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檻の中の君  作者: 二井星子
第2章 檻の中
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44 巻き戻りの魔法①

 アリアは室内を見回し、改めて観察する。


 フィリベルトから渡された独房の検分結果の絵では、アルコルの独房の内装は簡素なものだった。壁も天井も絵画だらけという、この『ニ』の独房のような有様にはなっていなかった。


 だとすれば、アルコルの好みの問題ではなく、『ニ』の独房を金黒石の絵の具で描いた絵だらけにしなければならなかった明確な理由が存在するということになる。さらに言えば、アリアの父ヴィリバルトはこの部屋の存在を知っていながら容認していた可能性が高い。


 一通り壁面や天井の絵を確認し、イーゼルに置かれたキャンバスを確認する。それから床に目を落として、凶器の枝と石を見る。


 枝は、グリニオン監獄周囲の森に群生している針葉樹の枝で、特段珍しい樹木ではない。

 枝の太さは、アリアが握ると親指とその他の指先がぎりぎりくっ付かない程度の太さだ。その枝の先端を刃物か何かで削り、尖らせて針のような形状にしている。柄にあたる部分はヤスリか何かがかけられ、表面が滑らかになっていた。


 この枝からわかるのは、カストルが日頃から囚人たちの誰かを害そうとしていたか、護身のために武器を必要としていたということだ。枝は見るからに時間をかけて丁寧に加工されている。突発的に——今、アルコルを殺害するためだけに、武器になるよう急いで形を整えられたわけではない。アルコルを殺害したこと自体が、計画的な犯行の可能性もある。


 石は、表面が滑らかで、歪な楕円形の石だ。黒と灰のまだら模様をしている。何の変哲もない、ありふれた石のように見えた。大きさは、アリアがぎりぎり片手で掴めるくらいだ。試しに持ち上げてみる。


(重い)


 見た目以上に、石は重かった。アリアは非力ではないが、それでもやっとのことで持ち上がるくらいだ。


 アリアは石を床に置き、続いて血痕を見る。


(変だな……)


 アリアは血痕を辿るように床に目を向けたまま、『ニ』の独房から出た。廊下に残った血痕を辿っていき、出どころである廊下の最奥、突き当たりまで行く。


 突き当たりで廊下は左右に分かれていた。右手側には上階への階段があり、左手側は少し行くと行き止まりになっている。


(ん……?)


 そこで、アリアはあることに気が付いた。


 ——地下へ行く階段が、ない。


 アリアが魔法で確認した限り、独房のある各棟の一階の階段から続くようにして、地下への階段が伸びていたはずだ。


 咄嗟にもう一度魔法で確認してみると、やはり階段は存在した。だが、アリアの視界は下階への階段をとらえない。あるのは上階への階段のみだ。


(どういうことだ)


 疑問には思ったが、今はそれどころではない。ひとまず疑問を頭の片隅に追いやり、床の血痕に目を落とす。


 廊下の突き当たりには大きな血溜まりがある。その血溜まりを踏んだのか、あちこちに動き回った足跡がついていた。そこから、アルコルを引きずった痕が『ニ』の部屋まで続いている。


 やはり、妙だ。


 アルコルを引きずった痕は、足跡——つま先が向く方向に対して左側にある。つま先が『ニ』の部屋の方に向いていることから、カストルは進行方向に対して正面を向いた状態で、アルコルを引きずったことがわかる。


 妙なのは、カストルの足跡の左側に引きずった痕があることだ。


 隻腕のカストルは、肩から先の左腕全てを失っている。カストルが自らの体の左側でアルコルを引きずるには、右腕を交差させなければならない。


 アルコルはカストルよりも上背があり、カストルと比べて体格も良い。自分より明らかに体重の重い者を、わざわざ右腕を交差させて体の左側で運ぶだろうか。どう考えても運びにくいし、右手を使って運ぶのなら体の右側でアルコルを運ぶのが一番やりやすいはずだ。


 アルコルの手を肩に担ぎ上げて、半ば背負うようにして運ぶという方法もあるが、その場合、床に残るのは足先が引きずられた痕になる。今床にあるのは、血の痕の幅からして明らかに胴体を引きずった痕だ。


 それに、これほどの出血だ。アルコルの手を右肩に担ぎ上げて半ば背負うような形で運んだにしては、カストルの服には返り血を浴びたような血痕しかなかった。半ば背負うような形で運べば、衣服にはべったりと血痕がつくはずだ。


