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檻の中の君  作者: 二井星子
第1章 大罪人
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8 フィリベルト・ジンデル④

 アリアが率直に聞くと、フィリベルトは困ったように笑い、口を閉ざした。


 しばらく見つめてみても、フィリベルトは苦笑するだけで何も言わない。


 なるほど。フィリベルトはこれまで、こうやってひたすらに黙秘してきたのだろう。


「フィリ。私は、君が黙秘する理由は大まかに四つあると思っている」


 アリアは左手を上げ、指を四本立てて見せる。


 フィリベルトの視線が一瞬アリアの指に移り、それからアリアの目を見つめる。


「はい」

「可能性が低いと思っている順から。まずは一つ目」


 そう言い、指を一本折る。


「事件について話せば不利になり、罪が重くなるから話さない。でも、これは可能性が皆無に近い」

「なぜなら、すでに最も重い刑を科せられているからですね。死罪は確定していますし、グリニオン監獄送りになった」

「そう」


 アリアは頷く。


「次、二つ目」


 そう言い、二本目の指を折ってみせる。


「単純に、話したくないから話さない。ただ、これは疑問点が多く可能性は低い。君は取り調べで自分の名前と年齢、エントウィッスル侯爵子息の従者であったことしか口を割らなかった。事件には関係しないようなこと……例えば、君の出身、家族構成、対人関係、そういったことを聞いても君は口を割らなかった。休日に何をしているだとか、他の使用人との仲はどうだっただとか、そういった他の些細な質問も同様だった。拷問を受けても、決して話さなかった。そこまでして些細なことすら話さないのは、単純に話したくないからということではない。話したくない『理由』があるからだとしか思えない。単純な気分の問題ではないように思える」


 フィリベルトは目を離さず、アリアを見つめた。


「そこで三つ目」


 アリアは三本目の指を折った。


「これはこれから話す四つ目と同じく可能性が高いと思っている。君は単純に話したくないから話せないのではなく、『話せない』から話さない。話さないのには『理由』がある。これは君の背後に隠された何かがある場合だ。君を辿るとその何かに辿り着いてしまう。だから君は些細なことすら『話せない』。四つ目の理由と関連している可能性もある」


「四つ目は?」


 フィリベルトの穏やかな笑顔は崩れない。視線も揺るがない。


 アリアは最後の指を折った。


「君は、誰かを庇っている」


 言葉を切り、左手を下ろす。


「『エントウィッスル侯爵家のあれ』は君ではなく、別の誰かによって引き起こされた惨劇。君はその誰かを庇い、代わりに全ての罪を背負って死のうとしている」


「なるほど」


 フィリベルトの様子に変化はない。納得したように頷き、ややあって言う。


「だからアリアは、初めから僕を罪人だと決めつけるような発言をしなかったのですね。曖昧な言い方をする方だなとは思っていました」

「それで? 当たっているか外れているかを答える気は?」

「ありません」


 笑みを深め、フィリベルトはきっぱりと言い切る。


 こうなったフィリベルトが絶対に答えないであろうことは予想がつく。この男の口を割らせるのは至難の業だということが、この短時間でわかった。


「……ああ、これでは私の目に君がどういう男に見えるかという問いの答えにならないか?」


 フィリベルトは意外そうな顔をした。突然の話題の転換が意外だったらしい。


 構わずにアリアは続ける。


「私には、君が私を殺そうとしている男に見えるよ、フィリ」

「僕が、アリアを? どうしてですか?」


 目を丸くして驚くフィリベルトに、不自然な様子はない。どう見ても、心の底から驚いている。


「どうして私と君が結婚させられたのかを考えると、ダールマイアーの血を絶やすためだという結論に行き着く。黒紋を持つ、ダールマイアーの最後の子孫の私を殺すためだと」

「結論が突飛すぎませんか?」

「いや、突飛なことではない。少し考えればわかるよ。爵位の継承とさっきの舞踏会で、陛下は私に恐怖を抱いていた。嫌悪しているかのような態度で虚勢を張っていたが、私をひどく恐れていた。陛下は私の、ダールマイアーの黒紋を恐れている。黒紋の力で陛下を暗殺するのではないかと勘違いしているのだと思う」

「だから、ダールマイアーの血を絶やして恐怖を取り除こうと、陛下があなたを殺すように僕に命令したと仰るのですか?」

「そう。なぜなら、私が表舞台に出るのはこれが最後。これから私は一生涯を監獄の中で看守として過ごす。私を殺すなら、グリニオン監獄に戻る道中で襲撃するか、監獄の中で殺すしかない。私の名前はこの国でかなりの悪評と共に広く知られている。おまけに首席の騎士。恐らく、道中で襲撃する者を雇おうとしたか配下に命じようとしたが、皆怖気付いてやりたがらなかったんだろう。だから監獄の中で殺すことにした。どうすれば私を始末できるかを考えると、囚人になることが最も現実的だ。多くの時間を共に過ごすから隙をつけるし、罪人を利用すれば何ら痛手を被らない。使い捨てにはもってこいだとでも考えたんだろう。確実性を増すために結婚させた。情を芽生えさせれば隙も生まれる。隙ができれば命を奪う機会が生まれる。さらに、さすがの私でもベッドの上でなら簡単に始末できると考えた。夫婦になれば情を交わすのは普通だからな」


