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檻の中の君  作者: 二井星子
第2章 檻の中
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47 示唆②

 二人で一つの名前を共有し、十五歳になったら双子のうちのどちらかが執行官の手により命を落とす。二人に与えられていた名前は生き残った方の名前となる。それが『誕生の儀』。聞いているだけで胸糞が悪い話だ。


「『誕生の儀』は双子の誕生日に行われる。双子の誕生日は特定の者しか知らず、本人たちには生まれた月のみ知らされる。執行される日にちを知らないまま、逃げることもできずに双子の片方は死んでいく」


 吐き捨てるように言い、シリルは笑う。その笑みから透けて見える嫌悪に、シリルが誕生の儀を良く思っていないことが知れた。


「その特殊な立場にいるアラステア殿下が死ぬとどうなる?」


 シリルはすぐには答えなかった。あごに手をやり、何かを考え込むように黙った後、開口する。


「『誕生の儀』を受ける双子は逃げられない。なぜだかわかるか?」


 質問を質問で返された上、話題を逸らされた。突然の話の転換を疑問に思いつつ、答える。


「制約の魔法を使っているから?」

「違う」


 シリルは深刻な面持ちで静かに首を横に振る。


「居所を把握されているからだ。我が国にはそういった魔法を使う者がいる。その者により、私たち王族はどこにいようとも居所を把握され、管理されている。その魔法から逃れることはできない」

「つまり」

「アラステアが亡くなったことを、我が国はすでに把握しているということだ。さらに、その者により死因も明らかになっている」


 アリアの言葉を遮り、シリルは言う。


「『誕生の儀』の唯一の執行官のアラステアが殺害されたとなれば、我が国は徹底的に報復しようとするだろう。しかし、アラステアはこの国に内密に潜り込んでいるから、大々的に外交問題にはできない。だとすれば、報復は内密に行われる。我が国の優秀な暗殺部隊が、ここに来る。アラステアに関わった者は皆殺しだ」

「私が魔法を使う限り、ここには入れない」

「お前の魔法を突破する方法があると言ったら?」

「……なんだと?」


(虚言か?)


 シリルは寝台から立ち上がり、真っ直ぐにアリアを見つめた。目を見てすぐにわかった——嘘ではない。これは、アリアに対する純粋な警告なのだと理解する。


 アリアが魔法を使ったとしても、破る方法が存在するのだ。そして、ノイラート国はその方法を得ている。


「その者には死因はわかるが、他殺だった場合『誰に殺されたか』ということまではわからない。早急に始末しようとするだろうから、誰が殺したのかと詳しい調査をするということもない。アラステアが囚人の体をとっていた以上、看守のお前は真っ先に狙われる。いいか、アリア。時間がない。私の予想では猶予は一月程度だ。その間にお前はダールマイアーの制約と約束の媒介を探して破棄しろ。さもなければお前は、ここが火の海になろうが何だろうが一歩も外に出ることができずに死ぬ」

「忠告には礼を言う。だが、どうするのかは私が決める。それと先に釘を刺しておくが、仮にここから出られたとしても……シリル、君の妻にはならない」


 アリアがきっぱり言い切ると、シリルは目を細めてさも面白そうに小さく笑った。笑いながら、片手で目元を覆い、おもむろに立ち上がる。


「話は終わりだ」


 シリルは片手で目元を覆ったまま、自らが床に放った囚人の面を拾い上げて装着する。それから、壁際の机の上にあった一冊の本を手に取り、「書庫に返しておけ」と押し付けるようにしてアリアに渡す。