 つまりカストルは、前を向いた状態で体の前か後ろかで右腕を交差させ、屈むような姿勢でアルコルを掴んで引きずったということになる。


 同じような体勢でアルコルを引きずるなら、後ろ向きに歩いた方が腕が交差せずやりやすいはずなのに、なぜ前を向いて運んだのだろう。


 アリアはしばらく廊下の血痕を眺め、その場を後にした。







 中央棟を経由して北棟へ行き、『十一』の部屋に向かう。


「入るぞ」


 独房の二つ目の扉を叩いても反応がないため、一度呼びかけてから中に入る。


 独房の主であるリゲルは、向かって右手側の壁際にある机に向かい、アリアを完全に無視して何かを書いていようだった。


 室内は、フィリベルトによる独房検分時の絵と違い、雑然としていた。床にはそこかしこに衣服と本と紙が散らばり、寝台の上にも眠る場所がないくらいに紙と本が置かれている。


 アリアは床に散らばる紙に目を落とす。


 『魔力染みの範囲に対する魔力保有量の違い』、『非遺伝性魔法について』、『魔力爆発の回避方法について』、『魔法発現率についての検証』——論文だ。


 どれもこれも、目視できる範囲にある紙には魔法についての論文が書かれている。本も、魔法についてのものが多いようだった。書庫から持ってきたものだろうか。


「この部屋の有様はなんだ?」

「暇だったからな。あとは嫌がらせだ」


 ふん、と鼻を鳴らして嘲笑すると、リゲルが手を止めて顔を上げる。これまで書いていた紙を床に捨て、アリアの方に体を向けた。そうして、一切のためらいを見せずに囚人の面を取り去り、同じように床に捨てる。


 アリアは突如晒されたリゲルの素顔に思わず見入る。


 現実離れした、透明感のある美しさを持つ青年だ。

 どこか憂いを帯びたような無表情が、美貌も相まって消え入りそうな印象を抱かせた。ただそこにいるだけで視線が吸い寄せられる不思議な空気を纏っている。一対の宝石のような淡い水色の瞳が、アリアをじっと見た。


「で?」


 リゲルは小首を傾げて微笑み、椅子の背もたれに右手をかけてもたれる。


「何か言うことは?」

「特にない」


 アリアが即答すると、リゲルはさも面白そうに笑う。


「『特にない』だと? 私を見ても何も感じないのか?」

「別に何も感じない。強いて言うなら、見た目と言動が合わないなと思うくらいか」


 アリアが一蹴した途端、リゲルが声を上げて笑う。見た目にそぐわない豪快な笑い方だ。


「面白い! 面白いぞ、看守! 私を見ても心が動かされないか!」

「君が突然素顔を晒したのも嫌がらせか?」

「そんなわけがあるか!」


 リゲルが勢いよく立ち上がる。あまりの勢いにそれまで座っていた椅子が倒れるも、リゲルはアリアしか見ていない。


 リゲルは勢いそのままに真っ直ぐアリアに近付く。近付かれた分距離を取ろうとするアリアの腕をとらえ、それから一気に距離を詰めた。


 あっという間にアリアの腰に両手が回り、抱き寄せられる。


「私は欲しいものを手に入れるためなら、使えるものは全て使う。この見た目が有効なのは実証済みだからな。お前を口説くのに都合が良い」


 程近い距離で、リゲルは妖艶に微笑む。


「ここを出る時にはお前を連れて帰って、私の妻にする」

「私はお前の妻にはならない。夫は一人で十分だ」

「あいつが好きだとでも言うのか?」


(好き……?)


 これまでずっと恋愛などとは無縁だったアリアには、恋愛感情の『好き』は全くわからない感情だ。フィリベルトに抱く感情が何なのかもわからない。


 だが、少なくとも、今リゲルに触れられていることと同じようなことをフィリベルトにされても嫌ではない。内心で狼狽えはするだろうが、それだけだ。


 相手がフィリベルトなら、アリアは動揺し、焦り、身の内によくわからない熱を感じる。今のように鼻先が触れ合う寸前まで近付かれても、じっと見つめられても、ゾッとはしないし苛立ちも湧かない。嫌悪もなければ、不快さもない。


 慣れなのだろうか。


 よくわからないが、フィリベルトになら触れられてもいいし、これほどまでに近付かれてもいいと思っていることに、アリアはたった今気が付いた。そうして気が付いて、リゲルに触れられ間近に迫られている現状に激しい嫌悪と苛立ちを覚えた。


「不快だ。離せ」


 アリアはリゲルの体を押して離れようとしたが、リゲルは手を離そうとはしなかった。


「お前が持つその魔法がどれほど貴重で価値のあるものなのかわかるか? 私はどうしてもお前が欲しい」

「一から口説き文句を学び直してこい」


 アリアはリゲルの腕を折るつもりで、腰に回された腕を掴んだ。


 アリアの変化に気が付いたのか、途端にリゲルが手を離し、アリアと距離を取る。


 リゲルは薄笑いを浮かべ、観察するような目をアリアに向ける。


「失礼した。ここでは私が名乗るのが礼儀か。私の名はシリル・デーヴァルタ・ノイラート。お前たちの国を乗っ取るため、ノエルの手引きで囚人のふりをしている。ああ、ノエルというのは私の哀れな従兄弟、ノエル・エティガト・ノイラートのことだ」


