42 凶行①
全ての感覚が朧で、これが夢だということはすぐにわかった。
夢の中で、アリアはダールマイアーの屋敷を取り囲む鬱蒼とした森の中にいた。周囲にわずかな明かりさえないことから、時刻が夜であると察した。
アリアの手元には、大人の拳ほどの大きさをした蓄光石が一つ握られている。その蓄光石が淡い光を放ち、かろうじて足元が見えた。蓄光石を握るアリアの手は小さく、目線も低い。
——ああ、これはきっと、クラウスに大滝に呼び出された時の夢なのだ。
アリアの目的は大滝の滝口に行くことだった。夢の中のアリアはとにかく気が急いていた。胸中を占めるのは『助けに行かなければ』という強い思いで、そのために『説得しなければならない』と固く決意していた。
これが夢だからなのだろう。何を助けに行こうとしているのか、誰に対して何を説得しようとしているのかまではわからない。ただただ強い思いに突き動かされ、足を動かしている。
ダールマイアーの屋敷を取り囲む鬱蒼とした森は、昼夜を問わず獣が出ない。鳥か何かの鳴き声はするし、実際に鳥を目にしたこともあるが、それ以外の生き物は虫しか見たことがない。アリアは獣に遭遇する恐れを抱くことなく、進んでいく。
やがてアリアは、滝口にたどり着いた。視線の先には三人の少年が立っている。三人の少年はアリアに気付かず、何かを話しているようだった。その姿は滲んだ絵画のようにぼんやりしていて、顔立ちも髪色も何もわからない。ただ少年だということだけがわかる。
轟々と唸りを上げて落ちる水音にかき消されることなく、三人の会話が聞こえてくる。
「なあ、さっきの話だけど。やっぱり、私は反対だ。アリアが悪く言われるに決まってる。彼女が悪者になるなんてどうしても納得できない。『——』だってそうだろ?」
少年のうち一人が言う。『——』と、残る少年二人のうちどちらかの名前を呼ぶが、なぜかその名前だけが聞き取れない。
意見を求められた少年が開口する。
「そうだね。正直に言えば僕も納得はしていない」
「なら」
「でも、今はこれしか打つ手がない。納得できなくても、そうするしかないんだ」
驚いたことに、二人は全く同じ声をしていた。
声の出どころが異なっていることがわかったおかげで、かろうじて少年二人が会話しているのだと理解できる。
「『……』がアリアのために意見してくれていることは伝わっている。アリアのことをよく考えてくれてありがとう」
同じ声の少年二人の会話に、異なる声が割って入る。淡々とした、感情の起伏の感じられない声だ。これまで黙っていた三人目の少年だろう。
淡々とした声の少年は、何かに異を唱える少年の名前を呼んだようだが、先程と同じで名前が聞き取れない。
「アリアを悪者にしたくないのは俺も同じだ。誰が好き好んで可愛い妹に罪人の汚名を着せたいって言うんだ? だけど、このまま黙っていたらまもなく俺かアリアに死の命令が下る。俺が死ぬのは一向に構わないが、死の命令が俺に下るかは五分五分。アリアを確実に救うためには俺が消えるしかない」
——クラウス。
間違いない、クラウスだ。
会話の内容から、淡々と話す少年がクラウスであると察した。
今すぐ駆け寄って、会いたかったと思い切り抱きしめたいのに、これが夢だからなのか思うように体が動かない。
クラウスだとわかってからも、その姿は依然としてぼんやり滲んだようにしか見えず、詳細な姿は判然としない。
「だが、それだけではこれまで俺とアリアとで分散していた看守教育が全てアリアに向かう。アリアが俺を殺したことにすれば、あの母はアリアのことを『仲の良い兄すら殺せる人間』だと認識する。やり過ぎれば自分も殺されるかもしれないという恐怖を植え付けさせることができる。多少は暴力の程度が弱まるはずだ」
「確証はないんだろう?」
どこか咎めるように、同じ声の少年二人のうちどちらかが言う。
「ああ。確証はない」
クラウスはためらうことなく肯定した。そのまま言葉を続ける。
「それでも……わずかにでも可能性があるならそれに賭けるしかない。俺は、アリアのそばにはいられないからな」
「もし、僕たちのこの選択がアリアの身に不測の事態を起こすことになったら?」
同じ声の少年二人のうち一人がクラウスに問いを投げかける。
「その時は、君たちにお願いする。これから先、俺は死んだ。『——』、『……』、頼む。アリアを助けてくれ。俺の代わりに」
沈黙が落ちる。轟々と唸りを上げる滝の音だけが周囲に響く。
ややあって、同じ声の少年二人が「わかった」「わかったよ」と重々しく頷く。
「じゃあ、手筈通りにいこう。『——』、アリアが来たら隙を見て記憶を消してくれ」
「本当にやるのか?」
「ああ。俺のことも含めて、アリアの記憶を全て消してくれ。アリアが自分のことだけはわかるようにしてほしい。そうしないと、アリアは明日にもここを飛び出して君たちを助けに行こうとするだろうから」
「でも……それでアリアは大丈夫なのか? 記憶を消したら、あの家での生活に支障が出るんじゃないのか」
「心配するな。アリアが書いたように見せかけた日記を作って置いてきた。それを見れば、自分の立場や状況について最低限のことはわかるようにしてある」
アリアは愕然とした。
今、クラウスは何を話していた?