「私がお前に話すことはもうない」


 シリルはアリアの返答を待たずに背を向け、冷ややかな声音で鋭く言う。


「出て行け。目障りだ」


 アリアは一度押し付けられた本に視線を落とし、それからシリルの背を見る。


 急激な態度の変化を疑問に思ったが、これ以上は何を聞いても無駄だろう。仕方なく、アリアは「わかった」と返答してシリルの独房を出た。


 廊下を歩きながら、手元の本にもう一度視線を落とす。


 題名は無く、背表紙にも何も書かれていない。表紙を捲ると、最初のページには『ルグリット』と題名が書かれていた。


 どうやらこの本は、西の海の底にあるという海溝の裂け目から行くことのできる幻の国『ルグリット』について書かれた本らしい。


 幻の国『ルグリット』は、元々、出典不明のお伽話『海の向こう』に出てくる国だった。


 『海の向こう』は、幻の国『ルグリット』の姫が、こっそりと自国を抜け出し、この国の西部海岸で一人の漁師と出会うところから始まる。ルグリットの姫と漁師は恋に落ち、家庭を持つ。ところが、漁師は嵐に巻き込まれて帰らぬ人となり、子供たちは流行病で亡くなってしまう。寂しさに耐えかねた姫は故郷に戻ろうとするが、いつの間にか元々持っていた力を全て失っていて結局故郷に戻れなかった、という話だ。


 このルグリットという国は、他にもあらゆるお伽話や物語に登場する。それらに一貫しているのは『西の海の底にある海溝の裂け目の向こうにある国』という点のみで、他は一貫していない。ルグリットからやって来るものは、ある話では人間、ある話では魚、ある話では犬や猫や豚、ある話では妖精、ある話では白いもやと、実に様々だ。王がいる描写があるものもあればないものもあり、王ではなく部族の族長という描写のものもある。


 確認できる限り魔法に関する本だらけだったシリルの部屋にあったにしては、異彩を放つ本だ。


 アリアはページをめくり、内容を流し見る。そうして、驚いた。


 この本は、ルグリットを題材にした架空の物語ではない。旅行記だ。幻の国『ルグリット』に赴いた何者かの、紀行文。空想で旅行記を記したにしてはあまりにも些細で現実味があり、実際に体験したとしか思えない。


 本によると、ルグリットという国は、人食いの大型の海洋生物が巣食う西の海の果て、遥か遠くに位置する巨大な大陸に存在する無数の国のうち一つであるらしい。

 強固な結界に覆われた国で、外部からは国の存在自体が見えない。何らかの方法で、海を介してこちらの大陸と内密に行き来している。


 ルグリットに行く際には船ではない何らかの方法で海を渡るが、必ず視界を塞がれるために、その方法は判然としない。視界を塞がれたまま、前に歩くよう促される。そうして歩く途中で、しばらく水の中を進む。水の中であることは確かであるのに、体は陸地にいるかのように軽く、呼吸ができて、会話もできる。足を止めて目隠しを取るよう言われた時には、体も服もすっかり乾いていて、見知らぬ陸地にいる。

 水の中を歩くから、海溝の向こうにある国だなどと言われているのだろう、と著者の推測が書かれている。


 ルグリットからは定期的に使者が訪れ、使者に認められた者は客人として招かれる。認められた者には、使者と接触する際に必要な合言葉が知らされる。その合言葉がどのように知らされるかというと、ルグリットの伝書鳥によってもたらされるのだという。


 伝書鳥は鮮やかな橙色の鳥で、黄色の風切羽を持ち、胸と頭頂が金色、嘴は黒、尾は藍色をしているという。伝書鳥の挿絵も付いている。


 その挿絵を見た瞬間、アリアはあることを思い出した。


(この鳥を、見たことがある)


 そう、アリアはこの伝書鳥に見覚えがあった。


 アリアが十二歳の時だ。看守教育の名目で行われる拷問と暴力に耐え、痛みと恐怖に支配された日々を送っていた最中、突如アリアの部屋を訪れた伝書鳥だ。見たことがない伝書鳥だったために特徴をよく覚えている。


 その伝書鳥のから受け取った差出人不明の手紙には『身辺に気をつけろ。もうすぐ助けに行く。』と書かれていた。アリアがクラウスからの手紙だと思い込むことで奮起したきっかけの手紙だ。


「まさか」


 思わず声が出た。


 この本の内容を信じるのなら、アリアが受け取った手紙に書かれていた『身辺に気をつけろ。もうすぐ助けに行く。』というのは、ルグリットからの使者と接触する際に必要な合言葉だということになる。伝書鳥は間違いなくアリアへと手紙を運んできた。つまり、アリアは、知らず知らずのうちにルグリットへと招かれていたということになる。


(馬鹿な。ルグリットが実在する……?)


