ウー
言いたいことがあるのに、声になる前にどこかへ消えてしまう。
そんな自分を、私はずっと持て余していた。
喉の奥がきゅっと固まって、出てくるのは小さな「ウー……」みたいな音だけ。自分でもカッコ悪いなと思うんだけど、止められない。そのたびに、『あー』って胸の奥が少し痛む。
今日も、教室のざわめきの中で、私はうまく言葉をつかめなかった。
孤独とか、そんなんじゃないんだ。
ただ、なんとなく、私の話を聞いても、みんなは面白くないだろうなとか、もっと、楽しげに明るく話さないと、って思いが喉に蓋をしているんだ。
そんなことを考えていた時、後ろの席の子に制服の背中をツンツンとつつかれた。
びっくりして、振り返ると、「あ、ごめーん驚かせた?」と笑顔で話かけてくる。
「うん、ちょっと驚いた」
後ろの席はエリちゃんだ。
「ごめんって。でさ、今、何か言おうとしなかった?」
満面の笑みで尋ねてくる。その笑顔で、私の言葉は消えた。
確かに言おうとしたことがあったんだけど、完全に消えてしまった。
「あ……うん。なんか……でも、忘れちゃった」
この言葉は絞り出せた。
「あらら、忘れちゃったか……背中つついたのが悪かったかな?」
「ううん、そんなことないよ」
「ねえ、ユウコちゃんの『ウー』って口癖だよね」
横からもう一人の子が口を挟んでくる。
右隣に座るユカちゃんだ。
エリちゃんとユカちゃんは、初めて会った日から仲良しになったって言っていた。
「なんかぁ、話をする前に『ウー』って言うじゃん」
「こらこら」とエリちゃんがユカちゃんをたしなめてくれる。
「ウー、そんな口癖あるかなぁ」
「あ、今のはモロ『ウー』って言ったよ」
エリちゃんが笑って言った。
「でしょー、だから、言ったじゃん」
「でも、声というよりため息とかには近い感じだよね。ウーとンーの中間みたいな感じ」
たぶん私は、言葉にする前に一度だけ息を飲んで、そこで出てしまう音を「ウー」と言われてるんだ。
高校進学するってことに、迷いはなかった。
でも、高校で何かを学びたいとか、部活で何をしたい、って思いはなかったの。
強いて言えば、まだ、就職はしたくなかったから、高校進学を選んだって感じ。
大人たちの世界に飛び込むのって、なんか怖かった。
慣れないことへの不安だけで、迎えた入学式。
名前順に座るのかと思っていた教室での席は、自由に空いているところに座って、というものだった。
端でも、壁や窓際でもない真ん中の少し後ろ側の席に鞄を置いた。
なんか、目立たなそうな場所。他の子と被らない場所。そんな席。
そして、この席が私の高校生活を決めたんだ。
なにしろ、私のモラトリアムな高校生活に影響を与え続けるふたりと出会ったんだ。
「わたし、木村絵里。エリって呼んでね」
「あー、えっと、わたしは高柳結花。ユカでいいよ」
間に挟まれて無視するわけにもいかず、「上杉裕子です」と挨拶をした。
エリちゃんが言った。
「オッケー、ユウコちゃんね」
「あ、でも、中学の時とか、クラスにもう一人ユウコちゃんがいたから、私は、上杉って呼ばれてたんだ」
「あー、ありがちだよね」
エリはさもありなんと頷く。
さもありなん、ってちょっと大人っぽいな、って思いながら、私はエリちゃんを見ていた。
「ねぇ、ユウコー」
教室の扉から顔をのぞかせた女の子が『ユウコ』ちゃんを呼んでいる。
私の知らない顔だ。
窓際の方で女の子が立ち上がり、声がした方に手を振っている。
「こっちだよぉ」
あそこにもう一人の『ユウコちゃん』がいるようだ。当てる字は様々だけど、ユウコはたくさんいる。
◯子って名前は減ってるって聞いたことあるけどね。
正直、高校に入ってこんなにすぐ、いつも一緒にいる友達ができるとは思っていなかった。
なんか、ひとりぼっちで寂しいって考えるより、群れるような集団……あ、口が悪いね…グループの中に入って居心地の悪さにお尻がモジモジするのを我慢するより、ひとりの方が楽だなって思っていたんだ。