アリアの記憶を消してくれ?
アリアが書いたように見せかけた日記を置いてきた?
(——そんな、まさか)
アリアの記憶は、意図的に消されたものだというのか。これまで心の支えにしてきたあの日記は、クラウスがアリアのふりをして書いた偽りの日記だというのか。
記憶を消さなければ、アリアが同じ声の少年二人を助けに行こうとする、とはどういうことなのだろう。
今、アリアの内に溢れる『助けに行かなければ』という強い思いは、この少年二人に向けられているということだろうか。
(——クラウス! クラウス!)
アリアはクラウスの名を叫ぼうとするが、夢の中だからか口は動かないし、体も動かない。朧な感覚がより強くなり、視界がぼやけて歪む。
ああ、目が覚める。目が、覚めてしまう。
(クラウス! 嫌だ! クラウス!)
アリアの叫びは声にならなかった。目の前のクラウスと少年二人の姿がどんどんぼやけていき、やがてかき消えた。
▽
「……っ!」
大きく息を吸い込み、一気に目を開く。
途端に視界に飛び込んできたのは、見慣れない天井だった。やや遅れて、アリアは自分が寝台の上に仰向けに寝ているのだと気付いた。
(ここは——寝室か?)
室内照明の明かりがついていることから、今の時間帯が夜であり、なおかつ消灯時刻より前であると察した。
アリアはゆっくりと体を起こす。そこで自分が夜着を着ていることに気が付いた。
眠っている間、自力で着替えられるわけがない。恐らくはフィリベルトが着替えさせたのだろう。最悪だ。羞恥で叫び出しそうになる。
「アリア」
名前を呼ばれ、声のした方へ目を向けると、窓辺の椅子に座っていたフィリベルトがちょうど立ち上がったところだった。
フィリベルトはそれまで読んでいたであろう本を手にしたまま、アリアのそばまで来る。
「よかった、目が覚めたのですね」
フィリベルトは心底安堵したとでも言いたげな表情でしゃがみ込み、アリアと目線を合わせる。
「気分はいかがですか? 具合の悪いところはありませんか?」
フィリベルトは手にしていた本を寝台の上に置き、アリアの左手を取ると、両手で包み込むようにして握った。
アリアはフィリベルトに握られた手元に視線を落とし、それからフィリベルトが寝台の上に置いた本をちらりと見た。
表紙は伏せられていたが、背表紙の書名が目に入る——『東部海洋毒性生物』。
ガルデモス帝国東部の海で生息が確認された生物の中でも、毒性のある生物についてを取り上げた学術書だ。
フィリベルトが学術書を読んでいたところで今更驚きはしない。学術書も読むのか、随分と難しい本を読むな、程度にしか思わない。フィリベルトならば十分あり得ることだ。
それにしても、アリアが目覚めたことに対するフィリベルトの反応がいささか大仰に思えた。
アリアが眠り薬で眠りについたのは数時間前のことであるし、そもそも薬を飲ませたのはフィリベルトだ。
そんなに心配するならそもそも飲ませるなと言いたいところだが、今更起きてしまったことにとやかく言ってもどうにもならない。
アリアは顔を上げ、フィリベルトと視線を合わせる。
「気分も具合も、どちらも良くも悪くもない。強いていうなら少し頭がぼんやりするくらいだな」
「……申し訳ありませんでした。まさかアリアが、ここまで耐性がないとは思い至りませんでした」
「……? どういうことだ」
「今はあれから三日経っています。アリアは三日間眠り続けたのです」
「三日間眠り続けた?」
にわかには信じられず、フィリベルトの言葉を繰り返して尋ねる。
フィリベルトは硬い表情で「はい」と頷いた。
(なるほどな……)
どうりでフィリベルトがこの反応なわけだ。三日間も眠り続ければ、目が覚めた時に大丈夫なのかと大仰に心配するに決まっている。
「失礼します」
フィリベルトが唐突に身を乗り出し、アリアの左手を両手で握ったまま、額に自らの額を合わせた。
突然のことに反応が遅れる。焦点が合わないくらい近くにフィリベルトの顔がある。
フィリベルトは互いの前髪をかき分けるようにして額が触れ合う箇所をぐりぐり動かし、地肌と地肌をくっ付けた。吐息が唇を掠め、アリアの心臓が跳ねる。
