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召喚少女 ~犬探し奇譚~  作者: 神籠石
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守護者



 ルーシーたちが住むアレスタ島では、大陸本土に比べて宗教的な抑圧は極めて少ない。なぜならこの島は魔術師を輩出するザラスシュトラ魔術学院とともに発展していったからである。そもそも魔術とは魔法を模した技術であり、魔法とは神の御技に他ならない。また宗教とは超常的な存在を信じることであり、その存在によって使われる『御技』は異なる。


 つまり、魔法と魔法の違い、魔術と魔術の違いとは、その『法』と『術』を司る存在の違いであり、多種多様な魔術が集まるこの地においては、宗教的な差別を行うことは魔術の発展――学院の発展――島の発展を阻害することでもあるのだ。そのため、この島においては宗教に対して寛容な土壌が自然と育っていたのも当然の流れといえよう。


 だが、視点をレムリア大陸本土に向けてみると、先ほど『大陸本土に比べて宗教的な抑圧は極めて少ない』と述べたようにアレスタ島に比べて宗教的な抑圧は多い。レムリア大陸にはいくつかの国が存在するが、国を構成する精神的な要素と血と宗教が重視されている。王には神の御技を受け継いだ魔法使いが君臨し、その御技を伝授したとされる神を崇め奉る宗教が国教とされている。一方、国教以外の他の宗教に対しては『敵教』として激しい弾圧を行っていた。――ほんの百年前までは。


 現在では互いを兄弟宗教として認め合い、宗教による差別を法律で禁止して相互交流を行うまでになっている。しかし、それでも当時の名残から他の教徒を蔑視する傾向は未だに一部の地域や集団の間で存在していた。


 以上がこの世界の宗教を取り巻くマクロな実情である。ミクロなレベルで彼――テレンス・ヘヴィサイドを例にみると、彼自身は宗教に対して近年の本土における信仰心の希薄化傾向と同じく信仰心は薄い。それは両親の現代的な発想に基づく教育によるものであったが、両親自体は信仰を捨てているわけはなかった。代々家系に伝わる、どの国教にも採用されなかった少数派の宗教を信仰していた。


 それは特定の神を持たないため、宗教というよりは生き方の訓示に近かった。その教徒たちはその訓示通りに自分たちを律して生きていた。節約勤勉、禁酒などよりよい人生を送るために必要なものとされた。また他の宗教ではお金を動かす金融業は卑しい職業と忌避されていたが、この宗教ではお金を人々を潤すものとしてその職業に就く者が多く、古くから金融業は彼らの役割となっていた。


 その例に漏れず、テレンスのへヴィサイド家も代々金融を営んでいた。金を貸し、利子を取る。相手は貴族だったり、王族だったり、一般市民だったりと様々だった。借金の帳消しを告げる徳政令を出されたりしたこともあったが、それでも今日まで財を築いて生き残ってきた。本土でも入手困難な自転車を手に入れることができたのもその財のなせる技であった。


 財もある。智恵もある。だがそれゆえに、彼らは常に軽蔑の視線にさらされる。嫉妬や羨望などが入り混じった侮蔑の言葉を投げられる。そんな環境にヘヴィサイド家はいたのだ。テレンスの父がアレスタ島への移住を決意したのもそんな環境から息子であるテレンスや妻を守るためであった。


 テレンス自身も自分の家が特殊であることに気づき始めていた。友達はそのような態度を見せることはなかったが、友達の親は違った。自分を見る視線に「嫌なもの」が含まれていることを感じさせられていたのだ。それは具体的な行為として表出する。誕生日会に呼ばれなかったり、ひそひそと噂されたりと露骨に避けられるようになったのだ。


 それゆえにテレンスには友達が少なかった。同じく差別を受ける同教の者や差別をしない者が貴重な友達であった。テレンスはその人たちとの友誼を大切にした。宗教的差別というものを完全には理解していなかったが、一線を画す何かがあることを子供ながらの感受性で捉えていたのだ。壁、または溝。自分たちと彼らを隔てるナニカ。そのナニカが何であるかわからない以上、テレンスには何をどうすればいいのかわからなかったし、それはあるものと認識されるようになっていた。


 そして今月の初め、へヴィサイド家は逃げるようにアレスタ島へ引っ越してきた。宗教的な差別が無いことで知られるこの島なら、テレンスも普通の子供たちと同じように生きられるはずだという両親の希望のために。


