不老長寿の水
水生石、というものがある。原初の水が石の中に封じられて今に残ったものだ。水晶や瑪瑙にたまにある。
これを振るとぴちゃぴちゃと音がする。中身は数万年前の水だと言う。
水晶の場合、中に入った水は透けて見える。江戸時代以前は水が石になったものが水晶だという迷信があったが、そのもとになったのが水入りの水晶だろう。
瑪瑙はたいてい一部が平らに削られていて縞模様が見えるようになっている。これは放置しておくと縞の層から水分が蒸発してしまい、ただの中空の瑪瑙になってしまう。
この水生石には今ひとつビオトープ型とでも言うべき物がある。水と魚と藻が入っていて、生態系を保ち続けているのだ。
「『続向燈吐話』という江戸時代の本に出てくるのですが、金魚と藻が入っていたというのです。これはおそらく贋造でしょうな」
土産物屋の親爺は、ガラスケースの向こうでうちわを使いながら蘊蓄を語る。
ここは自殺の名所であるとある岬。そのすぐ近くにある土産物屋の中だ。親爺がいるガラスカース兼カウンターの向こうには、色んな水生石が並んでいる。値段は一万円から数万円くらい。今の手持ちのキャッシュで買えない額ではない。
「まあ、手に取って見てごらんなさい。ただし、割ったら弁償はしてもらいますよ」
冗談めかしてはいるが、本気だろう。私はさすがに遠慮する。
「水生石の水は、不老長生の秘薬、万病に効く若返りの妙薬、などとも言われてましてね。まあ、これは単なる伝説なんですけどね」
言いたいことはわかった。これを買って飲め、と言いたいのだ。
私は多発性臓器不全で顔色が良くない。親爺はいいカモだと思って鎌をかけてきたのだろう。まあ、自殺の名所のそばではそういう商売も成り立つか。
「『続向燈吐話』の怪談ですが、確か主人公は幻覚を見るんでしたっけ」
「ええ。室内なのに大雨が降ってきて、水生石が割れて中の生き物が外に出てしまうんですな。これが子蛇で、見る見る竜になって天に昇っていった、という話です」
「というと、金魚に見えたのは錦鯉だったのでしょうか。鯉の滝登りと言いますし」
「なるほど、錦鯉、ですか。それは思いつかなかった」
私は店内を見渡す。Tシャツに乾物、ジュースや駄菓子も売っている。私は据え置き型の冷蔵庫からアイスモナカを取ってくると代金を支払った。カウンター前のイートインコーナーに腰をおろして、その場で食べる。
「どちらからお越しですか」
「京都からです。気ままな一人旅ですよ」
「ほほう、それは楽しいですね」
「ええ。今まで生きてきて訪れる機会のなかった土地をいろいろと旅して回っているのです」
「失礼ですが、おいくつですか?」
「さあ。いくつぐらいに見えます?」
「五十代後半くらいですかね」
「うーん、もう少し年はとってますよ」
「六十代?」
「まあ、そんなところです」
本当は七十代に見えても仕方のないところだ。自覚はしている。
「ご酒はめしあがりますか」
「たしなむ程度には」
「おいしい地酒があるのですが、暑気払いにいかがです。お代はいただきません」
「おおっ、それはありがたい! 頂戴します」
親爺は体の向きを変えるとレジの下の冷蔵庫を開いた。四合瓶と利き酒用のおちょこを二つ取り出す。それを横にあった朱色の盆に載せてガラスケースの上に置く。瓶には『幸若』というラベルが貼ってある。
とくとくとく……
清冽とたとえるにふさわしい澄み切った日本酒が注がれ、馥郁たる香りがあたりに広がる。
二人で盃をかかげて乾杯する。
「これはおいしい!」
まれにみる美酒だった。吟醸酒なのだろうか、すっきりとした中に甘みもあり、適度な粘性もある。
「いいでしょう。地元の酒蔵がつくっていて、ここいらでしか手に入らない代物です」
「在庫はあるんですか」
「もちろん」
宿に帰って一杯やるにはちょうどいい。私は箱に入った一本を買う。そして、ついでに、という感じで瑪瑙の水生石も一つも見せてもらう。耳元で振るとちゃぷちゃぷ音がする。
「これもお願いします」
「ありがとうございます」
宿代と交通費を合せたほどの金額が吹っ飛んでいく。それだけの価値はある逸品だ。
私は親爺と別れのあいさつをして宿に戻る。
外を歩くと紫外線が肌に突き刺さってきた。季節からすっかり春と秋が消えてしまった現在の気候は、なんとも生きづらい。昔はこんなんじゃなかったのになあ、と子供の頃を思い起こす。
観光案内所の紹介で泊めてもらった古い宿につく。
江戸時代に建てられたというその建物は、内側に補強用の鉄骨が入っていてなんともいえない残念さがある。地震が来たら潰されて死ぬ、不運は仕方ないのだ、くらいの感覚でなぜ生きられないのだろう。江戸時代の言葉で「生死は天の定めるところ、人のあずかるは半ばなり」というのがあるが、それくらいで丁度いいんじゃないのか。
