始まる前のお話
性的な意味合いは一切含みませんが「触手」が出てきます
その子は望まれて産まれてきた。
父に、母に、兄に望まれ、愛されるものとして産まれてきた。
その子が産み落とされる瞬間には産婆や近所の者の手厚い介添えがあり、玄関先にはお祝いの品が山と積まれた。
狭い村で、赤ん坊が一人増えるというのはそれだけで十分なお祭り事だったからだ。
だからその子は、物心ついて3歳の誕生日を迎えるまで、何一つ不快な感情を味わうことなく過ごして来れた。これは言うまでも無く幸せなことであっただけでなく、類稀なる幸運でもあったに違いない。
自分一人で生きることの出来ない時期に、その子が嫌な思いをしなかったというのは、そのままその子の生命を守ることに他ならなかったからだ。
転機はそれ、3歳の誕生日。
突然の病に母が倒れ、医者を呼びに行った筈の兄が蒸発した。
父はまともな思考を続けられなくなり、その子は放置された。
大好きな人達が、普通でない。誰も自分を気にかけてくれない。今日は自分の誕生日なのに贈り物一つない。母がいない。母がいない。母がいない。
倒れてからいくばくもしないうちに母は息を引き取り、母を心底愛していた父はその子を省みることすらせず、後を追った。
産まれて初めて、その子は嫌悪し、恐怖し、激怒して泣いた。
誰かに何とかして欲しい、と実に子どもらしく泣き喚いた。
そして、激昂したその子の背から、腕から、肩から、どこといわず全身から、蛇のような、木の根のような細長く硬質なものが噴出した。
紛れも無く異形であった。
親切な村人達は、その子を慰め、庇護しようとその子の元を訪れ、異形を発見することになる。
まるで駄々っ子の手足のようにのたうちまわる何かが、誰あろう幸福だった子どもから生じている様を見て、それでもその子に同情する者は誰一人居なかった。それどころではない。紛れも無い恐怖の対象だ。
その子は村の「大人」を見つけ、手を伸ばす。
わたしを、たすけてくれと伸ばされた手を、しかし村人達は忌避する。
少人数であった村人達は、一昼夜のうちに家財一式を纏めて村から逃げ去った。
その子を除いて。
その子の異形に近づくことすら敵わなかった村人達は、その子を排斥するよりも、自分達が逃れることを選んだ。
その子のみならず、その家が、その土地が呪われているようにしか、感じられなかった。
誰も居なくなった村に、子どものすすり泣きと何かが移動するずるずるという音だけが存在した。
その子の頬を流れる滴を拭い取り、唯一その子を労わるかのような動きを見せたのは、その子自身から生えていた異形の触手だけだった。