 飼い犬を与えたのもその一環だった。生き物に触れることによって心優しい人間に育ってほしいと。友達がいないことが当然だと思いかけてるテレンスの寂しさを少しでも埋められることができたなら。それはどこにでもいる親の、どこにでもあるありふれた願いであった。


 だから、危険と言われる北の森に逃げて行った友達を追いかけたのも、彼にとってはある意味では当然の行動といえたのだった。



○●○●○●○●



「グルルルルル……」


 たった一人の友達を探してテレンスは森の中にいた。途中で転んだのか膝に皮膚が破れ、血が滲んでいる。辺りは新緑が囲い、奥まで見通すことができなかった。日光は局所的に地面を照らすがそれ以外は薄ぼんやりと日陰に覆われている。地面には落ち葉と雑草が茂り、悠久の自然が手つかずの状態で残されていた。


「グウウウウウ……」


 彼を包囲する唸りは犬によるものだ。それも一匹二匹ではない。数十匹の犬に彼は取り囲まれていた。犬たちの犬種や大きさは様々だが、共通するのは二点。牙を剥き出しにして彼を威嚇している点。そして、目に赤い光が宿っている点だ。


「あ、あ……」


 恐怖に足が竦むテレンスの正面、犬たちの壁が通路を作るように二つに割れ、他の犬とは違った雰囲気を持った存在が姿を現す。闇を纏っているかのように全身が黒に覆われた大きな犬。長い耳は垂れ、他の犬のように牙を剥き出したり威嚇したりはしていないが、逆にその犬らしさを感じさせない無機質さが不気味で恐ろしかった。

 周りの犬よりも一層強い赤を両目に輝かせて、その異形は確かに顕現した。





 大きな岩石を背に様々な大きさや種類の犬たちに囲まれ、テレンスはの心身は恐怖で震えていた。

 どうしてこうなったのか、と誰ともなしに問うが答えは返ってこない。この島に引っ越してきたばかりの彼だがこの森が危険な場所であることはすでに聞いている。引っ越した当日に父親から北の森には入るなと教えられていたのだ。あの森は魔の森と呼ばれ、危険な動物や妖しい植物が訪れた者の命を奪おうと待ち構えていると。それに対処できるのは魔術師や剣士などの戦闘訓練を受けた者たちだけで、魔術師ってすごいと話を聞いたテレンスは純粋に感心したことを覚えている。


 それでも彼がこうしてその危険地帯にいるのは、かけがえのない友達である自分の飼い犬のためであった。今の彼にとって飼い犬のルルはなくてはならない存在であった。いくら宗教的な差別を受けてきた彼でも決して孤独ではなかった。同じ教徒の友達、他の宗教に関して寛容な宗教を信仰している家の友達など分かりあえる友達、分かってくれる友達が少なからず存在したのだ。彼らといれば嫌な気持ちも多少和らいだが、両親は完全に安心したわけではなかった。


 宗教的差別のないアレスタ島への移住を決定したのだ。父親には友達などまたすぐにできるという予測があったのかもしれない。母親も乗り気のようで、新しい家のデザインはどうするか、紅茶を飲みながらハウス雑誌を開いていた。一方、テレンス本人には不安しかなかった。あの嫌な視線がない環境が本当にあるのかと疑問であった。また自分を慕ってくれる友達に対する裏切りのようでそれが彼の心を苛んだ。


 そして、この家への引っ越しが完了したその日、彼は一匹の犬と出会った。ホワイトテリアという犬種で白いもこもことした毛が特徴のかわいい子犬だ。子犬は彼から寂しさと罪悪を忘れさせるに充分な存在だった。テレンスはその子犬をルルと名付けることにした。


「ルル!」


 他の犬よりも一回り大きい黒々としたあの犬の後ろから、よく知っている小さな子犬が姿を見せる。あの愛らしいくりくりとした目はいびつな赤い光に染まり、小さな口からは牙が伸びて歯の隙間から白い唾液が地面に垂れていた。


「ルル! 僕だよ、テレンスだよ!」


 大きな声で呼びかけるがルルはこちらにやってくることはなく、むしろ唸りを上げて威嚇の姿勢を見せていた。


「どうしたの? こっちにおいで!」


 それでもテレンスは大きな声を出して呼びかけるがルルは唸ることをやめなかった。前足を前方に伸ばして身体の重心を後ろに下げ、尻尾をぴんと剣のように張り立てていた。


「ルル!」


 もう一度名前を呼んで一歩近づくとテレンスの近くにいた他の犬が吠えた。鋭く尖った犬歯をのぞかせている。そこでテレンスは気付いた。自分を取り囲む犬の中には自分が知っている犬も含まれていることに。貼り紙に出ていたダックスフンドのダレスや大型のロキ、中型のフィロウの姿もある。他にもほとんどがどこかの飼い犬らしく首輪をつけた犬が大半である。皆一様に目を赤い光に染め、威嚇の姿勢を取って唸り声を上げていた。