可愛げのない性格かなって思うけど、なんか気疲れしちゃうんだよね。
そんな中で、エリちゃんとユカちゃんとはすぐに馴染んだ。最初から、当たり前のようかけてくれたし押しつけがましいことはなかったんだけど、何故か、会話に引きずりこまれた。
エリちゃんとユカちゃんだって、高校入学前からの知り合いだったわけじゃない。入学式の日に席が近くなったというだけで、幼馴染のように仲良くなったというのだ。
わたしの後ろの席と右隣の席が仲良しになったからって、巻き込まれるように私はふたりの話に加わるようになった。
ふたりで話が盛り上がると、『上杉さんもそうでしょ』と話を振られるのだ。
「あの兄弟デュオ、お兄ちゃんの方がかっこいいよね」とエリちゃんが言う。
「えー、弟のほうが優しそうでいいじゃん」とユカちゃん。
「上杉さんはどっち?」
そう問われても、あの兄弟、どっちが兄でどっちが弟かわからないしな。
「ウー」これは、いつもの口癖のウーではなく、頭を抱えて心が漏らした言葉だ。
正直、最初は戸惑ったんだ。
いや、わたしに振られても、って感じがしたし。
でも、毎日、毎日だと、慣れるというか、ふたりの話が盛り上がってると何を話ているかを聞くようし、そうなると話に入っていけるし。
気がついたら、放課後に図書館の隅で集まるのに加わっていた。
別に何を話すとかないんだよ。
本当に他愛もない話。
昨日見たドラマの話とか、流行りのスイーツの話。
ただ、なんか、楽しかった。
こーゆーのが、青春?なんて親に言われて、あー青春なのかも、って思った。
たぶん、大人になったら、こうやって話た時を青春だったな、って思うのかな……みたいな。
クラスに馴染んで、みんなが、下の名前でお互いを呼ぶようになった頃、上杉さんだけが、『うえすぎさん』なの変じゃない?って、結構、マジメに教室の話題になった。
水曜の五限にセットされてる生徒だけで、問題を提起して、解決するという時間だ。
文化祭が近づいたら、出し物の打ち合わせはこの時間にやる。
今は、学年が始まったばかりだから、取り立てて議題に上がるような出来事は無かった。
水曜の午後はどの教室も、同じカリキュラムだ。
どのクラスも、テーマの選出で悩んでいる。
というわけで、私の呼び方が議題になったんだ。
でもさ、呼び名とか自分で決めるもんじゃないじゃん、って感じ。
「でもさ、ユウコはすでにユウコだし、ユウコはユウじゃん」
文字にすると冗談みたいだけど、クラスのみんなが頷いた。
「ユウコが二人いてもいいじゃん」って意見は出なかった。
なんとなくだけど、『上杉さん』に、クラスみんなが違和感なく呼べる呼び名をつけなきゃ、って雰囲気がクラスを支配してた気がする。
そしたら、ユカ(ユカちゃんではなく、ユカって呼ぶようになった)が、上杉さんは、ウーだよね、って言い始めた。
「上杉さんって、あんまり話さないのに、たまに話そうとすると、話す前に『ウー』っていうでしょ」
誰かが言った。
「まー、本人も気にしてる口癖だから、言わないであげてよ」
エリが助け舟を出してくれる、
「でもさー、もう、開き直った方が良くない?あって七癖。誰でも癖ってあるし」
空気を読んで発言するのか、空気を読まないのか。ユカの発言は真意が見えないし。
「まー、政治家の『ウー』みたいなんじゃなくて、なんか、フーって息をつくような感じで、別に嫌な口癖じゃないしね」
タカちゃんが言った。
タカちゃんとは、ほとんど話たことなかったのに、この子も、そんな風に見ていたんだ。と考えながら話を聞いていた。
そもそも、私の口癖をみんなが意識してるなんて、思ってなかったんだけど。
だからって、ウーはないんじゃないとは思ったんだけどな。
結局、そのまま、私の呼び名は『ウー』になった。
別に納得したわけじゃないんだけどね。
みんなが、な~んとなく、納得しちゃったから。
