第37話「レディーファイト! ですわ♡」
工藤は笑みを浮かべながらコーヒー缶をベンチの上に置き、改めて鈴華に身体ごと視線を向ける。
鈴華はそれに気づくと、工藤と同じように缶コーヒーを置いて目を鋭くさせた。
たくさん不安はある。
でも逃げていられない。
陸斗と共に生きたいと願う以上、知りたいことはたくさんあった。
好きな人のことは何だって知りたいし、受け止めたいと思うのが鈴華の恋愛だった。
「陸斗がオレを憎んでいることは重々承知している」
工藤の声はいつも以上に低く、重々しい。
それに鈴華は視線を返すだけで返事はしなかった。
何を言われても陸斗の味方でいることは崩さない。
その姿勢が工藤にも伝わり、鈴華と向き合うことに臆し、拳に汗を握っていた。
「あいつには悪いことをした。オレのせいで優斗は狂ってしまった。あいつの家族をぶち壊した。もう……もう逃げたりしない。覚悟を決めてきた」
工藤の言葉に鈴華は頭の中でプツンと糸が切れる音を聞いた。
覚悟を決めたと凛々しい顔をして言っているが、この男は一体何に満足を得ているのだろう?
反省を示せばスッキリしたのか?
たかが”覚悟”という言葉で過去が清算されるはずもない。
工藤が”ようやく”にたどり着くまでの時間に、陸斗たち家族はどれだけの傷を負ったのだろう。
当時の陸斗が苦しんだ姿を思い浮かべて、心が痛くなった。
ワナワナと拳を震わせている鈴華に気づきもせず、工藤はツラツラと言葉を続けた。
「陸斗に謝罪をするために俺はまた戻ってきた。……許されようとも思っていない。だけど謝罪だけはしたかった! オレは少しでも陸斗たち家族を修復したいと思ってるんだ!」
「それは、どういう意味でしょうか?」
耐えられない、と鈴華は眉をひそめ、固く握りしめた手をベンチに置く。
強く叩いたせいでコーヒーの缶が倒れ、ほとんど減っていなかった中身が地面に零れてしまった。
暗がりの中では零れてしまった液体の色は闇に溶けこんでしまう。
温厚で怒ることを知らないようなお嬢様。
大して誰かに興味を抱くこともなかった。そんな恵まれて空っぽだった自分にサヨナラだ。
誰かを心から想うと、鈴華は無敵になれる。
地位も、財産も、容姿も、ありがたくも恵まれて生まれてきたのだから、大切な人の悲しみは愛で満たしたい。
腹に据えかねる感覚は眼力を強くし、自分語りで事足りると思っていたであろう工藤は驚愕し、バツが悪そうに目を反らした。
「借金を返しに来た……では、キミは満足しないんだろうね」
陸斗たちを苦しめたのは貧困。
お金があれば拗れることもなかった可能性はある。
返すべきものは返すのが当然として、それで失ったものは修復されることではない。
お金を返せば解決すると思い込んでいるのであれば、生ぬるい考えだと鈴華はわざとらしく息を吐き出した。
その苛立ちを複雑にさせるのは、工藤の贖罪語りだった。
「君は知らないだろうがオレは六条家に戻ってきている。君の父親に頭を下げて、六条家に戻り、働くことを許してもらったんだ」
そんなこと、父には一切聞いていない。
母も工藤について語ることはなく、変わらず六条家とは関係が断絶されていると思っていたのに……。
「一社員としてとにかく必死で働いたよ。……ようやく返せるだけの金が貯まったんだ。だからオレは陸斗の前に姿を現した」
ただ働くだけで返せる金額だったのだろうか?
鈴華にはどのくらいの金額を借金として抱えることになれば、家族が崩壊する事態になるのか基準値を知らなかった。
百万円で狂う人もいるだろうし、二千万三千万という単位の人もいるはずだ。
鈴華の感覚では億単位での負債を抱えている人も、社交界の噂で耳にした印象だ。
金額ではないのだろう。
鈴華にとってのお金と、陸斗たちのお金は感覚が違うから――。
「叔父様は謝罪をしたかった。お金を返して終わらせたいのですね」
「そうだ」
陸斗と出会った時点で、鈴華はすでに工藤の近くに存在していた。
どうして気づけなかったのだろう。
自分の不甲斐なさに鈴華は口元に手で覆い隠し、下唇を丸めて歯を食い込ませた。
知ったところ何も出来なかったとしても、後悔の念に捕らわれる。
(これで陸斗の苦しみは解放されるのでしょうか? 身を粉にして働くことはなくなっても……)
失ったものはあまりに大きい。
何ごともなければ大学に通っていたかもしれない。
やりたいことを見つけ、目標に向かって邁進していたかもしれない。
母親への気づかいが過剰にならないどこにでもいる思春期を送れていた可能性だってあった――。
未来のさみしさは?
母親に会えない寂しさを抱えて成長したら、将来にどんな影響を与える?




