第1章:さらわれ姫、逃げただけ Scene 2:勇者ギルド、歓喜
勇者ギルド本部――かつて数多の英雄たちが集い、数え切れぬ魔王や龍王を討伐してきた栄光の拠点。
……が、今はまるで文化祭前夜の男子校のような空気だった。
バンッ!
「【緊急依頼】王女殿下救出任務! 成功者には“姫との婚姻権”および“王国秘蔵の財宝”が授与される!」
掲示板に貼られた王家の勅命。煌びやかな金縁の紙が、ギルドの雰囲気を一気にブチ上げた。
「「「うおおおおおおおおおおお!!」」」
地響きのような歓声が上がる。ギルド内が大パニックに陥った。
「ついに……ついにオレの筋肉がッ!」
――筋肉系勇者、バルゴ・マッスルハート(全身タンクトップ)。
「姫を……国を……そして世界を救う時が来たッッ!!」
どこから取り出したのか、巨大なダンベルを肩に担ぎ、その場で腕立てを開始。しかも片手。
「回数は愛の深さァ!! フンッ、フンッ、フンッ!!」
後ろで見てた受付嬢が即通報。訓練エリアに強制送還される。
「これは……運命だ」
――ナルシスト詩人系勇者、セリオ・ミューズハート(白シャツにフリル)。
「姫と出会う運命、結ばれる運命……そして婚礼の日に捧げる、この詩……!」
そう呟くや否や、筆を走らせ始める。
「“君のまつげに宿る朝露を 我が胸のオルゴールに閉じ込めよう”……ふふ、完璧」
隣ではすでに自作の姫用ウェディングドレスをデザイン中。布選びで揉めてる。
「姫様のことなら……この俺に聞け!」
――オタク系勇者、ハルキ=クラウゼ(推し活歴5年目)。
スマホの待ち受けには姫の笑顔。痛バッグには非公式グッズの缶バッジがぎっしり。
「姫様は紅茶派!ティーカップの縁の花模様は、春の蘭が好みなんだ!」
異様な知識に、周囲が半歩引いているが本人は気づいていない。
「ファンクラブ代表として、推しの危機を見過ごすわけにはいかんのだッ!」
そしてそっと、自作の応援うちわを鞄に忍ばせる。
「……ふむ」
――ビジネス系勇者、ザヴィエル・ロア(元・経済省出身の剣士)。
依頼の報酬を見て、小さくうなずく。
「財宝の市場価値は国家予算の約3.5%……十分な回収対象だ」
仲間集めも即決。「ヒーラー1名、盾役2名、解錠師1名を時給契約で雇おう」
「姫? ……別に興味ない。財宝だけ回収して契約解除だ」
まるで財務会議のような旅支度で、一行は静かに出発していく。
「フフフ……もう書いたぞ……!」
――ギャグ枠勇者、モリノ・ユージ(常にスーツでネクタイ)。
「婚姻届、半分書き終わってある!あとは名前を書いてもらうだけだッ!」
左手にはきっちり記入された婚姻届。右手には祝儀袋とスーツケース。
「式場も仮予約済みだ!姫さまは和装派と見た!」
※ちなみに姫とは一度も会ったことがない。
受付嬢「……混沌ってこういう状態のことを言うのね……」
ギルドは、かつてないほど熱狂し、騒がしく、そして――確実に勘違いで盛り上がっていた。
ギルドの受付は、すでに修羅場だった。
「お、お落ち着いてくださいっ! まだ依頼の詳細確認も済んでなくて……!」
カウンターの向こうで、若い受付嬢が半泣きで叫ぶ。しかし、その声は興奮と焦燥にまみれた勇者たちの咆哮に、かき消された。
「いや待て、これ俺の専属クエストだろ!? “姫奪還”って書いてあるぞ!」
「は? 姫に一番好かれてたの俺だから!」
「はああ? 昨日、姫と目が合ったの俺だけど?」
「“既成事実”を作った者勝ちだッッ!!」
「落ち着けバカども!!」
怒号が飛び交い、掲示板の前には勇者たちが殺到。奪い合うように依頼票を引っぺがし、揉み合い、殴り合い、ついには乱闘が勃発した。椅子が宙を飛び、誰かの剣が鞘ごと跳ね上がり、見習い魔法使いの火球が天井を焦がす。
受付嬢はとうとう耐えきれず、しゃがみこんで頭を抱えた。
「……もうやだぁ……転職しよ……」
その騒ぎの傍ら、一部の勇者たちは既にダンジョン方面へと走り出していた。
「もういい! 先に行く!」
「“ダンジョンで偶然再会→脱出劇で距離が縮まる”パターンだ!」
「そのまま婚約まで持っていく! イケる!!」
「チーム編成? 知らん! 姫が待ってるんだッ!」
誰も彼もが我先にと飛び出していく。中には馬も乗らず、歩いて走って斜面を転がりながら。
彼らの目にあるのは、名誉でも金でもない――恋と欲望と、少しの狂気だった。
がやがやと騒ぐギルドの空気の中で、ただ一人、違う温度で言葉をこぼす者がいた。
「……こいつら、本当に姫を助ける気あるのか……?」
酒場の片隅。重厚なマントを羽織った男が、うんざりしたように椅子にもたれかかっていた。
ギルドマスター――かつて“伝説の勇者”と謳われたその男は、腰に佩いたままの錆びた剣に手をかけるでもなく、ただ静かに天井を仰ぐ。
「姫の性格くらい、いい加減分かってやれよ。あいつは……完成させたんだろ、あの“秘密基地”ってやつを」
彼の目が一瞬だけ、遠い記憶を見るように細められる。
その言葉に、冒険者たちはようやく我に返る。
そもそも姫が「囚われた」などという証拠はなかった。ただ、あの“完成直後のダンジョン”に入って、出てこないだけ。
ならば、可能性は一つ――
「籠もってるだけ、なのか……?」
「いやでも、メシも持たずに……」
「姫なら一週間分くらい、詰め込んでそうだな」
「むしろ出てこないのは作業に夢中だから……?」
空気が一気に変わる。焦燥が困惑に、困惑が妙な納得へと変わっていく。
そしてその全てを、ギルドマスターは聞いていた。聞きながら、ふ、と息を漏らす。
「……バカばっかりだな」
そうつぶやき、カウンターの端に置かれた冒険者掲示板を一瞥した。
そこには、誰も気づいていない新たな依頼がひっそりと貼られていた。
【依頼No.0471】
《緊急》姫ダンジョンの罠挙動が異常
“意思を持って動いている”との報告あり
詳細調査を希望。報酬:10000G
投稿者名:匿名(元・ダンジョン設計者)
依頼書の端を、どこからともなく吹き込んだ風がそっと揺らした。
だが、それに気づく者は誰もいない。
笑い声とともに、夜は更けていく。
――そして、ダンジョンの奥で“それ”は目を覚ます。
誰かを待つように。
あるいは、迎え撃つように。