 フィリベルトは困ったように笑ったまま、視線を逸らした。


 アリアは淡々と言葉を続ける。


「そこで抜擢されたのが君だ。見目が良くて柔和な雰囲気で私と歳が近い、死罪が決定している大罪人。おまけに君は元々エントウィッスル侯爵令息の従者だったから、礼儀がなっていて、貴族相手に世話をするのには慣れている。君なら私と親しくなるのはたやすいと思ったんだろう。ダールマイアーの者を恐れていないのもうってつけだった」


 フィリベルトは何も言わずに、アリアに視線を戻した。まるで話の続きを促すように、フィリベルトが目を細めて笑う。弱々しげな表情だ。


「初めに違和感を覚えたのは、君が舞踏会の会場に入ってきたのを見た時だ。やけにちぐはぐな格好をしていると思った」

「ちぐはぐ?」


 アリアはフィリベルトのローブを指差して示す。


「君のそのローブは明らかに使い古されていて汚れが目立つ。しかしローブの裾から覗くズボンは、シワも汚れもない新品で、靴も履き口が硬く君の足に馴染んでいない新品だ。靴下も新品。シャツも同様で襟にも袖口にも汚れがない新品。古いものと新しいものとで格好がちぐはぐだ」


 フィリベルトは右手を持ち上げ、シャツの袖口に目をやる。アリアの血で汚れてはいるが、他の汚れは付着していない。


 アリアはフィリベルトの言葉を待たずに言う。


「君自身の状態も良い。顔色は良く、痩せすぎていない標準体型。爪は切って整えてある。手荒れはない。顔も手も、目に見える肌はどこも汚れていない。髪も綺麗で、きちんと切って整えられている。婚姻の儀の最後に君と顔を近付けた時、君からは石鹸の匂いがした。そのローブはカビ臭いが、君自身からはすえた臭いなど一切しない。君は、現時点でこの国一番の大罪人であるのに」


 そう——フィリベルトからは、衛生環境のあまり良くない地下牢に長期間投獄された様子が見受けられない。


 ましてやフィリベルトは二百二十人の命を奪ったとされる大罪人だ。温情を受ける余地などない。


 まともな食事も、まともな寝床も、まともな環境など与えられるはずがなかった。


 ——それなのに。


「君はなぜ、まともな寝床と食事を与えられ、身繕いと入浴を許されて、新しい服を与えられているんだ?」


 フィリベルトが微笑む。口を開く気配はない。


「陛下と君との間で、取引があったからではないだろうか。ダールマイアーの娘とはいえ私は十六歳の小娘で、婚約者もいなければ男性経験もない。君のように整った見目の温和な男に愛を囁かれ続ければ、心を許して殺す隙が生まれるだろうと、君は私を殺すように命じられた。その前準備として、君の見目を元の状態に戻さなければならなかった。君は時間をかけて、私が気にいるように仕立て上げられたんだ。その汚いローブは、私への誤魔化しと、あのくだらない舞踏会で貴族の連中にわかりやすく君が罪人であると知らしめるためのもの」

「なるほど」


 フィリベルトは顎に手を当てて、視線を逸らす。


「どうだ? 当たっているかどうかを答える気はあるか?」


 アリアが問いかけると、フィリベルトはつと視線をアリアに向ける。それから穏やかに笑う。


「あります」


 答える気があるのか、と内心で驚く。てっきり、「ありません」とまた口を閉ざすと思っていた。


「三割くらいは当たっています」

「三割?」

「ええ。下品な話になるのであまりあなたの耳に入れたくありませんでしたが。確かに、僕にはあなたに関して陛下に命じられていることがあります。ただ、その内容はあなたを殺せということではありません」

「では、君は何を命じられたというんだ?」

「あなたを孕ませろ、と」


 アリアは無表情のまま、絶句した。予想の斜め上だ。


「拒むようなら手籠にしろ、とも命令されています」


 フィリベルトは眉を顰める。


「どうか誤解しないでください。状況的に陛下の命令を断ることができませんでしたが、僕はあなたの同意無しにそういったことをするつもりはありません。不安なようでしたら、囚人の契約にあなたを襲わないように追加していただいても構いません」


