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檻の中の君  作者: 二井星子
第1章 大罪人
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5 フィリベルト・ジンデル①

 おおよそアリアが予想していた通り、趣味の悪い余興まがいの婚姻の儀が行われた後、アリアとフィリベルトは別々に退室を促され、アリアにはフィリベルトを連れて早急にグリニオン監獄に入るようにとのお達しがあった。


 怒涛の勢いで立ち去れと言われているのだ。


 この悪趣味にも程がある余興のためだけに舞踏会への参加を強要されたのかと思うと嫌気がさすが、罰を与えられた点だけは良かった。

 これでアリアの罪が許されるわけではないが、『裁かれていない』という現状が『裁かれた』という現状に変わった。


 ドレスから制服に着替えたアリアは、半ば追い出されるようにして王城を出ると、馬車に乗り込むために指定された場所へと向かう。


 指定された場所——王城の敷地内でも端の端、人気のない場所にたどり着くと、そこにはすでに五人の兵士に囲まれたフィリベルトの姿があった。手枷と足枷の他に、再び胴体を拘束具で固定されている。


 兵士の一人に、無言でフィリベルトの胴体の拘束具から伸びる鎖の先を手渡される。続いて手枷と足枷、胴体の拘束具を解く鍵も手渡された。

 「早急に出ていくように」とだけ言い残し、兵士たちが去っていく。


 去っていく兵たちの背を見送った後、フィリベルトに視線を移すと、途端に目が合う。どうやらずっとこちらを見つめていたようだった。


「先程のドレス姿も大層美しかったですが、看守の制服姿のあなたはさらに美しいですね。凛々しくて見惚れてしまいます」

「無理に褒めなくてもいい」

「本心ですよ」


 どこか恍惚としたような、熱っぽい視線を向けられて目を逸らしたくなる。普通の女性ならばうっとり見惚れるような表情だが、アリアにとっては気色悪い視線だとしか思えなかった。


