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檻の中の君  作者: 二井星子
第2章 檻の中
36/47

36 来訪者①

 瞬間、全員が弾かれたかのように扉を見た。一瞬で異様な緊張感が場に満ちる。


 アリアは息を殺し、扉を凝視した。フィリベルトもダグラスも同様で、扉を見たまま動かない。


 扉の向こうの誰かは沈黙している。もう一度扉を叩くことも、声を発することもない。


(——誰だ)


 魔法を使って監獄全体に意識を向ける。前庭のガゼボに一人、中央棟の書庫に一人、談話室に一人、食料庫に一人、玄関ホールに一人——他の囚人は誰も自分の独房にいない。これでは個人の特定ができない。


「アリア」


 フィリベルトがちらりとアリアを一瞥し、小声で名前を呼ぶ。物言いたげな視線と声音だ。何が言いたいのかはおおよそ予想がつく。どうするのかと問われているのだ。


 アリアは、誰も入ってこないようにこの独房全体に魔法をかけている。その魔法の範囲は廊下に面した一枚目の二重扉まで及び、今現在も破られていない。


 本来ならば、ここまでは誰も入ってくることができないはずだった。二重扉の一枚目の扉を開けることすらできないはずだ。


 じわりと嫌な汗が伝う。


 こんな芸当ができる者は限られている。アリアより強い支配の魔法を持つ者か、他人の魔法を無効化する作用の魔法を持つというアラステアのどちらかだ。


 気配もなければ足音もしなかった。一枚目の二重扉が開く音もしなかった。一体、いつからそこにいたのか。


 アリアはフィリベルトに向かって頷き、音もなく立ち上がった。

 君たちはそこで黙っていろ、という意味だったが、何を思ったかフィリベルトがアリアの隣に並ぶ。ダグラスも立ち上がり、アリアのそばに立った。とっさに後ろに下がれと注意しようとしたが、今はそれどころではない。


 アリアは腰から下げた剣の柄に手をかけながら開口した。


「入れ」


 アリアが声をかけた途端、ゆっくりと扉が開いた。


「お邪魔でしたかな?」


 悠然と室内に入ってきたのは、アルコルことアラステアだ。口元に笑みを湛え、アリアの正面に立つ。


 アリアはさりげなくアルコルの首元を見た。その首には、フィリベルトやダグラスと同じ囚人の紋が浮かんでいる。フィリベルトやダグラスの紋と比較して変わったところがあるわけでもなさそうだ。


 やはり、他人の魔法を打ち消す効果を持つ魔法ではないとみていいだろう。

 アリアの魔法をものともせずここまで入ってきたのに、その首元に囚人の紋があるということは、こちらの魔法を意のままにできる何らかの効果を持つ魔法だということだ。


「何の用だ」

「特に用はありませんよ。ただ、話をしにきただけです」

「話? フォーマルハウトと?」

「ええ、そのつもりでしたが……」


 アルコルの声には、隠しきれない愉悦が滲んでいた。思い切り笑いたいのを無理やり堪えているかのように声が震える。その視線が唐突にフィリベルトに向き、口角がさらに吊り上がって笑みが深まる。


「フィリベルト・ジンデル……驚きました。ねえ、坊ちゃん」


(……坊ちゃん?)


