何も悪い事してないのに巻き込まれた
俺は山羊亭で夕食を摂ったあと、道具屋一品のある小道を奥にさらに進む。
どこか美味しい酒を出す所はないかと、女将の旦那さんに聞いた所、ここを紹介された。
5番街の酒場という地名なのか店名なのか分からない名前だが、皆そう呼んでいるらしい。
少し高めだがこだわりの酒と肴を出すらしい。知る人ぞ知る名店なので行ってみろという事なので
かなり期待している。
西部劇に出てくるような上と下が短い扉を、体で押して入る。
年季が入っているが、綺麗に掃除が行き届いており、店内は無数のカンテラを惜しげもなく
使っているため、かなり明るい。この世界には電気が無いため、夜間の照明は油を燃焼させる
カンテラが主で、一つではせいぜい半径1、5メートル位しか照らせない。
燃料の油もただではないので夜の照明はどこも暗めだ。しかし、ここは違う。
まずカンテラが一般的な物より倍近く大きい。それを天井、柱の横にたくさん設置しており、
まるで昼間のようだ。
入口に立ちつくす俺を見かねたのか、この店の主らしき男性が、前のカウンター席を手の平
で指すと、どうぞこちらへ、と案内されてしまった。
やばい、これはちょっとどころかかなり高い店にきてしまったかも知れない。
店主(だと思う)は黒い皮のメニューを俺に差し出し、ご注文が決まりましたら声をかけてください
と言われた。俺は渡されたメニューを開くのを躊躇った。
贅沢な照明と、酒場とは思えない接客。立派な黒皮のメニューを開く手が重い。
恐る恐る開いたが、心配するほどではなかった。確かに高いが、一般的な酒場の2倍程度だ。
俺はとりあえず麦酒(ビールの香りと苦みをきつくした微炭酸)と豚の腸詰めを頼む。
店主はすかさず木の樽から常温の麦酒をコップに注ぐ。それを俺にどうぞと差し出した。
コップに鼻を近づけるだけで麦の香りがフワッと舞った。ごくりと唾を飲み込み、我慢する。
店主は、あらかじめボイルしてあるのだろう腸詰めを、グツグツと煮立ったスープ(黄色だから
ただの熱湯ではないはず)に12、3秒ほど泳がせて、水分を切って皿に盛り付けて俺の前に置く。
一緒に木のフォークを渡されたので、俺は湯気の立っている腸詰めを勢いよく突き刺す。
ぷつっとわずかな抵抗で刺さった腸詰めの穴から透明な肉汁があふれ出す。
もったいないので半分ほどを一気に食べると、パンッと皮がはじける音とともに、少し辛めの
香辛料の香りと、肉の脂の旨みが一気に口に広がる。
うまい。ホントにうまい。口の中をすっきりさせるため、我慢していた麦酒を一気にのどに
流し込む。炭酸が舌とのどをピリピリさせながら通過し、遅れて強い麦の香りが鼻を抜ける。
なんだこの最強コンビ。ビールも腸詰めも今まで生きてきた中(前の世界も含む)で
一番うまいかもしれない。目の前の店主に、すごくうまいと伝えるとニッコリと笑い、ありがとう
ございますと言った。そういえば、他にお客は居ないのかと首を後ろに回すと、身なりのいい商人
が二人、にこやかに歓談している他は、お客の姿が見えない。まだ夕飯時を過ぎて間もない時間
だからこれから人が来るのだろう。
それから一時間ほどで2杯の麦酒と腸詰めを追加し、ほろ酔い加減になってきた所で一気に
お客が増えた。カウンター以外の5つのテーブルは満席になり、
カウンターも4つある席の内一個しか空いていない。俺の隣なのだが。
それから一時間ほどたったが、客の入れ替わりが多少あるものの数は減らず、にぎやかな様子は
変わらない。つい先ほど空いていた俺の隣に女性が座った。
その女性はシンプルだが上品な黒いローブを纏った美女だった。
この国では珍しく黒で、背中の半ばまで絹のようにまっすぐな髪。
大きな茶色い瞳は勝気そうな印象を与える。わずかに裾から出ている手は神秘的なまでに白い。
体に密着するローブを押し上げ、主張する胸と尻。
彼女は店内に入った瞬間、喧騒が徐々に静まり、男たちの熱い視線を集めた。
俺はそんな美人が隣に座ったため(他に席がないので当たり前)少しばかり緊張した。
何せ今まで老人と二人暮らしで、若い女性なんてムブラ村でしか接した事はなかった。
話したことなんか村娘と挨拶をするぐらいだ。なので隣の美女を意識しつつも、顔や視線は絶対に
向けない。
しかし、エスクじいさんの厳しい修行によって会得した技がある。それは、
盗み見。相手に気づかれないわずかな眼球操作で、隣の人物や書類を横目で見る。
それを今フルに活用し、相手に感づかれることなく、美女を見る。
本当に綺麗だ。これはいい酒の肴だ。美女は店主に葡萄酒を頼み、両手で受け取ると、
ちびちびと飲み始めた。彼女はカウンターの一番端に座っており、左は壁、右は俺に挟まれている。
なので話しかけれるのは俺だけなのだ。なので店の中の男達から早くその席を立て!!