わかっている。これはただ、額で熱を測ろうとしているだけだ。他意はない。アリアが動揺することではない。
しばらくの後、フィリベルトがゆっくりと額を離す。
「熱はありませんね。食欲はあまりないかもしれませんが、三日間飲まず食わずでしたので、少しでも何かをお腹に入れた方がいいかと思います。今、飲み物と粥をお持ちしますので、アリアはこのまま動かずに少しお待ちください」
言うが否や、フィリベルトが立ち上がり、そのまま部屋から出ていく。
部屋に一人残されたアリアは大きく息を吐き、改めて室内を見渡す。室内に大きな変化は見られない。
フィリベルトはずっとアリアに付き添っていたのか、窓辺のテーブルの上には書庫から持ってきたと思われる本が五冊積み重なっていた。
書名が確認できるのは三冊だが、学術書が二冊、一般向けが一冊、いずれも毒性のある植物や生物について書かれた本だった。
本の他には、大量の紙の束が伏せられた状態で置かれている。
アリアは続いて、少しずつ体の動きを確認していった。
(体が動かしにくいな。まあ、三日も寝ていたのなら仕方ないか)
まさか、三日が経過しているとは。てっきり数時間前のことだと思っていた。
囚人たちはどうしているのだろう。フィリベルトの様子を見る限り、何かが起きたわけではなさそうだということだけがわかる。
アリアは監獄全体に意識を向け、囚人たちの位置を確認する。
厨房に一人——これはフィリベルトだろう。中央棟三階と二階の間の階段に一人。西棟二階、六番の部屋に一人——これはフォーマルハウトことダグラスだ。前庭のガゼボに一人。談話室に一人。南棟一階、廊下の端に二人。二人並んでいることから、廊下の端で何か会話をしていることが窺える。
フィリベルトとダグラス以外は、誰がどこにいるのか不明だ。南棟一階の廊下で話す二人は、単純に考えて南棟に独房のあるカペラことテディと、アルコルことアラステアだろうか。個人までは特定できないから、確かめようがない。
囚人たちの位置を確認し終えると、アリアは再び大きく息を吐いた。
それはともかく、あの夢は一体なんだったのだろう。
あれはアリアの失われた記憶の一部——本当に起きたことなのだろうか。
もし、本当に起きた出来事であるなら、クラウスはアリアが国防のために命を落とすことを回避するために、自らを死んだものとして姿を消した。
その際、アリアによって殺されたということにして、『兄殺し』が母親の暴力や拷問の手を緩めることに賭けた。
さらに、少年二人のうちどちらかに頼んで、アリアの記憶を意図的に消した。
アリアが心の拠り所にしてきたあの日記は全て、クラウスがアリアのために捏造したものだった。
そして——アリアは少年二人を助けようとしていた。
終始胸の内にあふれていた『助けに行かなければ』という強い思いと焦燥感は、全てあの少年二人に向けられたものだった。
同時に感じた『説得しなければ』という思いは、少年二人を助けに行くために、クラウスを説得しようとしていたということなのだろう。アリアの記憶を消させるくらいなのだから、クラウスはアリアがあの少年二人を助けに行くことに強く反対していたに違いない。
(どうなっているんだ……)
あの少年二人は、一体誰だ。アリアの何だというのだろう。
そもそも、アリアはなぜ、あの少年二人を『助けに行かなければ』と強く思っていたのか。あの日、一体何が起きたのか。
(駄目だ)
わからない。いくら思い出そうとしても、何も思い出せない。
夢の中で滲むその姿を思い起こし、クラウスや少年二人がどんな姿形をしているのか思い出そうとしても、やはり何一つ思い出せなかった。
そうしているうち、フィリベルトが食事の乗った盆を手に戻ってくる。
「お待たせしました」
フィリベルトは食事の乗った盆を寝台脇の小さなテーブルの上に置き、窓際から椅子を持ってきて寝台の横に座った。それからスプーンを手に取り、粥を掬う。
「一口でもいいのでお食べください」
フィリベルトはスプーンで掬った粥を、アリアの口元まで運ぶ。
アリアは口元に突き付けられたスプーンとフィリベルトを交互に見た。
「自分で食べられる」