エリが「もっと可愛いのないかな」と言ったら、誰かが「キャサリン」にする?とか言い出したから、私は「ウーでいいです」と丁重にお断りした。
でもね、ひとつ、みんなにお願いしたことがあるの。
“ウー”でいいんだけど、ウータンの略での“ウー”ってことにして、ってお願い。
みんなは、キョトンだったんだけど、まー深いことはいいや、ってことで、私は“ウータン”の略でウーになった。
みんなには説明しなかったけど、ウータンというのは、オラン・ウータンのウータン。
動物園とかにいるオラン・ウータンだよ。
大きな森の中で、一匹だけで生活をしてるんだ。
なんかさ、テレビでオラン・ウータンのドキュメンタリーを見たときに、私に似ているなって。
なんとなく人の集まりに馴染めない自分。
別に一人きりを好むわけではなく、なんとかく端の方に行って、静かにしてる自分が森の中で一頭で暮らすオラン・ウータンみたいだなって。
別にそれを意図したわけではないけど、私の高校生活もそんなんだろうなって。
でも、そんな考えも、エリとユカのパワーに押されて消し飛んだんたけどね。
楽しい方への方向転換だったから、大歓迎なんだ。
……というわけで、わたしの青春ってやつは、ウーという呼び名で彩られることになった……なんてね。
不思議なもので、ウーって呼ばれるようになってから、口癖の『ウー』は出なくなったんだ。
呼び名が『ウー』になっただけで、口癖がなくなるなんて、私つて、なんか、天邪鬼?
六月。梅雨の時期になる頃には、エリ、ユカ、私の三人は図書館で他愛もない話をしてから帰宅するのが日課になっていた。
最近では、無駄話のテーマに夏休みのアルバイトに何をするか?という話題が加わった。
そもそも、女子高生を三人もまとめて雇ってくれるアルバイト先なんてなかなかない。
ユカがファミレスのバイトの面接を受けに行ったが、できれば、一年は続けてほしいと言われたらしい。
まぁ、それなりに教育して使えるようになったかな、と思ったら辞めますじゃ、店としてはやっていられないだろう。
まして、同じ学校の三人を雇ったら、試験期間にまとめて三人抜けることになる。
そんな条件でアルバイトを雇おうなんてところがあるはずもない。
一応、うちの学校はアルバイト禁止が建前になってきるしね。
「でもさぁ、やっぱ、小町通りのカフェとかさ、週一でいいから入りたいじゃん」
ユカが言った。
「勤労意欲じゃなくて、食欲でバイトするんだな」
いつものようにエリがユカの揚げ足を取る。
「べー」
「べー」
ふたりの『べー』が被った。
私は、たまらず吹き出した。
「あなたたちの『べー』が重なるのは名人芸だよね」
「ウーは、こういう時に、まだ、スカしてんだよね」
エリが私の顔を覗き込んだ。
「そっかな」
「まー、前よりは馴染んだし……なんでわたしたちにも敬語混じりなんだって感じだったもんね」
ユカが頷きながら笑う。
「ウーになったからね。スンとしているのも似合わなくなったし」
「なにそれ、わからないんだけど」
私が反論する。
「でもさ、上杉さんの頃より、ウーに声をかける人って増えたと思うよ」
エリは指を折って数を数えてる。
「それよりさ、バイトよバイト」
ん、そうね。
やっぱり、ふたりが鎌倉行こうって言ったら、一緒に行きたいしな。
あー、本当にウーになる前なら、私はお留守番してるよ、なんて言いかねなかったよね。
ウーなんて、あんまりかっこいいあだ名ではないけどね。
なんか、私らしいのかも。
ウーという呼び名が生まれる瞬間を書いてみました。
彼女の小さな一歩を感じてもらえたら嬉しいです。
ウー、エリ、ユカの物語はまだまだ続いて行きます。
初めてのバイトはなんと海の家。
三人それぞれの成長を見てください。
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テーマ曲(作詞作曲·歌唱)
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