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第1章:さらわれ姫、逃げただけ Scene 3:ダンジョン、まったり生活

『姫とスライムと、朝の一杯』

 ダンジョンの最深部――そこは、本来ならば闇と静寂が支配する、侵入者にとって最も危険な領域である。


 だが、そこに広がる光景は、常識からあまりにもかけ離れていた。


 金の縁取りがなされたロココ風の家具。深紅の絨毯は、地底の湿気すら寄せつけぬよう魔術で織られている。壁には中世の宮廷を思わせるタペストリーが掛かり、天井近くの壁面には自作のステンドグラスが埋め込まれていた。差し込む光があるはずもないこの地に、ステンドグラスは己の光を放ち、部屋を幻想的に照らし出していた。


 その中央――シングルソファに腰掛けていたのは、一人の少女。


 金のティーカップを優雅に傾けながら、ため息のような一言をこぼした。


「……やっぱり、朝はダージリンに限るわね」


 紅い瞳に薄く微笑を浮かべる彼女は、このダンジョンの主にして、亡国の姫君。


 名を、リュシア・ヴィレーナ・アルトゥール。


 元・第二王位継承者。現在、失業中(※亡命中とも言う)。


 彼女の前に立つのは、ぷるんとした透明な体を持つ小柄な従者。見た目は限りなくスライムに近いが、白いエプロンにレースのカチューシャを身につけているあたり、どこか使用人らしさがある。


「姫様、次の一杯はいかがいたしましょう?」


 ぴょこんと揺れながら問いかけるのは、ホムンクルス型モンスター《モッチー》。このダンジョンで姫自らが生み出した人工生命体である。


 ……ちなみに、外見はスライム。声は機械合成風の中性的なトーン。そしてなぜか異常にホスピタリティに優れている。


「ふふ、次はアールグレイをお願い。あと、今朝のお茶菓子は?」


「本日のお茶菓子は、昨晩の侵入者から奪った焼き菓子セットです。どうやら隣国の軍糧物資らしく、質はなかなかです」


「そう。なら、今日は“勝者の朝食”ね」


 カップを受け取ったリュシアは、くすりと微笑む。


 かつて宮廷で、王としての教育を受けていた姫は、こうした嗜みも完璧だった。だがそれ以上に、彼女の「ダンジョン運営者」としての性質が、この異様な優雅さを正当化している。


 ――そう。ここは、ただの拠点ではない。


 侵略され、追われた一国の姫が、世界を“問い”直すために籠もった、反撃のための拠点。


 ティーカップの中の琥珀色を見つめながら、彼女はそっとつぶやく。


「……今日も誰か、訪ねてくるかしら。良き“問答”ができればいいけれど」


 その時、遠くダンジョンの入口方向から――“警報”が鳴った。


「……来たようね」


 スッと立ち上がる姫。そのドレスの裾が軽やかに舞う。


「モッチー、罠の作動を。第七層を“迎撃モード”に。ついでに茶葉は片付けておいて」


「承知いたしました。お楽しみの邪魔をする者には、“正しい問い”をお見せして差し上げましょう」


 ――こうしてまた、姫のダンジョンに、新たなる“来訪者”が迷い込んだのであった。


 優雅なる紅茶の香りの奥で、静かに戦争の始まりが淹れられていく。




部屋の扉が静かに開き、白衣に似た魔導服姿の少女――クレアが、魔導タブレットを片手に入ってきた。眼鏡の奥で理知的に光るその瞳は、すでに画面をスワイプしながら防衛計画の最終確認に入っている。


彼女が指先で空中に投影したスクリーンには、ダンジョンの第七防衛フロア図が浮かび上がっていた。細かな線と記号がびっしりと書き込まれ、見る者を一瞬で沈黙させる情報量だ。