 得体の知れない男が、得体の知れない思惑を持って、得体の知れない感情をこちらに向けているのだ。気色悪い以外に何も感じない。


「まずは、君の手枷と足枷と拘束具を外す前に囚人の契約をする」

「囚人の契約ですか?」


 先程までの熱っぽい視線は一瞬で消え失せ、その表情には穏やかな笑みが浮かぶ。


 切り替えが早い。先程の様子は演技だろうか。だとしたら、この男——フィリベルトは、かなり表情を作るのが上手い上に、自分の魅せ方を完全に理解している。


「ダールマイアーの結界の魔法の一種だ。対象の行動に制限を付けることができる」


 アリアはそう言うや否や、腰に差していた剣を鞘からわずかに抜き、おもむろに剣身を左手でぐっと握った。


「わっ」


 思わずと言った様子でフィリベルトが驚きの声を上げる。


 構わずにアリアはさらに力を込めて剣身を握る。手のひらの皮膚がざっくり切れて、血がぼたぼたと落ちる。


「ダールマイアー伯爵……!?」

「騒がないで」


 アリアは不安そうなフィリベルトを制し、剣身から手を離した。

 血濡れのその手を、フィリベルトの首に添える。わずかに力を込めると、血でぬるりと滑る感触がした。


「何をされるのですか?」


 フィリベルトは微動だにしない。身じろぎすることも怯むこともせず、穏やかな笑みをアリアに向けた。


 力を込めていないとはいえ、首を絞めるような状態でいる上、アリアの左手は血まみれだ。

 しかし、フィリベルトは全く動揺していない。緊張もしていなければ、血濡れの手で首を掴まれても抵抗しない。

 いっそ不自然なくらいに、自然な笑みでアリアを見つめていた。先程剣身を握ったアリアに驚いていた反応が嘘のように落ち着いている。


「一度説明したはず。これから囚人の契約を行うと」


 次の瞬間、フィリベルトの首を掴むアリアの手元から閃光が走る。


「この魔法はかなり熱くて痛い。終わるまでどうにか意識を保て」

「ご心配には及びません。僕は痛みには慣れています」


 すでに熱さと痛みが始まっているはずだが、その言葉通りフィリベルトは平然としている。穏やかに笑ったまま、顔色を変えることなく言う。


「もっと痛くしていただいても構いません」

「そう」


 アリアの手元で、バチバチと火花が散る。


 耐え難い痛みを感じるはずだが、フィリベルトは全く反応しない。呼吸も、瞬きも、何もかもが平生の状態と変わらない。まるで、初めから痛みなどないかのようだ。


「これより永続的に、私を傷付けたり殺害するのは禁止。他の全ての者たちも、傷付けたり殺害するのは禁止だ。逃走は禁止。武器、先端の鋭い物、刃物、縄、鈍器、毒物、大きな石など、人工物か自然物かに関わらず人を殺傷できるものを持つことは禁止。自害は禁止。外部の誰かと通じるのは私を通す以外には禁止。魔法の使用も禁止だ」


 本来、囚人の契約を行う際に囚人の行動にかける制限は、口に出さなくてもいい。

 アリアがあえて口に出したのは、何ができないのかをフィリベルトにわからせることもだが、口に出さなければ囚人の行動に制限をかけられないのだとフィリベルトに思わせるためだ。


「一つ、よろしいでしょうか?」

「なんだ」

「僕の魔法についてです」


 フィリベルトはふわりと笑った。その首元、アリアに掴まれた箇所から火花が弾け続ける。通常は早く終わらせたいと思うはずだが、フィリベルトの声音はゆったりしている。


「君の魔法?」

「ええ」


 フィリベルトがなんらかの魔法を使えることは、通いであったために『エントウィッスル侯爵家のあれ』を逃れた使用人の証言で判明している。ただ、何の魔法が使えるのかは、事件を逃れた通いの使用人の誰も知らないようだった。

 フィリベルト自身も魔法のことについて口を割っていない。


 フィリベルトは小首を傾げ、うかがうようにアリアを見つめて笑みを深めた。やはり、痛みを感じているとは思えない様子だ。


「どうか魔法の使用を許可していただけないでしょうか?」

「なぜ?」

「あなたの怪我を治したいからです」

「つまり、君は治癒の魔法が使えると?」

「ええ。強力な治癒の魔法が使えますので欠損なども治せますし、不治の病でも治せます。あくまでも僕の魔力が足りる範囲だったら、ですが」


 強力な魔法が使える者は、必然的に強大な魔力を有する。フィリベルトの話が真実なら、フィリベルトも強大な魔力を持っているはずだ。


「僕の魔法は強力すぎるので今までずっと黙っていましたが、今はそれどころではありませんので……」


 フィリベルトが本当に欠損した体を元通りに再生させ、不治の病を回復させるなどという奇跡のような治癒魔法を使うことができるのなら、貴族の連中もこの国もフィリベルトを放っておかないに違いない。