 アリアの様子をうかがいながら、フィリベルトは静かに言葉を続ける。


「確かに僕は、あなたに気に入られるようにと選ばれ、見目を整えられてここにいます。ただ、ここ一年は、痛めつけて苦しめても僕が口を割らないので方向転換したらしく、だいぶ良い待遇を受けていました。牢屋も、地下牢ではなく貴族用の牢獄の北の尖塔を使っていました。良い待遇のうちに口を割らないとグリニオン監獄に送り込むぞ、ということだったらしいです。ですから、僕の状態が良いように見えるのはそのせいです」


「君はさっき、『三年ほど散々な目に遭ってきた』と言ったと思うが」


 ここ一年良い待遇を受けてきたとフィリベルトは言うが、それだと矛盾する。


 投獄されたのが十五歳で、フィリベルトの言う散々な目とは十六歳になり拷問が始まってから今までの三年間を示すはずだ。


「ああ、そのことですか。確かに言いましたね。僕の言う『散々な目』の起点は僕が投獄された一年目からです。表向きには僕は尋問されていたことになっていますが、実際には拷問でしたよ。それはそれは、とても酷い『尋問』でした。アリアの思う『散々な目』の起点は拷問が始まったとされる二年目からでしょうか?」


 アリアは言葉を失い、黙り込んだ。


 そうだった。この男は、かつてない凶行に及んだ、二百二十人の命を奪ったとされる凶悪犯。まともな対応がされるわけがない。

 尋問と称して秘密裏に拷問が行われたとしても、何らおかしなことではない。十分にあり得ることだ。


 それにしても、フィリベルトは冷静だ。基本的に笑顔で、笑顔以外の表情も豊かだが、不自然さが一切なく嘘をついているようには見えない。

 焦ることもなく、アリアの追求をさらりとかわす。


 アリアが答えないことを肯定だと捉えたらしいフィリベルトが、言葉を続ける。


「あなたを誘惑するようなことをしたり、口説くようなことを言ったりしたのは、陛下との間で事前に『就寝時はアリア・ダールマイアーと同衾する』という制約を交わしたからです。先程の婚姻の儀の誓約書と同じで制約の魔法がかけられていたので、どうにかしてあなたと夫婦として打ち解け、同衾を許可していただかなければならないと焦ってしまいました。事前に相談できればよかったのですが、あなたの耳に下品な話を聞かせたくなかったので」


 フィリベルトが申し訳なさそうに微笑む。


「不快だったのなら心から謝罪いたします。申し訳ありませんでした」


 アリアはフィリベルトをじっと見つめる。


 これまでの話の、全てが嘘なのか本当なのか、一部だけが嘘なのか本当なのか、何一つわからない。

 フィリベルトの『武装』の下の感情が全く読めない。


「君は私と寝台を共にすることを制約したのか?」

「ええ。そうせざるを得ない状況でしたので」


 制約に使われたのが婚姻の誓約書に使われたものと同じ制約の魔法の込められたインクで、かつフィリベルトの言うことが本当なら、フィリベルトは毎夜アリアと同じベッドで眠らなければ命を失う。


「先程の婚姻の儀で僕たちが署名した誓約書に、制約の魔法が込められたインクで『妻アリア・ダールマイアーは、夫フィリベルト・ジンデルが二十歳になった時に処刑を行う』とありました。あの一文をご覧になられましたか?」

「ああ」


 アリアはともかく、フィリベルトもあの一瞬であれほどまでに細かい文字で書かれていた誓約書を読んだらしい。おまけに制約の魔法にも気付いていて、誓約書の文言を一言一句違えない記憶力を持っている。


「アリアは、制約の魔法が言葉通りに作用することをご存知ですか?」


 アリアは無言で頷く。


「制約の魔法を使って口頭で取り決めした場合でも、インクに制約の魔法を込めて書面で取り決めした場合でも、取り決めをしようとする者の意思に関係なく、文言通りに制約がかかる。解釈に幅を持たせることはできない」

「そうです。ですから、アリアにはこの状況がいかに不利なのかがお分かりになるかと思います」

「私が君と寝台を共にすることを拒めば、制約の魔法により君は命を落とす。すると私は誓約書にあった『妻アリア・ダールマイアーは、夫フィリベルト・ジンデルが二十歳になった時に処刑を行う』という一文を履行することができなくなって命を落とす」

「その通りです」


 誓約書の一文は、フィリベルトの処刑の時期を明確に『二十歳になった時』と指定している。フィリベルトが二十歳になる前に命を落とした場合については何も書かれていなかった。

 処刑の時期はフィリベルトが『二十歳になった時』でなければならない。早くても遅くても駄目だ。


 フィリベルトが二十歳になる前に命を落とせば、アリアはフィリベルトが二十歳になった時の処刑ができなくなり、フィリベルトが命を落とした時点で制約を破ったとみなされアリアも命を落とすことになる。最悪の制約だ。

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