「姫様、罠第5案の件ですが」とクレアはさらりと口にする。「迷路型からトラップ床、そして思想問答の順番でよろしいでしょうか?」


「いいわよ」と王女は即答した。玉座代わりのダンジョン指令椅子に、ややふんぞり返るような姿勢で。


だがそのあと、思い出したように眉をひそめる。


「それより、例の“焼却落とし穴”は改良しておいて。床、焦げすぎてるから」


クレアがタブレットをちらと確認し、苦笑する。


「……確かに、発火ルーンが予定より0.7秒長く反応してます。あのテストランのあとは……」


床の一部には、黒く炭化した跡がしっかり残っていた。焦げた魔石の臭いが、まだ微かに残っている気がする。


「このままでは、“落とされた者が苦悩する”より、“設計者が焦げに悩む”罠ですね」


「まったく……私のダンジョンに美しくないものは似合わないのよ」


王女が気だるげに呟くと、部屋の全員が姿勢を正した。これは「改善命令」であり、同時に「審美眼による断罪」でもあるのだ。


クレアは小さく息をつき、魔導ペンで修正指示を入れた。今日もまた、最高に容赦のないダンジョンが組み上がっていく。

ティーセットから湯気がふわりと立ちのぼり、琥珀色の液体が薄紅色の唇に触れる。


 小さくひとくち、味わうように飲んだあと、リリス王女はため息混じりに呟いた。


「また王宮で、勝手なこと言ってそうね……めんどくさ」


 カップをそっとソーサーに戻す。その動作ひとつにも優雅な品位が宿っていたが、口から出る言葉は毒を含んでいる。


 その隣に立っていたクレアが、少しばかり言いづらそうに情報を付け足した。


「……何か、“派兵するかもしれない”とか言ってたみたいです」


「はあ~~~~……」


 リリスは天を仰ぐように椅子の背に身を預けた。銀髪がゆるやかに揺れ、ダンジョンの執務室に微かな沈黙が流れる。


 それは呆れ、怒り、そしてほんの少しの諦めが交じった、王女らしからぬ無防備なため息だった。


「クレア。罠、強化しておいて。上から来る連中、全員追い返して」


「……了解です、姫さま。毒矢と落とし穴、どちらをメインにしますか?」


「全部。ていうか、次来たら“派兵の派”のあたりで足折れるくらいのにして」


 紅茶をもう一口飲みながら、リリスはにっこりと、悪意のない笑顔を浮かべた。


「……言って聞かないなら、体で覚えてもらうしかないわよね」


 静かなる宣戦布告の言葉だった。

モンスターたちがのしのしと動き回るダンジョン内に、指揮官然とした声が響いた。


「……あっちの壁、もっと奥行き出して。“映える”のよ、あそこ。画角的に」


 指さす姫の横顔は真剣そのものだ。ふだんのふてぶてしい態度はどこへやら、今だけは職人の目をしている。


 彼女の指示に応じたのは、全身甲冑のような殻を持つモンスターだった。ゴリゴリと壁を削る手を止め、ゆっくりと顔を上げる。


「クオオ!」


 低くうなり、鋭い眼光を姫へ向ける。なぜか通じ合っているようで、姫は満足げに頷いた。


「そう、それでお願い。……やればできるじゃない」


 その横では、クレアがいつもの書き込み用魔導板を片手に、ぼそりと呟いた。


「……あの会話、成立してるんですよね……?」


 さらに姫はくるりと踵を返し、別の区画に向かう。


「それと罠の間、クッション置いておいて。――あそこ、試作のときけっこう失敗するから。モンスターが」


「え? あ、はい。柔らかめのやつで?」


「ふわっふわのやつ」


 やや即答気味に言い切る姫に、クレアは小さくため息をついた。


「優しい……のか、なんなのか……」


 それでも、クッションの魔導紡糸を取り出しながら、クレアはどこか楽しそうに微笑んでいた。


 揺れる琥珀色の水面に、ランプの光が溶けこむ。


 姫はカップを持ち上げ、ふう、と小さく吐息をもらした。


「……やれやれ、平穏ってこんなに忙しいのね」


 その声音は諦念にも似て、けれど、どこか楽しげでもあった。


 カメラが引いていく――いや、まるで映像のように視界が広がっていく。


 そこに現れるのは、“姫の隠れ家”。


 ダンジョン最深部の空間に設えられた、手作り感満載の謎オシャレ空間。古びた絨毯、無駄に高級なティーセット、罠を応用した自動給湯装置に、なぜか天井にぶら下がる逆さ槍と迎撃用の魔導砲。


 そのどれもが妙に調和していて、しかし明らかに常軌を逸している。


 可愛らしいソファの隣には血で染まった勇者のマント。花柄のクッションの奥には毒入りクッキー。


 ここは、“姫の”平穏の城。


 そして今日もまた、紅茶が静かに香っていた。

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