 思わず後ずさりしたテレンスのかかとに何かが当たる。1メートルくらいの折れた木の枝だった。人間としての本能からかテレンスは急いでそれをつかみ、枝先を犬たちに向ける。犬たちを傷つけたらどうしようと考える余裕はなかった。むしろ自分がやられてしまわないかという痛みに対する恐怖が足元から這い上がってきていた。


「来るな!」


 枝をめちゃくちゃに振り回し、テレンスは必死に犬たちを牽制する。だが、犬たちは振り上げ、振り下ろされる枝にひるむことなくじわじわと歩を進めてテレンスを追い詰めていく。背中にどんと衝撃が広がる。無情にも背後の大岩がこれ以上は後退できないことを告げていた。 

 そこに一匹の中型の犬が跳びかかってきた。口を開き、その尖った歯でこちらを噛もうとしている。思わず目をつぶり、テレンスは枝を振るう。それを犬は開いた口で受け止め、一気にへし折った。バキッという音が短く響き、消える。犬は口の中の枝の破片を口を振って勢いよく投げ飛ばした。着地の音が遠くでわずかに生じる。


「うぐ……」


 泣き出したくなる気持ちをルルを救いたい一心で抑え、短くなった枝を構える。来るなら来い、と言える度胸はない。単なる防衛手段。単なる時間稼ぎだ。鼻をすすり、枝を握る手が震え始めたときルルが動いた。犬たちの間を通り、前へ出てきたのだ。


「ルル!」


 飼い主に呼びかけられる中、ルルは一番前に出てこちらを見上げる。相変わらず、両の目は赤い光を発していた。


「僕だよ、テレンスだよ!」


 正気に戻ったのか、唸り声は無い。赤い目でこちらを見つめ、


「ルル、おいで」


 差し出したテレンスの片手をルルはその犬歯で鋭く噛みついた。


「つっ……!」


 言葉にならない声を上げ、テレンスは思わず手を引っ込める。甘噛みどころではない。針を打たれたのような激痛。ノコギリのような歯。皮膚を突きさす刃。襲いくる痛みに彼は持っていた枝を落としてしまい、傷口を押さえてその場にうずくまる。指と手の平。皮膚が半円形に穿たれ、血が漏れ始めていた。赤い液体が指先を伝い、地面に落ちる。


「ルル……」


 絶望的な状況の中、すがるようにテレンスはルルの名前を呼んだ。考えに考えて導き出した飼い犬の名前を。しかし、ルルは唸り声を上げて他の犬たちと一緒にこちらを睨むのみだった。

 不意に、先ほどテレンスに跳びかかった一匹が後ろ脚で地面を蹴った。それを合図に数十匹が一斉に動く。無数と思われるほどの赤い光がゆらめき、光の線を描く。元いた場所からテレンスのところへ。赤い線は後ろから消えていきながらテレンスのもとへと迫る。彼は直視できずに目をつぶる。彼の喉を食い破ろうと犬たちは歯を突き立てた。



○●○●○●○●


 

 それは突然やって来た。

 テレンスの眼前に何かが飛来したのだ。その何かが着地と同時に腕を振るう。それだけで風が吹き荒れ、テレンスに迫る犬を四方八方に吹き飛ばした。

 ドサッという落下音が周囲から連続して響き、テレンスは何が起きたのだろうかとおそるおそる目を開けた。


「ウキッ?」

「え、ウキッって……」


 そんな陽気な声とともにテレンスに視界に映ったのは、至近距離にある白い猿の顔面だ。


「さっ猿!?」


 手の痛みも忘れ、テレンスは思わず仰け反る。彼の驚きが受けたのか白い猿はその場でジャンプして後方転回し、ふさふさの尻尾でテレンスの頭を撫でる。不思議なことに、その優しい感触に心が軽くなったような気がした。


「君は確か、ハマヌーン……」


 白い体毛、毛筆のような長い尻尾は見間違いようがない。あの召喚獣だ。そのハマヌーンが自分を守ってくれたのだろうか。それに、ハマヌーンはどうしてここに……。


「やや、手を怪我してるな。もしや犬に噛まれたか……」


 その声にテレンスはハマヌーンの他にもう一人いることに気づいた。こちらもハマヌーンと同じく聞き覚えのある声だ。ハマヌーンから視線をずらしてピントを変えれば、本土でも島でも見たことのない黒の衣服を着た年上の男の姿が目に入る。


「ジュウベエさん!」


 そこにいたのは、あの魔術師の隣にいたジュウベエと名乗ったブシの人だった。

 ブシ。

 ……ブシって何だろう?