 フィリベルトは無言だ。口元に穏やかな笑みを湛えたまま、口を開く気配すらない。


 フィリベルトを『坊ちゃん』と呼ぶことに違和感を覚えたが、アリアが深く考えるよりも先にダグラスが鋭く言う。


「初めから話を聞いていたな」

「いいえ。初めからではありませんよ、ダグラス」


 親しげに名前を呼ばれ、ダグラスが眉間に皺を寄せた。


 不快さをあらわにするダグラスを見て、アルコルはさもおかしそうに小さく声を上げて笑う。


「初めからではありませんが、重要な部分は聞いていました。おかげで説明する手間が省けましたよ。ありがとうございます」

「白々しい。お前と談笑するつもりはない。さっさと本題を言え」

「せっかちですね。あまりせかせかしてはヴィリバルトと同じ失敗をすることになりますよ」


 瞬間、空気が張り詰めたものに変わる。ダグラスからは殺気と称してもいいような怒気が発せられる。


「本題を言え」

「その前に、看守様にご挨拶をさせていただきたい」


 ダグラスのことなどお構いなしの様子で、アルコルがアリアに向き直る。そうして、囚人の面に手をかけ、ためらいなく取り去った。


 面の下に隠れていた、品のある面立ちがあらわになる。切れ長の暗緑色の両眼がアリアを見て、心底愉快だとでも言いたげに細められた。こちらの神経を逆撫でし、不安を掻き立てるような嫌な笑い方だ。


「アラステア・ケメーニュ・ノイラートと申します。以後、お見知りおきください」

「ああ」


 アリアは短く答え、アラステアを観察する。

 只者ではないのは纏う空気から伝わるが、立ち姿からして武芸に長けているわけではなさそうだ。

 表情からは、アラステアがこの状況を『楽しんでいる』ということだけが伝わってくる。アリアから何らかの反応を引き出そうとしているというより、フィリベルトとダグラスを刺激して楽しんでいるように思える。


 と、突然アラステアがにいっと笑った。


 なんだ、と思った瞬間、瞬きの一瞬でアラステアの首にある囚人の紋が消えた。かと思えば、ごとりと何かが床に落ちた音がした。再びの瞬きでアラステアの首に囚人の紋が現れる。


(……今のは……?)


「っ、アリア……!」


 フィリベルトの切迫した声で、アラステアから意識が逸れる。フィリベルトの方を見ようとして、ようやく異変に気付いた。


 左腕が、ない。


 床に目をやる。足元には血溜まりができており、そこに二の腕半ばから切られた腕が落ちている。切られた、と判断したのは、衣服と腕の切断面が直線的で綺麗だったからだ。


 アラステアに予備動作はなかった上に、両手には武器の類いを持っていない。異変らしい異変は、一瞬消えた囚人の紋のみ。


 恐らくは魔法を使ったのだろう。アリアの魔法を意のままにできるだけでなく、全く別の魔法を使ってアリアの腕を落としたのだ。


(この男の魔法には、恐らく他人の魔法を蓄積するような効果があるな)


 アリアはひどく冷静に自らの左腕と足元に落ちている切り離された腕を見た。認識した途端に耐え難い痛みが襲い来るが、まだ正常に思考できるし、普段通りに動ける。


「何を……っ」


 動揺の中に鋭い怒気を滲ませ、ダグラスがアリアとフィリベルトを庇うようにして前に出る。


「何をと言われましても、私はご挨拶申し上げただけですよ。それにしても、流石は看守様。ここまでしても顔色ひとつ変えないとは見事なものです」

「貴様……!」


 あっけらかんと答えるアラステアに、ダグラスが今にも殴りかかろうとするかのような激しい怒りをあらわにする。


 手の内がはっきりとはわかっていない以上、正面切ってアラステアと戦うのは無謀だ。


 ダグラスを止めた方がいいだろう。さもなければ、囚人同士の殺傷が禁じられていない以上、ダグラスもアリアと同じ目に遭う。


「フォーマルハウト」


 アリアは一つ息を吐き、淡々と言う。


「私は看守を傷付けることを禁じていない。アルコルの行動は何ら違反を犯しているわけではないから、そこまで怒らなくてもいい」

「だが、それでは君が」

「フォーマルハウト」


 大丈夫だから、と言い聞かせるつもりで名を呼ぶ。口から出る言葉は相変わらず抑揚のない淡々とした声で、アリアの真意が伝わっているのかはわからない。


 ダグラスが素早く振り返り、揺れる瞳がアリアを見る。アリアが頷いてみせると、ダグラスは思い切りしかめっ面をした。何かを言いかけて口を開くも、結局は何も言わずに渋々といった様子で元の位置に戻る。