畳敷きの自分の部屋に戻って、冷蔵庫に『幸若』を入れる。ギンギンに冷やしてから飲もう。瑪瑙の水生石も一緒に冷やしておこう。
商店街に出て金物屋を探す。金物屋、というか、雑多な品を並べた荒物と衣類をごたまぜにして売っている店は見つかった。ここには通り過ぎて、駅前の商店街を歩く。
百均は現代の驚異だ。おそらく、ここにある品を全部買い占めて江戸時代にタイムスリップして売ったら大金持ちになれるだろう。それだけの工芸品がビタ銭数枚で買えてしまうのだ。恐ろしい時代だ。
私は、ハンマーとノミとプラスチック製の桶、それにガラスのおちょこを買って宿に戻る。
冷蔵庫に入れた物が冷えるまでの時間、衣類や家電の量販店を見て回る。古着を買い取る、なんて書いてあるが、買い取った古着はどこで売るのだろう。海外に輸出して貧しい未開の人たちに売るのだろうか。商売とはいえ、あこぎさを感じる。
コンビニでおつまみを調達して宿に戻る。まだ明るい時間だ。お天道様が顔を出さなくなったら飲み始めるとしよう。
することもないのでテレビをつける。芸人が地元の話題の店を紹介している。チャンネルをかえると、英語の番組になった。世界情勢だの株価だのを字幕なしで放送している。チャンネルを変える。朝鮮語の時代劇がかかっている。これは字幕つきだ。海外のコンサート、料理、観光名所。とりとめもない雑多な情報が脳に流入してくる。あまりの情報の洪水に、頭が痛くなってきた。
窓の外が夕焼けに染まってきた。
そろそろいいだろう。
私は、手洗い場で軽く手桶をゆすぐと、水生石の開封にとりかかった。
桶の中の瑪瑙にノミを当てて叩く。なかなか割れない。段々、叩く力を強くする。
特にかわった音がすることもなく、水生石は割れた。
流れ出た微量の水を、おちょこへと移す。
南無三!
口に含む。
数万年前の生命のエキス。それはただの硬質水だった。
「うまかねえな」
ついひとりごちてしまう。
『幸若』を開封して、おちょこに注ぐ。
「おっ、いいねえ!」
売店で味わったのと遜色のない味と香りが口の中に広がる。
私は、過去と現在をわずかな時間差で味わったのだった。
こうして私の旅はおわった。
新快速で京都に戻り、自宅に引き籠もる。
古い寺を改装した屋敷。
ここで絵を描くのが私の仕事だ。
歌人、俳諧師、刀鍛冶。いろんな仕事をためしてみたが、最後に残ったのは絵描きと陶芸家だった。
西陣の着物の図案を描いたり、日展に応募したりもした。
出自を問わない実力次第の世界。基本的に現金払いの取引。
胃に痛みを抱えた私には、普通の肉体労働はこなせない。
その痛みの原因が取れたのは、つい最近になってからだ。
これも、元を正せば小浜でゲテモノを喰ったのが原因だ。
人魚の肉。
これは、生で喰わなくては効力がない。干物になった人魚、煮たり焼いたりした人魚には不老長生の効果はないのだ。
当時、北前船に乗っていた私は、羽振りもよく御大人扱いされていた。ある時、漁師たちが人魚を捕まえた。買い取ってほしいと言ってきたので、そこそこの金を払って買い取った。フナほどの人魚で、女の顔をしてキーキー言っていた。殺生へのおそれよりも、不老長寿への興味の方が先に立った。南無八幡、と唱えつつ首をはね、内臓は捨てて刺身にして喰った。
が、どうしたことか、翌日から内臓をえぐるような腹痛で動けなくなった。人魚の肉にアニサキスがとりついていたのだ。
もちろん、人魚の肉を喰ったアニサキスは、不老長生の効力を受けていた。
どんな薬を飲んでも痛みはとれなかった。
私は船を降りて土地の名主の家にやっかいになり、静養した。
しばらくして、痛みは間があくようになった。人魚の肉から得たエキスの差だろう。それでも、体が弱ると激しい胃痛が始まる。真夏や真冬、気候が急変した時には腹の疫病神がうごめき出すのだ。
内視鏡による切除術が一般化したのは、今世紀に入ってからのことだ。
長年悩ませてきたアニサキス君は、生検鉗子によってざっくりと取り出された。それでも、周囲の炎症がひどかったので(おそらくは、アニサキスに寄生していた病原菌が原因だろう)、高周波焼灼がなされた。
これで、長年にわたる健康問題は解決した。
ただ、その間に老化は進んだ。いくら不老長寿とは言っても、老化という不可逆反応は止めてくれないのだ。ただ、わずかに効果がある方法は長い生の内で知っていた。
今回の実験がうまく行けば、私はもう処女の生き肝を喰らう必要はなくなる。近隣各地の小学生をさらう必要もなくなるのだ。とてもか弱くて不安に泣き叫ぶ、あの人魚に似た悲鳴をあげる可愛い生き物を。
私は気分がよくなった。そうだ、冷蔵庫にはまだ何人分かの人肉が冷凍してあるはずだ。少し解凍して食べることにしよう。