確かに体が思うように動かない上、さして力も入らないものの、スプーンを握って器から口へと粥を運ぶくらいなら難なくできる。フィリベルトに助けてもらうまでもないことだ。
「いいえ。無理をさせるわけにはいきませんので」
フィリベルトは真剣な表情で言う。
アリアの口元に突き付けられたスプーンは、依然として突き付けられたままだ。一歩も譲らないという固い決意を感じて、アリアは内心でため息を吐いた。
決して引かないフィリベルトを相手にしても、無駄に疲労するだけで結局は食べさせられる羽目になるだろうし、食事も冷める。仕方ない。
アリアは少し口を開けた。
フィリベルトが安堵したようにふわりと笑い、アリアの口にスプーンを差し入れる。粥を口に含んだところで、フィリベルトがスプーンを引っこ抜く。
「お味はどうですか?」
「美味しい」
率直な感想が口についた。
「そうですか」
フィリベルトは心底嬉しそうに笑う。
「もう少し食べられそうですか?」
「ああ」
そうしてアリアは結局、フィリベルトに食べさせられつつ粥を平らげた。
粥を食べ終わった後、飲むようにと渡されたのは、温かい牛乳に蜂蜜を混ぜた飲み物だ。少し時間が経過してしまったせいか多少生ぬるいが、問題はない。
「そういえば君は、私が眠りに落ちる前、私の代わりに厄介事を済ませておくと言っていたな。厄介事というのは何だ?」
「ああ、そのことですか」
フィリベルトは立ち上がり、窓辺のテーブルのところまで行くと、テーブルの上に置かれていた大量の紙の束を手に戻ってくる。そうして、それらの紙束を「どうぞ」とアリアに渡した。
「これは……」
アリアは紙面に目を落とす。囚人たちの身体的特徴と各独房の様子が描かれている。囚人たちの絵も、独房の絵も、驚くほど写実的だ。
囚人たちの絵は、全員が脱衣した状態で描かれていた。魔力染みはもちろんのこと、ほくろやアザ、古傷の一つ一つに至るまで丁寧に描画されている。
「アリアの代わりに、囚人たちの身体検査と独房の検分を済ませておきました。こちらはそのまとめです」
アリアは手早く一通り目を通し、それからフィリベルトを見た。
「これが、君の言う『厄介事』?」
「ええ、そうです」
フィリベルトは頷いてみせる。
アリアが眠りに落ちる前、フィリベルトはアリアに休んで欲しいからと眠り薬を盛った。
フィリベルトの行動は、確かに彼の言う通り、よく眠っていない様子のアリアを心配するあまりしてしまったことなのかもしれない。言葉通り、どうしても休んで欲しかったのかもしれない。
だが、それにしても、眠り薬はやり過ぎに思えた。明らかに、アリアを眠らせなければならない明確な理由があったとしか思えない。
さらに、そうしてわざわざアリアを眠らせてしたことといえば、囚人たちの身体検査と独房の検分だと言う。
本当にそのためだけにアリアを眠らせたというのだろうか。何か別の目的があり、アリアに眠り薬を盛ったのではないだろうか。だとすればその目的は何だろう。
「なぜ、私に眠り薬を飲ませた?」
フィリベルトはうっすら笑いながら黙り込む。口を開く気配はない。そうして長々と沈黙した後、開口する。
「すでにお伝えした通りです。アリアがあまり眠っていないようでしたので、お疲れかと思い、眠り薬をお飲みいただきました」
「どう考えても行き過ぎた行動だろう」
フィリベルトは何も言わない。うっすらと笑ったまま、アリアを見つめている。
互いの出方を窺うように視線が交わり、妙な緊張感が漂い始める。
「ならば今度は問いを変えよう。私に眠り薬を飲ませて、君は何をしていた?」
「囚人たちの身体検査と独房の検分です」
「それだけ?」
フィリベルトは自分自身を抱き締めるようにして腕を組み、アリアから視線を逸らした。右手の人差し指を動かし、左腕を数回叩く。
表情はうっすらと笑ったままだが、何かを考え込んでいるようだ。ややあって、アリアに向き直る。無垢な子供のように微笑んでみせる。
「アリアは……僕が何とお答えすることをお望みなのでしょうか? あなたの寝首をかく計画を立てていたとお答えすれば良いのでしょうか?」
(なんだ……?)