 幻の国『ルグリット』については、誰もが知る有名な話だが、誰かが創作した架空の国だとばかり思っていた。深い海の底の裂け目の先にある国など現実にあるわけがないとばかり思っていた。


 呆然としつつもアリアがページをめくると、一枚の紙切れが挟まっていた。何かが書かれている。


『宵の潮風亭 

4月5日 11月30日 2月17日 

開店の27分後

一階窓側の奥から三番目の席、通路側に座っている黒い帽子の子供』


(これは……?)


 宵の潮風亭、というのは西部沿岸の街シェルラータにある宿屋兼食堂だ。料理が美味しいことで有名だったが、昨年店主が亡くなったことにより閉店を余儀なくされた。同時期に騎士見習いだった者たちの多くが閉店を嘆いていたからよく覚えている。


 アリアは書かれた文字にそっと触れた。インクが擦れて伸び、アリアの指にもインクがついた——インクが乾き切っていない。つまり、これが書かれたのはついさっきだということになる。


(開店の二十七分後……)


 なぜ、営業していない店舗であるにもかかわらず、あたかも今も営業しているかのように書いているのだろう。


 もっと問題なのが、これらがフィリベルトからの何らかの示唆だということだ。


 そう——先程までアリアが会っていたシリルは、シリルではない。


 変身の魔法によって姿を変えられていた、フィリベルトだ。


 思えば、目が覚めた時から、フィリベルトの言動には違和感があった。どうして眠り薬を飲ませたのかとアリアが問いかけた時のうっすら笑った顔は、目が全く笑っておらず、これまでに見たことがない表情だった。歩く時の重心もフィリベルトとは異なっている。


 何よりも、纏う空気が違っていた。フィリベルトは、穏やかで緩やかな空気を纏う男だ。一気にこちらの懐に潜り込んでくるような安心感と柔和さを抱かせる、優しげな男。しかし、アリアが目覚めた後のフィリベルトには、それらが一切感じられなかった。


 フィリベルトは何かを考え込む時、あごに手をやるが、目が覚めた直後に部屋にいたフィリベルトは腕組みして視線を逸らし、右の人差し指で左腕を数度叩いた。考え込む時の癖が違う。対してシリルは、度々あごに手をやって考え込んでいた。


 それに、いくら一緒に就寝しようとアリアに何かをしようとはしなかったフィリベルトが、突如情欲をむき出しにしたような触り方でアリアに触れてきたのだ。明らかにおかしい。


 疑わしい挙動は、先程カストルが凶行に及んだ現場、南棟一階『ニ』の部屋でも見られた。『ニ』の部屋中に飾られた金黒石の絵の具で書かれた絵に、アリアが室内にいる者たちに「鼻と口を塞いでおけ」と指示した時、フィリベルトはシャツの袖で鼻と口を塞いでいた。耐性があるからと金黒石の絵の具で描かれた絵を指でなぞり、その指を舐めても平然としていたフィリベルトが、だ。


 そんなフィリベルトが、今になって金黒石の毒素を恐れるわけがない。一方で、シリルは微動だにせず平然としていた。


 フィリベルトとシリルの二人は、確実に入れ替わっている。


 フィリベルトのふりをしていたシリルは、大まかには似せていたが、細かな真似まではできていなかった。


 対してシリルのふりをしていたフィリベルトは、表情の作り方、話し方、歩き方、仕草——本人だとしか思えないほどにシリルに似せていた。


 それであるのに、わざわざ何度もフィリベルトの癖をアリアの前で見せた。隠し通せるものを、わざわざアリアが気付くようにしたのだ。そして、恐らくフィリベルトは、アリアが気付いていることにも気付いている。


(なぜ……)


 いずれにせよ、理由のわからないフィリベルトの行動により、多くのことがわかった。


 おかげで事の発端を察することもできたし、フィリベルトの正体にもおおよそ検討がついた。


 フィリベルトがアリアに眠り薬を飲ませたのは、シリルの指示だろう。


 アリアが目覚めた直後、フィリベルトに扮したシリルの行動と、シリルに扮したフィリベルトの行動から察するに、シリルはどのような形であれアリアをノイラート国に連れて行きたいと思っているに違いない。