 フィリベルトを抱き込み、己の私利私欲のために存分に利用しようとするだろう。それを避けるために強力な治癒の魔法を隠すのは真っ当な理由に思えた。


 フィリベルトの言葉が真実であるかを確認するには、実際に魔法を使わせてみるしかない。

 もしフィリベルトが嘘をついていたとしても、囚人の契約によりアリアにも他の者にも危害を加えることができず、逃走もできない。

 フィリベルトの魔法を許可しても何ら問題はないはずだ。しかし、念には念を入れた方がいいだろう。


「わかった。治癒の魔法の使用のみ、魔法の使用を許可する」


 これならば、フィリベルトが嘘をついていた場合は魔法が使えない。本当に治癒の魔法を使えるのなら、魔法が使えるはずだ。


「感謝致します」


 フィリベルトは心底嬉しそうに破顔した。

 その笑顔には、やはり何の企みも思惑も感じられない。純粋な笑顔だ。


 アリアの手元で一段と強く火花が弾け、消える。火花が収束したのを確認し、フィリベルトの首元から手を離した。


 今までアリアが掴んでいた箇所に、付着したはずの血の代わりに大小の星々を散りばめたような黒色の紋が浮かんでいた。


 囚人の契約をすることで刻まれる囚人の紋だ。囚人の紋はフィリベルトの首をぐるりと一周し、まるで首輪のように見える。


 この囚人の紋はダールマイアーの者でも個々に異なっていて、実際に囚人の契約を行う時までどのような紋になるのかがわからない。

 アリアは初めて見る自身の紋を、何の感慨もなく見た。


 と、フィリベルトが顔を上向かせた。

 フィリベルトに囚人の紋は見えないはずだが、アリアの視線の向きで首元に何かあるのを察したのだろう。よく見えるようにとの配慮らしい。

 正面からは見えない位置、あご下にもほくろがあるのが目に入ったが、今はそんなことはどうでもいい。


 囚人の契約はきちんと完了したようだった。フィリベルトの体には、首の他に両手首と両足首にも同じ紋が浮かんでいるはずだ。


「囚人の契約は完了した。君の枷を外す」


 アリアは先程受け取った鍵を使ってフィリベルトの胴体の拘束具を解除し、手枷と足枷を外した。


「ありがとうございます」


 フィリベルトは礼を言い、手首をさすりながら視線を落とす。


「ああ、凄く痛かったのでなんだろうとは思ったのですが、これが新しい手枷ですか」


 凄く痛かったようには到底思えない様子で、フィリベルトは笑う。手を掲げてまじまじと手首の紋を見つめる。


「美しい紋様です。これが首と足首にもあるのですね」


 痛みが集中していた箇所の一つを見て、他の箇所にも同じものがあると推察したらしい。


 フィリベルトは手首の紋をひとしきり見た後、申し訳なさそうな顔でアリアに視線を戻した。


「申し訳ありません、ダールマイアー伯爵。あなたの傷を治すことが何より先だというのに」

「アリアでいい」


 剣身を握ったことで皮膚が切れ、いまだに血を流す左手を差し出しながら言う。


 フィリベルトはきょとんと目を丸くして、素早く瞬く。


「アリア様、とお呼びしてもよろしいのですか」

「君は私の夫だろう。様付けしなくていい。敬語も不要だ」

「アリア」


 フィリベルトが恭しくアリアの左手を取り、花が綻ぶようにふわりと笑う。思わず目を奪われるくらいに、柔らかで美しい笑顔だ。


 アリアの左手を、フィリベルトが両手でやんわり包み込むようにして軽く握る。

 次の瞬間、フィリベルトの手元が淡く白い光を放つ。心地良い暖かさが手元からじんわり広がっていく。治癒の魔法だ。


 ややあってフィリベルトが包み込んだ手を離すと、手のひらが露わになる。先程まで血を流していたひどい切り傷が、嘘のように消えていた。


「失礼します」


 断りを入れ、フィリベルトが自身のシャツの袖でアリアの手に残る血の跡を拭う。

 優しい手つきで指の間までもを丁寧に拭うと、フィリベルトはそのままアリアの手のひらに唇を落とした。


 あまりにも自然な動作で、拒むことすらできなかった。


 手のひらに感じる柔らかな感触が生々しい。

 フィリベルトの唇の温もりだけではない熱が、手のひらからどんどん広がっていくような心地がした。


 あらゆる事態に動揺せず、感情を殺して表に出さない訓練を積み、アリアは表情や行動、声音に至るまで完全に制御できるようになった。


 だから、アリアは常に無表情で、何にも動じず淡々とした物言いをする。それが、アリアの武装だからだ。


 だが、これは、男女のあれこれに関してだけは、実際に体験することで訓練ができなかったことだ。

 頭の中で想像はできても、実際に体験した時、自分の感情がどのように動くかまではわからなかった。


 かろうじて動揺を表に出さず、身じろぎすることもなくフィリベルトを見る。


 フィリベルトはアリアの手のひらに唇を触れさせたまま、落としていた視線をアリアに向け、目元を緩ませて笑った。

 まるで、愛しくてたまらないものを見るような目で、アリアを見つめる。そうして、祈るように言う。


「あなたに心からの愛と忠誠を捧げます。どうか、最期まで僕のそばに」

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