生まれ出づる 死神
俺の記憶は、そこから始まった。
何も無い深淵。視界を染める黒に果ては無く、ただ静けさだけが存在するその場所で目を覚ます。
「ハッピーバースデー。気分はどうだ?」
ぼやけた目と朧気な頭で、俺は声のした方をゆっくりと見上げた。そこに居たのは、全身を鎖で繋がれた1人の男。
白髪に赤い目、整った顔立ち。ある意味での神秘を感じさせるその風貌に、思わず息を呑む。
「どうした?俺が神々し過ぎて声も出ないか?」
そう言って怪しく笑う男は、鎖に縛られ動けない身体を微かに揺らした。鉄と鉄のぶつかる音がカチャリカチャリと響く。
「まだ意識がはっきりしねぇか……。仕方ねぇ、ちょっとこっちに来い。」
言われるがまま、俺は覚束無い足取りで男の方へと歩いてゆく。そうして、あと数歩で男にぶつかるといった所で足を止めた。
「よし、それでいい。俺の目をよく見るんだ。」
男の目。妖艶に光る赤い目。命令通りにそれを見つめていると、だんだんと思考にかかっていた靄のような感覚が晴れてゆく。
まるで意識や思考と言うものが、空っぽだった頭に流れ込むように、途端に頭がはっきりし始めた。そして、そこで疑問が生まれる。
目の前のコイツは誰だ。ここはどこだ。突然頭を支配した複数のハテナマークが、俺を混乱の渦へと巻き込む。
そんな混沌とした思考の中、ただひとつはっきりと分かる空虚感を持って、それは存在していた。他と同じ、「分からない」と言う特性を持ちながら、それでも存在感を示すその疑問を、俺はおもむろに口から漏らす。
「俺は……何をすればいい……。」
自分でも何を言っているのか分からなかった。右も左も分からぬ状況で、何故自分の行動を求めるのか。当惑する俺を見て、鎖に縛られた男が嬉しそうに声を上げて笑う。
「そこんとこは説明してやるよ。立ち話も何だ……まぁ座れや。」
その言葉と同時に、何も無い真っ暗な空間から椅子が現れた。どこから出てきた、何をした……増えた疑問を胸に抱えながら、俺はその椅子へと腰を据える。
「まずは自己紹介といこうか。そうだな、簡単に言うなら……俺はお前の父親だ。」
「……は?」
「そんでついでに言うなら神だ。」
「………………は?」
何言ってんだこいつ。頭おかしいのか。初めましての人間から出てきたらおかしい自称ランキングがあるなら、トップ10に入るだろ「お前の父親」と「神」。
「初対面の神様に頭おかしいは失礼だろ!」
「怖……なに、心読んだの?」
「読んだよ。神だからな。」
「プライバシーの侵害って言うんだぞソレ……。」
「気にするとこそこか?」
よし、一旦信じよう。100歩譲ってコイツが神だとして、一体何が目的だ。俺はそんな疑心と共に、怪しくニヤついた笑みを強く睨んだ。そして、再び男の身体をくまなく観察してみる。
繋がれた鎖。神秘に満ちた容姿。それに加えて、意識がはっきりして初めて気がついたことが1つある。それは、男の身体を纏う禍々しいオーラ。
威圧感とでも言おうか、傍に居るだけで身の毛がよだつような嫌な感覚。もしコイツを神だと仮定するのなら、その風貌は邪神と形容するのが最も適していると言えるだろう。
「おう、まぁそうだからな。」
「ちょっと待て。ナチュラルに人の心を読むな。」
「仕方ないだろぉ?目開いてるだけで相手の考えてることが脳みそに産地直送されるんだから。」
なんて不便な身体だ。相手が心の中で悪口を言ったら、それがそのままプリントされて手渡されるとか地獄だろ。
「そうだぜ?たまにこの容姿端麗過ぎる俺の顔みて、エッチなこと考えるやつとかいるからな?わかるか?自分がベッドの上で身ぐるみ剥がされてるの見せられる感覚。」
ついに心の声と会話してきやがったこの男。
「こっちのがコスパ良くねぇか?わざわざお前が口を開く必要も無いんだ。」
「会話にコストもクソもない。」
はぁ……ひとまずお前が邪神であるということは信じる。それで、もう一個の方はどういうことだ?あの、「俺はお前の父親だ」みたいなやつ。
「どういうことってぇか……そのままの意味だが?」
当たり前だろとでも言いたげな顔で、自称邪神は首を傾げた。だが、俺はコイツの事を知らない。父親として認知した覚えが無い。
「納得出来ねぇか。ならその頭を使ってよく考えて見ろ。今、お前にはどんな記憶がある?」
「記憶……」
目を瞑り、考える。自身の中にあるはずの物を拾い集める為に集中する。そこでようやく気がついた。俺の頭の中は空っぽであることに。
何も思い出せない。微塵も記憶が存在しない。あるのは、この場所、この男の前で目覚めたその一点からの記憶のみ。
「まぁ、だろうな。当たり前だ。お前は今この瞬間、誕生したんだからよ。」
神を自称する男が言った。しかし、ならば俺が今使っている言葉は、俺を形成する人格は、一体何処で培ったと言うのか。
数分前に俺が誕生したと言う戯言を信じるくらいなら、まだ記憶喪失か何かを疑った方がよっぽど現実的だ。
「言葉と人格は俺が設計した。もちろんお前の外見もな。」
「ゲームのアバターか何かか?」
「まぁ、イメージとしてはそんな感じだ。違うのはお前は個として人格を持っているという点と、ちゃんとした生物だってこと。」
その時、妙な昂りがあった。自分が特別な境遇にあることへの期待か、はたまた正しい手順を踏まずに生まれた生物である自分への拒絶反応か、もしかしたら目の前の非現実についていけてないだけかもしれない。