 フィリベルトには、アリアを連れ帰るために懐柔しろとでも指示していたのだろう。懐柔するために手籠にしろとでも言ったのかもしれない。


 アリアと結婚するようフィリベルトに根回しさせたのも、恐らくはシリルの指示によるものだろう。全てはアリアをノイラート国のものとするためだ。


 ところが、フィリベルトは、シリルが思うような成果を上げることができなかった。だから、シリルがフィリベルトに取って代わり、アリアを手籠にしようとした。


(わざわざ眠り薬を飲ませるような真似をしたのは、私の監視の目を外した状態でまとまった時間が必要だったから)


 入れ替わった後、アリアに気付かれずに事を成すには、王城で婚姻を成した時から今に至るまでフィリベルトが見聞きしたアリアについての全てを、シリルに教えなければならない。それにはまとまった時間がいる。


 だが、アリアの魔法の全貌がわからない以上、監獄内の人間がどこで何をしているのかを把握されている可能性が拭い去れないために、長時間二人で話すことはできない。だから、あまり眠れていないアリアを心配するふりをして、眠り薬を盛った。アリアが眠り、意識を失った状態で魔法を使えないようにした上で、入れ替わるための準備をした。


 この入れ替わりがシリルの指示によるものであることや、シリルとフィリベルトの力関係ではシリルの方が上であることは、シリルの部屋の様子やシリルに扮したフィリベルトの発言から容易に察することができる。


 シリルの独房は、細部まで掃除が行き渡り、独自の秩序をもって整頓されていた。寝台の足やテーブルの足に埃はついていないし、飾り棚や本棚の上にも、窓の桟や室内照明の溝にも一切埃は溜まっていない。寝台の上、寝具はきっちり整えられている。飾り棚に収まるティーカップやらは全て同じ角度に揃えて置かれ、本棚は本の色ごとに揃えてまとめて置かれている。


 使用人がいない監獄内において、掃除は自分の手で行うしかない。つまり、あの独房の様子からして、シリルは几帳面で綺麗好き、かなりきっちりした人間であることが窺える。


 シリルの代わりにフィリベルトが掃除した可能性もあるが、フィリベルトはここまでではない。フィリベルトがここまできっちり寝具を整えている様子は見たことがないし、本棚を整頓するにしても、フィリベルトならば本の色ごとに揃えるのではなく内容の分類ごとに分けるはずだ。


 フィリベルトの整頓とシリルの整頓の基準は異なっている。

 仮にフィリベルトがこの部屋を整頓したのだとしても、シリルの整頓の基準に沿ったということになる。そこからシリルとフィリベルトの力関係が推察できる。命じられ、従ったのだろう。フィリベルトはシリルに逆らえない立場にある。


 この部屋がフィリベルトによって掃除されていないのだとしても、シリルに扮したフィリベルトは、独房の床を論文だらけにしたその有様を『嫌がらせ』だと言った。


 あの言葉は、明らかにアリアに向けられたものではなかった。


 なぜなら、足の踏み場があったからだ。床の上は確かに論文やら衣服やら本だらけだったが、アリアが通るであろう道はきちんと開けられていた。アリアに対する嫌がらせならば、足の踏み場もないくらいに書類で埋め尽くすであろうし、それだけでなく床を水やらインクやらで汚す程度のことをしていてもおかしくない。


 それに、この論文の量だ。アリアが部屋に行くと宣言してから実際に訪れるまでのこの短時間でどうこうできる量ではない。アリアが眠り続けた三日間のうちに論文を書き溜め、入れ替わりを強要したシリルに対する『嫌がらせ』を行ったとみるのが自然だ。


 さらに言えば、あちこちに散らばる論文はアリアに見られることを前提としたもの——アリアに見せるためのものだった。散らばる論文はどれもこれも上向きになっていて、重なり合っていたとしても表題が見えるようになっているからだ。適当に放ったにしては不自然すぎる。


 几帳面で綺麗好きなシリルに対して部屋を論文だらけにして散らからす『嫌がらせ』をするならば、そこらに放った論文の書かれた紙が表か裏かなどどうでもいいはずだ。この部屋の有様は、それらしく見えるよう、フィリベルトによって整えられているのだろう。


 フィリベルトが入れ替わっていることをアリアに気付かせるように行動したおかげで、シリルの魔法にも見当がついた。

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