第5話 初めてのダンジョン案内
「じゃ、行きましょうか」
「はいっ、お願いします!」
俺の気の乗らない返事とは対照的に、リサは元気いっぱいに頷いた。そして、どこから取り出したのか、手のひらサイズの小型カメラを構える。
「はーい、どうもリサでーす! 見てください、この景色! 私、今、北海道のすごい秘境に来てまーす!」
突然、カメラに向かってハイテンションで話し始めた。
え、もう撮ってるの!?
「ちょ、ちょっと、もう撮影中なんですか!?」
「大丈夫、大丈夫! まずはVlog風に撮るだけなんで! 田中さんは普通にしててください!」
普通に、と言われても、いきなりレンズを向けられて平静でいられるほど、俺のメンタルは現代的ではない。俺はぎこちない笑顔を浮かべながら、リサを先導して家の裏手へと続く小道に入った。
「うわ、見てください、この道! まさにけもの道って感じ! 冒険が始まるって感じでワクワクしますねー!」
雑草だらけで歩きにくいだけの道を、彼女のポジティブフィルターを通すと、そんな風に変換されるらしい。
風雨にさらされた『立入禁止』の看板ですら、「こういうのが秘境感をマシマシにしてくれるんですよねー!」と嬉々として撮影している。これがプロの配信者という生き物か……。
やがて、ダンジョンの入り口である洞窟が見えてくると、リサのテンションは最高潮に達した。
「うわーっ! 本物だー! 本当に、山に穴が開いてる……!」
子供のようにはしゃぐリサに、俺は少し呆れながらも、リュックから取り出したLEDランタンを灯した。
「行きますよ。足元、気をつけてください」
「はい、キャプテン!」
ふざけた返事を背中で聞きながら、俺はひんやりとした洞窟の中へと足を踏み入れた。リサも自分の小さなライトで周囲を照らしながら、ぴったりとついてくる。
「わ、なんか空気が違う! ちょっと神聖な感じしません? ダンジョンの中って、パワースポット的な効果もあるのかな?」
「さあ……少なくとも、俺に金運がアップしたとか、そういう効果はないですね」
「アハハ! 田中さん、面白い!」
どこがだ。
そんな軽口を叩いていると、早速、前方にぷるぷると震える青い影が現れた。プルが心配してついてきたのかと思ったが、プルは俺の足元にいる。つまり、別のスライムだ。
「うわっ、モンスター!?」
リサが一瞬、ビクッと身構えた。だが、スライムがこちらをじっと見つめるだけで、何の敵意も見せないことに気づくと、すぐにその表情は好奇心へと変わった。
「え、なにこれ……全然、襲ってこない。ていうか……」
リサは恐る恐るスライムに近づき、その頭をツン、と突いた。
「ぷるるん!」
「かわいーっ!」
スライムのゼリーのような感触と反応がツボにはまったらしく、リサは目を輝かせてカメラを向けた。
「みんな見てー! スライムって、こんなに可愛い生き物だったんだー!」
「ここのモンスターは、だいたいこんな感じですよ」
俺がそう説明しながら奥へ進むと、今度は通路の脇から、緑色の小さな人影が姿を現した。
例のゴブリンだ。
ゴブリンは俺の顔を見るなり、ぺこりと丁寧にお辞儀をした。
「えぇぇ!? ちょっと待って! 今、ゴブリンがお辞儀したんですけど!?」
リサが素っ頓狂な声を上げて、腹を抱えて笑い出した。
「アハハハ! なにこれ、超ウケる! みんな見てー! 世界一、礼儀正しいゴブリンがいるー!」
カメラを向けられたゴブリンは、戸惑うでもなく、リサに向かっても深々と一礼した。その健気な姿に、リサはすっかり心を鷲掴みにされたようだった。
「ゴブリンさん、こんにちはー! いい子だねー!」
満面の笑みで手を振るリサに、ゴブリンも嬉しそうに持っていた木の棒を小さく振って応えている。もう、ただの近所付き合いの光景だ。
そんな微笑ましい交流を挟みつつ、俺たちはついに目的地である泉の広場へと到着した。
ドーム状に開けた広大な空間。天井から染み出す水が作り出す小さな滝。光る苔が放つ幻想的な青白い光に照らされた、静謐な泉だ。
「…………すごい」
それまでハイテンションではしゃいでいたリサが、言葉を失って、ただ立ち尽くしていた。
ランタンの光がなくても、周囲がぼんやりと見えるほどの明るさ。キラキラと光を反射する水面と、静寂の中に響く心地よい水音。そこは、俗世から切り離された、まさに聖域と呼ぶにふさわしい場所だった。
リサは我に返ると、ゆっくりとカメラを構え直した。その表情は、先ほどまでのおふざけモードから一変し、真剣な「配信者」の顔つきになっている。
「ここは……本当に、日本なのかな。まるで、ずっと昔にプレイしたゲームの世界に、迷い込んじゃったみたい……」
彼女は、この感動を視聴者にどう伝えればいいのか、言葉を選びながら、ゆっくりとレポートを始めた。その姿は、ただ面白いものを追いかけるだけの配信者ではなく、本物の美しさに触れた表現者のそれだった。
一通り撮影を終えたリサは、ふぅ、と一つ息をつくと、俺に向き直った。その瞳は、興奮と感動で潤んでいるように見えた。
「田中さん……これ、マジでヤバいですよ。こんなすごい場所が、まだ誰にも知られてないなんて……」
「だから、言ったでしょう。専門家が見向きもしなかった、ただのハズレダンジョンだって」
俺が自嘲気味に言うと、リサは力強く首を横に振った。
「ハズレなんかじゃない! お宝です、これは! 私、確信しました」
彼女は俺の目をまっすぐに見て、満面の笑みで言い放った。
「この『ダンジョン民宿』、絶対にバズります!」
その力強い言葉は、俺の心の奥底に眠っていた、社畜時代にすり減らしたはずの何かを、確実にかき立てていた。
戸惑いながらも、自分の計画に初めて得た第三者からの確固たる「肯定」。
それが、たまらなく嬉しかった。
この嵐のような少女が、俺の人生を、そしてこの寂れた町を、本当に変えてしまうのかもしれない。
そんな、バカげた予感が俺にはあった。