「うむ」


 名を呼ばれ、ジュウベエはしっかりと頷くと懐から布切れを取り出した。だが、その頃には吹き飛ばされていた犬たちも体勢を整え直しており、新たな敵を威嚇するように唸り声を上げ、いつでも飛び掛られるようにしていた。


「ハマヌーン」


 ジュウベエのその一言だけでハマヌーンは能天気な表情を一変させ、前傾姿勢で犬たちと対峙する。そこに愛嬌のある顔はない。あるのは牙を見せ、獣じみた敵意を剥き出しにした顔だ。尻尾を鞭のようにしならせる。犬たちと同じように唸り、目の前の敵に対して威嚇を行っている。

 犬と猿。

 それはまさしく犬猿の仲と呼ばれる両者の関係を現実に表しているようであった。


「手を」


 言われ、噛まれた手を見せたテレンスのそばにジュウベエはしゃがみ、傷口に布切れを当てて巻きつける。


「破傷風になる恐れがある恐れがあるでござるな。急いで医者に見せねば……」

「破傷風?」

「傷が悪化することでござる」


 簡潔な説明を行い、ジュウべエが傷口に巻いた布切れの端を結ぶ。


「とりあえずは今はこれしかできぬが」

「ありがとう、ジュウベエさん」


 テレンスは礼を述べ、よろよろと立ち上がる。ジュウベエとハマヌーンが助けてくれたとはいえ、事態は改善されたとは言い難い。座っていても邪魔になるかもしれない。


「ルルが、ルルの様子がおかしいんだ」


 テレンスが噛まれていないほうの指でルルを指し示す。吹き飛ばされていたが怪我をした様子はなく、四つ足で大地を踏み締めて赤い光をこちらに向けていた。


「そうか、あれがルルでござるな」


 うなりを上げるルルにジュウベエは目を細めると後ろにある大きな岩を確認する。ジュウベエより少し高い程度の大きさだ。ジュウベエは一つ頷き、


「テレンス、お主は上から見ておるでござる」

「上から?」


 疑問の先、ジュウベエは胸ほどの高さの身長を持つテレンスの襟をつかみ、


「ふんっ!」


 気合とともに大岩の方に投げ飛ばした。


「うわああああああ!」


 自分が投げられて宙を舞っていることに驚いたテレンスだが今は目先の問題――着地をどうすればいいのか対処方法が浮かばず彼の小さな頭はパニック状態になっていた。


「ハマヌーン!」

「ウキッ!」


 ジュウベエの呼びかけに応じ、ハマヌーンは尻尾を振って風を起こし、テレンスを岩の上にふわりと着地させる。先ほどからどうして魔術師でもないジュウベエが他人の召喚獣と使役しているのか不思議であった。

 疑問をひとまず横に置き、テレンスは眼下を覗き込む。岩はジュウベエの背の高さ以上の大きさがあり、犬たちが跳躍してくることは不可能らしかった。眼下にはテレンスが無事降りたことを確認して犬たちに向き直るジュウベエと尻尾を立て犬たちに対して威嚇を行うハマヌーン、そして一人と一匹を敵視するように色々な犬たちが取り囲んでいる。


「ジュウベエさん! ハマヌーン!」


 自分を安全なところに運んだジュウベエとハマヌーンを気遣う声をテレンスは投げた。大丈夫なのか、逃げた方がいいのではないか、と伝えたい感情が絡まりあう。

 しかし、ジュウベエはテレンスの声に反応することなく言葉を発した。


「テレンスは安全な場所に避難させたでござる。次の指示を、ルーシー殿――」


 その言葉にテレンスが気づいた。召喚主の姿がない。魔術師のお姉さんの姿がない。ならばなぜジュウベエはいない相手に向かって呼びかけたのだろうか、テレンスは不思議に思った。




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