 アリアはどうにか驚愕を抑え込み、目の前の男を見据えた。いくらなんでも明け透けすぎる。


 この男が迂闊に口にしたわけではないことは、それとなく察した。相手はノイラート国の王族で、諜報に長けた者だ。程度の差はあるだろうが、基本的にはフィリベルトと同じだと思った方が良い。


「一つ、殿下にお伺いしたいことがあるのですが」

「ああ、そのままの態度で良い。ここではお前の方が立場が上だ。どのような態度も不敬とは見做さないから安心すると良い」


 態度を改めるアリアの言葉を遮り、リゲル——シリル・デーヴァルタ・ノイラートが言う。


 アリアは小さく頷き、再度開口する。


「反抗的な態度はやめたのか?」

「お前には有効ではなかったからな。苛立ちの一つでも見せてくれればいいものを」


 アリアは黙り込んだ。やはりわざとしていたことだったのだ。恐らく、これまでの言動は全て、アリアの反応を観察するためにしていたことだろう。


 シリルは小首を傾げ、蠱惑的に笑う。相手がアリアでなければ、うっとりと見惚れてしまうような笑みだ。


「どうした? お前が聞きたいのはそんなことではないだろう。まだまだ私に聞きたいことがあるのではないか? 今は気分が良い。お前の知りたいことを、なんでも答えてやろう」


 なるほど、とアリアは合点がいった。


 シリルは会話の主導権を取るために正体を明かしたのだろう。アリア側の事情をどの程度理解しているのかは不明だが、自分の正体を明かしたところで、グリニオン監獄から出られないアリアには何もできないと高を括っているのだ。


 さらに、正体を明かした上でアリアの知りたいことになんでも答えると提示することで、自分が優位に立った。直接の戦闘や魔法では勝てないであろうアリアの動きを完全に封じたに等しい。

 アリアが疑問の答えを得るにはシリルを攻撃するわけにはいかず、加えてシリルのご機嫌うかがいをしなければならない。


 見目の儚げな美しさに反して、大胆不敵、豪胆な男だ。


 ならば、とアリアは床に散らばる紙を指差し、開口した。


「この論文は君が?」


 シリルは一瞬目を丸くし、意外そうな顔をしたが、すぐに目線を床に落として微笑む。


「ああ。そうだ」


 シリルの返答を受けて、アリアは再度室内を見回し、あちこちの紙に視線を送る。


「全て魔法について書いてあるな。君は魔法について詳しいのか?」

「詳しいも何も、私はノイラート国の魔法研究の第一人者、学者だ。我が国に私より詳しい者はいない」


 シリルからは謙遜のない清々しい答えが返ってくる。


「なら、治癒の魔法の魔力染みと似た色——ほぼ同じ色の魔力染みを持つ魔法は?」


 フィリベルトの魔法を特定するための質問をアリアが投げかけた瞬間、凄まじい勢いでシリルが笑い出した。腹を抱え、瞳には涙を滲ませて、声を限りに笑う。


「あっはっは! それを聞くか!」


 アリアはシリルが笑い転げる様を、ただ見つめた。何がそんなに面白いのかが全くわからない。


 シリルは大笑いしながらアリアに近付き、わずかに身を屈めてアリアと目を合わせると、ぴたりと笑うのをやめた。殺気を滲ませ、アリアを見据える。


「お前、気付いているな(・・・・・・・)

「何を?」


 アリアが平然ととぼけると、シリルが「まあいい」と吐き捨てるように言い、アリアに背を向けた。


 黙って見ていると、シリルが室内を回り、床から数枚の紙と二冊の本を拾い上げて戻ってきた。


「これを」


 アリアは、シリルに渡された紙の束に目を落とす。


「『非遺伝性魔法について』?」

「そう。題名の通り、血筋で継承されない、突如発生する魔法についての論文だ」

「そんな魔法があるのか?」

「ある」


 シリルは断言する。アリアに持たせた紙の束を雑にめくっていく。


「その非遺伝性魔法の中に、治癒の魔法の魔力染みとほぼ同じ色の魔力染みを持つ魔法が一つだけ存在する。確認されている数種の非遺伝性魔法の中でも異色中の異色、御伽話の中の存在だと言っていいほど希少な魔法だ」


 シリルが手を止める。


 アリアは現れたページを食い入るように見つめた。


「魔力染みの色は青みがかった肌色。その魔法は、あらゆるものの状態を巻き戻す。魔力爆発は首を刈るか逆行するかの二つに一つ。魔力染みに触れた者は、魔法の持ち主の選択制で記憶が消える。魔力作用は無痛。あらゆる痛みを感じなくなる」


 アリアはシリルの説明を聞きながら、文字を目で追う。これだ、と確信する。これが、フィリベルトの魔法だ。そうして、無意識に、紙面に書かれたその魔法の名前が口をついて出た。


「巻き戻りの魔法」

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