森の外に連れて行けばいいんだろう。


「む、あれは……」


 頭を悩ませているとジュウベエが古びた一本の木の根元に近づいていく。


《ジュウベエくん?》


 何か見つけたのだろうか、ルーシーが問うとジュウベエから報告が入った。


《珍しいキノコを見つけたでござる》

「へえ、どんなの?」


 戻ってきたジュウベエがハマヌーンにキノコを差し出す。黒と紫の斑模様を持つ手の平サイズのキノコだ。ルーシーは驚きの声を上げた。


《これは、魔女キノコ。魔術師が秘薬造りに使うキノコだよ》

「見るからに毒を持っていそうだが毒を持ってはいないのでござるか?」

《あるよ》

「えっ」

《単品で食べたら危ないけど、刻んで特定の薬草などと混ぜて煮ると毒が中和されるんだって。市場にも滅多に流通していないし、欲しがる人けっこういるんじゃないかな?》

「それは思わぬ収穫でござる」


 ジュウベエが秘薬の材料と聞いてキノコを回したりしながら眺める。秘薬作りの類は自分の守備範囲ではないため、学院の秘薬クラブに寄贈してもいいかもしれない。と、その辺は戻ってから考えよう。今は…… 


「ウキッ」


 突然ハマヌーンが大岩に近づき、風を使って大岩の上に飛び乗る。


《ハマヌーン?》


 ルーシーが念話で声をかけるとハマヌーンは犬たちに向かい、何事かしゃべりはじめた。


「キキィ、ウキキ、ウキィッ」


 どうやた何かを伝えようとしているらしい。跳んだり跳ねたりしながらハマヌーンは吠えるように声を発していた。


《何を話してるんだろう?》

《犬たちも耳を傾けてるみたいでござるが……》


「ウキィーッ!」


 そう一際大きな声を出すと大岩から飛び降りて来た道を戻り始めた。


「ハマヌーン!」


 ジュウベエが呼び止めようとするがハマヌーンは振り返ることなく進んでいく。そして、それを見ていた犬たちが起き上がり、ハマヌーンのあとに続いて二列になって森の入り口のほうに歩いていく。それは統制されたような隊列であった。


《ハマヌーンが指示したのかな……》


 視界をジュウベエに切り替えてルーシーは呟く。目前の犬たちは尻尾を立てわき道に逸れることなくハマヌーンのあとに続いていた。


「犬猿の仲、とはよく言ったものでござるなあ」


 犬と猿の異種間交流を見ながらしみじみとジュウベエが呟く。

 犬と猿。

 人間と魔獣。

 犬を連れて歩くハマヌーンの様子が召喚師と幻獣の関係をまねているように見えてルーシーは微笑ましく思った。















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