しかしその胸に蠢く心情がなんであったにせよ、俺は目の前の邪神の言葉を何故かすんなりと受け入れていた。別に納得した訳ではない。自分が作られた存在であるなんて、信憑性が致命的に欠落しているという事実は変わらない。
ただこの身体が作られたものであれ、もともとあった誰かであれ、その真実が明かされてもきっと俺は大したショックは受けないと思った。それほどまでに、俺は俺自身に対し薄情だった。
「さて、本題に入ろうか。」
鎖に縛られた神は、突然そんなことを言い放つ。訳も分からず目をパチクリとしていると、続けて男は口を開いた。
「今からお前が行く世界の話だ。」
世界とは、無数に存在する星のようなものである。遥かなる空の下、そして雄大な大地の上、生命は円環を連ね死と生を繰り返す……それこそが世界だ。そんな世界を管理する者を「神」というらしい。神もまた、数え切れない程存在する。目の前の男もその1人だそうだ。だが、本題はそこでは無い。
とある世界の話。剣と魔法、魔族や魔物……ファンタジーという概念をそのままアウトプットしたような世界、その名をエンプティガーデン。
そこを管理する神は、また別の世界にある地球という星から死んだ人間を厳選し、"転生"という形で特別な力を与えた後に自らの世界へと解き放っているようだ。
「問題はそこでなぁ……他の神の所有物を自分の領土へ勝手に引き入れてるから、やってることは殆ど略奪と一緒なんだよ。」
目の前の神はそう言って呆れるように溜息をついた。その声色から、大分苦労させられていることは容易に伺える。
「だからこそ、お前が必要になる。」
「待て、全く話が繋がってないぞ。」
「まぁ、簡単に言うなら転生者殺しだ。」
「……殺し?」
「なに、そんな疑問に思うことじゃない。今、転生者達の魂はあっち側の世界の肉体に縛り付けられている状態だ。その場合、神が直接介入することができない。」
だから、転生者を殺すことで肉体と魂の繋がりを断ち、元の世界に返すということらしい。あまりにも乱暴がすぎる方法だが、邪神曰くこれしか術が無いそうなので致し方ない。
「どうだ?受けてくれるか?」
邪神は相変わらずの不敵な笑みで問いかける。それに答えを出すのに、迷いはなかった。たとえその手段が殺人であっても、誰かがやらねばならないのだ。俺は、目の前の男に向かって真っ直ぐ、そして静かに首を縦にふる。その返答に、質問者は満足したように頷いた。
「まぁ、俺が作った存在のお前に拒否権なんてないけどな。」
「なんで聞いたんだよ……。」
「ほら、心意気は大事だろ?」
「…………いやまぁ、否定はしないけど。」
いや、流れで肯定したが不服である。今の会話が無意味なことだった以上に、何というか決意を弄ばれた気分である。
「なんだっけ?『殺人でも誰かがやらなければならない』だったか?立派な正義感だねぇ。」
また人の心を読んだ。しかも、嘲るような笑いとセットでわざわざ復唱するオマケ付き。相手が神じゃなかったら軽めのジャブを入れたいところだ。
「殴っても良いが、その場合1回お前の首から下吹き飛ばすからな。すぐ再生させるけど。」
「オーバーキルが過ぎる。」
「神を殴る方が悪い。」
ごもっともである。基本的に強い相手に無謀な喧嘩を売るものではないのだ。さて、そろそろこんなバカバカしい話は辞めよう。もっと詳しく本題を語らうべきだ。
「それで、転生者って誰のことなんだ?間違えて普通の人間殺しましたは嫌だぞ。」
「その点は心配すんな。ちゃんと目印がある。手の甲を見てみろ。」
そう言われて、俺は右手の甲を見る。すると、そこには大きくタトゥーのような黒い模様が入っていた。「なんだこれ……」と声を漏らしながら、左手の指で黒い箇所をなぞってみる。
「それは神が自分の気に入ったものに付けるマーキングみたいなもんだ。転生者にも同じものが入っているはずだ。」
「なるほどな。つまり、これで判断しろと。」
「まぁそういうことだ。そんで、お前の役目に関して伝えるべきことはこれくらいだな。」
そうして、邪神は話を突然切りあげた。しかしまだ聞きたいことは山ほどある。今から行く世界が具体的にどういう場所なのか、というかそもそも何故俺が単独でその世界に向かわさられるのか……。
「なぁ……」
「質問は受けない。ゲームのチュートリアルも全部は教えてくれねぇだろ。後はあっちで調べろ。」
思考を読んだのかと思えるほど完璧なタイミングで、俺の言葉が遮られる。本当に読んでいるから当たり前ではあるが。というか、今から行くのはゲームの世界じゃない。適当な理由を吐き捨ててはいるが、恐らくその実説明が面倒なだけだ。
「おう、バレたか。まぁ1つの世界の話だからな。俺の口でも小一時間かかるんだよ。そこら辺はお前が何とかしてくれ。」
「雑すぎるだろ。お前が課した仕事なんだから最低限説明くらい……」
「よし!行ってこい!」
「は?いやちょっと待っ……」
邪神に向かって咄嗟に手を伸ばす。それが、ほんの0コンマ数秒で俺が取れる全力の抵抗だった。そんな抵抗も虚しく、視界は突然暗転する。何も見えなくなった世界の中で、「まぁアドバイスは随時してやる。健闘を祈ってるぞ〜。」という腑抜けた声が最後に聞こえ、俺は強制出勤を余儀なくされた。