「……っ、アリア……」


 すぐ隣から大きく息を飲み、激しい動揺に震える声がした。アリアはフィリベルトに目をやる。


「腕……っ」


 フィリベルトが震える手を伸ばし、左腕に触れる寸前で止まる。


「血が……っ」


 恐れで歪む口元からは震える声が漏れ続ける。荒い呼吸と震えから、フィリベルトの動揺の程度が知れた。


 これほどまでに動揺するフィリベルトは初めて見る。そもそも、この男がこんなに狼狽えるとは思わなかった。アリアが知る誰よりも、感情を隠すのが上手いのがフィリベルトだ。


 フィリベルトがこれほどまでに動揺するのは、アリアの魔法では自分が原因の怪我しか治せず、他人に傷を付けられた場合は治すことができないと知っているせいかもしれない、などと冷静に思案する。アリアがこの怪我に対してできるのは止血程度だ。


「大したことはない。今」


 止血するから、と言いかけた瞬間、勢いよく両肩を掴まれて引き寄せられる。半ば衝突するようにしてフィリベルトに抱きしめられた。


 後頭部と背中にフィリベルトの手が回り、肩口に顔面を思い切り押し付けられる。あまりにも勢いが良すぎたせいか、フィリベルトの囚人の面の端がアリアの頭頂部をかすめて外れ、床に落ちた。


「フィリ」


 アリアは体を引いて離れようとしたが、フィリベルトは微動だにせずアリアの顔面を肩口に押し付け、身動ぎするアリアを制するように腕に力を込め続ける。


 まるで、暗に何も話すなと言われているようだ——いや、違う。これは、何も話すなと言われている『よう』なのではなく、『何も話すな』と言われているのだ。


 直感的に悟ったアリアは、ぴたりと動きを止めた。フィリベルトに何か考えがあるなら、任せてみるべきかもしれない。


 アリアが大人しくなったことで、自らの行動の意図が伝わったことを察したらしいフィリベルトが、やんわりと後頭部を撫でた。すみません、とでも言いたげな手付きだ。


「アリア……」


 フィリベルトが声を振るわせ、アリアを抱きしめたまま体勢を変えてアラステアに背を向ける。まるで、アラステアからアリアを守っているかのような様相だ。


「今すぐ、僕が治しますから」


 フィリベルトは焦りに満ちた声音で言い、アリアの背に回した腕を離す。


 直後、切り落とされた左腕からじわりと温かさが体に広がっていった。痛みが和らぎ、やがて完全に失せた。それと同時に左手の感覚が戻ってくる。肩口に顔を押し付けられたままであるため、今左手がどうなっているのかは見えないが、恐らくは元に戻ったのだろう。


「……治りました。確認していただけますか?」


 ややあって、フィリベルトはアリアの後頭部を押さえつけるようにしていた手を離した。


 体が離れ、アリアは手元に目を落とす。そこには、先程切り落とされた左腕があった。何事もなかったかのように、そっくりそのまま元通りだ。


 その腕を見た瞬間、強烈な違和感に襲われる。違和感の正体はすぐにわかった。衣服だ。


 腕ごと切り落とされたはずの看守の制服が、左腕と一緒にすっかり元に戻っている。


 アリアは、目線を先程左腕が落ちた床に向けた——何もない。


 切り落とされた左腕も、血溜まりも、確かにそこにあったはずのものが消えていた。


 妙だ。


 治癒の魔法は、生き物にしか作用しない。いくら強力な治癒の魔法を持っていようとも、服までもを元に戻すなどという芸当はできないはずだ。


 それに、体の欠損を治癒の魔法で治す場合、該当箇所を再生——つまり、新しく生やすことになる。例外はない。

 欠けてしまった体をくっ付ける、などといったことは、どんなに強力な治癒の魔法を持つ者であろうともできない。

 本来なら、切り落とされたアリアの左腕は床に転がったままになっているはずだった。


 どうして服が元通りになっているのか。どうして、切り落とされた左腕が、流れた血と共に消えたのか。


 ふいに、ある可能性がアリアの頭をよぎる。


(ひょっとすると、フィリベルトの魔法は『治癒の魔法』ではない……?)

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