言いようのない、正体不明の違和感がアリアの胸中に広がる。しかし、いくら考えても違和感の正体がわからない。
「まあいい」
アリアはフィリベルトの問いに答えることなく手元の紙を脇に置き、逆の手に持っていた温めた牛乳の入ったティーカップを寝台脇の小テーブルの上に置く。
「後で確認させてもらおう。それと、君が私にしたことはともかく、囚人たちの身体検査と独房の検分については礼を言う。手間をかけたな」
「いえ、礼には及びません。あなたのためにすることに手間も苦もありませんので、どうかお気になさらず」
沈黙が落ちる。
フィリベルトの視線はアリアから離れない。ひたすら見つめ合い、フィリベルトがより一層頬を緩ませる。まるで愛しいと語りかけるかのような、熱のこもった瞳をアリアに向ける。
「アリア」
フィリベルトが寝台の端に腰を下ろし、そのまま身を乗り出してアリアを自らの腕の中に閉じ込めた。強い力で抱きすくめられる。
「フィリ」
フィリベルトは片手をアリアの背に回し、もう片方の手でアリアの頭を抱き込んで自らの肩口に押し付けるようにする。
とっさに身じろぎするも、フィリベルトの腕の力は緩まない。
「あの眠り薬は、おおよその摂取量の目安はありますが、各人によって効きがかなり違います。効きすぎてしまう者にとっては少量でも危険な薬となり得るものです。下手をすれば一生目が覚めないこともある。大丈夫だろうという楽観的な予測で、そのような薬をアリアに飲ませてしまい、大変申し訳ありませんでした」
「私は大丈夫だ。だから、君は落ち着け」
「僕は落ち着いています」
フィリベルトの腕の力がわずかに緩むも、アリアを離す気配はない。
ゆっくりとアリアの頭を撫でる手つきはひたすらに優しい。
「アリア……」
すがるような声で名前を呼ばれる。
続いて、頭に擦り寄られるような感触がした。頭を優しく撫でていた手が、今度はゆっくりとうなじを撫で始める。
うなじを撫でる手は、時折夜着の襟の隙間からその中に潜り込み、じっとりした手つきでアリアの肌を撫でさする。その手つきが、どうにも情欲を煽るようなものに思えて、頭で深く考えるよりも先に総毛立つ。
何か——何かが、おかしい。
「おい……っ」
アリアが思い切り身じろぎしようとした、その瞬間だ。
凄まじい音を立てて、寝室の扉が思い切り開かれた。同時に慌ただしい足音が室内に入り込んでくる。
「おい! 起きろ! ア……ッ、看守!」
誰なのかはすぐにわかった。テディだ。アリアの名前を叫ぼうとするも、フィリベルトの姿が目に入ったらしい。ギリギリのところで『看守』と呼び直した。
アリアは無理やりフィリベルトを引き剥がすと、テディの方を見た。
アリアとフィリベルトが触れ合っていたのを見たせいか、テディは口元を思い切り歪めている。囚人の面に隠された目元が、『嫌なものを見てしまった』としかめっ面になっていることも容易に想像できた。
「どうした」
「いいから来い! やばいことになった!」