という無言の圧力がかかり始める。
俺は話しかける度胸はないからもうちょっとだけ見させてくれ。二度とこんな女性見れないかも
しれないから。言い訳を心の中で呟き、ゆっくりと麦酒を飲む。
もう帰ろうかなと思った所で、なんと隣の美女自ら自分に話しかけてきた。
「あの、すみません。恥ずかしい話ですが、私財布を宿に忘れてしまったみたいで。今気付いたんです
。よろしければ3エスほど貸して頂けないでしょうか?すぐに宿に戻り、お金を持ってきます。
少々お待ち頂くかもしれませんが、多めにお返ししますので、お貸し願えませんか?」
俺は多少酔っていて、店主に相談すればいいのにと思いつつも心よく了承し、お金を渡した。
詐欺の一種かなとも思ったが、もしそうだったとしても大した被害ではないし、こんな美人
なら騙されても仕方ない。女性は俺の渡したお金で会計を済ますと、すぐに戻ってきますと言って
急ぎ足で去って行った。店内の人たちはそれを見て、苦笑いしている。
この様子を見る限り詐欺なのだろう。まあ別にいいさ。
「ごちそうさまでした。もし彼女がお金を持ってきたら預かってもらえませんか。
また近いうちに来ますんで」
俺は会計をしながら小粋なジョークを店主に言ったが、真面目な顔でかしこまりました、と
返されてしまった。
余韻を楽しむように、月明かりが照らす石畳の小道を歩く。酔いで火照った顔に夜風が気持ちいい。
あそこは明るいが、それで気温が少し高いのだ。道具屋一品のある辺りに差し掛かった時、
前方で男女が言い争っているのが見えた。ちなみに俺は夜目が異常にきくため、明りは持っていない
。男女はそれぞれカンテラを片手に言い合っているが、少し太り気味の中年男性が必死の形相で
今にも襲いかからんばかりの身の乗り出し様だ。対する女性の方はローブの帽子で隠れて表情は
分からないが徐々に後ずさりしていた。
ん?というかあのローブは・・・
小太り男は足を止めずに向かってくる俺に気付いたのか、カンテラをこちらに向けてきた。
すると女性は俺の顔を見るなり、小走りでこちらに駆け寄り、さも昔からこうやってきたと言わんばかりに俺の腕を両腕で抱き、頭を俺の肩に預け、俺にしなだれかかってきた。
あまりの突然の出来事に固まる俺。
「何度も申しあげたように、貴方とお付き合いする気は毛頭ありません。
それに、私はこの人と一緒になると決めてますので」
「そ、そんな!撲と初めて会った時は恋人はいないと言っていたではないか!」
「そのすぐ後にこの人と知り合ったのです」
「納得、いかん!!つい最近までは撲たちはうまくいっていたはずだ!!」
「あ、あのー、いったいどういう」
「うまくいっていた、ですか?別に恋人でも愛人でもなかったはずです。ただの同僚でしょう」
「ち、ちがう!!君は僕とだけ食事を二人でしてくれたじゃないか!プレゼントだって
あんなに喜んで、」
「すいません、俺帰っていいですよね?ていうか腕離し」
「あなたとは同僚として食事を一緒にしましたよ。プレゼントも同僚の心配りだと思ってました」
「そんなの納得できない!!僕は、真剣に、君のことを。そうか、この男が君を騙しているんだな。
この男が君を変えてしまったんだ。でも僕の愛は変わらない!!」
何?なんなのこの昼ドラ。いつの間にか俺も組み込まれてるし。いったい何がどうなって・・・
「そこのお前!!俺はお前に決闘を申し込む!場所は早朝、冒険者ギルド近くの広場だ。逃げるなよ。
エーリ、君を必ず取り戻す。待っていてくれ」
小太りの中年おっさんがびしっと人指し指を突き出してそんな事を言った。
滅茶苦茶面白い、じゃなくて
「いやいや、おかしいから。だって俺この女の人知らな」
「それで負けたらあきらめてくださいね。私の彼相当強いですから無理だと思いますけど」
それを聞いたおっさんは目に涙を浮かべながら、ドタバタと走り去って行った。
「私のために頑張ってね、ダーリン☆」
腕をへし折らんばかりに抱きつく美女。先ほど酒場で金を貸した人だった。
心地よい酔いはとうにさめている。
続きは今日中に